10
「何なんだ、あの女は?」
学院での生活が始まって一週間が経過した。
久し振りに三人だけで食事をしないか、と兄様に誘われてレオ様が手配してくれたガーデンテラスにて花々に囲まれた食事に目を輝かせると、兄様がそう口火を切った。
「……あの女、とは?」
「アイリーン・ノーヴェ男爵令嬢だよ」
「仮にも王太子の婚約者だぞ、馬鹿。口を慎め」
「……第一王子を馬鹿呼ばわりする人に言われてもな」
非難めいた兄様の視線をさらりとやり過ごしたレオ様は、料理を運んできた執事からその役目を代わる。
毒味も兼ねて、会話を聞かれないようにするために。
「けれど兄様、アイリーン様とは学年も違いますよね?それ程お話する機会があるとは」
「あったんだよな、これが。何せ向こうから来たんだから」
バケットを品はありつつも豪快にというなんとも器用な食べ方をする義兄の言葉に、グラスを傾けていた手を止める。
アイリーンの方から接近。
けれどゲーム上では彼女はもうジークフリートルートのベストエンドを迎えているはず。
とても不思議な現象のように思えた。
「幼い頃から期待されて大変ですね、とか。無理に自由に振舞っているのでしょう?とか。分かっている風なことを並べ立てられてベタベタされて、なんつーか、気味が悪い」
「はっ、気に入られたんじゃないか?」
「冗談よせよ」
義兄は笑っているけれど、少し瞳が伏せられていた。
何かを隠す時、彼は決まって私たちと目を合わさない。
「兄様…他に、彼女の何が嫌なのですか?」
故に、彼の嘘は分かりやすい。
それに乗じて踏み込んでみると、兄様は敵わないというように肩を竦めた。
「時々、お前ら以外に話していないような事まで知っていそうな言動をするんだ…まだ、確証はないが」
深刻な空気になってしまった事を察して話題を変えたガクト兄様から、それ以降この話を聞くことは出来なかった。
けれど、この事と今までのアイリーン様の行動を合わせれば立てられる仮説は一つ。
(アイリーン・ノーヴェも……記憶持ち転生者なんじゃないの…?)
***
最終的にはアウトゲルムでの食事のように和やかに終わった昼食後、授業を受けながら私は仮説を証明づけるための記憶を探った。
私の“記憶”は膨大だ。意識して探そうとしない限り、普段は深層意識に沈めてしまっている。
そうでなければ、情報の海に簡単に溺れてしまうから。
(“記憶”、絞込み対象は…アイリーン・ノーヴェ)
瞳を閉じ、心の中で対象を選ぶ。
そうすれば魔法は深層意識の中の対象の記憶のみを集めて一冊の本のように纏めてきてくれる。
(時間は彼女との初対面以降から順に…発動)
ふっ、と体が軽くなるような感覚に襲われる。
私は高等部一年の教室にいた。後ろから二番目、一番左端が私の席。隣にはジーク、後ろにはアーガイル。
そして、アーガイルの隣にアイリーン様がいた。
『皆さんお知り合いですよね?席も近いだなんて、凄い偶然!』
『あー違う違う、コイツが頼んだの。フェルと離れるなんて何かあったら心配だって!な、殿下』
『……』
『アーガイルったら…ジークをあまりからかわないで下さい。それにそんな事通るわけが』
『頼んだのは本当だ、フェル。君は私から離れないで欲しい』
『ジ、ジーク…』
『あーはいはい、ご馳走様!こんだけ仲良ければシャリオットも安泰だよな、アイリーンちゃん』
『…………えぇ、そうですね!羨ましいです』
そう、この時も。
斜め後ろから視線はずっと感じていた。目を向けると、彼女はパッと明るい笑顔を見せてくれたから当時の私は気にしていなかった。
でも、もしこれがゲームであったなら。
『皆さんお知り合いですよね?席も近いだなんて、凄い偶然!』
『あー違う違う、コイツが強引に教師に頼み込んだの』
『聞こえていますよ、アーガイル。……当然でしょう?私はジーク様の婚約者なのですから』
『…フェルミリア、あまり教師を困らせないように』
『えぇ、勿論。いち令嬢の我儘はこれきり、です』
『あなたが、確かノーヴェ男爵の娘だったな』
『え?!……は、はい、殿下』
『席が近いのも何かの縁だろう。よろしく』
『へーぇ、珍しい!ジーク殿下から興味を持つなんてな』
席を近くしたのはフェルミリア。
ジークが興味を示したのはアイリーン様、のはずだった。
ジークが席を変えたと聞いた時、彼女は明らかに驚愕している。その後私とジークが会話をする度にアイリーンは必ず参加してきたし、確か学級が始まって少しした時席替えを提案したのも彼女のはずだ。
出会った時も。
実際はジークが私を抱いて連れて行ってしまったが、ゲームではアイリーンにハンカチを差し出したところでフェルミリアに呼ばれ、行ってしまったという流れ。
(……思い返すと始めから相当ゲームと違うわ)
アイリーン様が転生者で、ジーク狙いだった場合この展開は全く頂けないだろう。
どうにかして、ゲーム通りに展開を戻そうとするはず。
その手段さえ、突きとめれば。
「エステル様?」
「っ、?!」
強引に意識を引き戻された。
時計は既に授業終了を示しており、周囲の生徒は次の理科に向けて移動を始めていて教室にいる人数は少ない。
「余程授業に集中してらしたのね。流石です」
「…ご、ごめんなさい。お手間を掛けて」
「あ、いえ、違うの!そうじゃなくてね!次の授業は実験でしょ?一緒にやりたいと思って」
私の顔を覗き込んで笑うその人は、
甘くて優しい恋の色を溶かした薄桃の髪。
その中で、否応なく人を“魅了”してしまう紫の瞳。
「……えぇ、勿論です。アイリーン様」
人懐こい笑みを浮かべる彼女に、同じ笑顔を返してみせた。




