第34話 青髪の騎士と栗毛の騎士(上)
騎士たちが勝負をする上で、儀礼的に行わなければいけない所作が数多くある。
その中で最も重要であるとされるのが、『紋章見せ』と呼ばれる動作であった。
公の場において、騎士は所属する騎士団の紋章が刻まれたマントを羽織ることになっている。騎士は試合開始と同時にそのマントを天高く脱ぎ放ち、己が騎士団の紋章を衆目へと掲げるのだ。
チェスナットは儀礼に則り、マントを優雅な仕草で掲げ、剣を咥えた白狼―――『比類なき勇気の騎士団』の紋章を鮮やかに見せつけてみせる。
(馬鹿が!!)
そして、ブルーにとってはそんな儀礼、無駄としか感じない。
冒険者として数多の死線をかいくぐり、鉄血の戦場を戦い抜いてきたブルーにとって、戦いの直前にそんな動作をするなど馬鹿らしくて仕方が無いものなのだ。
ブルーは乱暴に己のマントを投げ捨てると、一気にチェスナットとの間合いを詰める。
「くたばりやがれぇ!!」
大型獣を仕留めるために作られた巨大な長剣。それがブルーの愛剣である。
ブルーはこの剣と共に100匹を越えるオーク族を殺してきた。
人間同士の試合ということでその刃には鈍が張られているが、鈍器としても十分以上の殺傷力を持っている。
「つっ!!」
ブルーの斬撃をチェスナットもまた己が剣で受け止めるも、その衝撃は凄まじく後ろへ数歩たじろいでしまう。
「おらぁ!!」
姿勢を崩したチェスナットへ、ブルーが嵐のように連撃を見舞う。
それは、一撃、一撃が重く鋭く破壊的で、相対するチェスナットにとって、雷風漂う嵐の中へ放り込まれたような心持ちだ。
それらを受けて、チェスナットの体はジリジリと闘技台の端の方へと追いやられていってしまう。
「おいおいどうした!?
そんなんじゃあ、お話にもならんぜ!!?」
煽るようにブルーが大声を上げる。彼は完全に己が闘争欲に飲まれ、無法者の如き様相を醸していた。
(ちぃ、素行の悪さは評判通りでしたが、その戦闘力もまた評判通りのようですね。
最強の冒険者、という異名は伊達では無いということですか)
土砂降りの如く降り注ぐブルーの太刀を受けながら、チェスナットが心の中で舌打ちする。
ガツン、ガツンと打ち鳴らされる剣からは、重い振動が伝わりチェスナットの両腕を痺れさせていく。
これだけ重い剣撃を放ちながら、ブルーは息を切らせる様子もない。口惜しいが、彼が優秀な戦士であることは疑いようがないようだ。
(だが、あまり舐めないで下さいよ!? 私にだって意地はある!!)
ブルーの剣閃を縫うように、チェスナットが懐から棒状の筒を取り出す。
「あ?」
ブルーがそれを目に納めた瞬間、彼の視界は白煙の波に飲み込まれ、目の前にあったチェスナットの姿が文字通り煙に巻かれていく。
「あの野郎! やっぱり使いやがった!!」
闘技台を覆う白煙の渦に、ブラウンが叫び声を上げる。
噴煙筒
噴出す煙によって相手の視界を奪う、チェスナットの武器の一つである。
突如発生した白煙に、思わずブルーが後退する。
「な、何だってんだ!? これは―――」
ブルーが目の前の白煙を凝視して、そんな言葉を発した時。
煙を刺し貫くように、鉄色の球体が3つ。ブルーに向かって風斬り音と共に迫ってくる。
「ぐっ―――!?」
球体の内、一つは外れ、一つは甲冑によって跳ね返されたが、最後の一つはブルーの顔面。
右瞼の上の当たりに命中し、ブルーは思わず右目を覆う。
足元にはゴロリと転がる黒鉄色の鉛玉。どうやら自分はこれを投擲されたらしい。
突如発生した白煙は、闘技場の吹き抜けから届く風によって霧散し、再び栗毛の騎士を衆目の前へ映し出す。
「流石に、人間相手に炸裂弾を使う訳にはいきませんからね。
コレで代用することにしましょう」
再び開けた視界の先で、チェスナットが鉛玉を弄びながら、ブルーと相対する。
チェスナットが得意とするのは、手道具の類。
炸裂弾、煙幕などの火薬道具や、ナイフ、鋼線などの投擲武器こそが、彼の最も得意とする得物なのだ。
「てめえ………」
呻るブルーを尻目に、再びチェスナットが鉛球を投擲する。それには振りかぶる動作も投じる仕草も見られない。
まるで、彼の指先から鉛玉が跳躍したかのようだ。
「ぐっ!!」
虚を突く攻撃に、ブルーは体をのけぞらせて避けるが、チェスナットはその隙を見逃さず、彼の左方へと移動する。
