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うどんと惰眠とエロ本と、スクールレジスタンス。  作者: 国崎らびふ
#1 その女、姪原味眠蜜につき
3/4

#1-2

 俺の学校生活は、それでも静かに回っていた。


 朝起きて教室に来て、授業を受けて、飯を食って、授業を受けて、帰る。それは高校生活が二年目に入っても、何も変わらないだろう。ある日突然教室にテロリストは入ってこないし、突然空からヒロインが降ってくるわけでもないし、突然死んで異世界に行くわけでもない。

 そんな日常に満足していたかと言われればそうでもない。けど、この気だるい不満をどこかにぶつけるほどの行動力を持ち合わせているわけでもない。俺をこのつまらない世界から連れ出してくれと思う事はあっても、つまらない世界を自分から出て行こうという気概も才能もない。つまるところ、このありふれた日常から抜け出すには、俺はあまりにもありふれた一般人でありすぎたのだった。

 今では悪い意味で有名人となったが。

 クラスの端々から聞こえてくる嘲笑と、冷ややかな眼差し。静かに回っていたはずの俺の生活はいまだ静かなままだが、居心地は確実に悪くなっていた。だから俺は改めて、こう思うようになっていた。


 俺をどこかに連れ出してくれ。


 シンデレラのような女々しい願望をぼんやりと思い浮かべながら、俺は左手で頬杖をついて右手でシャーペンを動かしていた。国語の先生が、無機質に教科書を読み上げている。どうにもこの先生は字が汚い上に小さい。、窓際の一番後ろの席は平和でいいのだが、こういう時は本当に困る。字が見えづらくて仕方ない。やむなく、俺は席から少し乗り出すような形で背を起こす。


 そして、気づく。

 前の席の女子が、教科書以外のものを読んでいることに。


「……」


 女子は真剣だ。確か名前は……「姪原 味眠蜜(めいはら みみみ)」とか言ったか。今年から同じクラスになった奴だが、かなり珍しい名前だったので覚えている。キラキラネームというヤツだろうか。

 とにかくその姪原が、立てかけた教科書の後ろに隠して、何か違う本を読んでいる。二つに縛ったお下げが、開け放った窓から吹く風でなびいて俺の視界を妨害する。が、そいつは確かに、一冊の本に夢中になっていた。

 そして姪原は、先生の読経にすら掻き消されるような小さな声で、ぽつりと呟いた。


「…………エロい……」


 耳を疑った。

 こいつ、今エロいって言った?

 俺は姪原が読んでいた本を覗き込む。

 裸の女が描かれていた。

 嘘だろ?


 だってここは高校の教室で、今は授業中だ。そして姪原は女子高生という存在だ。俺たち男子高校生ならまだしも、女子もエロ本を読んだりするものなのか? というかこんな朝っぱらから読むかフツー? せめて家まで我慢できないのか?

 などなど頭の中から滝のように溢れる疑問をぐっとこらえながら姪原を睨んでいるうち、姪原が俺の視線に気づいたのか振り返り、


「あ」

「あ」


 目が合ってしまった。

 長い睫毛に覆われた、やや垂れているその双眸が、俺の顔を見つめていた。


「えっと……読む?」

「読まねーよ」

「じゃあ、どうしたの?」

「えーと……」


 なんでエロ本読んでんの? とは聞けなかった。というか聞く気もなかった。確かに何やってんだこいつとは思ったが、別に他人がエロ本を読んでようがどうでもいいことだ。


「そうなの? でもこれ……」

「いや、見せなくていいから――ん?」


 姪原が手に持っている本に目が留まる。この本の表紙に、「スーパー巨乳戦記・ダブルマウンテン」と書いてあるが……もしかして……


「……それ、どこで手に入れた?」

「これ?」


 閉じた同人誌を左手でヒラヒラと振る。


「生徒会室」

「んん……?」

「箱に入ってたから、取ってきたんだ」

「いつ?」

「今日だよ」

「今日……」


 早朝の一幕を思い出す。秋ノ瀬恋歌に説教される俺。没収される同人誌。教室に行くときに感じた視線……。


「それ、俺が没収された本じゃ……」

「わわっ」


 俺が近寄ると、姪原は慌てて飛びのく。そして――


 バサリ。


 本が落ちた。

 姪原の手から。

 教科書じゃない方の本が。

 しかも表紙を上にして。

 それはもう、肌色たっぷりの絵をまざまざと見せつけて。

 本を拾い上げようと手を動かすも、手遅れだった。

 先生の、チョークを動かす手が止まる。

 教室中の視線がその一点に集まる。

 言葉を発する者はいない。聞こえるとすれば――

 

