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第6話  彼と彼女の始まり

「シルバーくん!?」


 最後に聞こえたのは、ベージュの驚愕したような声。

 激しい炎にその肌を焼かれ、頭を打ち抜かれるような衝撃にその身を吹き飛ばされながら、クロの瞳に映ったのは、自分を睨みつけるカナリーの姿だった。

 カナリーはその檸檬色の瞳を憎悪に歪ませ、それこそドブネズミを見るような目で自分を見つめていたのだ。


(う、嘘だろ?)


 発火魔術。この世界の女性なら、誰でも扱うことが出来る簡易な魔術。

 しかし、高度に顕現された発火魔術は十分な殺傷力を持った火炎の魔術となるのだ。

 

 カナリーは、そんなものを自分に向かって打ち放ったというのだろうか?


 皮膚がジリジリと焼ける耐え難い痛みに神経を震わせながら、きりもみするようにクロは地面へと叩きつけられる。


 そして、一瞬の暗転。


 次にクロの目に映ったのは、懐かしいシルバー村の光景だった。

 

『………?』


 クロは訝しげに周囲を見渡す。

 それは紛れも無く彼が生まれ育った村で、今いるのは彼が住んでいた粗末な家であった。


『母ちゃん………! 転んじゃった、足から血が出てる………』


 そんな声を耳に納め、クロが腰元へ目を向けると、そこには5歳くらいであった頃の自分が膝から血を流しつつ、目から涙をポロポロと零して立っている。


(そうだ………。確か僕は、小さな頃から小さかったんだったな)


 自分は小さな頃から発育が悪く、5歳当時であっても、背格好は同年代の3歳くらいの大きさしかなかったのだ―――クロはぼうっとしたまま、そんなことを思い出す。


 泣きじゃくるクロの前には、彼の母が腰に手を当て困ったような笑顔を浮かべて立っていた。


『なにさ、そんなモン。唾でもつけときゃ治るでしょ?

 男の子が小さなことでビービー泣くモンじゃないよ?』


『だって………痛いんだよう!』


 母の言葉に、5歳のクロは更に激しく嗚咽を上げ、ワーワーと泣き声を上げはじめてしまう。


(まったく、母さんの言うとおりだぞ、僕?

 男がそんなモンでギャーギャー喚くんじゃない)


 クロは幼かった頃の自分へ向けてそんな考えを抱くが、そう言えばあの頃の自分は3日に1回は泣き声を上げる、村一番の泣き虫だったのだ。


『やれやれ………』


 母は困ったように頭を掻くと、幼いクロをその胸に抱きしめそっと頭を撫でる。


『ほうら、痛くない、痛くない。

 クロ。アンタは泣き虫だけど、強い子だから、こんな痛みなんかじゃ負けないよ。

 だって、アンタは母ちゃんと父ちゃんの子供なんだから』


 そう言って、母は豪快な様子で笑ってみせる。

 

『………うん』


 グシグシと目を擦りながら、幼いクロはようやく泣き止むと、甘えるように母の胸に顔を押し当てる。


(甘ったれめ。そもそもお前は母さんに甘えたくて、泣いてみせただけだっただろう?)


 クロは何となく昔の自分の考えを思い出しそう嘯くが、同時に母に抱きしめられている昔の自分を羨ましく感じ始めていることに気付く。


 クロの母は、彼に似ていないふっくらとした恰幅のいいオバさんであった。

 父はクロが8歳の頃に、付近に生息していたオーク族に殺されてしまったが、ガッチリとした長身の筋骨隆々としたオジさんだった記憶がある。


 ―――そして、両親共に彼と似つかぬ、金色の髪と青い瞳を持っていた。


 それは、黒髪黒目のクロとは全く異なるモノで、クロは幼い頃から自分が両親の実の子供では無いということに気付いていた。

 それでも両親は十分だと感じる以上に、クロへ愛を注いでくれたのだ。


 そうだ。


 だからこそ、自分に魔力があり『聡明な賢者の学舎』へ入学できると知った時は、心の底からうれしかった。

 だって、こんな貧相な自分が両親に恩返しが出来ると思ったのだから。


 そんなことを思い返している内に、クロはいつしか母に抱きしめられているのが、幼い頃の自分ではなく、現在の自分自身へ変わっていることに気付く。

 顔を上げると、クロが学舎へ入学する姿を見送ってくれていた、現在の母が笑顔を浮かべてクロを見つめていた。


「……………!」


『クロ。アンタは弱っちい癖に、妙に我慢強い所があるから、正直母ちゃんは心配なんだよ。

 それにアンタって友達を作るのが下手糞でしょ? 