ブルーの視界からチェスナットの姿が消える。そうなってようやく、ブルーは自分の視界が狭まっていることに気付いた。
「―--!?」
(最初の投擲が右目を封じたのは僥倖でしたね。この幸運、せいぜい利用させて頂くとしますか)
白煙の中放たれた鉛球。それによってブルーは右瞼が腫れあがり、その視界を半分ほど奪っていた。
死角となったブルーの左方、チェスナットは瞬時にそこへ移動すると、再びブルーへ向けて鉛球を投擲する。
剣を鞘に戻し、両手を用いた投擲。
その数は5つ。
今度は虚をつくものでも、目くらましに使うものでもない。
チェスナットが狙うのは、ブルーの利き腕。
「やべ………」
奪われた視界の先で、己に向けて複数の風切り音が鳴るのを、ブルーはその耳に納める。
同時につんざくような痛みが5つ。
右前腕
右手甲
右中指
右こめかみ
右腰部
まるで甲冑の隙間を縫うように、鉛の玉たちがブルーの体へ突き刺さる。
それら一つ一つは小さな鉄粒であるが、複数の被弾を受けたブルーはオーク族に殴られたかのような衝撃をその身に受ける。
特に致命的なのが彼の利き腕。
手甲と中指、そして前腕を損傷した彼の右腕は、骨が痺れるような衝撃を受け、力を込めることが困難になっていた。
それでもブルーは歯を喰いしばると、長剣を取り落とさぬよう右手を強く握り締める。
「なめんなぁ!!」
右半身が狂ったような痛みをブルーに伝えるが、そんなものに頓着するほど彼は繊細な性質では無い。
ブルーは痺れる右手に渇を入れ、あらんかぎりの力で剣を横斬りに薙ぎ払う
ややいい加減に振り切った剣撃であるが、それはさきほどと寸分変わらぬ嵐のような猛々しさを持ってチェスナットの顔面へと迫ってくる。
(彼の視界に私は映っていない筈………なるほど、投擲の軌跡から私の位置に見当をつけた訳ですか。
全く、貴方は妬ましいほどに、天性の戦士であるようだ!)
この状況でブルーが反撃してくるのは想定外だ。
むしろ、追撃として新たな鉛球を構えていたチェスナットに、彼の斬撃をかわす余裕は無い。
「ぐぅ!!」
推測で振ったブルーの剣撃。それはチェスナットの鼻背をかすり、彼の鼻骨をへし折っていく。
目の前が暗転するほど衝撃を受けたチェスナットの鼻からは、大量の鮮血が噴出していく。
(手ごたえあり………!
そして、今が好機ってヤツだな!)
剣に伝わる感触から、ブルーは自らの斬撃が命中したことを悟ると、更なる気迫をブルーは右方へと向き直る。
そこには、目を見開いたまま鼻血を撒き散らすチェスナットの姿があった。
まさに今こそが絶好の好機。
この一手で、この男を沈めてやる。
「死にやがれ! キザ野郎!!」
「ちぃ!」
チェスナットへ距離を詰めようとしたブルーの足首に何かが突き刺さる。
「ナイフ………だと?」
ブルーが向き直ると同時に、チェスナットは彼の足首目掛けて、ナイフを投げ放っていた。
それには剣と同じく鈍が張られ、本来の切れ味を失っているが、鉛球に比べ数倍の質量を持った鉄塊はブルーの皮膚を裂き、肉をえぐり開いていた。
「次から次へと………小賢しい!」
ブルーは長剣を薙ぎ払うも、体勢を崩したその一撃に元の冴えは無い。
チェスナットは造作も無くそれを剣で受け返すと、ブルーの胸を蹴り飛ばして距離を取る。
それは教科書どおりの基本の動作。
しかし、チェスナットの動きに迷いは無く、彼は何千何万と訓練を重ねてきたことが察せられるものだ。
◇
「ふむ………」
黒の門で試合の行方を見守っていたドゥンケルが、感心したように息を漏らす。
チェスナットの動きを見る限り、評判どおり彼には剣術の才能が乏しいのだろう。
噴煙筒に鉛球、そして今の投げナイフ。
これだけの隙を作っておきながら、未だチェスナットは決定的な一撃をブルーに下せていない。
しかし、同時に彼はブルーの破壊的な攻撃の数々を全て裁ききっている。
それらは全て、基本ともいえる初心の動作。
気の遠くなるような研鑽の果てに、体へ染み付かせた基礎剣術によるものだ。
「つくづく………羨ましい限りだ」
ため息をつくように、ドゥンケルはそんな言葉を呟く。
ブルーとチェスナット。
天性の才能を持つ、生まれながらの強豪な騎士と、
才能に乏しいながらも、それを努力と冷静さ、そして手数で補う技巧の騎士。
もし、彼のような男が自分の騎士団に居たならば………ブルーが騎士という存在に失望しなかったのではないか?
