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第32話 ソラル・マロン

 私は小さな頃、体が弱かったんだ。

 まあ、今も決して頑強とは言えないが………小さな頃はもっと、ずっと体が弱かったんだよ。


 私は生まれつき病弱な体質でね。長生きしても、せいぜい10歳くらいまでと言われて、満足に歩くことも出来ないような有様だった。

 だから、幼少期。私はいつもこの部屋で、1人で本ばかりを読んでいた。

 当時は魔術の蔵書なんかじゃない、他愛も無い幸せな絵本や、夢見がちな物語なんかさ。

 荒唐無稽な世界の中に浸って、外の世界のことなんて知らなかったし、興味も無かった。

 そんな私だから、私が自分の世界へ閉じこもることを、父も母も否定しなかった。


 確か8歳くらいの時だったかな?

 私が怠惰に死を待っていたところ、何の奇跡か私は回復。人並みの生活を送れるほどに体が回復してしまったのだよ。

 近年、修道魔術の分野が発達し続けていたことが、功を奏したらしい。

 ………それは良かったのだが、同時に私はこれまで目を背けてきた自分の生というモノへ、否応なしに向き合わなければならなくなったんだ。

 

 初めて外の世界に出た時は、その鮮烈さに目が眩んだよ。

 何せ、外の世界は善意と悪意、嘘と本当が重なり、混ざり合って混沌状態だ。


 それは私にとって、酷く恐ろしい物に思えてね。

 とにかく、外が怖くて仕方が無かった。家から出るだけで足が竦んだ。

 家族以外の見知らぬ人々が、何やら怪物のように見えていた。

 当時の私は父と母に手を握ってもらわなければ、外に出ることも出来ないような生活破綻者だったんだよ。


 だが、ウチはこれでも、なかなか忙しくてね。

 父は第一線に出なければ納得しない昔堅気な商人だったし、そんな父を支える母もまたあまり家に居ることは無かった。

 こう言うと御幣があるかも知れないが………私に構っている余裕など無かったんだよ。

 だから私はいつだって、兄の背にしがみ付いて生きていた。


 自分の兄で恐縮だが、彼はなかなか有能な男なんだ。

 大体のことはそつなくこなすし、物事を臨機応変に処理することが出来る。

 視野が広い………と言うべきかな?

 目の前しか見えない私とは、対極にいるような男だよ。


 兄と一緒に居れば、私は間違えることが無かった。

 兄の言葉に従っていれば、私は迷うことが無かった。

 兄は私に信じるべき人と、疑うべき人。関わるべき事柄、関わるべきでは無い事柄。

 そういった物を取捨選択して、私に渡してくれたんだ。

 

 いま思えば、依存………していたんだな。完全に。

 一見すると、私はうまく生きている風だったが、実際のところは自分の意思で進んだことなどない。兄の背におぶさって、自分で歩いた気になってただけさ。

 病気が治まって何年かたっても、私の心は幼い頃のまま。

 童女のまま、体だけが大きくなっていったんだ。


 そんな時。兄が騎士団へと入団することになった。


 『商人たるもの、広い世界を知るべきである』という父の言葉に従った等と嘯いていたが、アレは放言だな。

 どうやら兄は、商人の分際で騎士というものに強い憧れを抱いていたらしい。

 剣術の才能は空っきしのようだがね。


 兄がこの家を去っていった時は、そりゃあ寂しかった………いや、寂しいというより、絶望したと言うべきか………。

 だって、私には自分と言うモノが無い。

 私の見たもの、感じたもの。思想や主義も兄を通して得たものだ。


 兄の背を通さずに見た世界は、嘘と欺瞞に満ちていて………次第に私は外が怖くなり、再びこの部屋に引きこもってしまうようになった。

 部屋に引きこもって、また荒唐無稽な世界だけを自らの拠り所としてしまったんだ。病気が回復する前に逆戻りだね。 

 出口の見えない洞穴を彷徨うかのように、私はただ陰惨な日々を重ねていった。

 

 そんな時ね、私は窓の外に変な人を見つけたんだよ。

 

 それは女性で、私にとっては見慣れない黒いローブを羽織って、道行く少女たちへ片端から声を掛けているようだ。

 そして、時には炎を出したり、氷を飛ばしたり、とにかく可笑しな人だった。

 可笑しな人ではあるが、何故かそんな彼女が気になってしまってね。

 

 窓の外に彼女を見かけるたび、私は彼女へ話しかけてみたいと思うようになったんだ。 


 君なら何となく察しがつくだろう?


