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こうして旅は始まった

「馬鹿野郎っ」

 俺は思いきりそいつをぶん殴っていた。

「ダンカー、やめろ、狂ったか!」

「放せ、今回ばかりは我慢ならんっ」

 そいつは俺の一撃で、ぶざまにも鼻から血を流し、その場に昏倒していた。

 ばたばたと駆けだしていく奴がいた。

 そして俺は二人がかりで押さえつけられていた。

 ぶっ倒れた奴は目を覚まさない。

 当分覚まさないだろう。

 こいつは許しがたい事をやったのだ。

 こいつが補給品の横流しなどやらなければ、俺の部隊は全滅せずにすんだ。

 真っ黒な魔物の群に飲み込まれずにすんだんだ。

「「ダンカー銀狼佐ジルバボルゲンノベール! 貴様を逮捕する!」

 ちっ。

 あの野郎、守徳隊を呼んできやがったのか。

 こうなっては仕方がない。

 いや、こうなる事はわかっていた。

 それでも俺がこいつを許せなかっただけだ。

 なんといってもぶん殴った相手が悪かった。

 こいつの名は、ペルサー。

 階級銅鷲将ゴハルアダーレンガナラル

 補給部隊の最高指揮官だ。


「アンシャル君。君ね。こういうものは机上の空論だよ」

 ばさっと、まさしく机上に投げ出された建白書を、アンシャルは冷然と一瞥(いちべつ)した。

「充分実行可能かと思いますが」

「君は若い。現場を知らんのだろう」

「計画はいたって現実的な数字をもとにしたつもりです」

「数字か。数字。それだ」

 アンシャルはそれとわからぬほどに顔をしかめた。

 数字を馬鹿にするこの男はなんだ。

 こんな愚か者が、占領回復地の宣撫隊長なのか。

「住人のやつらの信仰心がもっとしっかりしてさえいれば、魔物なんぞは近づけなかったのだ。甘やかしてやる必要はない」

「それはそうかもしれません。しかし民は弱いものです」

「そんな事は承知しておる」

 宣撫隊長はいやな笑い方をした。

「だから、今必要なのは、厳しい指導なのだ。教会堂の司祭だけでは力不足であろうから、教導隊が派遣される事になろう」

 そして民を虐げる。

 そうすればますます民心は教会から離れるだろう。

 魔物の侵攻は止まるまい。

「どうやらアンシャル君は現職とは相性が悪いようだな」

「そうでしょうか」

 宣撫隊長がまたしてもいやな笑いを浮かべた。

「それゆえ、貴様には実際に民を見てこられるような任務を用意した」

 宣撫隊長は両手の指を組み、机の上に身を乗り出した。

「アンシャル鋼鴉尉シュタルグラーベンロナン。貴官はご婦人を護衛して、翌月末までに、荊森市(ローザンヴァルブール)へ行くのだ」

「奪還したばかりの土地を抜けていく事になりますね」

「だからこそ民情視察ができるのではないか」

「兵はいただけるのですか」

「与えんわけにもいかんだろうな」

 宣撫隊長は三度(みたび)いやな笑いを口もとにへばりつかせた。

「与えよう。癖はあるが、熟練した兵だ。貴様には充分な兵力である事を約束する」


 いささか慌ただしく、兵站(ロギス)担当の下士官(ハウプタル)に案内され、アンシャルは大股で司令部を横切っていった。

 聖咒兵団はつい最近、夥しい魔の侵攻に喘いでいたこの地方を奪還したばかりだ。

 まだ魔の掃討は終わったわけではなく、いまだ司令部は騒然としているようだった。

 アンシャルは自分の提案が却下された事に……二十数回目の却下をくらった事に、苛立ちをおぼえていたが、新しい任務とあらば仕方がない。

 それにしてもご婦人を護衛していく、だと?

