魔女の宝石店〜あなたの恋、宝石にします〜
──あるところに、恋を宝石に変えてくれる知る人ぞ知る宝石店があるという。薄暗い曲がりくねった路地の奥、口から口へひっそりと伝えられるその店の扉を、今日も誰かがノックする。ある者は縋るように。ある者は悲しみと共に。またある者は──決意をもって。
その薄暗い宝石店の奥、大きな一枚板で出来たテーブルに肘をついて座す妙齢の女店主は、くゆらせた煙管の煙の向こう、古めかしい樫の扉が開くのを見てその細めていた紅い目をゆるりと開いた。
「……いらっしゃい。久しぶりのお客様だね、御入用のものはなにかな。指輪?ブローチ?それともネックレス?なんでもあるよ」
入ってきたのは、真っ直ぐな黒い髪を持つ身綺麗な少女だった。女店主の言葉にぐるりと店内を見回し、その言葉通りきらきらと極彩色の煌めきを放つ宝飾品の数々に、目を奪われたようにほうとひとつ息を吐いた。
けれどそれのどれをも少女は求めることはなく、店内を見回していた視線を今度は女店主の目へと真っ直ぐに向けてこう言った。
「──私の恋を、宝石にしていただきたいのです」
女店主はそれににこりと笑い、テーブルを挟んだ向かいの席へと座るように促した。
「そう。では、話を聞こうじゃないか」
──君が宝石にしたいという、その恋の話をしておくれ。
その言葉に、少女は少し躊躇ったあとひとつ頷き、言葉を選びながらぽつりぽつりと語り始めた。
「わたしが恋をした相手は、家庭教師の先生でした」
少女は隣の街にある、名のある家の子女が多く通う名門校の生徒であった。御多分に漏れず、古くから代々城の官僚を勤める名家の娘であるのだという。学校でもまた習い事でも、弛まぬ努力で優秀な成績を保っている、大層努力家で生真面目な少女であるようだった。
「その習い事のひとつのピアノを教えてくれている先生を、好きになってしまったんです」
その先生というのは彼女より少し歳上の、まだ年若い青年だった。同じ街の音楽学校でとあるピアニストに師事して学んでいるものの、あまり裕福ではないこともあり、学費を稼ぐべく顔の広い師に紹介してもらったいくつかの家でピアノの家庭教師をしているのだという。
青年は実に明朗快活で気さくなとっつきやすい性格だったため、すぐに少女とも打ち解けた。だが少しばかり大らかすぎるところもあって、しばしば演奏会を聴きに行くと嘯いては彼女を繁華街へ連れ出し屋台で食べ歩きをして過ごしたりするものだから、真面目な彼女はそれに振り回されて度肝を抜かれたりおろおろと慌てたりすることも少なくなかった。けれどそれは、少女にとって決して不快ではなく、むしろとても楽しい、非日常であった。
「あのひとは、わたしが真面目すぎるって、いつも心配してくれていたんです。ちょっとびっくりさせられることも多かったのですけれど、そう、とても──とても、優しい方でした」
淡々と語っているようでしかし、その声音に滲む深い深い思慕の情は隠しようもなく、そしてその眼差しの奥には、たくさんの感謝と愛おしさと、そして溢れんばかりの苦悩があった。
「そうしていつしか、あのひとを好きになったんです。なって、しまったんです。仕方のないことだなと、自分でも思います。私にないものをあのひとは沢山持っていて、それを沢山わたしに、教えてくれた。……でも」
──あのひとにはもう、愛する人がいたのです。
そう言うと少女は膝の上で重ねていた手を、何かに耐えるように握り締めた。ふるふると震える手は薄暗い店内でもはっきり浮かび上がるほど白くしなやかで、爪の先まで綺麗に整えられている。"教え子の少女"ではないひとりの女として見られようとどれほど多くの努力を重ねたのか、その手ひとつからさえも伺うことができる。
「おやまぁいいじゃないか、略奪愛だって。たとえその男に恋人がいたところで、あんたみたいに綺麗な子に熱っぽく言い寄られたらきっと悪い気はしなかっただろうに」
深刻な空気を和らげるためだろうか、茶化す響きを隠そうともしないその女店主の言葉に、柳の眉を困ったように下げて少女は可笑しそうに笑った。
