第31話 晩餐会のその後
「団長、起きてください! もう宴会もお終いですよ!?」
「うう………オークが、無数のオークが迫ってくる………!」
「まったく………どんな夢を見ているんですか?」
チェスナットの帰還を祝した、マロン家の晩餐会は夜の帳と共に終わりを迎えた。
完全に酔いつぶれ、妙な悪夢を見ているらしいブラウンを起こしながら、チェスナットは疲れの混じったため息を漏らす。
催しの主役ゆえ、仕方ないことではあるが、ホストとしての役目を務めたチェスナットは疲れを感じていた。
(せっかく戻ってきたというのに、まともにソラルの相手をしてあげられなかったな………)
当初は逃がさないとばかりに、チェスナットの後を付き従っていたソラルであるが、彼女もチェスナットの妹として来客者の相手をせねばならず、いつの間にか姿を消していた。
自分は明日にもまた、騎士団宿舎へ泊り込まねばならない。そう考えると、チェスナットの心にはわずかながら、後悔の念が浮いてしまうのだった。
「ソラル、ソラル! どこに居るんだい?」
いつまでも目を覚まさないブラウンを庭へと放り捨て、チェスナットがソラルの姿を探していると、部屋の影から見覚えのある亜麻色の髪が床に散っているのが目に映る。
「ソラル!?」
チェスナットが慌てて部屋の中へ入ると、ソラルが力尽きたように床へと倒れこんでいた。
「どうした!? 大丈夫か!? ソラル!!」
チェスナットがソラルを抱き上げると、彼女は薄っすらと瞳を開け、兄に微笑んでみせる。
「………ごめんね。ソラル、ちょっと疲れちゃって………。
大丈夫だから、心配しないで………」
「無理………していたのか?」
チェスナットの腕の中で、ソラルはゆっくりと首を振る。
微笑を浮かべているものの、その顔は蒼白で、額に油汗が浮いている。
明らかに衰弱している様子が見て取れるものだ。
「修道医院へ………いや、魔術師を呼ぶべきか」
「本当に大丈夫だよ………ちょっとはしゃぎ過ぎちゃっただけ。
部屋で休んだら、元に戻るから………大事にしないで」
「しかし………」
まるで苦痛を感じているようなチェスナットの顔に、ソラルはわずかながら後悔する。
今日はもともと体調が良くなかったのだ。
素直に部屋で休んでいれば良かった。
ただ、兄が明日にもまた家を出て行くと聞いてしまった以上、部屋に引っ込んでいるのが嫌だったのだ。
◇
「シルバー君、ソラル室長のお兄さんには会えましたか?」
「ええ、まあ………」
あれだけ多くの人が行き交っていた大広間であるが、晩餐が終わった今、残っているのはクロとローゼたちだけである。
「何だか、凄そうな人たちが沢山いて、疲れてしまいましたよ………」
「シルバー君は、こういった催しには、あまり慣れていないのですか?」
「そりゃあ、僕は辺鄙な田舎の農民ですからね。
村で人が集まるのなんて、商人たちが来た時か、収穫祭の時くらいでしたから………」
「収穫祭!? どんなことをするんですか!?」
クロが何気なく呟いた言葉に、ローゼが興味津々といった様子で目を輝かせる。
「えっと………収穫した野菜をみんなで持ち寄って、全部、鍋にしてしまうんです。
レシピなんか何も無くて、どんな味になるかは、運とみんなの良心のみにかかっている、ていう………。
それから、小麦を脱穀したときに出るもみがらや藁くずで大きな人形を作って―――」
ようやく緊張のほぐれたクロは、隣に立つローゼへ、シルバー村の収穫祭について説明する。
もともと、人見知りが激しい性質のクロであったが、最近は自然体で彼女らへ接することが出来るようになっていた。
「よう、お前ら。飯はちゃんと食べられたか?」
そんな2人の元へ声が掛けられる。
目を向けると、シアンがどこから取り出したのか、大きな器の中に残った料理をしまいこんでいる。
「なにやってんですか………シアン先輩」
「どうせ、残ったら捨ててしまうんだぞ? 金持ちはこれだから困る………。
捨てるくらいなら私が食べてやった方が、食材になった物たちも喜ぶってもんだ。
ほれ、シルバー。お前も入れるか?」
わたわたと料理を器へ移しながら、シアンが別の容器をクロへ差し出してくる。
(ここまで開き直ってしまった方が、人生を楽しめるのかもしれないな………)
「はい、入れます!」
クロがそんなことを考えていたところ、隣のローゼが勢いよく容器を受け取ると料理を移し始める。
「いやいや、ローゼさん!?
