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第22話 魔術研究会(上)

「はあっ、はあっ、はあっ」


 クロは走っていた。

 体はヘトヘト、息は絶え絶え、全身からは滝のような汗が噴出している。

 

「くぉらシルバー!! ペースが下がってるぞ! 根性入れろ!!」


 そんなクロへ、背後から容赦の無い怒声が飛んでくる。

 声の主は、蒼く長い髪を後ろで無造作に縛った、目つきの鋭い少女。シアン・コバルト高等生。

 シアンはクロの少し後を走りながら、竹刀を片手にクロへ罵声を浴びせていた。


「おらおら! シルバー、お前の根性はその程度か!?」


「僕の根性なんてこの程度ですよ………ちょっとでいいから休ませて………」


「弱音を吐いてる余裕があるなら、まだまだ大丈夫だ!!

 吐くまで走れ!!」


 マジかよこの女、とクロはそっと心の中で毒づく。


「まあまあ、コバルト同志。

 彼はまだ魔術の研鑽を始めたばかりだ。少し加減をしてあげてはどうかね?」


「始めたばかり、だからだよ。

 何事も最初が肝心なんだ。今日はこいつを限界の限界まで追い込む!」


「まあ、魔術師の素養という点で、君は私より遥かに優秀だ。あまり口を挟むつもりは無いよ。

 やり過ぎてシルバー同志を壊してしまわないように………」


「………善処する」


 クロの背後でソラルとシアンの物騒な会話が聞こえてくる。

 授業が終わり、学生たちの姿もまばらになり始めた学舎の校庭。

 少し赤みがかかった陽の光を浴びながら、クロはひたすら走らされ続けていた。


 今日、授業が終わったあと、アイボリー教室へと辿りついたクロは、室員たちによってそのまま校庭へと連れられ、ひたすらランニングをさせられることになったのだ。


(ここは魔術研究会だろう!? 何でランニングなんてさせられるんだ!!

 これはアレか? 後輩しごきという奴か!?)


 疲労困憊の様相でクロが走り続ける。体力はもう限界だ、全て投げ出して倒れてしまいたい。


「シルバーくん、もうちょっとです! 頑張りましょう!」


 そんなクロへ前から声がかけられる。目を向けると少し前を走っているローゼが振り向き、汗を流しながらも笑顔を浮かべていた。

 もっとも、クロには彼女の励ましに答える余裕などない。


(それにしてもなんだ、この人たちは? 何でこんなに体力があるんだ?)


 クロとて、故郷のシルバー村では農作業や家の仕事を手伝い、毎日肉体労働を行っていた。貧相な体つきではあるが、こと持久力に関しては貴族の娘などに負けない自信はあったのだ。

 しかし、自分を囲むようにして走っている3人は、多少の疲労が浮かんでいるものの、自分のように今にも倒れそうな様子は無い。


「おらぁ、シルバー! 足が上がってないぞ!!」


 特に先ほどから、竹刀を振り回し怒声をあげている、このシアンという少女。

 走りながら、よくそんなに怒鳴り続けられるものだ。


 クロがぼんやりとそんなことを考えていたとき、疲労のためか足がもつれ、思い切り転倒してしまう。


「つぅ!!」


「シ、シルバーくん!? 大丈夫ですか!?」


 前を走っていたローゼが慌てたようにクロへと駆け寄る。

 朦朧としていたクロは受身を取ることも出来ず、力尽きたように顔面から地面へと倒れてしまった。

 打ちつけた鼻からは、鼻血が流れ出してしまったようだ。


「あー、顔からいっちゃったか。

 シルバー、しっかりしろ」


 シアンも倒れたクロの傍へ駆け寄り声を掛けるが、クロは鼻血を流したまま仰向けに倒れ、呆然と空を見つめている。


「ローゼ、シルバーを横向きにしてくれ。この体勢だと鼻血で窒息するかもしれない。

 ソラル、アンタは水とタオルを持ってきてくれ」


「任せたま………うぉえ!」


 最後にヨロヨロと駆け寄ってきたソラルへシアンが水とタオルを求めるが、ソラルはその場で嘔吐しはじめる。


「ソラル室長!?」


「アンタ………妙に張り切っているとは思ったが、明らかに無理をしていたな?

