番外編7 ナイトの話
雪の舞う王都の裏路地を、ソラルは一人ふらふらとした足取りで進んでいた。
時たますれ違う人々がそんなソラルへ訝しげな目を向けるが、彼女にそんな眼差しは届かない。
ソラルが瞳に映すのは、彼女にしか認識できない陽炎のような黒い影。
『ついて来るがいい。
お前が最も会いたいと願う者に会わせてやろう』
自分が起きているか眠っているかも曖昧な意識のまま。
ソラルは幻影のような影へ従っていく。
この影が何なのか、信じるに値するものなのか。
そもそも、自らの妄想に過ぎないものではないのか。
ソラルは朦朧とした意識の中で考えを巡らせるが、その内どうでも良くなってしまう。
これが幻想であれ、妄想であれ、それこそ悪魔であれ。
彼は兄に会わせると約束してくれたのだ。
ならば、何を迷うことがある。
死者に会うなど不可能。そんなこと彼女にも分かっている。
だけどこの影は、どんな不可能だって可能にしてくれる。何故かそんな気がするのだ。
雪嵐がびゅうびゅうと体に吹き付けるが、その冷たささえ感じない。
フェイトに出会ってから彼女の意識には「影の後についていく」という考えしか浮かばなくなっていたのである。
そんなソラルを目に納め、フェイトはひっそりとほくそ笑む。
多少の精神支配を用いているとは言え、ソラルが自分につき従うのは彼女の意思だ。
これならばそう苦労なく、ソラルを地下室へと誘導出来そうである。
(ふふ………まあ、お前が執心するお兄ちゃんとやらには会わせてやるよ。道化師。
それがどんな形になるのかは補償出来んがね)
フェイトがそんな思惑と共に前へ向き直ったとき、目の前に黒い影が飛びすさり、同時にザザッと雪煙は飛び散っていった。
『むぅ?』
最初は鳥でも落ちてきたのかと思ったが、よく見ればそれは人の形をしていて。
亜麻色のスカーフを吹雪にはためかせたまま、背後の道化師へ手を伸ばそうとしているようだった。
「ソラル様!!」
「………ロッセ」
男の言葉に、ソラルは唖然としたように立ち尽くす。
「ソラル様。こんな所に居たのか。
さあ、屋敷へ戻ろう。
こんな場所に薄着でいては、風邪を召してしまう」
ロッセはいつもの無表情に少しだけ焦りを含ませて、ソラルの手を取ろうとする。
しかし、ソラルはその手を振り払い、フェイトの手にあたる部分をギュッと握り締めた。
「嫌だ!
私は兄に会いにいくんだ!
家になんて帰るもんか!」
「錯乱されたか、ソラル様!
死者に会うことなど叶わない!」
「五月蝿い! この人が約束してくれた!
お兄ちゃんに合わせてくれると、約束してくれたんだ!」
「ソラル様………何を言っておられる?」
ソラルはフェイトの手を握ったまま叫ぶが、生憎、ロッセには彼女の言っていることがわからない。
知覚遮断の異能によって、フェイトの姿はソラル以外に認知出来ない。
ロッセには、ソラルが一人で世迷言を言っているようにしか見えなかった。
フェイトは目の前で繰り広げられる騒ぎへ呆れたようにため息をつき、傍らのソラルへ声掛ける。
『ふうむ。何やら事情が込み入っているようだね。アルルカン。
だが、要するにあの男が邪魔なのだろう?
ならば、実力で持って彼を排除したまえ。
君にはそれだけの力があるのだろう?』
「だけど………」
『今更、何を迷う?
魔術師の君にとって、騎士は敵というべき存在だろう?
君の大切な人は、彼らの業によって命を落としたのだ。
ならば………あの男は、兄の仇だろう。
さあ、アルルカン。
君の持つ力を使って、兄の仇をうつのだ』
「わかってる………!」
フェイトの言葉に応え、ソラルが魔術式を描いていく。
「ロッセ、これが最後の警告だ。
私の邪魔をするなら例え君だって………!」
ソラルの背後に轟々と渦巻く風の辻が現われる。
これは吹雪ではなく、彼女の魔力によって顕現されたもの。
「君だって容赦はしない!
さあ、どくんだロッセぇ!!」
ソラルの魔術師としての実力は、ロッセもよく知っている。
身分こそ未だ下級魔術師であるものの、彼女の実力は折り紙つきだ。
本気になったソラルに対しては、例え精鋭騎士であっても太刀打ち出来ないだろう。
それがわかっていたところで、ロッセの答えは決まっていた。
「絶対にどかん!
死んでもどかん!
