第62話 贋作師
『それで、君の望みは何かな? お嬢さん』
フェイトは、人を喰ったような笑みを浮かべながら、ヴィオレへと尋ねる。
彼の視線はヴィオレのみに注がれ、クロやローゼには一瞥もしない。
眼中にもない、ということだろう。
「私の望み、私が求めること………」
ヴィオレは静かに反芻すると、決意を込めていつかの願いを口にする。
「ねえ、悪魔さん。私が求めるのは、この世界の変革。
悪魔さんの力で、この糞みたいな世界を変えて欲しい」
『世界の変革………?』
「そう。この世界はあまりにも、嘘と欺瞞に満ちすぎている。
全ての人は私の敵。誰も彼もが私を憎んでいるかのよう。
私には、たったの1人だって、味方になってくれる人がいないの………。
だからさ、悪魔さん。
こんな世界をぶっ壊して、嘘も偽りも無い『本当』だけに満たされた世界を創って欲しい」
それはもはや、クロが空虚と感じるまでになってしまったヴィオレの願い。
彼女が描いた希望の残骸。
それでも、ヴィオレは頑なまでに、その願いを妄執しているのだろう。
彼女の瞳に迷いのようなものは見られなかった。
「世界の変革………か」
フェイトはそんなヴィオレの願いを受けて、少し困ったように………もしくは面倒臭そうな様子で、ため息をつく。
そして、赤い瞳をヴィオレに目を向けると、まるでノートに書いたメモを読んでいくかのように見つめていった。
『ヴィオレ・ヴァイオレット………王都に居住する名門貴族の娘。
生まれながらの特異魔術師で、精神簒奪―――心を奪う異能を持っている。
幼少期、思春期の劣悪な生育環境、また近親者との性的接触により、その精神は破綻をきたしている。
すでに6人の人間を殺害。また多数の人間を間接的に死へと誘導している。
人間不信、被害妄想………そして、致命的なレベルの誇大妄想を患っている………と』
フェイトは独り言のように呟きながら、馬鹿にしたような視線をヴィオレへ送る。
『とんだ狂女だ。
ここまで来ると、もはやホラーの世界だな』
「………悪魔さん。私の話を聞いてる?」
『ああ、ちゃんと聞いているよ。
嘘の無い世界を創造する………それが君の望みで、本当にいいのかい?』
「そうだよ! そうすれば、きっと―――」
被せるように叫ぶヴィオレへ、フェイトは制するように手を振ってみせた。
『嘘、だな』
「え………?」
『嘘を吐くな。
君はどうやら、どうしようもない嘘つきのようだね』
「嘘って………なに? 私を馬鹿にしているの!?
あの妖精みたいに、君も私の願いを叶えないつもり!?」
『喧しい。囀るな、贋作師』
「―――!」
心から鬱陶しそうに、フェイトはヴィオレを見下ろしてみせる。
その声音からは、先ほどの人を喰ったような物と異なり、どこか警告めいた響きがあった。
『別に私は、君の願いを叶えない訳じゃない。
私の力を使えば、世界の変革など容易いものだ。
だが………違うのだろう?』
フェイトはニヤニヤと再び笑みを浮かべ、言葉を続ける。
『私にはどんな欺瞞も嘘も、通用しないよ? お嬢さん。
だがまあ、それは君にとって幸運かもしれないな』
フェイトは恭しく手を広げて礼をすると、改まった口調でヴィオレへと言葉を告げる。
『私は運命の代弁者。君の運命に変革を与えよう。
過去、私によって願いを叶え、その運命を大きく変えた者たちが多数いる。
嘘と欺瞞の権化たるお嬢さん。
君には、とっておきの『本当』を贈呈しよう』
「とっておきの………『本当』?」
『もっとも………そうすることで、君はもう『君』ではなくなってしまうがね。
まあ、ほとんど壊れかけているような君だ。別段、惜しくも無いだろう』
「…………」
無言で佇むヴィオレに対し、フェイトの瞳が爛々とした光を放つ。
それはコウと同じ紅色であったが、もっと禍々しい何かを感じさせるものだった。
フェイトは棒のように長く、冷たい手をヴィオレに差し伸べて、口を開く。
『さあ、手を取りたまえ。
そうすれば、君の全てが報われる。
世界が君を許容する』
「だ、だめだ………!
