02
『フェルミリア・アスタラーレ!貴様をノーヴェ男爵令嬢脅迫、暴行の罪で断罪する!』
それは、最後に優しく微笑んでくれた殿下が退出してしまった後のアスタラーレ伯爵邸の応接間でのこと。恐怖に震えつつも、こちらを真っ直ぐに見つめるアイリーンを庇いながら前に出てきた数人の男たちの声。
謂れのない罪。 見覚えのない証拠たち。
私が行ったと断言するだけの材料はきちんと揃えられていて、誰もが私を睨んでいて。何を言われているのか、この場で何が起こっていたのか気付いていなかったのは私だけだった。
『この国を出ていけ、2度とその姿を見せるな!』
庇ってくれると思った両親は激しい嫌悪と憎悪で私を睨み、勘当まで言い渡した。その場に私の味方は誰もいなかった。
ジークがいたら…そう思ったけれど、当時の私はそれさえ信じきれなかった。昨日まで私を愛し、私に笑みを向けてくれていた人たちが、今はもう別人のようだったから。そうして私は伯爵令嬢としての身分を失い、シャリオットの国民としての権利も奪われ、その身一つで国境に捨て置かれた。
「あの時兄様に助けて頂いていなかったら…そう思うと今も背筋が凍ります」
「あの界隈は蛮族共も大勢いたからな。正直俺と最初に会ったのが奇跡だよ」
宛もなく死を見つめながら歩いていた私に手を差し伸べてくれたのがリーフ兄様…第一王子ガクト様だった。 何の事情も聞かず、ただ私の手を引いて王宮へと戻った彼は私の格好を整えて下さり、部屋まで与えて下さった。そうして私が落ち着く時間を与えてくれてから、事情を聞いてきたのだ。
そうして全てを聞いた彼が出した結論は、
『お前、俺の義妹にならないか?』
『………はい?』
あまりに突拍子もなかった。
「それでもお前はよくやってくれたよ。今じゃ我が国でお前が生まれながらの王女ではないなどと思う人間はいない」
「元々王妃教育を受けておりましたから…それでも、風習の違いに慣れない点はありましたが」
その言葉を受け入れてから数年。
リーフ兄様と国王陛下から新たな名前とこの地域ならではのミドルネームを与えられた私の日常はようやく楽しいものとなってきた。優しい父様、面倒見のいい兄様、そして彼の面白くも頼りになる仲間たち。そんな温かい人々に囲まれて、フェルミリアとしての自分と決別できそうだと思ったその時。
リーフ兄様の留学が決まった。
リーフ兄様は前々から国王即位の期待の声が大きい。国王陛下もそれを知っており、また息子の能力を高く評価していらしたために着々とご退位の準備を進めていて、少しずつ兄様に任せられる仕事が増えてきた。そんな彼が最後の自由として願い出たのが、シャリオットへの留学だった。
他国の情報収集も兼ねた留学。
随分前から希望していたのだが、ようやく希望が通ったらしく、許可証を持っていた兄は満面の笑みを浮かべていた。
『エル、お前も行くぞ』
私の愛称を高らかに呼びながら私の部屋に飛び込んできた兄様の顔は今でも忘れられない。これから面白いことが始まると、玩具をもらった子供のように瞳を輝かせていた。そして、対する私は状況が飲み込めずに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたのだった。
『私も…で、ございますか?』
『あぁ。優秀な姫君も是非、とのことだ』
そうして、真意のわからない招待を受けた私は祖国の地を再び踏みしめることとなった。
「ま、どうにかなるだろ。気楽に行こうぜ」
「また兄様はそんなことを…そうしてレオ様にまたご迷惑をかけてしまうのでは?」
「っ…、エル、お前もなかなか言うようになったな」
口元をひきつらせる兄様をみながら、ふと視線をその隣に座る寡黙な男に向ける。 明るく、どこか楽観的なこの義兄が言い出す突拍子もないことが実現しているのはなぜか。それはひとえにこの男が存在しているからだ。
レオ・ヴァレリウス・アストレイ。
兄様とはかなり長い付き合いになるらしく、その呼吸はまさに阿吽。更に情報の収集と処理に長けていて、右腕としては申し分ない存在だった。
「そう言うな、姫君。俺は気にしていない、いくらこの男が後先考えずに振舞おうとな」
「ちょ、レオ?フォローになってないぞ?」
「していないからな」
