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「風花が家出?はぁ?」
ただいまとおかえりもそこそこに娘である葉月の第一声に、彼女の父である浅野大雅は、何言ってんだ?という顔をしつつも差し出されたメモを受け取ると目を通す。
ゴン太を腕に抱いたまま見上げている娘の不安そうな姿に、父はメモを見つめたまま腕を伸ばすと頭を撫でてやる。
今年で37歳の父は、世間でいう中年世代ではあるが今も充分若々しく見える。平均的な日本人の身長よりも高いしそこそこ鍛えているのか無駄な脂肪がついていない体躯。実際のところその精神性もかなり若いのかもしれず、実際アクティブに物事に挑戦するし、口うるさいが頼りになるし何より若い父親という事が葉月の密かな自慢でもあった。
父に頭をくしゃくしゃと撫でられながら、葉月は腕の中のゴン太の頭に顔を埋めて言葉を待つ。
そして肝心のメモ書きをひと通り眺め、しばらく目を瞬かせていた大雅はというとすぐに決断した。
「どうしよう、お兄ちゃんにも連絡したほうがいいよね?」
「いや、それよりお前夏期講習いつまでだ?」
「え?今日で終わりだけど」
「そうか、なら問題ないな」
「お父さん?」
「葉月、今すぐ迎えに行くぞ」
そう言ってニヤリと笑ってみせた父の姿に、葉月の脳が理解が追いつかない。
「迎えに行くって。お兄ちゃんを?」
「炎の奴は、そんな簡単にほいほい帰ってこれないだろう?風花のほうに決まってるだろ。すぐに行くって言っても準備をまずしなきゃだしな」
「え?お母さんの行先わかってたの?」
「だいたいはな。いいから葉月も準備しろ。ゴン太はどうする?預けるか?当分会えなくなるかもしれないが」
「え?そんなのやだ!」
「なら、ハーネスとキャリーバックとか全部出しとけ」
思い立ったら即決である父の行動は早い。
訳が分からないといった様子の娘に、何をどうすればいいのか指示をしながら自分も手を止める事なく準備に入る。
葉月に言い渡された用意はというと、友人達に今夜から帰省するが電波が届かない田舎だからもしかすると夏休みが終わるぎりぎりまで暫く反応はないと伝えておく事。数日分の衣類と何故か冬服も一着とよく履き慣れた頑丈な靴。
「お父さん、日焼け止め持って行ってもいい?」
「はぁ?荷物増えるからやめとけ」
「新学期に真っ黒で登校するのやだ!」
「勝手にしろ、俺は荷物は持たないぞ!」
必要最低限な物だけにしろという大雅の言葉と反比例して葉月の荷物はどんどん増えていく。
メイク道具もだが、万が一という事を考えて生理用品も多めに鞄に詰め込む。
大雅は暫く自分の書斎でパソコンに向かっていたが、やるべき事を済ませたのか今度はクローゼットや戸棚から次々と何やら引っ張り出していく。
防水防塵仕様のスマートホンと大容量充電器を幾つかと太陽光パネル仕様の充電器。更には旅行に行くというよりもジャングルの奥地かどこかにでもサバイバルしに赴くとしか思えないようなものばかりを箱にパッキングしはじめる。
緊急応急防災セット、LED内蔵のタクティカルペン、サバイバルツール、水質浄化キット、そして携帯食料にその他諸々。
一般家庭においては、多少コアな内容な物かもしれないが、このご時世何もないと思うほうがおかしい。
それらを次々に、大型SUVに積み込んでいく。
足りない分は、ドラッグストアとホームセンターで補充すればいい。
災害時の訓練として時々ハーネスをつける練習をしていたおかげか、ゴン太はというと慌ただしい様子にも動じる様子もないままに助手席で既に昼寝をしている。
「葉月、準備はいいか?置いてくぞ!」
「ちょっと待って!ブレーカーは冷蔵庫だけ残しとくでいいんだよね?」
「それは俺がやるから、先に車に乗って俺の携帯から炎景に暫く旅行に行くから家には誰もいないとメールしといてくれ」
「お兄ちゃんには何も言わないつもり?」
家族なのに伝えないつもりなのだろうか?と大丈夫なの?と言わんばかりの娘に、父は家じゅうの総点検をしながら答えた。
「後から俺が事情説明しとくから、ナビにジジィのとこに目的地いれといてくれ」
「え?お爺ちゃんとこに行くの?お母さんのとこに行くんじゃないの?」
「後で説明してやるから、お前はいいから先に乗れ!」
いつからこんなに口うるさくなったんだ?と思いつつ、大雅は最後に玄関の鍵をかける。
「すぐに行くからな、ラミウム」
囁くような小さな声。
誰にも見られないように俯いたまま、奥歯を噛み締めるその表情は険しくなる。
「どう落とし前つけさせてやろうか、ったくよ」
そして、微笑む。
今度は酷薄な笑みであった。