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焼きたてパンと林檎のご馳走

 馬の準備は紹介の馬丁がやってくれた。

 ロサミナの馬は、鞍の上に藁の座布団がくくりつけてあるので、すぐにわかる。

 馬は山に慣れたものという事だったが、ずんぐりとしていて、いささか体高が低い。そして、体毛が長かった。

 一見して馬とは思えなかったほどだ。

 むしろロサミナの馬……いや、騾馬の方が馬に見える。

「大丈夫ですよ将校(オフィツィア)さん。こいつらは山道を軽く登る事ができまさ。軍人さんが慣れているような馬が息をあげちまうような坂でも登り切れるし、逆に急な下り坂も、尻をつかずに下りる事ができるんですよ」

 いかにも人の好さそうな馬丁がそう説明する。

 そういうものなのか、とアンシャルは思った。

 試し打ちを念入りに行った長銃を鞍の上に横たえてから、またがる。

 長銃というくらいで、銃身が長い。こうしてまたがってから改めて背に負うのだ。

 扱いは面倒臭いが、これならば遠くの的でも精密な射撃ができる。

 試合以外で試した事はないが、この銃があるだけで心強かった。

 ぴかぴかの軍衣に身を包んで戻ってきたダンカーは、照れくさそうに笑うと、ロサミナに紙袋を手渡した。

 甘く良い匂いがする。

「朝飯は食べたか?」

「少しだけなら」

 アンシャルはロサミナが食事をするところを見ている。昨日とあまり変わっていない。煮込みの汁を飲み、芋を少し食べ、パンを煮汁に浸して口にした程度だ。

「袋を開けろ。それなら食えるだろう」

 いぶかしげにロサミナが袋を開き、中身をひとつ取り出した。

 煮林檎の匂いが漂う。

 白くふっくらとしたペストリーは、どうやら中にたっぷりと煮林檎が入っているようだ。

「食べろ」

 ロサミナは頷いて、端を小さくかじった。

 ダンカーはもうひとつ、紙袋を手にしていたが、ひらりと残る馬にまたがり、紙袋の口を開いてアンシャルの方に向けた。

「ひとつどうです」

 焼きたてのパンの香りが漂う。

 食事をしたばかりなのに、食欲がそそられた。

 遠慮なく手を突っ込んでひとつを取り出すと、一旬熱くてほうり出しそうになった。

 本当に焼きたてのパンダ!

 皮がまだぱりpりと小さく音を立てている。

 かじると、ほの甘く口の中にほどけ、こたえられない旨さだった。

 出がけにこんなものを調達してくるとは、これが古強者というものなのだろう。

 アンシャルは妙なところに感心すると、馬を歩かせ始めた。

 道筋は商会の馬借に詳しく聞いてある。

 町外れからすぐに山道は始まったが、最初のうちはごくなだらかで、あたりには小鳥のさえずりも聞こえているし、山仕事に行くとおぼしき人々や、荷物を馬に積んで山を上り下りする馬借や、馬車に荷を積んでいく車力もいる。

 これも商会で聞いた話だが、穀物のように嵩張る安価な品は荷車に積み、それより貴重なものは馬の背に直接積んで山を抜けるのだそうだ。

 旨いパンを噛みながらも、アンシャルは通りすがりの挨拶に応えていく。

 少し後ろではダンカーがパンに食らいつきながら、もっとくだけたやりとりをしているのが聞こえてくる。

 道を通る馬借や車力の数はそこそこ多い。

 山道も分岐して別の町へ向かうので、山頂近くではもっとすいてくるのだろうが、これなら魔物が襲ってくる心配はまずあるまい。

 そんな危険な道をこれだけの人々が往来しているはずがないからだ。

 きらり、とダンカーの背にある小銃が光った。

 先端に取り付けられている銃剣が光ったのだ。

 ……銃剣?

 普段銃剣は銃口に装着したままにはしない。

 ダンカーは魔物が襲ってくると思っているのだろうか。

 こんな交通量のある山道で?

 いったい何か聞き込んででもいるのか?

 アンシャルは馬を道の端に寄せると、ダンカーに側に来るよう合図した。


「戦闘を予測しているのか?」

「は?」

 アンシャルが銃剣を指した。

 ううん、とダンカーは唸った。

 実はなんとなく落ち着かない気分なのだが、それがはたして襲撃を予測するものなのか、自分でも定かではない。

 たとえばそれは、真新しい装備のせいかもしれないし。

「いやあ、久々の装備なもんで……」

 ダンカーは口を濁した。

「こいつはどうです?」

 ダンカーは紙袋から林檎を取り出した。

「もらおう」

 アンシャルは遠慮なく取る。

 目的地に到着したら、このちょっとした差し入れをねぎらって、報いてやらねば。

 林檎に噛みつくと、甘く爽やかな汁が溢れてきた。

 実に旨い。

 芯は、馬にやることにしよう。

 馬だって期待しているはずだ。

 その証拠に、さかんに耳を動かしている。

 この旅を始めて、ようやくのどかなひとときを味わえる事ができる、そんな雰囲気になっていた。

 先に林檎を食べ終わったダンカーが、案の定身を乗り出して馬に芯を差し出している。

 馬の強い口は、人間よりもたやすく硬い物を噛み砕く。

 ダンカーの馬が気持ちの良い咀嚼音とともに、林檎の芯を食べる音がした。

 風すら爽やかで、甘い匂いがする。

「花畑にいるようだな」

 アンシャルがなにげなくそうつぶやくと、通りかかった車力が自ら荷車の後ろを押しながら笑った。

「このあたりには山葡萄が実ってるところがあるんでさあ。おかげで熊に襲われずにすみますよ」

「熊だって?」

「そうでさあ。甘いものがあっちにあって、好きなだけ食べられるとなりゃ、熊はそっちに行くもんです。だから峠を抜ける人間は安心できるって事ですよ」

「なるほど」

 それは、良い知らせだった。

 道中、旅人を襲ってくるのは魔物だけとは限らないのだ。

 その話が気になったのか、ロサミナが振り向く。

 ダンカーがにやりと笑った。

「林檎を食いたいのか?」

 そして、無造作に林檎を放る。

 ロサミナはあわてて手を突き出し、かろうじて林檎をとらえた。

「あん、これ……」

「喰え。そのままかじればいい」

 こともなげにダンカーが言う。

 ロサミナはどうしようかためらっている風だったが、瑞々しい林檎には勝てなかったのだろう。

 おそるおそる、林檎に歯を立てた。


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