第67話 ヴィオレ・ヴァイオレット(8)
「あーあ、完全にやられちゃったよ。
クロのせいで、私の壮大な現実逃避が滅茶苦茶だ」
ヴィオレがクロの頭を膝に乗せ、呆れたように笑ってみせる。
異能によって限界まで消失した彼の魔力。
それはもはや致命傷だ。
クロは顔中の穴から血を流し、呼吸さえままならない状態であった。
ヴィオレはそんなクロの頬に手を当て、自らに残った魔力を彼へと注ぎ込んでいく。
「そのとおり、クロの言うとおりだよ。
私がクロを受け入れたのは、初めて会った時の君が、酷く歪んで見えたからだ。
資料室で初めて会った時のこと覚えてる?
あの時クロね。
とんでもなく、心に闇を漂わせていたんだよ」
意識を失ったクロに、ヴィオレの言葉は届かない。
それでもヴィオレは独白するように、言葉を紡ぎ続ける。
「その時思ったんだ。
あ、この子は私と同じだって、弱くて愚かな似た者さんだって、そう思ったのさ。
………もしかしたら私は、クロに昔の自分自身を重ねていたのかもしれないね」
ヴィオレはクロの頭を抱いたまま、天井を見上げる。
資料館の天井からは相変わらず、柔らかな光が差し込んでいた。
「それからはもう、謀略の日々さ。
精神簒奪を使えばチョロかったんだけど、何かそれじゃあ意味がない気がしてね。
最も、クロの心を奪うのは、異能を使わなくたって割と簡単だった。
だってクロ、毎日のように心を傷つけているんだもん。
私からすりゃ、楽勝だったよ」
ヴィオレはクスクスと笑いながら、クロの左頬の火傷痕を撫でる。
「決定的だったのは、やっぱカナリーちゃんの時かな?
あの子ね、本当はクロに謝ろうとしてたんだよ。
クロにこんな火傷を負わせるつもりは無かったんだ。
まあ、私はその罪悪感につけこんで、あの子を壊してクロを殺すように差し向けたんだけど………。
つり橋効果ってゆうの? そういうのに期待してたんだ。
まあ、効果は覿面だったね。
あの一件から、クロが周囲に向ける拒絶は、一層強固なものになった。
私、心の中でガッツポーズしちゃったよ。
これで、クロは私のモノだってね」
ヴィオレはそこで、少し寂しげにため息をつく。
「初めて違和感を感じたのは、卑賤の民の町でクロから助けられた時だったな。
まあ、私はぶちのめされてたから、あんま覚えてないんだけど。
クロが体を張って私を助けてくれたって聞いた時、愕然としたよ。
だって、私はクロにそんなもの求めていなかった。
私が欲しかったのは、ピンチに駆けつける王子様じゃなくて、何でも言うことを聞くようなペットだったんだ」
「そこで私は初めて、クロに精神簒奪を使った………。
いや、それまでもちょくちょく心を読んだりはしてたけど、精神支配の方にまで手を出したのはそこからだ。
何か、自分がクロに助けられたって事実が恐くてね………。
ひょっとしたら、クロは私が望むような弱虫じゃなくて………本当は強い心を持った男の子なんじゃないかって、不安になったんだよ」
ヴィオレは愛おしげに、クロの髪を撫でる。
彼の黒髪は、前髪の一部分だけが、ヴィオレやコウと同じ白髪に染まっていた。
「幸福の妖精………コウか。
あいつを呼び出したのが、そもそもの失敗だったね。
私は何ていうか………コウはそれこそフェイトのように、無茶苦茶な奴だと思ってたんだ。
なのに、あいつは拍子抜けするほど真っ当で………普通のいい奴だった。
本当、ガッカリだよ。
私がせっかく歪めたクロを、コウは真っ当な人間に戻してしまったんだ。
あいつこそ、真の簒奪者だ」
「コウと一緒に行動するようになってから、クロはどんどん私と違っていってしまった。
ソラルやシアン、それにローゼちゃんと出会って、頑なだった心が溶かされていってしまった。
私が過去に拒絶した欺瞞たちを、クロは受け入れていったんだ。
それが私は悲しくて………寂しくてさ。
日に日に笑顔を取り戻してくクロが、憎らしかった」
ヴィオレはクロの上着に手を刺しこみ、火傷によってガサガサになってしまったクロの背中を撫でる。
「最後に、クロがクロ・シルバーとして私と会った時。
クロは私に手を差し伸べてくれたよね?