僕やシアン先輩はともかく、貴女は仮にも貴族の御令嬢でしょう!?
なに、物乞いのようなことをしているんですか!?」
「『食える時に食い、寝られる時に寝る。どんなことにも後悔がないよう、全身全霊で!』、それがロサウム家の家訓です!
それに、全然食べ足りないじゃないですか!」
「そ、そうかな………?」
クロの見た限りでは、宴会の間中、ローゼはずっと食事を平らげることに執心していたように感じるが、もうあまり突っ込まないことにした。
自分とは違う価値観も受け入れる。それがこのアイボリー教室でクロの学んだ訓戒であるのだ。
「おい、シルバー。カマトトぶるなよ。
こんな料理、私たち庶民は滅多にお目にかかれないぞ?」
手をあくせくと動かしながら、シアンが声掛ける。
流石、10年に1人の逸材。器用さが違う………。
クロがもはや畏敬の念さえ持って、シアンたちを見つめていたところ、視界の隅にソラルを抱き上げたチェスナットの姿が映る。
「あれ? ソラル室長………?」
「あ?」
チェスナットが彼らしくない慌てた表情を浮かべ、その腕の中でソラルが荒い息を吐いている。
どう見ても、ただごとでは無い。
「ソラル、どうした!? 大丈夫か!?」
シアンたちが彼らの元へ駆け寄ると、ソラルが弱々しい笑顔で口を開く。
「やあ、同士諸君。なに、少し疲れてしまっただけさ………。
しかし調度良かった。すまないが私を部屋まで運んでくれないか?
兄には、まだやらなければいけないことがあるものでね………」
「ソラル、そんなことは気にしなくていい!」
「お兄ちゃんはお客さんを見送らないといけないでしょ!?
ソラルはもう大丈夫だから………」
「しかし………」
「お兄ちゃん、私ももう17歳なんだから………あまり、友達の前で恥ずかしい所を見せたくないんだよ………」
じわりと瞳に涙を浮かべ、ソラルがそう訴える。
「もう、とっくの昔に手遅れだがな」という言葉を飲み込み、シアンもまたチェスナットへ伝える。
「ソラルさんなら、大丈夫です。
私たちが部屋までお連れしますよ。任せて下さい」
「う………そ、そうかい?」
チェスナットはしばし逡巡していたが、ソラルの訴えに折れるような形で彼女をシアンたちへ託すことにした。
「そ、それでは、私はまだ見送りがあるので失礼します。
シアンさん、妹のことをよろしく頼みます。屋敷にはロッセを待機させておくので、何かあれば彼へ伝えて下さい」
「はい、お兄さんも気をつけて」
「で、では………」
チェスナットは何度もこちらを振り返りながら、屋敷の外へと出て行った。
これから彼は、来客たちを送っていかなければいけないのだ。
(ソラル室長もアレだけど、あの人も大概アレだな………)
いつまでもソラルを気にしているチェスナットの背中を見送りつつ、クロはちょっと背徳的な物を感じてしまう。
「おい、ソラル。
実際、大丈夫なのか?」
シアンがソラルを背負いつつ、彼女へ呼びかける。
「ああ、別に大事は無いよ。いつものことさ。
兄は少し大げさ過ぎるきらいがあってね。いや、修道魔術師まで呼ぼうとするものだから、困ってしまったよ」
「そういや、あんた。今日は体調を崩していたんだったな。
全く、本調子じゃないくせに無茶をするからこうなるんだ」
「面目ない。迷惑をかけてしまったね………」
「………別に、迷惑だなんて思ってねーよ」
シアンがソラルを背負ったまま、ドスドスと屋敷の階段を登っていく。
屋敷の2階の角部屋にソラルの部屋はある。
ローゼがドアを開けると、上質な家具が並べられた大きな部屋に、所狭しと魔術に関する書物が陳列されていた。
「いま、ベッドの準備をするので、ちょっと待っていて下さいね」
ローゼが先に部屋へ入ると、手早くソラルのベッドへシーツを引いていく。
ベッドは暖かなアイボリー色で、柔らかな寝具が、上品な印象を醸し出している。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう………」
シアンとローゼの2人が、ソラルをベッドへと寝かしつけると、ソラルはぐったりとベッドへ倒れこんだ。
口調こそ元気ではあるものの、やはりソラルは辛そうな様子だ。
