09
長きに渡る連載停止、申し訳ございませんでした。
三度、扉が叩かれる。
コン、ココンと鳴らされる独特のノックに、名乗ってもらうより先に相手を理解した私は、丁度書き終えた書類を手早く封筒に入れてドアを開けた。
「兄様、夕食ですか?」
「……あぁ、行こう。エル」
まさかすぐに扉が開くとは思っていなかったのだろう。リーフ兄様は驚きに目を見開いた。普段オーバーリアクションの義兄が声も出さずに驚く姿を見ることは珍しい。なかなかレアなものを見たと、思わず口元を弛めてしまったことに気付いたらしい義兄は静かに私の額を小突いた。
「いくら俺だと名乗られるより前に分かっていても、声を聞くまでは開けるなよ。俺でなかったらどうする気だったんだ」
「…申し訳ございません。兄様にどうしても見て頂きたい論文がありまして、気が急いていたものですから」
そう前置きしてから、封筒を差し出した。
受け取ったリーフ兄様は隙間から素早く中身を確認すると、小さく頷く。
「へぇ、これは面白い!魔法の今後の活用法と課題か。後でじっくり読ませてもらうよ」
もちろん、中身はそんな論文ではない。
封入されているのは自室に入る前にレオ様に渡された書類であり、つまりシャリオットの有力貴族たちの情報である。レオ様から度々頼まれていた“記憶”を頼りにした情報収集の受け渡しは、いつも必ず義兄を通して行われていた。
一つは私とレオ様が結託してアウトゲルムに仇なすことはないという兄様への意思表示。
そしてもう一つは、私とレオ様の必要以上の交流を避ける為だった。
元より彼をレオ様と呼ぶ私と彼との間柄は決してやましい事は無いとはいえ、諸貴族たちからは贔屓ではないかと不満も少なからず生まれていた。そんな私が何やら秘密の書類を彼に渡しているとあれば、私はともかくレオ様への風当たりが更に強くなってしまう。
兄様の補佐なのだから付き合いはあって当然なのだが、加えて私との交流を持たれては他貴族の都合は大分悪いらしい。
その事もあって、初めて頼まれた時この指示を出されてからは、私はずっと従っている。
そして兄様も、そんな私たちの気持ちを汲み取って常に間に立っていてくれていた。
「それでは、参りましょうか」
「あぁ、そうだな」
私は常にこの二人に守られている。
出会った頃からずっと。
「………エステル王女、それにガクト王子も」
けれど、この人達とのことだけはそれではいけないと思っている。
「ジークフリート様、アイリーン様。お二人もこれからお夕食ですか?」
「えぇ、そうよ。ガクト様もそうなのかしら?それなら是非ご一緒したいわ!」
一歩、兄から離れて礼をする先にいたのはシャリオットの王太子殿下とその婚約者。
体勢を低くする私の横をすっと通り過ぎて、アイリーン様はガクト兄様の隣に並ぶ。
「……っ、」
「いや、今夜はアウトゲルムの身内のみで過ごそうと思っているので。ずっと会食続きで気も張っていたからな」
「………あら、そうですか?残念です」
兄様に肩を叩かれ、顔を上げて姿勢を整える。
失礼致しますと小さく会釈をすると、そのまま美しい所作を崩すことなく義兄の元へと歩を進めた。
ジーク、フリート様の隣を歩く時だけは緊張で強ばってしまったけれど、どうか気付かれていませんように。
そうして、傍らの義兄の腕を当たり前のように撮った瞬間。
「……ちっ、」
確かに私の背に向けられた舌打ちと、敵意を感じ取った。
「大丈夫か、エル?」
「えぇ、兄様」
「どうもあの二人、何か隠してそうだ。必要なら俺らが何とかするが…」
あの感覚、前にも覚えがある。
それならば、この相手には私だけで立ち向かわなければならない。
「私一人で大丈夫です。どうぞ、私を信じて下さい」
もう遠い昔のことのようにすら思える、アムスール学院高等部入学式の日。ゲーム通りに式典に向かい階段を上っていた私と偶然ぶつかった女子生徒。
怪我をした私を軽々と抱き上げたジークの肩越しに見えた、明確な敵意と全く同じ。
アイリーン・ノーヴェ。
そうだ。思えばあの時既に、ゲームとの差異は生まれ始めていた。