闘技台で激しく争う二人の姿に、ドゥンケルはそんなことを考えてしまうのだった。
◇
「くそ………なかなかどうして、粘りやがる」
ブルーは激しく息を荒げながら、相対するチェスナットを睨みつける。
右目を封じられ、視界が狭まっている。
右腕が痺れ、剣を握ることさえ困難になりつつある。
足首の損傷によって、踏み込みが甘く、浅くなってしまっている。
それでもブルーの心は熱く燃え滾り、留まることの無い戦意を彼へと送り続けていた。
「まったく、不屈というか………本当にしつこい男です」
対するチェスナットもまた、目の前の強敵を相手に、激しい戦慄を感じていた。
噴煙筒を使い、鉛球も切り札のナイフも使用した。
なのにこの男は未だ自分へ立ちはだかり、戦意衰えぬまま獰猛な笑みを浮かべているのだ。
(私とて、数多くの戦士と相対してきましたが………これほど獰猛な男と出会ったことはありません。
『人の形をした狂犬』ですか………誰かは知りませんが、なかなか上手い異名をつけたものです)
「へっ、チェスナットさんよ。
せっかくの色男が台無しになっちまったな」
「それはお互い様、と言わせて頂きたい」
鼻の折れ曲がったチェスナットが、右目を赤黒く腫らしたブルーへ剣呑な笑みを飛ばす。
(しかし、これは………)
(………不味いな)
互いに睨み合いながら、2人の騎士は自分が苦境に陥っていることを自覚していた。
(この状態で足を使われちまえば、俺は奴を補足できねぇ。
それに、この右手の痺れ………全力で剣を振れるのは、あと一回ってところか)
(骨折はともかく、問題はこの鼻血ですね………。
こう盛大に出血してしまうと、意識を意地できなくなってしまいます。
それに私に残された武装は………)
噴煙筒を使い、鉛球もほとんど消費してしまった。
彼に残された武装はもはや、鉛球2個と腰に挿した剣のみである。
(いや………まだもう一つ、『アレ』がありましたね。
この男にアレが通用するかわかりませんが………ここは一つ、賭けに出てみるとしますか)
チェスナットはふと何かを思いついたように、懐へと手をしのばせる。
彼のその動作が合図となったのだろうか?
「おおおぉぉぉ!!」
ブルーは獣のような雄叫びを上げると、長剣を上段に振りかぶり、チェスナットへがむしゃらに駆け出していく。
(この一手で―――!!)
そんなブルーと対照的に、チェスナットは懐へ手をしのばせたまま覚悟を決めたように目を見開いた。
(―――勝負を決める!!)
「うぉらああぁ!!」
ブルーは満身の力を込めて、チェスナットの頭へ稲妻の如き一撃を振り下ろす。
今の自分が持ち得る、最大の斬撃。
それは確かにチェスナットの額へと当たり、彼の皮膚を巻き込むように頭蓋を砕かんとする。
「―――!?」
しかし、そこでブルーの体を驚愕が襲う。
腕が動かない。
何故かこれ以上、腕が動かないのだ。
「取った………。
―――流石に肝が冷えましたよ。最強の冒険者さん」
額から血を一筋流し、チェスナットが冷や汗と共に、そう呟く。
ブルーの剣は確かに彼の額を裂きはしたが、頭蓋を砕くまでに至らない。どういう訳が腕に力が篭らない。
チェスナットがそっと両手を上に掲げると、ブルーの体が呆気ないほどストンと地面に転がり倒れる。
起き上がろうとするも、体が思うように動かない。
そんなブルーを見下ろしつつ、チェスナットはブンッと手を振る。
彼の腕からは銀色が、付き従うように光を煌かせていた。
それは鋼が陽光を反射する光。
チェスナットが最も得意とする武器―――鋼線が放つ光であった。
「決め手も隠し球も、切り札さえも使ってしまった………。
最後に残ったのは文字通り、頼みの綱、という訳です」
ブルーが最後の一撃を放つ前から、すでに勝負は決していた。
チェスナットは周到にブルーの体へ鋼線を纏わせ、彼の右腕と左足を拘束していたのだ。
「くそっ………何だこれは!? 畜生、畜生!!」
拘束から逃れようとすればするほど、鋼線はギリギリとブルーを締め上げ、更に自由を奪っていく。
もはや、彼は立ち上がることも出来ず、芋虫のように地面をのたうつだけだ。
そんなブルーを見下ろしたまま、チェスナットが冷たい声音で告げる。
「さきほどの非礼は詫びましょう。
確かに貴方は野良犬等ではない………異名通り、狂犬のようだ。
しかし、狂った犬畜生に騎士を名乗る資格はありません。
私の前から、消えなさい」




