04
広く、ただだだっ広い空間。
その奥に仰々しく置かれた玉座に座るシャリオットの国王夫妻は穏やかな表情で私たち兄妹を迎えた。先に礼を返す兄様に倣って私もゆっくりと淑女の礼を取る。
「この度は我が国の無理なお願いを聞き入れて下さり大変感謝しております。妹共々、暫くこちらで魔法の研鑽を積ませて頂きます」
「ふむ、よく来てくれた。若きアウトゲルムの次期国王、そしてその妹姫。そこまで固くならずとも良い、この国で多くのことを吸収して行ってくれ」
「……有難きお言葉」
懐かしい声だった。身分も社会の仕組みも何も知らなかった幼い私はジークと一緒に陛下とお茶をさせて頂いたものだ。我儘放題だった私を優しく諭し、甘やかして下さった陛下。この国を離れる時も挨拶も何も出来なかったことは、私の数少ない後悔の一つだった。
そんな過去の思い出に浸っていると、陛下の視線が私に向いていることに気付き慌てて頭を下げる。
「エステル王女、此度はこちらの招待を受けてくれて感謝する。よく来てくれた」
「…とんでもございません、国王陛下。優秀な兄だけでなく私もお呼び下さったお優しさ、身に染みて感じております」
「本来なら希望した王子のみ招くのが筋なのだが…息子が王女に興味を抱いてな、そなたのレポートを読んだそうだが」
「……王太子様が…?」
隣で兄様の気配が尖ったことを感じた。
しかし私自身それを咎める余裕もなく、脳内は疑問符が飛び交っている。王太子、つまりはジークが私を呼びたいと陛下に願い出たということ?でもなぜ?
陛下が仰ったレポートというのは恐らく先日私がアウトゲルムで書き上げたもののことだろう。確か内容は動物や植物が人に与える癒し効果だったか。国内で行われた学生の学会のために作成したものだったから確かにシャリオットのジークが入手してもおかしくない。そこにレオ様は規制をかけていないはずだ。
しかし、そこでの私は王女というより一個人として発表している。もちろんその名から身元は簡単に割れるが扱いを別にしたりはしていない。事実、そこでの最優秀作品は私より一つ年下の男爵子息だった。そんな作品に目を通し、興味を持ったというのか。
ジークは特に動植物に関心があるわけではない。かつて私のために花を送ってくれたことはあるが、その程度だ。それさえ彼が自分で選んでいたかといえばそうではないだろう。だからテーマが理由で私を見つけたわけではない。
……一つ、思い当たるものが無いわけではなかった。けれどそれを彼が覚えているとはとても思えない。彼は多忙で覚えることが多いことから、自身の脳内で必要な情報を即座に取捨選択して不必要なものは切り捨てていく。婚約者との思い出などは脳の片隅に簡単に追いやられて、近年のことならまだしも幼少期のことは思い出すのにとても時間が掛かっていた。そしてそれをいつも申し訳なく思っていた。
「そなたさえ良ければだが、彼奴と交流してやってほしい。あまり人付き合いが上手くなくてな…」
「こちらからお願いすべきところですわ、陛下」
「そうか…安心した。息子も晩餐会には来る、その時に紹介しよう」
ひやりと背筋を冷たいものが流れた。
刻一刻と、ジークとの再会の時が近付いている。アイリーンとも。仲睦まじい二人の様子なんて私は穏やかに微笑んで見ていられるだろうか、自身はないけれどやるしかないことは分かっている。それでも、心に渦巻く暗雲が私の本心を物語っていた。
食事の準備が整ったらしく、その後は特に会話もないまま晩餐会の会場に案内された。兄様がずっと私の背中に手を当てていてくれることがどれだけ心強かったか分からないが、それをシャリオットの使用人らにちらちら見られていたことは居心地が悪かった。