 まだ戦地といっても良いこの地方を旅しようとはどういう女性だ。

 裏庭に出ると、(ゾルダル)がひとり、馬の手綱を握って立っているのが見えてきた。

 馬は三頭。

 そして、馬車はない。

 鞍の後ろには標準的な内容と思われる雑嚢がくくりつけられていた。

「私の馬はどれだ」

 (ゾルダル)が馬の一頭を渡してよこす。

 アンシャルは黙々と、雑嚢の後ろに自分の手荷物をくくった。

 ついでに馬具を点検したが、なるほど、熟練兵なのだろう。どれもきちっと締めてあり、雑嚢もしっかりと固定されている。

「よし」

 アンシャルは小さく頷くと、(ゾルダル)の方を振り返った。

 とたんに、アンシャルの眉が不審そうにひそめられる。

 (ゾルダル)の軍衣には明らかに階級章を剥ぎ取った跡があった。

 その跡から逆算すると、どう考えてもこの男はもともと士官(オフィツィア)だ。

 年齢からすると、おそらく自分より上の階級だったはず。

 癖がある、だと?

 明らかに、厄介者を押しつけられたのだ。

「私はアンシャル鋼鴉尉シュタルグラーベンロナンだ。貴様は」

 (ゾルダル)は敬礼した。

 あまりきびきびしているとはいえない敬礼だ。

「ダンカー。であります」

 貴様いったい何をしでかしたのだ?

 アンシャルはその言葉を危ういところで飲み込んだ。

 降等されたばかりの男は扱いに気をつけねば。

「あなた方があたくしを護衛して下さるのですか」

 女の声に、アンシャルは振り返った。

 風体はいかにもそのあたりの若い農婦だ。

 しかしその衣裳はあまりにも身についていない。

 ついでに言えば、今この地方で、汚れのひとつも、繕い跡もない衣類があるものだろうか。

 まるで舞台の上の女優のように現実離れしている。

 女は、革でできた立派な旅行鞄をひとつ手に下げていた。

「あたくしはロサリナです。家名をあなたがたが知る必要はありません」

 なるほど、ご家名がおありなんですね、とアンシャルは胸の(うち)でごちた。

「では、ロサミナ嬢……」

「ロサミナで結構です」

「馬で旅した経験はおありなのですか」

「遠乗りには慣れておりますわ。問題ありません」

 アンシャルは溜息をつきたくなった。

「ダンカー。ご婦人の荷物を馬に載せてさしあげろ」

「は」

 (ゾルダル)の返事は覇気が感じられない。

 状況を考えると当たり前なのだろうが、どこかで気合をいれなければならないだろう。

 とはいえ、ダンカーは黙々とロサミナの鞄をとり、もう一頭の馬の背にしっかりとゆわえつけた。

 ロサミナがその馬に歩み寄り、当然の事だと言うように、片手を差し出した。

 確かに馬には乗り慣れているようだ。

 但し、貴婦人の乗馬という意味でだが。

 アンシャルがそのまま見守っていると、案の定、ロサミナは(あぶみ)に片足をかけ、ぱっと毛織のスカートを蹴上げた。

 けれども今ロサミナが着用しているのは乗馬服ではない。

 足は上がりきらず、馬の背をまたぐ事はかなわなかった。

 危うく落ちそうになるところを、ダンカーが下から支える。

 ロサミナは悪態をついた。

「この畜生っ。おまえは母親の……」

 残りの言葉には耳をふさいだ。

 驚いた。

淑女の口から出るとは到底思えない言葉だ。

 しかし、ダンカーの手を借りて、ようやくロサミナは馬の背に跨がった。

 切れ込みのない農婦のスカートは鞍の上にまくれ上がり、白い大腿までが露わになっている。

 白い肌が眩しい。

 アンシャルはそっと目をそらした。

 自分の馬に跨がると、自然と視線が高くなり、白い脚線美を見なくてもすむようになった。

 ダンカーが物慣れた様子で馬に乗る。

「では参りましょう」

 ロサミナがいきなり馬にひと鞭くれた。

 馬が抗議するかのようにいななき、走り出す。

「畜生っ」

 アンシャルは思わず自分も悪態をつくと、慌ててロサミナの跡を追った。

 ダンカーの馬が軍機通りにアンシャルのすぐ後ろに従っている。

 アンシャルは自分の馬を駆り立てながら、後ろに向かって叫んだ。

「あの女を止めろ!」

 ダンカーが無言でアンシャルの馬の前へ出る。

 しかしこの時にはすでにロサミナの馬は一馬身ほど前を走っていた。

 全くなんて女だ!

 アンシャルはこの先の旅路を思いやった。

 目的地までは治安の良い状態でも七日はかかるのだ。

 農婦に変装したつもりの貴婦人と、士官から降等されたばかりの部下と共に過ごす七日間だ。

 茨の道とはまさにこの事だ。


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