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第51話 道化師の決意

「シルバーが講義棟に!?」


 夕陽がかったアイボリー教室の一室で、シアンが頓狂な声を上げる。


「はい………。

 昨夜ゆうべ、学生棟の私の部屋から見えたんです。

 確かにあれはシルバーくんでした」


 おずおずとした様子で答えるのはローゼ。

 ローゼが昨晩見つけたクロの不審な動きを、シアンとソラルに伝えることにしたのだった。


「しかし、また講義棟か………。

 やっぱ、あそこには何かあるのか?

 なあ、ソラル。アンタはどう思う?」


 シアンは頭を掻きながら、傍らのソラルへと問いかける。

 しかし、ソラルは俯いたまま決してシアンたちを見ようとはしなかった。


「そんなの知らないよ………」


「いや、そんなのは百も承知だけど………今度、昼間の内にでもあそこを調べてみるか?

 何か見つかるかもしれない―――」


「知らないって言ってるだろう!!」


 シアンの言葉を遮り、ソラルが怒鳴り声を上げる。

 顔を上げたソラルの双眸は、追い詰められた猫のように揺れていた。


「シルバー同志の件にはもう関わるなと、アイボリー先生も言っていただろう!?

 君たちだって気付いている筈だ。

 学舎で起こっている連続殺人事件、アレにはヴィオレ先輩やシルバー同志が関わっている………いや、それこそ犯人なのかも知れない。

 もう、私はあんな人たちに関わりたく無いんだよ!」


「ソラル………」


「ソラル室長! あの人はともかく、シルバーくんがそんなことをする訳ないでしょう!? 

 だって彼は、アイボリー教室の一員………私たちの仲間じゃ無いですか!?」


「五月蝿い!!」


 ソラルはいやいやと首を振りながら激昂する。

 そこにはいつもの道化染みた態度も、聡明な魔術師然とした姿も無い。


 ただ、鬱積を嘆く童女のように、ソラルは顔へ手を当てる。


「ロサウム同志、つまらない綺麗ごとはやめたまえ………。

 シルバー同志を信じる? そんなの、私には無理だ。

 だって、恐い………私はヴィオレ先輩と一緒に居るであろう彼が恐いんだよ」 


「ソラル室長!」


 ソラルを非難するように、ローゼが彼女の肩へ手を当てる。

 しかし、ソラルはそんなローゼを突き飛ばすと、汚い物でも見るかのように彼女を見下ろした。


「触るな………変態」


「っ!」


「そういえば………ロサウム同志はよく、私の体にベタベタと触っていたね。

 まだ幼い後輩だし、甘えているのかと思っていたけれど………いま思えば、あれはキミの特殊な性癖によるものだったんだ。

 無垢な笑顔で私に触れて、己の劣情を満たしていた訳かい………?」


「そんな………私はただ―――」


「昔、ヴィオレ先輩が言っていた通りだ。世界は嘘と欺瞞に満ちている。

 ロサウム同志、君は私を好きになってこのアイボリー教室に入室したらしいね。

 君が私をそんな目で見ていたなんて、想像もしたことが無かった。

 そんな風に思われていたなんて、考えたことも無かった。

 もう私は、以前と同じように君を見ることが出来ないよ」  


 ソラルの蔑むような言葉に対し、ローゼは蒼白な表情でその場にペタリと座り込む。

 

 確かに、その通りだ。

 ローゼには高名な魔術師になりたいとか、魔術を学んで己を高めたい、等といった望みは無い。

 ただ、ソラルの隣にいたい。その一心で、彼女はアイボリー教室の過酷な訓練を続けてきたのだ。


「わ、私は………」


 何とか弁解しようと口走るローゼの言葉を遮り、ソラルが突き放すように言葉を続ける。


「ねえ、もう私に関わらないで?

 正直に言うけど………気持ち悪いんだよ、君」


「う………」


 吐き捨てるようなソラルの言葉に、ローゼはその場へ立ち上がる。


「す………すいません」


 そして蚊の泣くような声で一言だけそう呟くと、口に手を抑えて逃げ去るように教室から駆け出していった。


「ま、待て、ローゼ!

 ―――ソラル! お前も何をボヤボヤしているんだ!?

 早くローゼを追いかけるぞ!」


「………別に、勝手にロサウム同志が出て行っただけじゃないか?

 何で私が追いかけなければいけないんだ?」


「お前っ!」


 冷めた表情を浮かべるソラルの胸ぐらをシアンが掴み上げる。


「…………」


 しかし、シアンに胸ぐらを掴まれてもなお、ソラルの表情は揺らがない。

 まるで世界の全てと関わりを断ちたがっているかのように、無表情で俯いていた。


「………ちっ」


「私のことを殴らないのかい?

 コバルト同志」


「たぶん、いまの私は加減が効かない。

 このまま殴ったりしたら、アンタの顎を砕いてしまいそうだ」


 シアンはソラルから手を離すと、椅子に座り込み深くため息をついてしまった。


「なあ、ソラル。

 いまの言葉は全て本心か?