自分は貴女を絶対に屋敷へ連れ帰る!!」
そんなロッセの返答に、ソラルは魔術によって答えることにした。
天変魔術 地走る烈風
猛烈に圧縮した空気の渦を対象へ叩きつける攻撃魔術である。
ソラルの翳した両手から、二つの烈風が巻き起こり地吹雪を巻き起こしながらロッセへと迫っていった。
「くっ………!」
ロッセは手の鋼線を家屋の梁にかけ、壁を蹴って宙を舞いその烈風撃から身を反らす。
しかし、ソラルはもう電光の如き速さで次の魔術を顕現させていた。
「騎士が、お前が、私の兄を殺したんだ!」
ソラルの言葉はもはや、腹いせを超えて支離滅裂であるが、激情に駆られたソラルは憎悪だけを込めて、魔術を解き放っていた。
天変魔術 刺咬する蒼
氷の槍によって対象を刺し貫く殺傷の魔術。
ロッセの眼前に迫るは、魔術によって顕現された氷の線弾。それらは確実にロッセを貫くよう横一列に並んで放たれていた。
跳躍した状態で、これをかわすことなど出来ない。
ロッセはそう判断し、覚悟を決めて右足を蹴るように翳す。
「お………おおおおおおぉぉぉ!!!」
同時に届く、氷の冷たさと燃えるような痛み。
氷槍は翳した足の足裏から足甲を刺し貫いていた。
足を犠牲に致命傷こそ免れたものの、ロッセは空中でバランスを崩し地面へと投げ出されてしまう。
「ぐ………」
それはソラルにとって絶好の機会。
ロッセは俊敏さと瞬発力を持ち味とする騎士であるが、肝心の足を負傷してはそれが酷く低下してしまう。
しかし、ソラルの攻撃は続かない。
前に目を向けると、ソラルはその場に膝待ついてしまっていた。
「ぐ、ぐううぅうぅ………!」
歯を喰いしばったソラルの鼻から、つっと一筋の血が伝う。
魔力の消耗に寄る、肉体損傷。
元より衰弱しきった体。魔術の行使は無謀にもほどがあるものだった。
「ソラル様! それ以上はやめろ!
そのままでは、貴女の体が駄目になってしまう!!」
「五月蝿い!
いったい、何なんだお前は!?
お前は騎士だろう! 私の敵だろう!?
なのに、いつもいつも私に優しくして、助けるような真似をする!」
ソラルは気合を込めて再び立ち上がる。彼女の周囲には、ソラルの持つ魔術で最も攻撃性の高い術式が描き出されていた。
「ロッセ・スキーマー!
君はいったい何者なんだ!?
騎士なのか!? 従者なのか!?
君は私の敵なのか、それとも―――」
「自分は………!」
『迷うな、アルルカン。
そいつは敵だ』
微かに逡巡の浮かぶソラルへ、フェイトが焚きつけるように断言する。
彼が口にするのは唯の言葉ではない。
言霊によって対象の心を支配する、精神支配を帯びた詭弁の戯言。
「ああああぁぁぁ!」
混ざり狂う憎悪と逡巡と迷いの中で、ソラルは思考することを放棄し、ただ己が描く殺傷魔術へと魔力を込めていく。
彼女の叫びへ答えるように、場の空気がざわめきその破壊的な輝きを増していった。
彼女が顕現させるは、真空に寄る不可視の弾丸。
天変魔術 疾走する虚空弾丸
魔術師 ソラル・マロンが持つ、最も破壊的で殺人に特化した殺傷魔術である。
不可視の弾丸は弾けるような風音を響かせ、ロッセに向けて真っ直ぐに疾走する。
それは鋼の甲冑さえも容易に貫通する、殺意の集塊であった。
「自分は―――」
ロッセは微動だにせず、そんな風切り音へ耳を傾けていた。
右足を動かせないロッセにこの魔術は避けられない。そもそも不可視の弾丸など避けることは出来ない。
だからロッセは、弾丸越しにソラルの目を見つめ、始めて己が剣。
二刀の双剣を抜き放つ。
「我が名はロッセ・スキーマー!