だけど、もう遅かったんだよ。
あの時点で私は、明るい場所になんて目も向けられないほど、汚れてしまっていた。
ソラルやシアンについて酷いことを言ったけれど………アレは気にしないで。
彼女たちは真っ当さ。
真っ当に悩んで、苦しんで………それでも前に進むことを選んだ、強い子たちだ。
きっとクロにとって、私なんかより良い先輩になってくれる。」
「私は結局、異能を使ってようやく、クロを自分の物にしたんだ。
異能を使わなければ、君を自分の物に出来なかった。
いや………違うか。
クロはさ、私の異能を持ってしても、私の物にはなってくれなかったんだ。
クロはね、私が望んでいたより、君が思っていたより、ずっとずっと強い人だったのさ。
弱虫の癖に強くて、捻くれているのに真っ直ぐで、聡いのに馬鹿だ。
本当、どうしようもなく素敵な、ドブネズミだったんだよ。君は」
ヴィオレはそっと、クロの頬から手を離す。
彼の目や鼻から流れていた血は固まり、出血を止めていた。
ヴィオレは安心したように微笑む。
何とか、命を取り留めることは出来たようだ。
「クロ………君に嘘ばかりを言ってきた私だけど。
最後に一つだけ本当のことを教えてあげる」
嘘と嘘で塗り固め続けてきたヴィオレ・ヴァイオレット。
そんな彼女がクロへ、初めて本物の思いを伝える。
クロは意識を失い、ヴィオレの言葉は届かないであろうが………そんなことはどうでも良かった。
ただ、ヴィオレは彼へ本物の気持ちを伝えたいと思ったのだ。
「クロはね、きっと夢を叶えられる。
格好よくて、素敵で、馬鹿な、イカした勇者様になれるよ。
だって、クロはあきらめないんだもの。
あきらめさえしなければ、人はきっと願いを叶えることが出来るんだもの。
これが………私の本当の気持ち。
君に嘘ばかりを吐いてきた私が伝える………初めての『本当』」
ヴィオレはそっとクロを抱きかかえ、資料館の片隅へと寝かせる。
彼女にはまだ、やらなければいけないことが残っている。
「自分の撒いた種だ。
せめてケジメくらいはつけないといけないよね………」
ヴィオレは紙に向かい、筆で文字をなぞっていく。
そして幾ばくか後、手紙を書き終えたヴィオレは満足したように微笑んでみせた。
「アルコバレーノ学長なら、これできっと大丈夫。
あの人は、弱くて頑なだけど、愚かじゃない。
きっと、クロのことを救ってくれるよ。
だからね、私の………ヴィオレ・ヴァイオレットの迷走は、これにてお終い」
全てを終えたヴィオレは、腰元から手鏡を取り出すと、自分の顔を映す。
鏡には、純白の髪に、真紅と赤紫の瞳を持った魔人の姿が映し出される。
「そして魔人、贋作師。
君の欺瞞も、これでお終いだよ。
世界を変えるより、自分を変える方がずっと楽。
全く持って、その通りだ」
ヴィオレの真紅の瞳が、青紫色の光を纏う。
精神簒奪
心を奪い、操り、壊す。
特異魔術師たる、彼女の異能。
ヴィオレは異能の力を、自らへと解き放つ。
「だから、私は世界を壊すより、自分を壊そうと思う。
ごめんね、クロ。
君は私と進んでくれるって言っていたけれど………。
これだけのことをやってしまって、前に進めるほど、私は強い人間じゃない。
やっぱり、私とクロは違う人だったんだ」
ヴィオレの頭へ、バキリと割れるような衝撃音が走る。
彼女の過去と未来が、バリバリとした音を持って、静かな崩壊を遂げていく。
意識が途切れ、思考が散漫になり。
物事を捉えられなくなっていく。
歪に壊れる己の中で、ヴィオレは最後にもう一度。
クロ・シルバーへ目を向けた。
「さよなら………クロ。
私は君と会えて、本当に良かったよ」
その言葉を最後に、ヴィオレ・ヴァイオレットは崩壊した。
名門貴族として生まれ、特異的な才能を持った天才魔術師の意識は、全ての罪を身に受けるように、粉塵へと破砕していったのである。
◇
「早く………早く、行かなくては………!」
ラードゥガが焦れるように、あの無機質な階段を下っていた。
彼女が目指すのは学舎の最奥『地下室』。
あの特異魔術師は、そこで悪魔を呼び出そうとしているに違いない。
ラードゥガは仮初めの資料室から地下室へと通じる秘密通路に入ったのであるが、そこには施錠魔術を初めとした、様々な障害が設置されており、予想以上の時間を要してしまったのだ。
これだけ時間をかけてしまっては、あの悪魔はもう復活してしまったに違いない。
それであればきっと、ヴィオレはもう、人間ではなくなっているだろう。
ヴィオレ・ヴァイオレットとクロ・シルバー。
彼らが魔人へと堕ちてしまったのであれば、自分はどんな手を使ってでも彼らを殺さなければならない。
それが虹彩の魔術師………シエル・アルコバレーノの末裔たる、自分の務めであるのだ。
「誰か………誰か、助けて!」
そんな悲壮な決意を固めるラードゥガへ、少女の鳴き声が木霊する。
声は階段の下方………近い場所から発せられているようだ。
ズルズルと何かを引きずるような音と共に、声を発した少女が、ラードゥガの前へ姿を現す。
「な、何ですか………これは?」
少女の姿にラードゥガは息を呑む。
そこには、クロのローブを掴んで階段を昇るヴィオレの姿があったのだ。
「ヴィオレ………ヴァイオレット。
貴女はいったい………?」
ヴィオレはラードゥガが危惧したとおり、純白の髪に真紅の瞳をその身に負っている。
その有様は魔人の証明。
人であることを投げ捨ててしまった者の末路たる忌み姿。
なのに、魔人は真紅と赤紫の瞳いっぱいに涙を溜めて、救いを求めるようにラードゥガへと声を上げた。
「このお兄ちゃん、とても酷い怪我をしているの!
