#1-3
「それよりだ」
俺は話を仕切り直し、腕を組む。
「あの同人誌、たぶん俺が持ってきたものだと思うんだが」
「うん、知ってる。一部始終見てたから。生徒会長さんに没収されてたでしょ?」
「……見てたのか?」
「バッチリ」
親指と人差し指で丸をつくってみせ、いたずらっぽく微笑む姪原。歯並びの良い奴だと思った。
「で、なんだ? お前も俺をわざわざバカにするためにそんなことしたのか?」
「ちがうちがう。ちゃんときみに返すつもりだったんだよ。でも、中身が気になって……我慢できなくて……」
「なにその犯罪者みたいな言い分」
「結局また没収されちゃったかも。ごめんね」
「謝らなくていいって」
今度は俺が、姪原に向かって同じことを言っていた。何とも思っていないのは事実だ。あの教室にはもう俺の味方なんていないと思っていたから、協力してくれたこと自体はありがたかった。
姪原はひとつため息をついた後、花壇を囲むコンクリートブロックに座った。左隣のブロックを手で叩いている。相席してもいい、ということだろうか。ならば俺も、走って疲れた足を休ませることにする。コンクリートブロックはでこぼこしていて、意外と座りにくかった。
「もう教室には戻れないね」
「先生も、生徒会長サマもおかんむりだろうな」
「これからどうする? それでも教室に帰る?」
「うーん……」
馬鹿正直に教室に戻ったとして、待っているのは説教だけだろう。さすがに一日二回も講釈垂れられるのはごめんだ。どこかで時間を潰したとして、それは問題を先延ばしにするだけなのは分かっているが……。
「教室には、帰りたくないな」
怒られるとかそういうこと以上に、居心地の悪い場所に戻りたくなかった、というのもあった。
「そう言うと思った」
「お前は?」
「ぼくも」
「そうか」
短い返答を繰り返し、再び会話が途切れる。嫌ではあるのだが、今自分が悪い事をしていると思うと、どうしても歯切れが悪くなってしまう。しかし意外にも姪原の方は落ち着き払っており、呑気に雲の数を数えていた。
「もしかしてお前……こういうこと慣れてるのか?」
「んー……まあね」
「何したんだよ……」
「気になる?」
「少しは」
たぶん興味がないって言っても喋り出すと思う。こういうタイプは。
「えーと……早弁して一回、居眠りで一回かな。どっちも脱走しました、えへへ」
「常習犯じゃねえか」
「いやー、それほどでも」
「褒めてねえし」
道理で逃走の手際が良かったわけだ。
「きみは初めて?」
「そりゃそうだろ。これでも今までは優等生で通ってたんだぞ」
成績はずば抜けて良いとは言えないが、去年は一年間皆勤賞だった。別に威張れるほどの物でもないとは思うが、少なくとも、素行が悪いと言われる覚えはない。学校を無意味に休む理由も無かったし、そもそも我が校は全国でも珍しい全寮制である。逃げ場が無いともいうが。
「あー、じゃあ悪いことしちゃったね。皆勤賞ストップさせちゃって」
また鼻の頭をかいていた。たぶん、バツが悪い時にする癖なのだろう。
「いいよ別に。そういうの興味ないし」
「……ほんとに?」
「……実はちょっともったいないって思ってる」
「だよねー、連続ログインボーナス途切れさせたようなものだもんね」
「ログインボーナスって言うなよ」
皆勤賞という名誉が一気に安っぽくなった気がする。
「ソシャゲ、何かやってるのか?」
「前モンスマやってたけど、飽きてやめちゃった」
「なんで?」
「ログインボーナス」
「途切れたんだな……」
深々と同情する。
「きみは何かソシャゲやってる?」
「俺はコンシューマ派だから。ソシャゲはスマホに入れない主義」
「硬派だねー」
「だって、ソシャゲって金食うじゃん。ソシャゲに課金しすぎて食事が水だけになった人の話聞いたことあるぞ」
「極端な話だと思うけどね」
姪原は苦笑いを浮かべていた。俺もつられて笑った。たぶん金が無くなった本人からすれば笑い事ではないのだろうが。
「ご飯の話してたらお腹空いてきたなー」
姪原は一個大きく伸びをして、ブレザーの内側に手を突っ込んだ。むき出しになったカッターシャツから大きな胸が主張してきて、俺は少し怯む。どうやら財布を取り出したかったらしい。ピンクのがま口だった。そのカエルの口を開けて、腹の中を確認している。
「お詫びに奢ってあげるからさ。ご飯食べに行かない?」
「まだ昼飯には早いんじゃないか?」
俺は言いながら左腕の時計を見た。午前十時を回ったところである。
「美味しいお弁当屋さん、近くにあるんだよ?」
「や、だから俺、そんなに腹減ってないし……」
今日の朝飯は何だっただろうか。米と味噌汁と焼き魚だった気がする。元々食が細いほうだから、これだけでも十二時まで持たせられる自信はあるのだが。
「きみ知ってる? この世で一番美味しいごはん」
俺は首を振った。
「それはね」
「それは……?」
姪原が妖しく微笑む。
「人のお金で食べるご飯だよ」
「……負けたよ」
「がはは、くるしゅうないぞー」
背中をバンバン叩かれる。部下を呑みに連れていくおっさんみたいだった。
「くるしゅうないくるしゅうないー!」
殿様を演じたかったのか、姪原は手を団扇に見立てて仰ぎながら勢いよく立ち上がる。俺も腰を上げようとしたところで、風が吹いた。たぶん白だった。人生で初めて、女の子のパンツを見た。