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第3話  ゴルトー叙事詩

 夕陽に赤く染まる、『聡明な賢者の学舎』第3校舎、講義棟。

 授業が終わり、学生たちが立ち去った校舎の中を、1人の少年が小走りに駆けて行く。

 少年の名はクロ・シルバー。

 学舎に入学を許された『特異魔術師』で、この世界で唯一の男魔術師である。


「まずい、まずい、まずい………」


 クロは珍しく慌てた様子で、無人の校舎をネズミのようにヒョコヒョコと走って行く。

 彼が目指すのは、日課のように通っている資料室。

 今日は授業が終わった後に、またベージュに声を掛けられたせいで、時間を取られてしまったのだ。

 別に、夜まで資料室で時間を潰すだけのことである。特段急ぐ必要などないのだが、いまは少し勝手が違っているのだ。


 クロはようやく資料室の入口に辿りつくと、その側で座り込んでいる少女へと頭を下げる。


「先輩、すいません! 遅くなりました!」


「遅いよ、クロ! ずっと待ってたんだよ!?」


 少女は腰を手で払うと、少し咎めるような目でクロを見つめる。

 少女の名はヴィオレ・ヴァイオレット。

 学舎に通う高等性で、この部屋を共に使用する資料室仲間である。

 ―――ちなみにクロは彼女のことを、心の中で簒奪者と呼んでいた。



 あの日。ヴィオレがクロから資料室を簒奪してから、幾日かの月日が経っていた。

 クロは当初「自分も資料室を使う」というヴィオレの言葉を、ただの気まぐれに寄るものだと思っていた。

 上流貴族の子女であるらしい彼女が、こんな黴臭い部屋を気に入る筈がない。そう思っていたのだ。


 資料室の鍵は、クロしか持っていない。

 だから、今日のようにクロが遅れれば、ヴィオレは資料室の入口で待っていなければいけないのだ。にも関わらず、彼女は毎日のようにこの部屋へ訪れていた。


 物好き、という言葉では説明出来ないほど、彼女の行動は奇異なものであったが、消極的な性格のクロはそれについて尋ねることなど出来ない。


 薄暗い資料室の中。クロとヴィオレは机を挟んで椅子に座り本を読んでいた。

 クロはランプの明かりを頼りに学術書へと目を通しながらも、ヴィオレの方をそっと盗み見る。

 ヴィオレの作り物であるらしい赤紫色の左目は、ただ虚空を見据えているが、青紫色の右目は真剣な様子で一冊の冊子を見つめている。

 冊子の表紙には、子供向けの絵のようなモノが描かれ『幸せを呼ぶ妖精と魔法使い』と本のタイトルが書いてあった。


(子供向けの絵本か? 相変わらずこの人はよくわからないな)


 ヴィオレの読む本に、クロは微かな疑問を浮かべていると、ヴィオレは絵本に向けていた青紫色の瞳をクロへと向ける。


「なに? どうかした?」


「いえ………ただ、先輩が絵本を読むなんて意外だな、と思って」


 クロは少し罰の悪い気持ちで目を反らしてそう言うと、ヴィオレはニコリと笑ってクロに絵本を示して見せる。


「この本さ、小さい頃から大好きなんだよ。

 クロもちょっと読んでみる?」


「は、はい………」


 別に、絵本の内容に興味がある訳ではないが、うれしそうなヴィオレを目の当たりにすると断る気にもなれず、クロはこの『幸せを呼ぶ妖精と魔法使い』という絵本を読んでみることにした。