 本当にシルバーのことを信じられないし、ローゼのことを気持ち悪いと思っているのか?」


「…………」


「こんなことは言いたくないけどさ………。

 さっきのアンタ、あのヴィオレ・ヴァイオレットと同じ目をしていたぞ。

 まるで世界の全部が自分へ悪意を持っていて「私は可哀想な人間です」なんて悲劇のヒロインを気取っているような………あの胸糞悪い女と同じ目をしていた。

 私の知ってるアンタは馬鹿だったけど………あんな腐った奴とは別モノだと思っていんだがな」


 シアンの言葉にソラルは顔を歪め、再び俯いてしまう。


「コバルト同志は、恐くないのかい?」


「あ?」


「私は恐い………ヴィオレ先輩の底知れなさも。

 シルバーくんの状況も。

 ローゼが私へ抱く思いも。

 全部………全てが恐いんだよ」


「ソラル………」


 ソラルは自分を抱きしめるように両手を抱え込む。

 その両肩は微かに震え、亜麻色の瞳が恐怖に揺れていた。


「私は生憎、君のように強くはない。

 体ばかりが大きくなって、心は子供のままなんだ。

 守られることに慣れすぎて、誰かを守ったり、支えたりということは思いつきもしない身勝手な奴なんだ。

 人は恐い。みんなが恐い。

 人と関わることが恐くて仕方がないんだ」


「…………」


 無言で自分を見つめるシアンへ、ソラルは自嘲するように笑う。


「ふふ………魔術を学んで、力をつけて………。

 私は自分が変わったつもりになっていた。

 だけど違ったな。あの部屋に閉じこもっていた頃から、私は何にも変わっちゃいない。

 臆病で、卑怯で、自分勝手だ。

 コバルト同志………もし、ロサウム同志を可哀想に思うのなら、君が彼女を探してやってくれないか?

 こんな私が行くより、君の方がずっと助けになるだろう………」 


 ソラルの請うような視線を、シアンは憮然と見下ろす。

 そして、ちぃっと歯をかみ締め、呻るように言葉を紡いだ。


「言いたいことはそれだけか?」


「あ………ああ、そうだね………」


 シアンは瞳を閉じ、深く、深く息を吐く。

 そして、キッと空色の目を見開くと、力強く怒鳴り声を上げた。


「だったら、歯を喰いしばれ!!」


「おごぁ!!?」


 怒声一喝。

 シアンはソラルの顔面を殴り飛ばす。

 平手ではない、思いっきりのグーである。


 強靭なシアンの一撃を受け、ソラルは床へ投げ出される。


「さ、さっき、殴らないって………」


 ソラルが頬に手を当てたまま瞳を潤ませて訴えるが、シアンは頓着せず指を鳴らしながら彼女の前へノシノシと進んでいく。


「気が変わった。やっぱ、アンタのその腑抜けた根性には、一発渇を入れないと駄目だ。

 おら、顔を上げろ。

 今からその顎、砕いてやる!」


「ま、待って! 顔はやめて!!」


 倒れたソラルの胸ぐらを掴み上げ、シアンが剣呑な眼差しを向ける。

 冗談ではない。

 こんな怪力女から本気の拳を受ければ、冗談抜きで顎が砕かれてしまう。


「人が黙って聞いてれば、何が「人と関わることが恐い」だ!

 3年前、学舎から出て行こうとした私を、引き止めたのはアンタだろうが!!」


「そんな昔のことを持ち出されても………」


 空色の瞳に激情を宿し、シアンが噛み締めるように呟く。


「そうだ。引き止めたのはアンタだ………」


「コバルト同志………?」


「3年前。あの性悪に昔のことを掘り返されて、何もかもが嫌になって。

 全てを拒絶していた私に、アンタは手を差し伸べた………」


 シアンは真っ直ぐにソラルを見つめる。その蒼眼に怒りの感情は無い。


「そうだよ、あの性悪の言う通り。私は娼婦上がりの穢れた女だ。

 いま、この学舎に通っていられるのが、奇跡みたいな奴だ。

 だけど、そんな私をアンタは同志と呼んだ。

 共に立派な魔術師を目指そうなんて、世迷言をほざき。

 せっかく魔術師なんてモノから背を向けた私に、間抜け面で笑いかけてきやがった。

 それが………私にとって、どれほど救いになったと思う?

 どれほどうれしかったと思ってんだ!?

