表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

#0

 初めてエロ動画を見た時、まず抱いたのは恐怖だった。

 人は知らないモノを恐れる、という話を聞いたことがある。幽霊や宇宙人や新興宗教が怖いのと一緒で、エロ動画も、見たことがなければ怖いものなのだ。艶やかな肌と、大きく揺れる胸と、たっぷりと肉付いた尻を初めて見たその瞬間、俺はビビっていた。


 女ってこんな身体してんの?

 ブラってそうやって外すの?

 そこにそれ、入るの?

 

 ヘッドホンから流れる女の喘ぎ声を聞きながら、俺はそんなことだけを思っていた。リクライニングシートを傾け、吹き抜けの天井を仰ぎ見る。小さなライトとファンが交互に並んでいる。そこで俺は、自分のいる空間がネットカフェの一室であったことを思い出した。


 隣には、食い入るように画面を見つめる女の子がいた。

 彼女はクラスメイトである。

 つまり俺は、ネットカフェで、クラスメイトの女の子と一緒に、18禁の動画を見ているのである。


 完全にやべー奴じゃん。


 俺が第三者なら迷わずそう言っただろう。

 しかし、真にやべーのはこの女なのだ。

 俺が「みーすけ」と呼んでいるこの女は、スケベだ。それはもうどうしようもなく。見ているだけで平和ボケしそうな柔らかい笑顔とは裏腹に、性欲の塊と言って差し支えない。現にこの謎のAV鑑賞会は、みーすけの方から提案したものだった。


 食欲もすごい。

 右手に大事そうに持っているハンバーガーは既に三つ目。午後の十一時を回ろうという時によく食えるなと感心したが、いつもの夜食らしい。いつものってなんだよ。


 睡眠欲も半端ではない。

 授業5コマの内、平均して4コマは寝ている。残る1コマは大抵の場合、居眠りしたら補導されると評判の数学教師田口の授業で、肘にシャーペンの芯をぶっ刺して起きているようだ。そういう授業でも大抵の場合、首が据わらずうつらうつらと傾いていた。


 本人曰く、三大欲求に正直な女。

 これが、俺よりやべークラスメイト、みーすけの実態である。


「この女優さん、太ももめっちゃエロい」

「お前も太くないか?」


 俺は視線を少し下げながら、みーすけに問いかけた。膝まで伸びる黒のソックスの上に、肉が少し乗っていた。


「だだだ誰がデブだー!」

「それ、ハンバーガー食いながら言うセリフじゃないと思うぞ」


 そんな彼女は、左手にドリンクを持っている。ストローの先が噛み潰されていた。


「なんでさあ」


 右手の親指についたソースを舐めとってから、


「ハンバーガーがこんなに美味しいのかって考えたことある?」

「ないな」

「ハンバーガーチェーン店が作るハンバーガーはね、マニュアルが徹底されてるんだよ」

「全国共通ってことか?」

「そうそう。例えば今、このチーズバーガーを美味しい! って思うとするよ」

「それで?」

「このチーズバーガーは、どこでだって食べられるわけじゃん? 日本のどこで食べても、絶対に美味しいんだよ。それって幸せなことだと思うの」

「そんなもんなのか?」

「考えてもみてよ。絶対に美味しい! って分かってるものを頼む安心感って、ご飯食べるときすごく大切だよ。一口目を警戒しなくていいわけ」

「一口目ねえ」


 確かに、目の前のものが不味いかもしれない……って思いながら食べる飯ほど陰気な食事もないだろう。


「だから、一口目から美味しいって分かってるチーズバーガーは、最初から最後まで美味しさが楽しめるんだよ」

「そう聞くとお得感あるな」

「でっしょー? だから今すごい幸せ。三つ目だから幸せも三倍」

「カロリーも三倍」

「うぐっ」


 みーすけが腹から槍でも刺されたかのようにのけぞった。さすがに女の子だからか、体重の話は響くらしい。その割に食事制限しているところを見たことはないが。


「どうした? 食べないのか?」

「うう……食べる……」

「ならさっさと食っちまえ。元々ネットカフェは食い物持ち込み禁止なんだから」

「はーい」


 返事して、みーすけは残りのハンバーガーを大きく頬張った。キャベツを咀嚼する音が聞こえる。口いっぱいにバンズと肉を含んだ後、ゆっくりと噛み込んでから飲み込む。噛んだ瞬間にバンズから漏れ出たソースが唇にべっとりついていたが、構うことなく二口目をかぶりつく。強く歯ぎしりした。ピクルスに当たったのだろう。さっきより強く噛み切って平らげた後、ようやく唇についたソースの存在に気づいたらしく、そっと舌で舐めた。その後、小さくため息。