 『そーめいなけんじゃのがくしゃ』とやらで友達と上手くやれているのかなってさ』


「ぼ、僕は………」


『立派な魔術師になって、伝説のクリュートスみたいな強い男になる! って言ってたアンタは、何だかんだ言っても私たちの自慢の息子だよ。

 だけどね、つらくて、悲しくて、どうしても耐えられなくなったら村に帰っておいで。

 母ちゃんたちはいつでも、アンタのことを待ってるから………』


 ふと、クロの肩に無骨な手が乗せられる。

 目を向けると、そこには死んだはずの父が、かっての豪快な笑顔を浮かべていた。


『そうだぞ、クロ。

 男は人前で涙を見せちゃいけねぇが、無理を続け過ぎると心が腐っちまう。

 なあに、魔術師になんてなれなくたってお前は努力家だ。

 いくらでも村で出来る仕事はあるさ!』


「父ちゃん………母ちゃん………」


 クロはそっと、そんな2人から離れると、決意を込めて言葉を紡ぐ。


「学舎での生活はつらくて、苦しくて、いいことなんて一つもないけれど………それでも僕は魔術師を目指すよ。

 何で僕に魔力があるのかわからないけれど………きっと、それは神様が僕に与えてくれた可能性なんだと思う。

 それに―――」


 クロは静かに佇む両親へニコリと笑ってみせる。

 笑顔を浮かべるのなんて、どれくらいぶりであろうか?