 絵本の内容は単純明快なものだ。


 不幸な身の上にある1人の少女。

 彼女は魔法の才能を持ちながらも、然るべき教育を受けることが出来ず、いつも一人ぼっちであった。

 そんな彼女の下に、1人の妖精が現れる。

 妖精は少女に対し『自分は幸せを司る妖精で、君に幸福を与えにきた』と伝え、少女と行動を共にするようになるのだ。

 妖精は少女の為、何度も奇跡を起こす。

 妖精の力によって、少女は沢山の友達や優しい両親、幸福な生活を得ることとなり、立派な魔術師として成長した少女は、妖精と共に幸せな暮らしを手に入れる。


 特に捻りも何も無い、幸せな内容の短い絵本である。

 しかし、その絵本は随分とくたびれており、ヴィオレが何度もこの絵本を読み込んできたのだろうということが察せられた。


「どう? 面白かった?」


「ま、まあ………」


 絵本を読み終わったクロに対し、ヴィオレがわくわくといった様子で尋ねるが、クロは曖昧な調子で返事をする。

 別につまらないとは思わないが、この絵本を楽しむには、些か自分は年を取りすぎているように感じられたのだ。

 そんなクロの返答に、ヴィオレは頬をふくらませる。


「なんか反応薄いなあ! クロはそんなだから友達がいないんだよ!?」


「ほっといて下さいよ………」


 クロは絵本をヴィオレに返すと、再び学術書へと目を戻す。

 そんなクロへ今度はヴィオレの方から声を掛けたきた。


「クロはいっつも、魔術の本ばかり読んでるよね。

 そんなに勉強が好きなの?」


「別に好きって訳では無いんですけどね………」


「クロは『特異魔術師』なんでしょ?

 別に勉強なんかしなくたって、先生たちが無理やりにでも魔術師にしてくれるんじゃないの?」


 ヴィオレは不思議そうな表情でそう頬杖をついてみせる。


 『特異魔術師』


 『聡明な賢者の学舎』に入学を許された3種類目の人間。

 彼らはこの世界において極めて珍しい人間で、学舎においても数名しかその存在は確認されていない。

 特異魔術師たちは魔術に秀でた人間という訳ではなく、文字通り『特異』な魔術の才を持つ者たちである。

 魔術という物が一つの学問として体系的に学ばれるようになって久しいが、特異魔術師はそれらと全く異なる異質の魔術を用いることが出来るのだ。


 魂の召還。性質変化。精神簒奪。未来予知。


 そう言った『魔術』という学問では決して叶えることの出来ないすべを、特異魔術師と呼ばれる者たちは生まれながらに持っていた。

 『聡明な賢者の学舎』は人々に魔術を教えるという学舎という顔の他、魔術に関わる研究機関という側面を持っている。

 特異魔術師というモノは学舎にとって、学生というよりも研究材料という面の方が強いものであった。


 そんな立場であるクロが、凡庸な魔術師候補生と同じように勉学に励む姿は、ヴィオレにとって不思議なものであったのだ。


「特異魔術師と言っても、僕は『男なのに魔力がある』というだけで、特別な魔術を使うことが出来るわけではないですから………」


「ふうん? そもそも何でクロは、男なのに魔術師になんてなりたいの?」


「………僕は、人体魔術師になりたいんです」


「人体魔術師? それはまたケッタイな………」


 この世界では魔術を用いる人間を「魔術師」と呼称するが、用いる魔術によってその分類は更に細かく分けられる。


 治癒魔術に特化した「修道魔術士」

 発火魔術等の自然現象操作に特化した「天変魔術師」

 魔力を形とし、魔力物質として具現化する「精製魔術師」

 

 そういった分類の中に「人体魔術師」と呼ばれる魔術師たちがいる。

 人体魔術師は、動物の持つ筋力や瞬発力を魔力によって強化する、いわゆる身体強化魔術に特化した魔術師であるが、筋力による活動を全て「暴力」と断じ、粗野で野蛮な行動であるとする魔術師たちにとってあまり魅力的な分野では無く、この王都においても人体魔術を用いる人間は数えるほどしかいない。