ボウっと天井へ目をやり、相変わらず苦しそうな息を吐いている。
物憂げな亜麻色の瞳は、どこか幻想的な美しさを伴い、華奢な肢体が逆に蟲惑的な印象を与えている。
「ふうむ………」
床にどかりと腰を落とし、シアンがソラルを見つめたまま独り言のように呟く。
「相変わらずこいつは………素を知らなければ、完全に深層の御令嬢だな。
口を開いたら、唯の変人だが………」
「そこ、うるさい。病人の前だぞ、口を慎みたまえ」
「お、少しは元気が出てきたか?」
「元より、大して弱っていたわけじゃないさ」
お互いに軽口を叩きながら、シアンとソラルが笑い合う。
そんな2人を尻目にクロは何となく独りごちる。
(素………か。でも普段のソラル室長と、今日のソラル室長。
どちらが本当の素なんだろう?)
自分たちへ見せる芝居かかった態度と、兄の前で見せていた童女のような態度。
それとも、誰にも見せないような本当の素とも言うべきものが、彼女にはあるのだろうか?
クロが何となくそんなことを考えていると、ソラルとふざけていたシアンが思いついたように口を開く。
「ソラル。それだけじゃ、少し肌寒いだろう。
他に毛布がないか、えっと………ロッセさん? あの人に聞いてくる」
「私は水を汲んできますね」
シアンとローゼがパタパタと部屋から出て行く。
気付けば、クロはソラルと2人きりになっていた。
(しまった、よりによって末席の僕が何もしていないとは………こういう時は、自分の気の利かなさが嫌になるな)
「シルバー同志」
クロが何か出来ることはないかと、マゴついていたところ、ソラルが不意に声掛けてきた。
先ほどまでシアンと笑っていた表情は失せ、少し自嘲するような笑みを浮かべている。
「今日の私………気持ち悪かっただろう?」
「え………?」
ソラルはベッドの上で上半身だけを起こすと、自嘲するように笑みを浮かべる。
「別に隠さなくていい。
17歳にもなって、人目も構わず兄に甘えて、はしゃいで、挙句の果てにぶっ倒れたんだ。
冷静になると、恥ずかしさのあまり死んでしまいたくなるよ」
「別にそんなこと………そりゃあ確かに、少し驚きましたけど………」
突然のソラルの言葉に、クロは慌ててしまう。
「本当に駄目だね、私は………。
恥の上塗りで言ってしまうと、私は見境がなくなっていたんだよ。
君たちが傍にいることを分かっていながら、兄に甘えるのを止めることが出来なかった。
自分のことを『ソラル』なんて呼んで………本当に馬鹿みたい」
ソラルは手元へ視線を落とし、悔やむようにそんな言葉を呟く。
それは普段、クロたちへ決して見せない、物憂げな表情。
実際のところ、ソラルはアイボリー教室の面々の中で、最も繊細な心を持っていた。
落ち込んだ表情を見せるソラルに対し、クロは元気づけるように優しい調子で声掛ける。
「………誰だって、そういう所はあると思いますよ。
僕だって、先輩たちに見せる姿と、家族へ見せる姿はやっぱり違うと思います」
それに、コウへ見せる姿や、先輩―――ヴィオレに見せる姿も違う。
それぞれと接するとき、クロは自分の態度や口調が異なっていることを自覚していた。
「それに、ソラル室長のお兄さんは、僕から見ても立派な、格好いい人でした。
あの人が兄だったら、甘えたくなってしまう気持ち………ちょっとわかります」
何だか、自分は最近、ひどく饒舌になってきているようだ。
以前は誰かと口を利くのも嫌だったのに、今はソラルに対し「落ち込むことなどない」と伝えたくてしょうがない。
クロの言葉に、ソラルは少し驚いたような顔を浮かべていたが、すぐにまた顔を伏せくくくと笑い始める。
「なるほど、アイボリー指導者の言っていたとおりだ。
シルバー同志。
君はどうやら、優しい奴のようだね」
「ぼ、僕は優しくなんて………」
ソラルの言葉に、今度はクロが困惑する。
自分のような捻くれ者。優しい、なんて単語の対極にいるような人間だ。
それに、本当に優しいのはソラルたちの方なのだ。
自分のような異物を受け入れ、こうして家にまで招待してくれる。
それが自分にとって、どれほどの救いとなっているだろう?