いくら兄様が話しやすい存在とはいえ、その身分は立派な王族。そんな彼にここまで言えるのはレオ様の能力の高さゆえであり、二人の絆の深さゆえだ。そんな存在などいなかった私から見れば、二人関係は羨ましいものでもある。
「エル!お前は俺の味方だよな?!」
「甘やかす必要などないぞ、姫」
しかし、当たり前のように私を受け入れて仲間と呼んでくれる二人を見ていると、そんな羨望もどこかへ行ってしまうのだった。
「それと、俺のことはレオでいいと何度も言っているだろう。いつまでもそんな呼び方をしていてはお前の評判にも関わるぞ」
「……そうかもしれませんが、私にとってレオ様はレオ様ですもの。たくさんの事を教えてくださいました、言わば先生です。レオ様こそ、この場ではエステルと呼んで下さいな」
レオ様は位としては男爵家であり、彼より家柄のいい人間など山といる。そんな中、特別に彼だけ敬称を付けるなど私が彼に特別な感情を抱いているとも取られかねない。そう危惧しての彼の発言だろうが、兄様が不在だったり多忙だったりした時に礼儀作法や国の風習を教えてくれたのは彼だ。恩も感謝も積み上がっている存在を、他の人々と同列に扱うことは出来なかった。
「まぁいいだろ、文句言う奴は俺が黙らせるさ。お前もエルも不安に思うことない」
「っ、だが」
「それよりエル。到着までまだ時間がある。もうひと眠りするといい」
「はい、兄様。実は先程から少し眠たくて…」
「あぁ、おやすみ」
兄様の優しい声が子守唄のように眠気を誘う。彼の許しも得てそこに逆らう理由を失くした私は身を任せることにして瞳を閉じた。つい先刻まで眠っていたのに、少し話しただけでまた眠くなるとは不思議なことだけれど。昨夜は気を張ってしまってなかなか眠りにつけなかった。その寝不足が響いているのかもしれない………。
*
「…どういうつもりだ、ガクト」
兄の言うことを素直に受け入れて眠りについたエステルに視線をやる。いくら王妃教育を受けていたとはいえ風習も作法も大分違うこの国での生活に早々と馴染んでみせた優秀な元・伯爵令嬢。初めは間者の可能性も考慮して警戒していたレオだったが、繋がりを深めるにつれてそれなりに情を持つ程度にはなった。そんな彼女を強引に眠りにつかせた彼女の義理の兄は、レオの質問に首を傾げる。
「何のことだか」
「とぼけるな。さっき姫に飲ませた茶に一服盛っただろう」
悪夢、と呼んでいいのかは定かではないが少なくともいい思い出ではない祖国の夢から覚めた義妹に落ち着くからとガクトが勧めた茶にはおそらく遅効性の睡眠薬が入っていた。効き始めた頃を見計らって彼女に眠りを促したのだろう。でなければどこでも寝られるわけではないエステルがこうも簡単に眠るはずがない。
「…彼女には聞かせたくない話があった」
観念したのか罪を認めたガクトは、大きくため息をつくと瞳を鋭くさせた。
刹那、馬車の雰囲気が一変する。レオの目の前にいる男は、気の置けない友人ではなく、“炎の国”の王子だった。
「お前、どう思う?エステルの招待について」
「姫の?……確かに妙ではあるな」
留学を願い出ていたのはあくまでガクト一人。そこに突如エステルが追加されたことは疑問を抱く。更にエステルは最近存在を公表したばかりで、そこに興味を抱くほどの情報など載せてはいない。それはレオ自ら情報を選んだのだから間違いない。
ではなぜ、彼女が呼ばれたのか。
「最も可能性が高いのは結婚相手として視野に入れたいから、だが…」
「有り得ないな。向こうの唯一の王太子は今頃大恋愛の末に結ばれた婚約者殿にべったりだ。爵位は低くてもあの家の“力”は王家として持っていて損は無いし、わざわざ新候補を立てる必要が無い」
「同意見だな。では未来の王太子妃さまのお話相手選びか?作法の先生探しか?…それとも、ただの興味、か」
レオの言葉にガクトは鼻で笑う。かつての婚約者をいとも簡単に切り捨て、更には現在の婚約者さえも蔑ろにしようというのか。“完全無欠の王太子”とやらは。
「フェルミリア…いや、エステルはやらねぇよ。あいつを守れずむざむざ追放させた男にはな」
その瞳に浮かんでいたのは、燃え盛る炎。
2018.5.19 ガクトの発言を少々変更しました。また、視点変更を分かりやすくするため区切りを入れました。