「僕は、父さんと母さんの子供だから。

 こんなことで心が折れたりは、しないから―――」



「…………………」


 クロはそっと目を開く。

 目の前に広がるのは純白の天井。

 どうやら、自分は医務室のベッドに寝かされているようだ。


「目、覚めた?」


 そんなクロに一つの声が掛けられる。

 声の方向に目を向けると、顔のすぐ側に青紫色の瞳が浮かんでいた。


「せ、先輩!?」


 クロは慌てた様子で、毛布を放り出し、起き上がる。

 そんなクロにヴィオレはカラカラと笑って見せた。


「お? どうやら元気そうだね。

 クロがここに運ばれてきた時はどうなることかと思ったよ」

「せ、先輩。なんで………?」


 ヴィオレの言葉を流し、クロが疑問を述べる。

 見た限りここは医務室で、恐らく発火魔術の直撃を受けた自分はここに運ばれてきたのだろう、と察することは出来たが、ヴィオレがこの場にいることが解せないのだ。


「ああ、私は授業をサボる為に、仮病を使ってここでお昼寝中だったの。

 そしたら、血相変えたアイボリー先生にクロが運ばれてきて、もうビックリ!」

「ビックリしたのは僕の方ですよ………」


 何してんだ、この人は。と呆れながらも、クロは少しだけホッとする。

 目が覚めたとき、隣にヴィオレが居て笑顔を振り撒いてくれるのは、クロにとって確かにうれしいものだったのだ。

 そんなクロへ、ヴィオレは声音を落とすと、少し気まずそうに口を開く。


「クロ………。顔に涙の跡が残っているよ? 顔洗ってきた方がいいかも」

「な、涙!?」


 もう少し良くなってからだけど………とヴィオレが口添える間もなく、クロは自分の顔をゴシゴシと手で擦る………しかし、顔に触れた瞬間、耐え難い激痛がクロの体を襲った。


「―――っつぅ!?」


「ほらほら、まだ顔に触っちゃダメだよ! 酷い火傷なんだよ!?」


 ヴィオレは慌てた様子でクロの体を抑えると、彼の顔を鏡に映してみせる。

 クロの顔は左頬から左目にかけて、真っ赤に焼け爛れており、痛々しいその傷からは血が滲み出ていた。


「………………」


「アイボリー先生が応急の治癒魔術はかけたんだけど………あの人、治癒は専門外だからさ、専門の上級魔術師を呼んでくるって言って、どこか走って行っちゃった」


 無言で鏡を見つめるクロに対し、ヴィオレは目を伏せると、悲しげに言葉を続ける。


「傷跡………残っちゃうかもね」


「………別に、もともと大した顔じゃないし、どうでもいいですよ………」


 鏡から目を離すと、クロは無愛想にそう嘯いて俯く。

 ヴィオレはそんなクロに視線を向けながら、ポツリと声を発した。


「ねえ、クロ。みんなが憎い?」

「憎いって………何で? ただの事故じゃないですか。

 確かに運は悪かったけれど、仕方のないことです」


 クロはそう嘯くと、自分の膝を抱えてしまう。

 本当のところ、彼はこれが事故などでは無く、故意によるものだと悟っていた。

 自分に向かって真っ直ぐに飛んできた火炎の球。それがカナリーの放ったものであることにクロは気付いていたのである。


 もともと、嫌な予感はしていたのだ。

 カナリーが彼の側へと寄ってきた時、彼女の瞳は憎悪に満ちていた。

 そして、火炎を顕現させたときの、カナリーの表情。

 あれには、確かな憎しみが感じられるものだったのだ。


 クロはゾクリと体を震わせる。

 あの大きさの火炎を、顔面に直撃させられたのだ。

 死んでもおかしくは無かった。

 学友たちから自分が疎まれていることは理解していたが、まさか魔術まで向けられるとは………。


 お前たちは………。

 お前たちは、そこまで僕が憎いのか?

 体を傷つけ、燃やしてしまいたいと望むほどに………。

 

 膝に自分の頭を沈め、クロは恐怖を感じていた。

 自分に向けられる悪意の強さに、彼は確かな恐怖を感じていたのだ。


 自分の膝を抱え、ベッドの片隅で震え続けるクロに、ヴィオレは悲しげな目を向ける。

  

「ねえ、クロ。………痛い?」

「まあ、まだ痛みはありますよ。」


 ヴィオレはベッドへ手を掛け、上半身をクロの方へともたれさせる。


「………苦しい?」

「別に耐えられない痛みじゃありませんよ。ズキズキと煩わしいですけど………」


 ヴィオレがそっとクロの手を握る。


「………悲しい?」 

「悲しいって………別に悲しくなんてないです。

 顔のことなら今言ったとおり、別にもともと大した顔じゃない」


 ヴィオレは右手でクロの顎に触れると、そっとその顔を上げさせる。

 クロは青ざめた表情で、瞳を恐怖に揺らしていた。


「それじゃあ………恐い?」

「こ、恐いって………」


 ヴィオレは顔をクロのすぐ側まで近づけ、彼の黒い瞳を青紫色の瞳で凝視する。

 ―――そして、確かに、その瞳をボウっと光らせた。


「そっか、クロは恐いんだ。

 学舎のみんなが憎くもないし、こんな目にあっても、苦しくも、悲しくもないけれど、代わりにみんなのことが恐いんだね?」


「僕は恐くなんて―――」


 言い返そうとしたクロの口を、ヴィオレがその唇で塞ぐ。


「―――!?」


 クロは驚愕の表情でヴィオレの顔へ目を向けるが、彼女は目を閉じ、クロの肩に両手を当てて、ついばむようにその口へ己の口を押し当てていた。


 それは先ほど受けた火炎の塊より、ずっと熱く、衝撃的で………。

 クロは意識が遠のきそうになりながらも、自分を保とうと必死になる。


 どれくらいの時間が流れたのだろうか?