御主人様!」
クロは思わず叫び声を上げる。
あの悪魔が何者なのかも、悪魔が言っている言葉の意味も、クロには見当がつかない。
それでもあの手は、決して触れてはいけないものであると感じたのだ。
「君の手を取れば、私は救われるんだね?」
しかし、ヴィオレの耳にクロの言葉は届かない。
元より、誰の声だって、もうヴィオレの下へは届かなくなっているだろう。
『ああ、そうだよ。
それで君は摂理を超えたモノへ変わることが出来る。
もう嘘とか、欺瞞とか、そういう次元は越えるのさ』
「うん」
ヴィオレの動きに迷いは無い。
自然と、そのまま在るように、ヴィオレは差し出されたフェイトの手を握りしめた。
『………触れたね?
いいだろう、たったいまこの瞬間を持って、君は君ではなくなった』
その瞬間、周囲へ散乱していた純白の霧が、嵐に散らされたかのように轟々と渦巻きたつ。
それらはヴィオレの鼻から、耳から、眼窩から、彼女の体へと注ぎ込まれ、蹂躙していく。
「あ………ああぁ!」
純白に侵されながら、ヴィオレはそのまま膝をつく。
彼女の体を襲うのは耐え難い激痛。
まるで全身を作り変えられていくような、そんな痛みの渦だった。
ヴィオレの青紫色の右目が、その色をを変えていく。
それはフェイトやコウと同じ、深く、濃い、赤。
鮮やかな紫色の髪が、眩むような純白へと変わっていく。
そして、左目。
赤紫色の義眼が、赤紫色のまま、ピクリと鳴動した。
『これで君は魔人………摂理を超えたモノへと変幻した。
喜びたまえ、胸を張りたまえ。
君の運命は、いま、まさに、始まりを迎えたのだ。
君という生き物の結末に、私は期待しているよ』
◇
「痛たた………いやぁ、これは効いたぁ。
お兄様のお仕置きよりも、ヤバかった………」
『気分はどうだい? 贋作師。
如何せん、人間を造りかえるのは久しぶりなものだったのでね。
不都合が無ければいいのだが』
「終わってから不都合とか………。
性質の悪い大工みたいだね、悪魔さん」
ふむ、とヴィオレは腰を払いながら自分の体を確認する。
先ず気付いたのは焼け落ちた筈の左手指の感触。
ソラル達によって焼き払われた左手、それが嘘のように完治し再生している。
どういう手品か、焼失した指さえも元の通りだ。
それに度重なる酷使によって消耗した筈の魔力。全身の疲れ、損傷。
そういった不快なモノ全てが、嘘のように消えていた。
「絶好調だよ、悪魔さん。
フェイカーって、私の名前? もうちょっと可愛いカンジが良かったんだけど………」
『生憎、名前は自動的に決まるものでね』
魔人 贋作師
それが自分の新しい名であると、何故かヴィオレは悟っていた。
それに―――
「こんなに視界が広いのは久しぶりだよ。
物が立体的だ。
やっぱり、瞳ってのは二つ必要なんだね」
ヴィオレは真紅に染まった右目と、赤紫色のままの左目を動かし、周囲を見回してみた。
見える。見えるのだ。
数年前に腐り落ちてしまった筈の左目、それが。
作り物の瞳が、視力を取り戻してヴィオレの脳へ光を伝達し始めている。
ヴィオレは瞳を閉じて、意識を集中させる。
彼女の脳裏には、数10、数100に及ぶ、人間達の思考が手に取るように浮かび上がってきた。
精神簒奪、彼女の異能。
魔人と化し、精神簒奪の異能もまた、人間だった頃と比べ物にならないほどに増幅されたようだ。
もはや、彼女が心を読むのに瞳の交差は必要無い。
瞳を閉じれば、勝手に人々の心が浮かび、操作も破壊も思いのままだ。
この異能を用いれば、あのラードゥガ・アルコバレーノだって、赤子の手を捻るように殺すことが出来るだろう。
「それで、悪魔さん。
確かに体は治ったし、私の異能もやたらと強くなってるようだけど………。
肝心の願いが叶っていないよ。
貴方が言っていた、私の本当の願い。それを叶えてくれるんじゃ無かったの?」
ジロリとフェイトへ視線を移し、責めるようにヴィオレが言うと、フェイトは手を振って肩を竦めて見せた。
『ふむ………』
フェイトは針のように鋭く長い指で、ヴィオレの腰元へ向ける。彼の指先はヴィオレの手鏡を示していた。
『フェイカー。その鏡を覗いてみるがいい。
そうすれば、君の願いは自ずと成就されるだろう』