お願い、助けてあげて!」
ヴィオレは抱きかかえるようにして、クロをラードゥガへと示してみせる。
なるほど、クロは顔中に血がこびりつき、酷い有様だ。
ラードゥガはヴィオレへ向かって問いかける。
「ヴィオレ・ヴァイオレット………貴女はいったい、どうしてしまったのです?」
ラードゥガの問いかけに、ヴィオレは不思議そうな表情で首を傾げる。
「ヴィオレ………?
なにそれ………わかんない、わかんないよ!
そんなことより、この人を助けて!
このままじゃ、死んじゃうよ!」
ヴィオレは童女のように首を振ると、急かすようにラードゥガへ訴える。
クロは体中を鮮血に染めているものの、外傷らしいものが見当たらなかった。
魔力の消耗状態であったことは見て取れるが、今の彼からは確かな魔力の鼓動を感じる。
誰かが、彼に己の魔力を分け与えたのだろう。
死にかけの魔術師へ、十分な魔力を分け与える。それだけの魔力量を所持する魔術師はラードゥガの知識を持ってしても、上級魔術師数名か、何人かの天才しか思い浮かばない。
「なるほど………そういうこと、ですか………」
クロの体を確認しつつ、ラードゥガはヴィオレの言動仕草から、今の彼女の状況について悟り始めていた。
精神簒奪………心を奪い、破壊する異能。
彼女はそれを使って、自分自身をも、破壊してしまったのだろう。
心配そうにクロを見つめる少女は、もうヴィオレ・ヴァイオレットではない。
ここに居るのは、唯の抜け殻。壊れきったヴィオレの残骸だ。
もはや欠片も砕け、塵となったヴィオレの意識はただ童女のように。
訳もわからず、目の前の少年を助けたいと思ったのだ。
「大丈夫です。
彼は見た目ほど酷い怪我ではありません。
じきに目を覚ましますよ………」
「本当!? 良かったぁ………」
ラードゥガの言葉に、ヴィオレが安心したような笑みを零す。
魔人にまで身を落としたヴィオレが何故、そんな選択をしたのか、ラードゥガには思い浮かばない。
だけれど、目の前にいる現実を受け入れないわけにもいかないだろう。
「…………?」
そこでふと、ラードゥガはクロの懐に手紙が挟められていることに気付く。
手紙を確認すると、そこにはヴィオレの文字でラードゥガに当てられた遺言とも言うべきものが記載されていた。
「なにそれ………?」
「……………」
ラードゥガは静かに、その文字たちへ視線をなぞっていった。
◇
アルコバレーノ学長へ。
この手紙を学長が読んでいるとき、私はきっと、もういないでしょう。
私は弱虫なんです。最後まで逃げてしまった私を、どうかお許し下さい。
此度の学舎における連続殺人事件。
そして、コバルト高等生やマロン高等生に対する障害事件。
その、全ての主犯は私、ヴィオレ・ヴァイオレットに寄るものです。
クロ・シルバーは私の異能によって心を奪われ、従っていたに過ぎません。
心神喪失状態というやつです。これらの事件に、彼の意思は介在していませんでした。
だから、アルコバレーノ学長。お願いです。
私の残骸はどうなってもいい。極刑でも、魔術解析の実験体にでも、何でも好きなようにしてください。
だけど、どうか。
どうか、クロのことは助けてあげて。
クロは何も知らない少年です。
愚直なまでに真っ直ぐな………そんな愚かな少年なんです。
私の暗い願いのせいで、心身を崩壊させられても、あくまで彼は少年でした。
きっとクロは、素敵な魔術師になって、学舎や貴女と力となってくれる。
だからどうか………弱い私の業から、彼を救ってあげて下さい。
こんなことを頼める義理がないことは、理解しています。
だけど、私にはもう、貴女しか頼める人がいない。
どうか、どうか。
温情に満ちた決断を、貴女が下してくれること、私は願います。
ヴィオレ・ヴァイオレット
◇
「………ヴィオレ・ヴァイオレット。
全く、本当の本当に貴女は………どこまでも愚かな、救いようの無い小娘です」
「?」
ラードゥガの言葉に、ヴィオレが首を傾げる。
ヴィオレは再びクロへ目を移すと、ラードゥガへと問いかけた。
「ねぇ、お兄ちゃん。元気になるかなぁ?