マロン家の従者にして、盟友チェスナット・マロンの意志を継ぎ、
騎士道の深淵へ臨む者なり!!」
彼が右手に握るは、従者の使命。
左手に握るは、騎士たる矜持。
二つの決意は矛盾せず、双剣の従騎士はただ、亜麻色のスカーフをなびかせる
右の一太刀は目の前に迫る魔術を照らし受け、左の一太刀がその集塊を打ち砕く。
ソラルの放った風の弾丸は十字に断ち斬られ、そよ風となって吹雪と共に霧散していった。
ソラルは愕然とした表情を浮かべ、ロッセを見つめる。
自分が打ち放った虚空の弾丸。これは魔術師以外に防げるモノではない。
なのに、この男はあれを剣によって切り捨てたのだ。
「そしてソラル様、貴女に寄り添う者だ」
立ち尽くすソラルを見つめ、ロッセはいつものようにぼそりと呟く。
この期に及んで無表情。まあ、もともとこういう男なのだ。
そんな二人を尻目にフェイトは一人、忌々しげに顔を歪めていた。
魔術―――まして自然操作によって発生する天変魔術を断ち斬るなど、通常の剣では出来ない。
それが出来るのは『勇者の剣』のように特殊な霊装が施された武器だけなのだ。
しかし、フェイトにはロッセが持つ双剣の刀身を捉え、それが何なのかようやく理解する。
『………ドワーフ刀か』
その右太刀は霊刀『輝鳳凰』
その左太刀は妖刀『夜鳴鷹』
かって魔王に挑みし英雄たちの、その内一人が携えた、二刀一対の魔剣である。
フェイトとて、まさかこの王都で再びあの魔剣たちに合間見えるとは想像していなかった。
携えた双剣を再び腰に納め、ロッセは足を引き摺りながらソラルの下へ向かっていく。
「さあ、ソラル様。家に帰ろう。
旦那様も奥様も、あなたのことを心配している。
特に奥様など、心労のせいで泣き崩れてしまったほどだ」
「ロッセ………」
『アルルカン! 何をしている!
そいつを殺せ! 殺せぇ!』
フェイトは小物らしく激昂して叫ぶが、ソラルは彼の求めに応えない。
ただ、戸惑ったようにフェイトとロッセの間で視線を回している。
「でも………でも………!」
『この馬鹿め。
肝心なところで日和りやがって!』
フェイトは怒りのまま、ソラルの首を掴み上げる。
もういい。そもそもこんな男をまともに相手する理由などはなから無かった。
自分はただ、この女を地下室へ連れて行き、体を奪えればそれでよかったのだ。
「う………うう」
首を締め上げられ、ソラルは意識を失ってしまう。
衰弱した状態で高位魔術の連続使用、そもそも意識を保っているだけで限界だった。
「ソラル様!?」
明らかに様子のおかしいソラルへ、ロッセが慌てて駆けつける。
しかし、フェイトはそんなロッセを忌々しげに睨み付けた。
『貴様が何なのか知らんが、オレの邪魔ばかりしやがって!
何もわからないまま殺してやる!』
フェイトは開いている左手をロッセに向ける。
また無駄に魔力を消費してしまうが、それがどうでもいいほどにフェイトは苛立っていた。
彼の異能を用いれば人間を一人殺すなど容易いことだ。そもそもロッセは知覚遮断によってフェイトの存在さえも認識出来ていない。
『あばよ。訳のわからん忍者野郎。
何が起こったか把握も出来ないままに死んでいけ』
そう吐き捨て、フェイトが左手に魔力を蓄えたとき―――
「おい、コウ。
目当ての銘柄は買えたんだろ!?
早く帰るぞ!!」
『ちょ、ちょっと待てよ!
いい酒にはいいツマミが必要だろ!?』
「いい加減にしろ!
こんな吹雪のなか、いつまで徘徊させる気だ!?
僕はもう帰るからな!」
フェイトの耳に、再び騒がしい声が届く。
ギクリと声へ目を向けると、青年と妖精が何やらぎゃーぎゃーと騒ぎながら廃墟の路地を進んでいた。
(くそ、またユキたちか!
というかあいつら、いつまでほっつき歩いてるんだ!!)
これはフェイトも気付いていないことであったが―――。
王都の生きる都市伝説と化していたこの青年は、出来る限り人目につくことを避けていた。
そのため、外へ出るときはいつも人通りが無い、この無人街付近を通り道にしていたのである。
フェイトは彼らにやたらとすれ違うことを不思議に思っていたが、そんな理由があったのだ。
そんなことは露知らず、フェイトは近づいてくる青年と妖精の声に焦りを感じていた。
まだ彼らに気付かれていないようであるが………そう距離が離れている訳でも無い。
一騒ぎすれば、見つかってしまう危険性もある。
『ああ、もう!
何でこうオレは、何もかもが上手くいかないんだ!』
フェイトは倒れたソラルを抱き起こしているロッセへ向けて、最後に捨て台詞だけを残し姿を霧散させていく。
『ああ、面倒臭ぇ!