 一瞬のようでもあったし、とても長い時間であったようにも感じる。

 どちらにしろ、ヴィオレはクロのからその顔を離すと、静かで妖艶に微笑んでみせた。


「大丈夫、恐くないよ。

 だって、あなたの側には私がいる。

 私だけ、がいるんだから」


「せ………先輩?」


 普段と全く雰囲気の異なる、ヴィオレに対し、クロは口をパクパクとさせながらも、何とか言葉を発すると、ヴィオレはトンっとクロの胸を手で押して、彼をベッドに横たわらせ悪戯っぽく歯を見せた。


「クロが怪我をしてるから、今日はこれだけ。

 残念だった?」


「ざ、残念って………いや、その………」


 クロは何が何だかわからない、といった体で口ごもるが、そんなクロにヴィオレはにひひとした笑みを浮かべてVサインをしてみせる。

 そして、時計を見ると思い出したように口を開いた。


「ああ、もうこんな時間か。次の授業は出ないとちょっとまずいんだよねえ。

 じゃあね、クロ!」


 パッと手を上げて、ヴィオレは医務室から出て行こうとした―――そんな時。



「シルバーくん! 治癒の先生を連れてきたよ! もう傷は大丈夫―――!?」


 それと同時に、ベージュが年配の上級魔術師の手を引いて、医務室へと姿を現した。


「ヴィオレ………?」


 そして、目の前に立つヴィオレの存在に気付き、警戒するように視線を向ける。

 そんなベージュの視線をさらりと受け、ヴィオレは口元に微かな笑みを浮かべてみせた。


「アイボリー先生。随分と時間がかかったのですね。

 シルバー初等生は、もう目を覚ましているようですよ?」


 ぞわり、とその場の空気が変わる。

 ベージュはいつも温和な笑みを浮かべる穏やかな教師だ。

 しかし、今の彼女はヴィオレへの警戒を隠すような気配も見せず、睨みつけるように彼女を凝視していた。


「ヴィオレ………あなた、まさかシルバーくんに何かしたわけじゃないでしょうね?」


「お言葉ですね、アイボリー先生。そもそも彼が怪我をしたのは、あなたの監督不行届では無いのですか?

 自分の落ち度で生徒を傷つけた癖に、随分と傲慢な態度でいらっしゃる」


 挑みかかるようなベージュの言葉を、不適な様子でヴィオレが答える。

 その口には皮肉気な笑みが浮かび、青紫色の瞳はねめつけるようにベージュを睨んでいる。


「…………!」


 ヴィオレの言葉はベージュにとって図星であった。クロが怪我をした責任の一旦は自分にあるのだ。

 ベージュは、怯むように目を伏せ、黙り込む。

 そんなベージュの横を素通りしながら、ヴィオレは彼女の耳元でそっと言葉を呟いた。


「それではさようなら、アイボリー先生。

 今度からはもっと、自分の生徒を大切にしてあげて下さいね。

 なに、大丈夫ですよ。

 あなたが受け持つ問題児は、私が始末してあげますから」


「―――!」


 ベージュは伏せていた顔を上げ、立ち去ろうとするヴィオレに向けて声を上げる。


「ヴィオレ! あなた、まさかまた―――!」


「じゃあねえ、クロ。ばいばーい」


 ヴィオレは背を向けたまま、右手をぷらぷらと揺らすと、医務室を出て行った。


「………………」


 その背中をベージュは歯を噛み締めて睨みつける。

 その額には緊張による脂汗が浮いていた。


 

「シルバーくん、大丈夫?」


 ベージュはベッドに寝るクロへ声掛けるが、彼は自分の唇をに指を触れ、呆然とした様子で天井を見つめていた。


「シルバー………くん?」


 そんなクロにベージュは困惑の表情を浮かべる。

 その顔の半分を激しい火傷に覆われながら、クロは今まで見たことがないほど穏やかな表情を浮かべていたからだ。

 それはまるで、母に抱きしめられる幼子のように安心しきったもので、今までのクロからは考えられないような顔だった。


「そうだ………僕はもう恐くない」


 クロは呆然としたまま、口から微かに言葉を漏らす。


「だって、先輩が側にいてくれるのだから………」

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