ダンカー、叱り飛ばす
最初から農婦が身についていない女だった。
ロサミナの馬をおさえたダンカーはアンシャルの言葉を受けて、遠慮会釈なくロサミナを叱り飛ばし始める。
聞いているのか、この間抜け。
わかっちゃいたが、守徳隊の奴らは容赦がなかった。
俺はしばらく待たされたあげく、小さな部屋につれていかれた。
待っていたのは見た事のない将校で……ま、そうだ、守徳隊に知り合いなぞいないからな。
俺は階級を全て剥奪されると言い渡され、即座に軍衣から階級章が剥がされていった。
きっちり縫い付けてあるものだから、引きはがすのには相当の握力が必要なはずだ。
俺が思うに、奴らはこういう時のため、毎日握力を鍛えてやがるんだろう。
たとえば、胡桃の実を二、三個掌に握り込んだりしてな。
割れたら中身が食えるわけだから、一石二鳥だ。
これで俺は単なる一兵卒というわけか。
それでも、死んだ部下どもの仇が討てたと思えば気が晴れる。何もしないで安穏と将校の地位に甘んじるよりずっといい。
そう思うだろ。え?
さて、いったいどこの部隊に配属されるのだろうと思っていた俺は、営倉の監房で、ぶっ倒れた時のペルサー銅鷲将の顔を思い出しては自分の心を慰めていたってわけさ。
待たされたのは一昼夜だけだった。
呼び出された俺は、任務をひとつ与えられたうえ、抛り出された。
文字通りそのまんまだ。
手荒い扱いをされた方が、かえって心地良いくらいだ。へっ。
それにしても、女と将校一名を護衛していけだと?
隊が動かないという事は、なにやら秘密の匂いがぷんぷんしやがる。
そして軍隊と秘密というのは、実働部隊にとっちゃあ、相性が悪い。
賭けても良いが、その将校は実働部隊の者ではないだろう。
どういう階級を装っているかはわからんが、油断はできないな。
女の正体だって、どうだかわかるものか。
アンシャルの前に出たダンカーの身のこなしは、見事だった。
慎重にロサミナの馬に馬体を近づけていくと、さっと轡の近くを握る。
「ちょっと! 何をなさるの!」
ダンカーは口をきかなかった。
無口な男だ、とアンシャルは思ったが、単に馬上にあるから余計な口をきかないだけなのかもしれない。
抑えられた馬は少しもがいたものの、ほどなく走るのをやめ、歩調を緩めた。
アンシャルは内心溜息をつきながら、怒り心頭に発しているらしいロサミナに近づいて行く。
「兵が失礼した」
「なんですの? あたくし急いでいますの」
「それはわかりました。だが、今の調子でどれくらいあなたは走り続けられるのですか?」
「え?それは……馬がもつまでですわ。倒れたら次の馬に替えればよろしいでしょ」
「なるほど。その替え馬はどこにいるのでしょう」
「え……」
ロサミナが絶句した。
しかし、これでまた少し、ロサミナの事がわかった。
馬が倒れるまで走らせる事ができる、と本人は思っているわけだ。
そして本当にそうした場合、替え馬をすぐ手に入れられるほど身分が高いか、金持ちであるという事だ。
思わず渋い顔になる。
なんて厄介なんだ!
「いいですか。あなたは農婦を装っているんです。農婦は替えの馬なんか連れていないし、行く先に用意もしていないものなんですよ」
ロサミナは応えない。
「本当に農婦を装うつもりなら、言葉にも気をつけて下さい」
「なんですって」
「そんな風に、お上品な話し方ではすぐに身元がばれるという事です」
またしてもロサミナは黙り込んだ。
「私も今後、丁寧なしゃべり方はやめる。あくまで農婦として扱う事にする」
「ちょっと! そんな事は許されませんよ……」
「どうなるというんだ? 教えてやろう。怪しい農婦だと思われて、町や村の衛兵に足止めされるという事だ。行き会った部隊にも怪しまれたら同じ事になる。そうすれば厳しく取り調べられるだろう」
「そうならないようにするのがあなたの役目ですよ」
「それもこれも、あなたの協力がなければ無理な話だ」
「あたくしの協力……!」
「あんたの安全のためにも、そうしなければならないんだ。わかったらおとなしくしてくれ」
ロサミナは唇を噛んでアンシャルを睨み付けた。
「……あたくしにどうしろとおっしゃるの」
アンシャルは思わずロサミナとダンカーを見た。
ダンカーは用心深く、まだ馬を後ろに下げてはいなかったのだ。
ダンカーが面倒臭そうに口を開いた。
「あたくしじゃなくてあたしだ。間抜け。もっとのんびりしゃべろ。間抜け。おまえの身分は聖咒兵団の将校様より下だ。間抜け。言ってみりゃ、農家出の姉ちゃんが将校のそばにいるんだぞ、身の回りの世話をするためって相場が決まってるんだ、間抜け」
「ちょっと……!」
アンシャルは頭を抱えたくなった。
「わかったら頭を下げろ、間抜け」
「なんですって」
「将校様の前だぞ。それに帽子が脱げかかってるじゃねえか、能なし」
ロサミナの頬が怒りと屈辱に真っ赤になり、そのあとすぐに血の気が引いて真っ青になった。
それでもゆっくりとロサミナは手をあげ(その間も馬は止まっていないのだから、確かにそこそこ乗馬の腕はあるのだ)、脱げかかっていた布の帽子を直した。
きっちりとした三つ編みにしている金髪がアンシャルの目を引いた。
素晴らしく豪華な髪だ。
農婦が使うような、頭巾とも帽子ともつかない、薄っぺらなかぶり物に慣れていないのだろう、ロサミナの手つきはおぼつかなく、どこか苛々している。
そしてロサミナにとっては不本意な事だろうが、帽子を直すためにどうしても頭は少し下げていなくてはならなかった。
ダンカーは言うだけ言うと、再びアンシャルの後ろに馬を戻した。
「あ……あたしは……どうしたらいいの」
ダンカーに叱り飛ばされて、ロサミナは一応おとなしくなった。
アンシャルは自分でも、登場した時のロサミナの態度を忘れる事にした。貴婦人扱いしては、本当にこの先危ないかもしれないのだ。
「私の後ろに下がってダンカーと並べ」
ロサミナは返事をしなかったが、馬首をいったん返して、大回りをすると、すぐにダンカーの位置まで追いついてきた。
将兵ならばあんな事はせずに、単に少しよけたところで馬を駐め、上官に先に行かせていただろう。
その方が合理的だ。
そんな事も知らないという事は……?
本当に、貴婦人なのだろう。
生まれがどうだろうと、訓練を受けた女性なら、あんな事はしなかったはずだ。
たぶん。