「ふふ、実を申しますとね、そう考えたことも一度や二度ではございません。わたしは自分のことを、それなりには知っているつもりです。それはもちろん、わたしの見目も含めて。えぇ、わたしにこんな狡猾な考えができること、何よりわたしが驚きました。恋とはほんとうに恐ろしいものですね。……ですがわたし、ある時あのひとに、聞いてみたのです、恋人のこと。どんな人かって」
男はそれを聞かれて、まずは目をこれでもかと見開き、次いで茹でたトマトのように顔を赤らめて、そして狼狽えたように二度三度とあちこち目線をうろつかせと大層挙動不審にになりながら、それでも笑って語ったのだという。
見目はごくごく普通かもしれないけれど、明るくしっかり者で料理が上手で、時折喧嘩もするけどいつだって仲直りしてもっと仲良くなってきた、とても素敵な女性だと。
──それはそれは、幸せそうに笑っていたのだという。
「わたし、それを聞いて心に決めたのです。この恋を、このひとには決して明かすことなく諦めようと。あるいはこの恋を最後にあのひとに告白して、そうして諦めてもよかったのかもしれません。でもそれは、わたしにとってはどうにも許し難い罪悪でした。だって────だって、その最後の告白に、一縷の期待を込めずにいられるなんて、わたしはどうしたってそんなことができるとは、思えなかったのです」
最後の方からは、少女はほろほろとその双眸から涙を落としながら語っていた。それでも凛と背筋を伸ばし、言葉を滞らせることもなく。
「わたし、迷いに迷ったのですけれど、それでも今日ここに参りました。この恋を宝石にするために。わたしの叶わぬ恋を、叶えられぬこの恋を、ひとかけらも遺すことなく忘れ去ってしまうために」
その決意を告げる彼女はその時、真実純粋で誇り高く、そして店内のどんな宝石よりもいっとう美しい、少女だった。
「……承りました。その願い、叶えましょう」
女店主はにっこりと笑い、煙管をすい、と撫でるように横に振った。煙が淡く光を帯び、少女の心臓の上に集まって凝る。
刹那、眩い光が部屋中を満たすほどに煌めいて、少女は堪らず目を閉じた。
そうして、光が収まるのを待ってゆるゆると瞼を開くと。
そこにはひとつの宝石が、ふわふわと宙に漂っていた。
どこまでも透き通る淡い水色を基調として、角度によって薄紫や薄紅にも煌めきを変える、それはとても美しい石だった。
「これが……これが、わたしの」
女店主は頷いた。
「いい石だよ。本当に綺麗な恋の石だ。それは取りも直さず、あなたの心の美しさゆえだ」
満足そうに笑った女店主は饒舌に言葉を続ける。
「あなたの言った通りね、横恋慕はたとえ諦めようとしていてもそれを表に出してしまえば大抵は濁った色になってしまうんだよ。そこに潜む一縷の期待と身勝手な希望を、一方的に相手に押し付けることだからね。きっとそれも相手に自分を刻みつけたいという願いの結末なのだから、あるいは悪くはないのだろうさ。けれどそれを明かさず宝石にした恋はね、こうして最も美しい宝石のひとつになるんだ。
……心のうちに閉ざされて、あなたひとりの思い出になった恋は、ただただこれからは美しくなっていくだけのものだからね」
この宝石を、宝飾品にするならなににしよう。女店主はそっと心の内でひとりごちる。
そう、きっとペンダントがいいだろう。雫型の、涙の粒の形をしたその宝石はきっと、同じように悲しい恋をしたひとを肯定し、その心にひとひらの勇気をくれるかもしれない。恋したひとの誠の幸せをただ願い、そうして恋を諦めるための、途方もなく苦く痛く、優しく美しい決意をするための勇気を。
「では、この宝石の代金はこちら。ねぇ、哀れで聡明なお嬢さん。次はもっといい恋をしなさいよ。──もう二度と、この店に来なくて済むようにね」
涙を流す彼女は、それでもその言葉にふっと優しく笑って頷きを返し、硬貨が数枚入った袋を受け取った。それは切なく儚い印象の中にも、どこか強さを感じさせる、美しい笑みであった。
あるところに、恋を宝石に変えてくれる知る人ぞ知る宝石店があるという。薄暗い曲がりくねった路地の奥、口から口へひっそりと伝えられるその店の扉を、今日も誰かがノックする。ある者は縋るように。ある者は悲しみと共に。またある者は────。
「いらっしゃい、お客様。おや、そちらのドロップカットのペンダントが気になりますか?
……それとも、恋の悩みが、おありですか?」