晩餐会は立食形式ではなく、長テーブルが部屋の中心を横切っており、既に上座の数席を除き人々は着席していた。いわゆる誕生日席の二席は国王夫妻、夫妻から見て上手が私たちの空席。そして下手にはジークとアイリーンが着席していた。それ以下はシャリオットの要人たちで、誰も彼も見覚えがある。だがいてもおかしくない父の姿は無く、悪いことかもしれないがこっそり肩を撫で下ろした。
「ガクト王子、そしてエステル王女。先ほど話した息子のジークフリード、その婚約者のアイリーンだ。どちらも王女と同い年でな」
「……ようこそ我が国へ、アウトゲルムの王子と王女。私はジークフリード・ロイエルだ」
「初めまして。ジークフリード王太子様、アイリーン様。エステル・フィリス・ローザでございますわ、よろしくお願い致します」
ジークフリード・ロイエル。その名を聞くと胸が締め付けられるように痛い。目の前に、大好きで大好きでたまらなかった正真正銘の王太子がいる。身を引いたと言っても、想いを消したわけではない。艶やかな黒髪も、涼しげな目元も、何一つ忘れたことはなかった。その彼が、目の前にいるのに。私には、彼の愛称を呼ぶ権利も、気軽に話しかける権利すらも無い。
ただ、隣のアイリーンに慈しみの視線を向ける彼を無表情に見やるだけ。
「エル」
「…っ、申し訳ございません…料理の素晴らしさに声が出せなくて」
「あらあら、嬉しいことを言ってくれるのね、エステル王女?シャリオットの味はお口に合うかしら?」
「はい、王妃様」
兄様の声にはっと我に返った。どうやら一口食べて完全に手を止めていた私に訝しげな視線が集まっていたらしい。これで国王陛下に見られていたことと加えて二度目の失態だ、気を入れ直さなければ早々に面倒ごとが始まってしまう。そう思って話題転換に料理の話題を出すと、案の定王妃様が乗っかってきて下さった。王妃様は高貴な生まれでありながら料理が趣味という少し平民気質のあるお方で、昔もよくお菓子を作って下さった記憶がある。利用してしまうことにはなるが、結果として私は人々の視線から逃れた。
その間に流石対人能力に優れた兄様が巧みな話術で注目を自身に集める。他国の情勢からシャリオットで人気の女優が結婚を理由に引退したことまで様々に語る彼に人々は簡単に心を掴まれたようだ。普段より口調が仰々しく、リアクションがオーバーなのは私から視線を逸らすためだろう。何から何まで完璧な義兄だと常々思っているが、やはりそのようだ。
(気さくな隣国の王子、寡黙な王太子。どちらか選べって言っても無理な話よね。流石乙女ゲーム、攻略対象のハイスペックぶりが止まらない)
そんなことを思いながら配られたスープを掬って口をつける。いっぱいに広がる温かい味に、王妃様が密かな趣味で育てた香草が香って、身体の芯から温まりそうだ。ほう、と息をついてもう一口とスプーンを近付ける。
__________瞬間、頭が芯から冷えた。
(待って、“オトメゲーム”って何…?コウリャクタイショウ…?王妃様の密かな趣味…?)
私の記憶では王妃様が香草を育てていた光景なんてない。隠し味があるの、と悪戯を仕掛けた少女のような笑みを浮かべていた記憶はあれど、それが何か教えられたことは私も、恐らくはジークもない。なのに、なぜ、なぜ、?
(王太子ジークフリード、ガクト王子、シャリオット、アウトゲルム、アイリーン)
今まで何も感じたことがない固有名詞たちが不安な影を纏って脳内を巡る。流れ込む無数の景色。誰かの甘い声。叫び。光が生まれては弾けて消える。
(フェルミリア・アスタラーレ!!!)
その時、“私”は全てを思い出した。そして気付いてしまった。
私、エステル・フィリス・ローザ改めフェルミリア・アスタラーレは………乙女ゲームに登場する悪役令嬢だということに。