「何で人体魔術師になりたいの?」


 何気ない様子でそう尋ねるヴィオレに対し、クロは少し口ごもる。

 クロが人体魔術師を志すのは、彼のコンプレックスに起因しており、唯でさえ心の壁が硬いクロは、それを誰かに晒したことが無い。

 しかし、全てを見透かすようなヴィオレの青紫色の瞳は、なぜか彼に「それ」を話すように誘引させるものがあった。


「僕は………見ての通り、痩せっぽちのチビですからね。

 故郷の村にいたときから、力が弱くて………。

 それでバカにされていた訳では無いけれど、やっぱり劣等感があったんです」


 教師たちはおろか、家族にすら話したことの無い、その理由をクロはヴィオレに対し告白する。対してヴィオレは、そんなクロの言葉に不思議そうな顔を浮かべた。


「ふうん? でも力がない代わり、クロには魔力があるじゃない。

 他の誰にも無い才能なんだよ。劣等感なんて必要ないでしょう?」


「でも、僕は―――」


 クロは思わず言葉を口走りそうになり、逡巡する。

 彼には夢があった。

 とても人に言えないような、大それた夢である。

 ドブネズミと言うあだ名がしっくりくるような自分には、身の程知らずも甚だしいと思うような夢なのだ。


「僕は………なに?」


 口ごもるクロへ、ヴィオレは静かな目を向ける。

 その青紫色は、相変わらず全てを見透かすような光を帯び、彼女の前において隠し事など無為であるかのように感じてしまうのだ。


「笑ったりしないから、教えてよ」


 そう言って微笑むヴィオレは優しげで、クロは自分の心が溶かされてゆくような錯覚をする。

 学舎に入学してから一年間。

 クロは誰にも心を開かずに、この場所を卒業するつもりであった。

 だけど………この人になら話して、いいかもしれない。

 だってヴィオレは、笑わないと言ってくれたじゃないか。


「僕は………クリュートスのようになりたいんです」


 クロの告白に、ヴィオレはやや驚いたようだ。


「クリュートスって、あのクリュートス・ゴルトー?

 あなたが?」


「………可笑しいですか?」


「そんなことは思わないけど………ただ、意外だなぁ、って」


 クロがあこがれるクリュートス・ゴルトーという名の男。

 彼はこの世界において『夜明けの勇者』と呼ばれていた。



 この世界には、一つの伝説がある。

 それは、伝説と銘打たれているものの、同時に歴史にも刻まれている事実の物語であった。

 今から200年ほど昔、魔術史において『破滅の時代』と呼ばれていた時代のこと。


 『魔王』と呼ばれる、一人の男がいた。

 その男は、白い髪に紅い瞳を持った異形の姿で、

 超常的な力を有していたと言われている。

  魔王は、己の抱く願望のままに『魔人』と呼ばれる者たちを使役し、世界をただひたすらに破壊していった。


 多くの騎士や戦士たちが、彼の魔王に立ち向かっていったが、強大なその異能の前になす術もなく敗れ去ってしまう。

 