 生徒会長にしてクラスメイト、秋ノ瀬恋歌の足音だけだった。

 

『三度目はありません』

 脳裏によぎる、秋ノ瀬恋歌の台詞。それは警鐘となり、俺の身体中から脂汗が噴いてくる。

 俺の学校生活、今度こそ終わった……。

 

「逃げるよっ」

「え」

 

 その時だった。

 姪原が俺の手首を引っ掴み、席を立って走り出したのだ!

 突然のことで俺は椅子からひっくり返りそうになるが、すんでのところで立て直す。そして、手を引かれるがままに教室を飛び出した。


「姪原! 山川! どこに行くんだ! 戻らんか!」


 先生の怒鳴り声が背後でどんどん小さくなっていく。無人の廊下を、上靴が脱げそうになるくらいの全速力で駆け抜ける。俺の目の前を走る姪原は、ただの一度も振り返ることなく、俺の手を放さずに走り続けていた。教室が遠ざかる。


『どこか遠くに連れ出してほしい』


 その自堕落な願望の通り――俺は姪原に、嫌な場所から連れ出されていた。


 階段を下り、靴箱を通り越し、グラウンドを猛ダッシュ。プールを横目に走り抜けた後、裏庭まで逃げてきていた。


「ここまで来れば……大丈夫かなっ!?」


 姪原が突然止まり、追手がいないか振り返るが……


「お、おいバカ急に止まるな……おわっ!」

「ひゃっ!?」


 手を引かれて走っていた俺は、その反動で足がもつれ、倒れる。姪原に覆いかぶさるようにして。姪原の……心臓の音が聞こえる。息ができない。干したての布団のような、柔らかい感覚が顔面に。ボリュームがあり、顔をうずめるとさらに沈み込んでいく。いや、これってまさか……


「す、すまん!」


 急いで顔を跳ね起こす。案の定というか、目の前にはブレザーの上からでも分かる立派な二つの山。視線を少し動かすと、顔を真っ赤にした姪原が、


「あ、あわわわ……」


 口をぽかんと開けたまま固まっていた。

 俺は慌てて言い訳を考える。


「え、えっとその……柔らかかったぞ!」


 って何を言ってんだ俺は! これじゃただの変態だろうが!


「すまん! 本当にすまん!」


 起き上がり、首をべこべこ前後させて謝る俺。そんな俺の様子を見た姪原は、ゆっくりと起き上がる。尻についた砂を手で払うと、にこっと笑った。


「今時ベタだね! こういうラッキースケベ!」

「は……?」

「あれ、ラッキースケベって知らない?」


 首を横に振る。


「そっかあ。きみとは話が合うと思ったんだけどなあ」

「なんの話だ?」

「ううん、こっちの話」


 姪原はお茶を濁しつつ、俺のブレザーの袖についた土の汚れを払ってくれた。それから、外れたヘアピンを髪から一度引き抜き、自分の長い前髪を留め直す。目元同様に少し垂れたまゆが、髪の合間から見えていた。

 姪原が鼻の頭をかきながら言った。


「謝らなくていいよ。急に止まったぼくも悪いし」

「ぼく……?」


 俺は首を傾げる。あまり女の子からの口からは聞かない一人称だったからだ。


「お前、実は男だったりする?」

「失礼な! ていうかさっき人の胸揉んどいてそれはないよね?」

「揉んでねーよ」


 ちょっと埋まってみただけだ。


「やっぱ変かな、ぼくって言うの」

「別に。自分のことどう呼んでもいいだろ」

「そっか……うん、そっか」


 姪原は何やら納得した様子で、ひとり頷いていた。

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