「鏡………?」
ヴィオレはフェイトから誘われるように手鏡を取り出し、その鏡面へ自分の顔を映してみる。
鏡には、真紅と純白に染まりきった己の顔が映っていた。
「………!」
そして、鏡には彼女の顔の背後に、もう一つの人影が映っている。
ヴィオレは驚愕したように、そのまま後ろへと振り向いた。
「お兄様!?」
「ヴィオレ………ずっと、僕を探していてくれたんだね。
こんなにボロボロになって………可哀想に」
彼女の背後には、パールスが居た。
パールスはいつもの優しい笑顔のまま、記憶にあるがままに微笑みながら、そっとヴィオレの体を抱き締める。
何を見紛う筈があろうか。
それはヴィオレが何年もの間、探し求め続けてきた『本物の兄』の姿に相違ない。
この温もりも、包まれるような優しさも、少し困ったような笑顔も、ヴィオレはしっかりと覚えている。
「お兄様………お兄様、お兄様!」
胸に縋りつくヴィオレの頭を撫で、パールスが小首を傾げてみせる。
「どうしたんだい? ヴィオレ。
今日は随分と甘えん坊じゃないか?」
「わたっ、私ね!
私………ずっと、お兄様のことを探してた!
だって、お兄様は突然、偽者と入れ替わっちゃうし、どんなに探しても見つからないし。
世界は嘘ばっかりだし、みんなが私のことを嫌っているし。
私、寂しくて、悲しくて………。
ずっと、お兄様に会いたくて!」
「うん」
「ヴィオレね。ずっと頑張って来たんだよ!
ずっと1人で、たった1人で。
どんなに辛いことも、悲しいことも、
いつかお兄様に合えるなら、って頑張ってきた!
絵本の妖精は意地悪で、ヴィオレのお願いを全然聞いてくれないし、
先生も、友達も、嘘ばかりを吐いてくるし、
私、寂しくて………寂しくて!」
「よしよし………大丈夫。
僕は全部、分かってる。
もう大丈夫だよ、ヴィオレ」
涙ながらに捲くし立てるヴィオレの背中を優しく擦りながら、パールスはおだやかな調子で答える。
「僕はもう、今度こそ、ヴィオレの味方で在り続けるから………」
「うん………うん!」
魔人 贋作師
その異能は、幻想の具現化。
人の心が持つ虚像を異能によって顕現、現実化する贋象の異能である。
偽者から目を反らし、嘘と幻想で塗り固めた兄の姿を求め続けた、嘘吐きの少女。
彼女は、ついに、ようやく、本物の兄と邂逅を果たしたのである。
「ねえ、ヴィオレ。
これから、どうしよう?」
ヴィオレを胸に埋めたまま、パールスが何ともなしに呟く。
「えっとねぇ………」
彼女には、もうしたいことなど残っていない。
彼女が求めに求め続けてきた兄は、もう自分の手の中にあるのだ。
ヴィオレは顔を上げると、兄へ満面の笑みを浮かべて見せた。
「ヴィオレはねぇ。
お兄様と一緒に居たい。
嘘吐きなんて一人もいない、2人だけの世界でずっと一緒に暮らすの!
絵本みたいに、幸せになるの!」
「それは………とても、素敵だねぇ」
「うん!」
ヴィオレは真紅の瞳に幻想を、赤紫色の瞳に虚像を映し、ただ兄の手を取って笑顔を浮かべる。
「ねえ、お兄様。
ずっと、一緒にいる?
もう、ヴィオレを置いて逝ったりしない?」
「うん、僕はずっとヴィオレの隣に居るよ。
約束する」
暖かな笑顔で、パールスはヴィオレの手を握り返す。
その手が確かに握られていることを確認し、ヴィオレは安心したように微笑むと、2人連れ立って、幸福の部屋を後にする。
願いが叶い、安寧を手に入れ。
ヴィオレはもうどうでも良くなっていた。
自分はようやく本当を取り戻した。
悪魔もペットも、もうどうだっていい。むしろ邪魔だ。
まるで夢を見るように、妄想と手を繋いで去っていったヴィオレを見送り、フェイトは小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
『ふふふ、あれは、完全にぶっ壊れてるな。
世界の変革などと嘯いた時は、どう誤魔化そうか迷ったものだが………何のことはない。
自分自身が変わればいいんだ。
世界を変えるなんて無稽に妄信するより、自分自身を変える方がずっと楽だと、私は思うよ?』
そして一拍、佇まいを直すと、部屋の隅で呆然と座り込む、人影へと声を掛けた。
『それで………君は一体、何者なのかな?