 アンタがあの性悪に救いを見たように、私はアンタから救いを見つけたんだ!」


 シアンはそのまま、ソラルを胸に抱き締める。

 長身のシアンに抱き締められ、小柄なソラルはちょうどすっぽりと覆われてしまう。

 思わず上を見上げるソラルを、シアンはどこか泣きそうな目で見下ろしていた。


「なあ、ソラル先輩。

 頼むからしっかりしてくれよ。

 アンタがいたから、私は今もここで魔術師やってんだ。

 アンタが私を救ってくれたんだ。

 そんなアンタが………何、情けないことを言ってるんだよ。

 ローゼもシルバーも、アンタの可愛い後輩だろう? お願いだから斬り捨てるようなことは言わないでくれ。

 私に向けた優しさを、あいつらにも向けてやってくれよ………」


 シアンの心に浮かぶのは、3年前。笑顔を浮かべて手を差し伸べてきたソラルの姿。

 自分だって辛くない筈が無いのに、この先輩は道化の仮面を被り、必死に笑顔をシアンへと向けてきたのだ。


「…………泣くな、コバルト同志」


「泣いてねぇ………よ」


「ふむ………」


 ソラルはゆっくりとシアンから身を離す。そして一度深呼吸をすると、きょとんとしたように呟く。


「鬼の目にも涙というが………この場合はさしずめ蛮女の目にも涙、と言うべきかな?」


「あ!? 何だと!!」


 目元を拭って怒鳴るシアンを手で制し、ソラルがにやりと不敵な笑みを浮かべる。


「ふふふ、まあ怒るなコバルト同志。

 しかし、なるほど………魔道の使途たるこの私が、とんだ醜態を晒したものだ」


 ソラルはそのまま腰に手を当て、仁王立ちに足を踏みしめる。


「我が名はソラル・シアン!

 冒涜たる魔術に挑む、悪徳の修験者にして、このアイボリー教室の室長である!

 そして、その魔術を共に培う同志こそ、魂の朋友!

 魔術師は倫理は裏切っても、朋友を決して裏切らない!」


「ほ、ほうゆー? ほうゆーって何だ?」


 憮然とするシアンに対し、ソラルは得意げに指を振ってみせる。


「コバルト同志。もう少し学をつけたまえ。

 朋友とは因果という名の鎖で繋がれた魂の結束。

 世俗を越え、因習を超越する運命の共同体。

 つまり―――」


 ソラルは少しだけ照れたように顔を背ける。


「つまり、友達だってことさ」


「兄が以前言っていた。

 友達だから信じるのではなく、信じたい人間を人は友にするのだと。

 それならば、ロサウム同志もシルバー同志も私の友だ。

 私は彼らのことを信じたい。

 恐いけど………それでも信じたい」


 ソラル・マロン。弱虫で臆病な、世間知らずの娘なのである。

 ただ、それでも、彼女は自らの弱さを良しとしなかった。

 心を閉じてしまうことを良しとしなかった。

 一度は放棄さえしようとした道化の仮面を被りなおし、臆病な道化師は震えながらも己を鼓舞しつづける。


「私はこれからロサウム同志を探しに行く。

 彼女の気持ちに応えられる訳ではないが………それでも彼女は私の友だ。

 コバルト同志………君もついてきてくれるね?」


 そう言って、ソラルは少しだけ恐々とシアンへ手を差し伸べる。

 かって自分へ差し伸べられた手。それをシアンはかってのように握り締めてみせた。


「アンタのふざけた言動に付き合う気はないが………ダチってことならその通り。

 奴らは私のダチだ。

 いいよ、ソラル。

 どこまでもアンタについていってやる」


 ソラル・マロンとシアン・コバルト。

 共に、学舎においてトップクラスの実力を持つ高等生である。

 彼女ら2人は、自らが信じたいと望む仲間のため、再び外を目指すことにしたのである。

 

「あ、でも手は繋いでてね」


「お、おう………」


 こっそりとそんなことを付け加えるソラルへ、シアンは呆れたように答えるのだった。



 研究棟を飛び出したローゼは、向かう場所も無いまま夜の学舎内を走っていく。

 

『気持ち悪いんだよ、君』


 心に浮かぶのは、先ほどソラルから放たれた言葉の残響。

 ローゼはグッと歯を噛み締め、その響きを振り払う。


 自分の想いが報われないことなどわかっていた。

 彼女が恋焦がれる女性は、異性の気配こそ感じないものの、決して自分のような同性愛者では無い。

 だけど、それでも良かった。

 ただ、後輩として彼女の傍らに在ることが出来たなら、ローゼはそれで良かったのだ。


「……………」


 はあはあと息を切らせながら、ローゼはただ1人、学舎の中庭に立ち竦む。

 今や学舎の中は、無数の騎士たちが行き来している。あまり人目につく行動は避けたかったのだ。


(私の想いが知られれば、こうなることなどわかっていた………。

 だけど………面を向かって「気持ち悪い」と言われるのは………正直こたえるな)


 ローゼは植えられた大きな木を背に、ペタリと座り膝を抱え込む。

 

 そんな彼女の前方でじゃらりと土を踏みしめる音がした。


「みーつけた。こんな所で見つけられるなんて、私って結構幸運体質?」


 そんな軽薄な声と共に、1人の魔術師がローゼの前へ姿を現す。


「こんばんは、ローゼちゃん。

 こんな寂しい場所に1人でどうしたの?

 ちょっと見ない間に、随分とせつない瞳をするようになったね」


「――――!」


 魔術師―――ヴィオレ・ヴァイオレットが、まるで猛禽類のような青紫色の隻眼を歪めて笑ってみせる。

 突然のヴィオレの来訪にローゼは驚嘆し、声を上げることも出来ない。


「まあ、私はそういう瞳をした人の方が好きだよ?

 だって―――」


 呆気に取られるローゼに取り合うつもりも無く、ヴィオレは瞳を青紫色に光らせる。


「だって、その方が心を簒奪しやすいから」

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