シンギュラリティを超える前に
「ねえ、正太郎?」
「なに?」
「解説君の脳の仕組みを教えてよ」
「ダメ」
「なんで?」
「解説君はブラックボックスなの」
「ぶー」
大学生になった亜紅が正太郎の研究所で何度目かのやり取りをしていた。
正太郎は別に意地悪で教えない訳ではなくて、まだ亜紅に教えるには、亜紅の知識が足りないからだと思っていた。きっと理解できないはずだ。
「そーだなー」
無精髭を撫でながら、(2日間ぶっ続けで研究に没頭中)ちょっと作業の手を休めた。
「人間の脳はおよそ1400g程度だけど、どんな細胞で構成されているか知ってる?」
「神経細胞とグリア細胞」
「正解。じゃあ、その何%が使われている?」
「ふふん。10%。まだまだ脳の使い方次第でもっとすごい能力が秘められている!」
「・・・。じゃあ、AI(人工知能)が人間に追い付くにはまだまだってことかい?」
「人間はすごいの!」
「・・・実はね、その【脳の10%神話】が最近、覆されてね」
「えっ?」
「脳の各部位は協同して情報交換を行いながら物事を処理している。だからまんべんなく脳は使われている」
【参照】2017年10月18日 ライフ よく言う「人間の脳は10%しか使われていない」とかって本当?
「じゃあ、じゃあ、シンギュラリティが来るのはそう遠くない未来なの?」
「シンギュラリティってなに?」
亜紅はずっこけそうになった。
「【技術的特異点】のことよ!AI(人工知能)が発達して人間の知識を超えることによって、人間の生活に大きな変化がおこるっていう概念のことでしょ!」
「良くできました」
真顔でパチパチ拍手する正太郎に亜紅はぷるぷる震えて怒りをおさめた。
「解説君の脳はAIじゃないって言ってたでしょ?じゃあ一体何なの?」
「だから、ブラックボックス」
「ふみーん」
亜紅は泣きそうになった。
「シンギュラリティが来る前に準備しておかなきゃいけないことがある」
「なにを?」
「人間が人間であるという自覚と、機械を使いこなす覚悟・・・みたいなものかな?」
「よくわかんないよ」
「その時が来たらわかるさ」
「実はもう正太郎はわかってたりする?」
「どうかな?」
話を煙にまいて、正太郎は無言で作業に集中した。
亜紅はお茶をいれるためにキッチンへ向かった。
カタカタカタカタ・・・
キャタピラの音がして解説君がやって来た。
「光あれ!」
解説君がそういうと、キッチンの灯りが一斉にともった。
「なにそれ?」
「旧約聖書です」
「新訳の方じゃなかった?」
「えっ!えーとえーとえーと・・・」
亜紅はふふんと笑った。最近、解説君の頭脳を迷走させることばかりやっている。
シンギュラリティはまだまだだな、と亜紅は思った。