 そんな中、夜空を瞬く流星のように2人の英雄が現れる。


 1人目の名はシエル・アルコバレーノ

 『虹彩の魔術師』と呼ばれるその魔術師は、人智を超えた魔術を用い、魔王の持つ異能へ立ち向かっていったと言われている。


 そして、2人目の名はクリュートス・ゴルトー。

 『夜明けの勇者』と呼ばれるその騎士は、元はただの庶民であったと言われている。

 魔王の脅威に対する義勇兵として立ち上がったその男は、後に騎士団へと入団し、シエルと共にこれまで誰も敵うことの無かった魔人たちを、次々と打ち倒していった。


 そして激しい戦いの果て、遂にクリュートスとシエルの2人は、魔王と呼ばれたその男に破滅を与えたのだ。

 この逸話はクリュートスの姓から『ゴルトー叙事詩』と呼ばれ、200年の月日が流れてもなお、大衆に知られる伝説として、多大な影響力を持っている。


 クリュートスとシエル、彼らはその功績により国王から爵位を受け、その末裔たちは現在も王都の要職につき、絶大な発言力を持っているのだ。


 シエルは魔王を滅ぼした後、この王都において1つの魔術学校を創立した。

 その学校の名は『聡明な賢者の学舎』

 代々、アルコバレーノ家の者たちが学長を勤め、王都でも最高峰と謳われる魔術学府にして、最先端の魔術研究機関である。



「それで、クリュートスのようになることと、魔術師になることに何の関係があるの?」


 不思議そうなヴィオレに対し、クロは少し自嘲を浮かべつつも答える。


「僕は生憎、伝説のクリュートスのように強い体を持っている訳じゃない。

 だけど、身体強化の魔術に長けた人体魔術師なら、その術を手に入れることが出来たなら、僕だって………」


「なるほどね」


 クロの言葉を聞いたヴィオレは、何やらうんうんと頷いてみせる。


「まあ、言ってしまえば、唯のコンプレックスですよ。

 僕は力が弱いから、人体魔術師になって強い体を手に入れたい。

 僕を馬鹿にしていた連中を見返してやりたい。

 そんな屈折した考えから、僕は魔術師を志しているんです」


「だから、この学舎に入学できると知った時は、そりゃあうれしかった。

 この学舎は唯の魔術学校じゃない。僕があこがれる英雄たちの片割れが創設した場所だ。 

 こんな僕ですが、期待に胸を膨らませて村を出たりもしましたよ。

 ………そして、その結果がこれだ」


 クロは少し皮肉気な笑顔を浮かべ、目を伏せる。


「学舎に入学して1年。

 僕を待っていたのは、学友たちからの蔑みと、教授たちからのいいように利用してやろうという視線だけだった。

 いや………そもそも、僕の屈折を誰かのせいにすること自体、責任転嫁に過ぎないことなのかな?」


「僕は弱かった。

 弱いから、格好よくて強いクリュートスにあこがれた。

 そして、クリュートスのようになりたくて魔術師を志したはいいけれど、僕はやっぱり弱くて捻くれているから、学友たちや学舎に馴染むことが出来ず、現在絶賛孤立中。

 この狭く閉じた資料室だけが、憩いの場というわけです。

 我ながら、滑稽ですね」


 クロの口から朗々と自嘲するような言葉が溢れるように流れる。

 こんなことを、出会ってまだ数日に過ぎないヴィオレに話すのはどうかとも思うのだが、どうしても止めることが出来ない。

 クロは自分が思っていたよりも追い詰められているのかもしれなかった。


「それでも―――」


 クロの告白を、ただ無言で聞いていたヴィオレは、静かな瞳をクロに向けたまま、そっと口を開く。


「それでも、クロは魔術師を目指すんだよね?

 例えその根元が劣等感によるものからだったとしても。

 現実が想像以上につらくて、挫けそうになったとしても」


 ヴィオレは静かに言葉を紡ぐ。

 その青紫色の瞳はどこか透明で、感情の機微が伺えない。だけど、その声音はどこか安心してしまうような響きが感じられた。


「それでも、クロは魔術師になることをあきらめないんだよね?」


 それは優しい言葉では無かった。

 慰めるようなものでも、突き放すようなものでもなく、ただ自然と問いかけるように、ヴィオレはクロへ尋ねてみせる。


「―――はい」


 そしてクロは、彼女の問いかけに決意を持って肯定する。

 そうだ。例えそれが歪んだ思いから捻出された願いだとしても、クロに挫折する気は無い。

 神がどうして、自分に魔力を与えたのかはわからない。

 だけど、それが奇跡というものならば、自分はそれに答えてやろう。

 そもそも、自分には魔力以外、取り得などというものは無いのだ。  


 クロの答えに、ヴィオレはにこりと微笑んで見せる。


「だったら大丈夫。クロはきっと立派な人体魔術師になって、今まで馬鹿にしてきた人たちを見返すことが出来るよ。

 だって、クロはあきらめないんだもの。

 あきらめさえしなければ、人はきっと願いを叶えることが出来るんだもの」


 そう語るヴィオレを、クロは少し不思議そうに見つめる。

 ヴィオレの言葉はクロへ向けられたものであったが、同時に彼女自身にも言い聞かせているように感じられるものだったのだ。

 

「先輩………?」


「ああ、もうこんな時間!?

 やばい、やばい。帰らなきゃ!」


 クロが少しぼうっとしたまま、ヴィオレに声掛けるが、当の彼女は普段の調子に戻ってバタバタと荷物をまとめ始める。

 時計へ目を向けると、確かに針が夜半過ぎを指し夜が深まっていることを告げていた。

 ヴィオレは荷物をまとめ終えると、慌てたように資料室の出口に向かうが、その去り際に再びクロへ声掛ける。


「クロ、私はね。あきらめさえしなければ、どんなことだって願いは叶うと思っているんだ。

 だからクロも絶対に魔術師になることをあきらめないで!」


 まるで念を押すように、ヴィオレはそう言い放つとバタバタと廊下を走っていく。

 そんな彼女の姿をクロはずっと見つめていた。


(あきらめなければ、願いは叶う………か)


 クロはさきほどヴィオレに言われた言葉を反芻する。

 クロは決して魔術師としての才に恵まれている訳ではない。

 魔力は人並み、魔力を操作する力も平均的なものだ。

 学舎を卒業し魔術師という肩書きを得ることが出来たとしても、魔力を自在に操り魔術を行使する真の意味での魔術師になるには、途方もない努力が必要となるだろう。


 だけど、ヴィオレは、自分がきっと魔術師になれると言った。

 それは、クロが誰よりも欲していた言葉だったのかもしれない。


 夜は深まり、深夜といえる時刻となっていたが、クロはまた学術書を開き、修文に励むのだった。

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