そんな馬鹿女。もういらねぇよ!!』
◇
無人街のとある家屋。
ほうほうの呈で退散したフェイトは、放置していたローゼの鼻腔から彼女の中へと戻っていく。
「くっそ! あぁ、イライラする!!」
ローゼの体に戻ったフェイトは怒りのまま右拳を壁へ叩きつける。
しかし、壁からはバンという音と同時にボキリと何かの砕ける音が響いてきた。
「痛ぇ!!」
フェイトは慌てて右手へ目を向けると、指が妙な方向に折れ曲がっている。
どうやら骨折してしまったようだ。
「くそ………」
フェイトはため息をつくと、痛み続ける指へ魔力を注いでいく。ついでに壊死した足や他のガタが入った部分へも魔力を送り込んでいった。
仕方ない。
自分の要領が悪いことは痛いほどに知っている。
次のイベント………英雄の後継までは後、たったの2年。
それまで、余計なことはせず、こいつの体で我慢しておこう。
フェイトはそんな考えと共に、ローゼの体を確認する。彼女の右足は元の色を取り戻していた。
失明も直ったし、耳もよく聞こえる。
とりあえず、完治と言えるだろう。
「とは言っても、自分の脚で魔王を探すのはやはり骨だな………」
今日の失敗を踏まえ、フェイトは考える。
知覚遮断だって只ではない。この体で王都を捜索する限り、どうしても魔力を消費してしまうのだ。
フェイトは握った結晶に目を向け、独り言のように呟く。
「もう、魔人共を復活させておくか。
魔王を探すためと嘯けば、奴らとて力を貸す気になるかもしれん」
◇
あれは、いつごろのことだっただろうか?
確か私の病気が直る前、まだ5、6にも満たない幼い頃のことだった筈だ。
当時、私はいわゆる「ごっこ遊び」に夢中になっていた。
もともと空想がちだったせいもあるが、その時期は体調が良かったこともあるだろう。
兄たちを巻き込み、大好きだったお姫様ごっこに興じていたものだ。
兄はもうそんな幼稚な遊びをするような年齢ではなかったが、私の求めに応じよくつきあっていてくれたものだ。
遊びの中で私が演じるのは当然、主人公である勇敢なお姫様。
そしてお姫様恋焦がれる大国の王子様は、兄にやってもらった。
そして、最後にもう一人。
姫に従い、ピンチには必ず助けに現われる忠実な一人のナイト。
彼はロッセにやってもらうことにした。
幼い頃の私は、いつも仏頂面なロッセが苦手だった。
何でいつもそんなに怒っているのだろうと、不思議に思っていたものだ。
だけど、私はそんな苦手なロッセにナイトの役をやってもらうことにした。
ナイトと言えば、物語では姫と並んで主役的なポジションだ。
なんで彼にその大役を願ったのか自分でも不思議だったのだが………今ならその理由がわかる。
だって、ロッセはいつも―――
◇
「………う」
暗然とした意識の流れの中、私は微かな振動と温かさを感じ意識を取り戻す。
目の前は一面の亜麻色に覆われているようだ。
何だこれは………と不思議に思う間もなく、私へ無愛想な声がぼそりとかけられる。
「ソラル様、気付かれたか?
具合はどうだろうか?」
声に誘われるように、私の視界が明瞭なものになっていく。
最初に見えた亜麻色は、ロッセが巻いているスカーフだったようだ。
なにやら、私は彼に背負われ王都の中を進んでいるらしい。
「屋敷に戻り次第、修道医院へ連れて行く。
それまでどうか辛抱して頂きたい」
ロッセの歩みはよろよろと危なっかしい。
背後に目をやれば、彼が進んだ後には目印をつけるように点々と、雪面が真紅に染まっていた。
私が貫いた傷から、血が流れ続けているのだ。
「ロッセ………足が………」
「心配召されるな、こんなものはかすり傷だ。
それよりご自分のお体を考えるように」
相変わらず、何を言っているのやら………。
私なんぞより、君の方がずっと重傷じゃないか。
「屋敷に戻ったら、出来れば奥様と旦那様にお言葉をかけて頂きたい。
特に奥様はソラル様のことを気にしているようだ。
温かい言葉をかけて頂ければ、自分としても喜ばしい」
相変わらずの無表情。
鷹のように鋭い目。
ぼそりとした話し方。
幼かい頃から全く変わらないこの騎士の背へ、私は額を当てる。
「ロッセ………まったく、君という奴は本当に………」
鼻先にさらさらと亜麻色のスカーフが触れる。何だかそれが、こそばゆくてうれしい。
「本当に、いつも私を助けてくれるんだね………」