「ん、どしたの?」

「いや、美味そうに食うなって」

「食べたかった?」

「いらねえよ」


 俺が首を振ると、みーすけは「そっか」とだけ呟いて、ゴミを紙袋にまとめ始めた。俺はみーすけの横顔を眺めていた。柔らかそうな頬が、ほんのりと紅潮している。伸びた黒髪は二つのおさげにまとめており、たまにうなじが見え隠れしていた。そんな邪な俺の視線にも気づかず片付けをしていたみーすけだったが、


「ふああ……」


 片づけ終わるや否や、涙が出るほど大きなあくびを浮かべた。


「そろそろ寝るう……」

「あの、俺いるんだけど」

「んん……? だから?」

「だからってさあ……」


 同い年の男が隣にいるのに、よくもまあ平然と眠ろうと思えるものだ。睡眠なんて人間が一番無防備な状態なのに。


「少しは警戒した方がいいと思うぞ? お前、可愛いんだから」

「かっ……? かわ……かわいいって……!?」


 少し冷かしてやると、顔から火でも噴き出たかのように一瞬で燃え上がる。真に受けたのが癪だったので、


「一応な」

「一応ってなんだよーっ!」

「しー、静かにしろって」


 みーすけの口を塞ぐように片手を当てる。


「もががもがもが……がぶっ!」

「いてっ!? お、お前噛みやがったな!?」

「しー、静かにしろってー」

「真似すんなよ」

「やなこったー」


 みーすけは舌を出した後、そっぽを向く。俺は右手についた歯形を忌々しくさすっていた。


「別に襲いたければ襲えばいいと思うけどさー」

「いいのかよ」

「処女だけどね。絶対痛いって泣き叫ぶけどそれでもいいならどうぞ」

「それは困るな。やめとく」

「……意気地なし」

「なんか言ったか?」

「べっつにー」


 みーすけはそう吐き捨てながら、パソコンの上にあるライトを消す。あたりはぼんやりと暗くなるが、吹き抜けの天井からわずかに光が届き、月光のようにお互いの顔を照らしていた。


「おやすみ」

「おやすみ」


 それだけ言って、俺とみーすけは寝る姿勢に入る。

 が、みーすけは一瞬だけこちらに振り返って、


「信じてるから」


 にこっ、と歯を見せて微笑んだ後、すぐに背もたれに寄りかかり、目を瞑った。寝息が聞こえてくる。その間、実に二十秒。早業だった。人はこんなにも簡単に意識を失えるのか。一周回って死んでるんじゃないか? 心配になり、手を伸ばす。

 制服の上からでも分かる、大きな胸が上下する。暑かったのか、胸元のボタンが二つ外れている。深い谷間が見え隠れしていた。たぶん、さっきの動画の女優より、大きいと思う。


 手を伸ばせば、俺は容易にソレに触れられる。

 それくらいに無防備だった。


 天井が空いているとはいえ狭い個室に、年頃の男女がふたり。よもすれば襲われるとも限らないのに、この女はぐーすかと眠っている。俺は、みーすけにそっと忍び寄り……


「ったく……」


 開いたボタンを留め、ブランケットをかけた。俺も寝るとしよう。一度大きく伸びをして、俺も椅子にもたれかかった。


 みーすけほど寝つきが良くない俺は、人は死んだらどこに行くのだろうなんてことを考えていたが、自分が死んだ瞬間を想像した瞬間に無性に気持ち悪くなり、もっと明るい話題に切り替えようと頭を振った結果――青春ってなんだろう、というテーマに行きついた。

 青春っていつのことを指すんだろう。スマホで調べたら、「高校時代」という意見が圧倒的多数だった。好きな子との甘酸っぱい学校生活のことを「青春」と、よく呼ぶらしい。あるいはリア充と言うらしい。なるほど、と思いながら、俺はスマホの電源を切った。


 その理屈で言えば、俺たちは青春を謳歌できていない。

 


 俺たちは今、停学中だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