少年』
◇
「ぼ………僕は………」
クロはただ呆然と、目の前の悪魔を見つめていた。
目の前で起こったことが理解できない。何が何だかわからない。
わからないが………それでも悪魔の問いかけには答えることが出来る。
「僕は、御主人様の所有物だ」
『はぁ?』
「いま去っていった人は、僕の御主人様で………。
彼女は侵し難き絶対的な人で、僕は彼女の所有物で、
御主人様の為なら、僕はどんなことだって―――」
『ああ、もういい。
君の言っていることは、訳がわからん』
パクパクと支離滅裂な言葉を漏らし続けるクロを制し、フェイトがヴィオレへやったように、彼の瞳を覗き込む。
『クロ・シルバー。
男でありながら魔力を持った、特異魔術師。
フェイカーに心を壊され、その言葉のまま、隷属していた惨めなドブネズミ。
そして―――いや、もういいか。
どうやら君は、本当にどうしようもない奴のようだな』
あまりのクロのしょうもなさに、フェイトはうんざりしたようなため息をついてしまう。
『フェイカーはそれなりに面白いことをしてくれそうだが………君は実につまらん。
とんだカスキャラだ。
こんな奴の前に姿を現してしまった―――それだけで、私にとっては屈辱の極みだよ』
フェイトが何やらブツブツと文句を言っているが、クロにとってはそんなものどうでも良かった。
ただ、困惑と心細さだけを胸に、フェイトへ問いかける。
「な、なあ………御主人様はどこに行ってしまったんだ?
何で僕を置いていってしまったんだ?
御主人様がいなくなってしまったら、僕はどうすればいいんだ?」
彼が狂気染みた忠誠を誓っていた主人は、幻想と手を取り合ってどこかへ行ってしまった。
本当に欲しかった者を手に入れた主人は、自分に見向きもしなかった。
だったら、彼女の所有物である自分は、どうしたら―――
『そんなの、私が知るか』
フェイトは心の底からどうでも良さそうにクロを切り捨てるが、ふと何かを思いついたように再び彼へ目を向ける。
『いや………待てよ?
さっきフェイカーを魔人にしてやった時もそうだが………どうも異能に違和感があるな。
まあ、あれからかれこれ200年だ。コツを忘れてしまったのかもしれない』
不意にフェイトはクロの腕を掴み取る。
茫然自失としていたクロであったが、突然の悪魔の行動へ流石に驚いてしまう。
「な!?」
『行きがけの駄賃だ。
肩慣らしの意味も兼ねて、ついでにお前も魔人にしてやろう』
フェイトの行動は、言ってしまえば唯の戯れである。
久しぶりに力を使ったら、どうにも調子が悪い。
ここは一つ、準備運動でもしてみるかと、そんな些細な気まぐれによるものだった。
『感謝しろよ? ドブネズミ。
本来なら、お前のような十把一絡げ。目を合わせるのだって屈辱なんだ。
自分の運命に泣いて喜ぶがいい』
フェイトはそう嘯くと、クロを掴む腕に力を込める。
すると、周囲に漂っていた純白たちが、クロの体へ纏わりつき、ぞわぞわと彼へと侵入しはじめる。
純白は鼻と言わず耳と言わず、体のありとあらゆる侵入口から染み付いて、クロの心と体を侵していった。
クロの黒髪が、銀白色に染まっていく。
漆黒の瞳に真紅の色が混ざっていく。
そして、幼い心が、ぐわぐわと歪な悪意によって、どこまでも黒く、黒く歪められていった。
フェイトはカンを取り戻すようにクロの体を変質させながら、適当な調子で言葉を続ける。
『凡人よ。
君のつまらない人生に、ちょっとした変革を与えよう。
なに、元より糞のような人生だ。
ドブネズミよりかは、ちょっとはマシになるだろう』
「あ………あ゛あぁ―――」
体と心を掻き回させるような苦痛と苦悩を受けながら、クロの意識は純白へ埋め尽くされるように堕ちていくのだった。