何にしても、優しい、などと言われて照れてしまった。自分のいま、真っ赤な顔をしているに違いない。
「そ、それにしても、流石ソラル室長の部屋ですね。
魔術に関する本が溢れんばかりです」
クロは照れ隠しを兼ねて、唐突に話題を変える。
確かに、ソラルの部屋には魔術の蔵書がこれでもかと言わんばかりに詰め込まれており、もはや図書館の如き様相であった。
「気になる本があったら貸して上げるよ。
確か、人体魔術に関する本も置いてあった筈だ」
「人体魔術………? 何でまた、そんな本まで?」
「人体魔術は修道魔術から派生する、体のメカニズムに関わる魔術だからね。
そもそも、修道魔術師を志す者たちは、治癒魔術にばかり気を取られて、己の知識を応用しようという気持ちにかけているんだ。
体を『修理』することにばかり気を取られて、その他のことへ興味さえ持とうとしない。
病は気からというように、体を癒すには心の治療も重要であるのだ。
修道魔術師はそんなもの臨床魔術師に任せておけ、というスタンスのようだがね。
私はそう思わないのだよ!
その点、人体魔術は心にも関わってくるだろう?
『奮う不屈の心』何て実にイイね!
アレこそ精体同一、心と体に力を与えてくれる魔術だよ! それから、それから―――オェフ!!」
「ストップ、ストップ! ソラル室長、落ち着いて下さい!
せっかく持ち直した体調が、また悪化してしまいます!」
再び咳き込み始めたソラルを、どうどうとクロが宥める。
ゴホゴホと咳き込みながらも、ソラルはしまった、という風に顔を顰めてみせた。
「私としたことが、また前後不覚に陥ってしまった。
我ながら、困った性分だよ………ホントに」
「………ソラル室長は、本当に魔術がお好きなんですね」
魔術のことを話す時、ソラルの瞳はキラキラと輝いている。
時折、ギラギラとギラつくのが難点ではあるが、彼女は本当に魔術という学問を愛しているのだろう。
そんなソラルへ、クロは一つ聞いてみたいことがあった。
「ソラル室長は、どうして魔術師になりたいんですか?」
それは最近、クロが色んな人に尋ねていること。
クロの知るなかで、最も魔術を愛していると思われるソラルだからこそ、彼女の持つその理由を知りたいと思ったのだ。
クロの問いかけに、ソラルは少し意外そうな瞳を向ける。
「私が魔術師を志す理由………かい?」
「ええ、差し支えなければですけど………教えて欲しいんです」
「ふうむ………」
ソラルはベッドの上で考え込むように腕組みをする。
「………私の前には、いつだって兄がいた」
「兄?」
ソラルは小さく笑うと、言葉を続ける。
「そうだな………厳密に言ってしまえば、魔術師になることは私の夢というより、手段に過ぎないものかもしれないな。
シルバー同志、長くなってしまうかもしれないが、私の自分語りに少し耳を傾けてくれるかい?」
ソラルは自嘲するようにそう微笑むと、クロへ向かってゆっくりとその理由について語り始めたのだった。