目を覚ましたら、元気になってくれるかなぁ?」
「大丈夫ですよ………」
そんなヴィオレの頭へ、ラードゥガはそっと手をのせる。
「彼は私が責任を持って、助けます。
だから貴女が不安に思うことなど、何一つないのですよ。
………ヴィオレさん」
「えへへ………」
ラードゥガに頭を撫でられながら、ヴィオレは安心したように笑顔を浮かべる。
「それは良かった………本当に、良かったよぉ………」
◇
「………ん」
クロはゆっくりと瞳を開く。
何だか、とても長い時間眠っていた気がする。
クロは何やら、薄暗い部屋の中に居た。
部屋は床も壁も石造りで、ひんやりとした冷気を放っている。
窓もなければ、ドアも無い。あるのはクロが屈んでようやく通れるような小さな入り口だけ。
その入り口には、鋼色の鉄柵が備え付けられていた。
(ここはどこだ? そもそも、僕はいったい―――)
朦朧とした意識の中で、クロは最後の記憶を探っていく。
確か、自分は禁制資料館で、幻想のパールスと戦って、そしてそのまま―――
「おい、クロ・シルバーが目を覚ましたぞ!」
「だ、団長に報告に行け! 早くしろ!」
クロの思索はそんな声によって掻き消される。
見れば、鉄柵の先で騎士風の格好をした男たちが、警戒するように自分を睨みつけていた。
彼らは手に剣や槍を持ち、いつでも自分を殺せるように、構えを取っている。
「あの………」
「しゃべるな、気狂い野郎!
少しでも妙な真似をしたら、この場で殺してやるからな!」
クロの問いかけを遮って、騎士が槍を向けたまま興奮したように叫ぶ。
「いや………これはいったい―――」
「しゃべるなって言ってんだろうがぁ!!」
鉄柵の向こう側から、クロの眼前へと槍の穂先が突きつけられる。
「…………」
ここは、彼らの言葉に従っておいた方がいいだろう。
槍を構えた騎士は尋常では無いほど自分に対し緊張している。下手なことをすれば、本当に殺されかねない。
「おいおい、穏やかじゃないな。
いったい、どうしたんだ?」
「だ、団長………!」
そんな中、冷静な声が鉄柵の向こう側から聞こえてきた。
槍を構えていた騎士が、新たにやってきた男へと報告する。
「犯人が………クロ・シルバーが目を覚ましました!」
「ほう………」
男は騎士と対照的に、落ち着いた様子で頷くと騎士を下がらせ、自らクロと相対する。
「ようやくお目覚めか、クロ・シルバー。
一応、傷の応急処置はしたのだが、具合はどうだい?」
「だ、大丈夫です………けど」
男の言葉通り、クロの体には包帯が巻かれ、湿布なども貼られているようだった。
しかし、そんなことよりも気になることが山積みなのだ。
「あの………ここはいったい?
僕はどうして………?」
「何が何だかわからない、って顔だな。
まあ、無理もないか」
男は指先でクロへ座るように指示すると、胸に手を当てて礼をする。
「俺の名はベルデ・アフダル。
『誇り高き英雄の騎士団』の団長をやっている。
そして、今君が幽閉されているのは、我が騎士団所有の独房さ。
これでだいたいわかったかな?」
ベルデは無表情のまま、クロを見下ろす。
気安い言動とは裏腹に、その緑眼はクロの一挙一動を警戒し、緊張感を孕んでいた。
「クロ・シルバー。
お前を連続殺人事件の犯人として拘束する。
お前には、この事件について洗いざらい吐かせるからな。
自分が子供だからといって、許されるとは思うなよ?」
すいません。書き溜めが尽きそうなので、しばらくの間投稿頻度を落とさせて頂きます。