 彼女の名はベージュ・アイボリー。

 『聡明な賢者の学舎』にて、講師を務める上級魔術師だ。

 どうやら彼女は当時、腐敗した学舎に心底嫌気が差していたようでね。

 暇を見ては王都に出て、道行く人々へ片端から魔術師にならないかと勧誘して回っていたらしい。

 我が恩師ながら、訳のわからない人だよ。


 おっかなびっくり、私がアイボリー先生に声掛けると、先生はそりゃあうれしそうに笑ってこう言ったんだ。


 『私と一緒に魔術を学んでみませんか?』ってね。


 私はそれまで、魔術という物に対して人並みの見識しかなかったし、特に興味を持っていた訳でもない。

 だけど、生き生きと魔術について語るアイボリー先生が私には妙に眩しく思えてね。

 結局、私はアイボリー先生に薦められるまま、この学舎へ入学することを決意した。

 不安もあったし、自分のような者が学生としてやっていけるのかと恐怖さえ感じた物だが………私は自分が何者かもわからないまま、この部屋に引きこもり続ける生活に心底嫌気が差していたんだよ。


 それからはとんとん拍子に事が進んだよ。

 父は元来、『商人たるもの、広い世界を知るべきである』と主張している人だったから、高い入学金にも関わらず、私を『聡明な賢者の学舎』へ入学させてくれた。


 晴れて魔術師候補生となった私は魔術について学ぶことになったのだが、これが面白くてね。

 私の、目の前のことに没頭してしまう、という悪癖は、一つのことに対する集中力が求められる魔術と相性が良かったらしい。

 それに、技術を学ぶという行為はいい。共に歩む仲間がいるなら尚最高だ。

 私はアイボリー先生の目論見どおり、魔術をこなよく愛する使徒の1人となってしまったのさ。

 それからは知ってのとおりだよ。

 私は今も魔術という学問に没頭し続けている。



 合間合間に咳きを混じらせながら、ソラルはゆっくりと思い出すように、クロへ自分のことを話し続ける。

 そして、ゆったりとクロの方へ向き直ると、クロへ問いかけた。


「さて、前置きが長くなってしまったが、ここからが本題だ。

 シルバー同志の質問は、何故私が魔術師を志しているか、だったね。

 単刀直入に言うと、私は確固たる『自分』が欲しいんだよ」


「自分?」


「いま話したとおり、私はその人生の大部分を兄に依存して生きてきた。

 だから、自分の好きな物、自分が好ましいと思うこと。そういった物がわからなかったんだ。

 そんな時、魔術に出会ったのさ」


 ソラルは胸元へ手を伸ばすと、優雅に魔術式を描き、手のひらへ小さな炎を灯す。

 発火魔術。初歩の初歩といえる魔術であるが、この小ささで維持するのは相当な研鑽を求められるものだ。

 ソラルはその炎をクロへ掲げてみせる。


「君も知ってのとおり、魔術とは女性にしか操ることが出来ない力だ………まあ、シルバー同志は例外だが………。

 いかに兄が有能な人間であっても、魔術の施術を行うことは出来ない。

 これはね、シルバー同志。

 兄には出来ない、私だけの技術なんだよ。

 自分で興味を持ち、自分で学びたいと思い、そして自分で手に入れた私だけの力。

 私が生まれて初めて、自分で得た物なんだ」


「…………」


 黙りこんでしまったクロの前で、ソラルは手のひらの炎をふっと霧散させて、拳を握る。


「あれこれ言って、わかりずらくなってしまったな。

 単刀直入に言ってしまうと、私が魔術を学ぶのは面白いからさ。

 生憎、私はそれほど魔術師を志している訳じゃない。

 面白がって魔術を学んでるだけの道楽者に過ぎない。

 私が崇高な理由を持って魔術を学んでいるのだと思っていたならすまないね。

 ………がっかりしたかい?」


「いえ………」


 ソラルの問いかけに対し、クロはゆっくりと首を振る。

 コンプレックスを克服するために魔術を学んでいるクロからすれば、ただ面白いからという理由で魔術を学んでいるというソラルは、眩しくさえ感じるものだ。

 ソラルがベージュと初めて会った時、ソラルが感じたのは、今クロが感じているものと同一の物だったのかもしれない。


「とても素敵な理由だと思います。

 僕には、ソラル室長が眩しくさえ見えますよ」


「ははは、こやつめ。ぬかしおる!」


 そんな風に2人が笑いあっていると、ソラルの部屋のドアがバタリと開かれた。


「よっ、毛布を持ってくるだけで、酷く手間取ってしまった。

 相変わらず、やたらとデカいな、アンタの家」


「庭で水を汲んでいたら、変な酔っ払いのおじさんに絡まれて、時間がかかってしまいました………」


 各々、毛布と水を手に、シアンとローゼが戻ってくる。


「やあ、すまないね」


「ソラル、何か口に入れるか?

 アンタ、来客者の相手ばかりしてて、碌に食事も取れてないだろ?」


 宴会料理をかき集めた容器を手に、シアンがソラルへ問いかける。


「流石に食欲は無いかな………」


「腹に物を入れとかないと、ますます弱ってしまうぞ?

 ほら、果物なら食べられるだろ。

 別に遠慮しなくていい」


「遠慮も何も、もともと私の家の食材だろう!?」


 再び、ふざけるように騒ぎ始めたシアンとソラルを、クロは少し離れた場所で見つめながら、腰をおろす。 

 不思議な物で、人の家だと言うのに、妙に居心地がいい。


「晩餐会はどうでした、シルバーくん。

 少し疲れてしまいましたか?」


 隣へローゼもまた腰を下ろし、クロへ問いかける。


「いえ………楽しかったです」


「それは良かった」


 小さな頃、故郷で行った小さな収穫祭。

 その時の感覚を思い出しながら、クロはどこか懐かしい気持ちで仲間たちを見つめるのだった。

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