 体が弱いんだから、無理はすんなって言ってんのに………」


「失礼、如何せん久しぶりの新会員だったものだから、ついハッスルをしてしまってね………う゛ぅ!」


「アンタが吐いてどうするんだよ………」


 ソラルは口調こそ普段と変わらないが、顔が青ざめ明らかに苦しそうだ。

 そんな彼女を見て、シアンが呆れたようにため息をつく。


「ローゼ、お前はソラルを見てやってくれ」


「シ、シルバー君は?」


「シルバーは私が面倒を見ておく、大丈夫だ」


 ローゼは少し心配するように倒れたクロへ目を向けるが、そっと頷くとソラルを伴って学舎の方へと進んでいった。

 シアンはそれを目に納めると、倒れているクロへ声掛ける。


「さて………シルバー。立てるか?」


「………ちょっと休ませて下さい」


「気分はどうだ?」


「少し………朦朧とします」


「ふむ………今日は天気が良かったしな。少しのぼせてしまったのかも知れん」


 シアンはしばし思案すると、クロの前にしゃがみ込み背を向けた。


「ほら、シルバー。乗れ」


「乗れ………って?」


「おぶってやるって言ってんだよ。

 木陰に連れてってやる。こんな所で倒れてたら、ますます気分が悪くなるぞ?」


「え、ええ!?」


 クロは驚いてシアンの背中に目を向ける。

 いかに自分が背の低い痩せた男であろうと、15歳の少女に背負われるのは抵抗がある。


「だ、大丈夫ですよ、自分で歩けます」


「鼻血流しながら何を言ってるんだ。いいから早くおぶされ。

 別にお前一人くらい、大したことはない」


「で、でも………」


「ああ、面倒くさい奴だな!」


 煮え切らないクロに業を煮やしたかのように、シアンはクロの手を取って半ば無理やり背負う。


「ほら、行くぞ。少し我慢してろ」


 シアンはそう言うと、校庭の隅にある木陰へ向かって、進んでいくのだった。



「ほら、水だ」


「すいません………」


 クロは木陰に腰を下ろしつつ、シアンが持ってきた水筒を受け取る。

 

「気分はどうだ?」


「さっきよりはだいぶ良くなりました。その………すいません」


「すいません、すいませんってしつこい奴だな。

 今のうちに汗を拭いとけ。日が落ちたら一気に冷えるぞ」


 タオルを差し出しながら、シアンが言う。

 目元は相変わらず鋭く、口調もぶっきらぼうな物であるが、この先輩は別に自分を嫌っているわけではないらしい。

 クロはそんなことを考えながら、水筒の水を呷り、人心地をついた。


「走るのは久しぶりか?」


「ええ、学舎に入ってからは、あまり体を動かす機会が無かったものですから………」


「……………」


 クロの返答に、シアンは何かを考え込むように目を閉じると、クロへ問いかける。


「シルバー、魔術師に一番必要な物は何だと思う?」


「魔術という物に対する豊富な知識………いや、複雑な魔術式を自在に操作する聡明さ、でしょうか?」


「違う」


 クロの何気ない答えをシアンはキッパリと否定すると、瞳を開く。


「魔術師に最も必要なもの………それは体力と根性だ。

 いかに知識があろうと、魔力操作に長けていようと、体力が無ければすぐに魔力切れを起こす。根性が無ければ魔術を維持出来ない」


「………そういうものですか?」


「ああ、そういうものだ。

 お前は昨日、自分の魔力が凡庸だと言っていたが、そう思うのなら鍛えればいい。

 これから毎日走れ。走って走って走りまくれ。少なくとも、私はそうしてきた。

 なに、体が慣れればさほど苦でも無くなるさ」


 そう言って、シアンはふっと笑みを浮かべてみせる。

 それは微笑みというには少しばかり愛想に欠けるものであったが、この不器用な少女が出来る精一杯の励ましなのだろう。


「さて、ソラル(あの馬鹿)のことも心配だし、そろそろ研究棟に戻るとするか。

 シルバー、歩けるか?」


「は、はい!」


 クロは足に力を込めると、シアンの後へ続くようにその場を後にするのだった。



 聡明な賢者の学舎。第2校舎、研究棟。

 その最上階には、『施術室』と呼ばれる、大きな部屋が備えられている。

 施術室は部屋の壁や床に魔力拡散の術式が施されており、接触した魔術をかき消すことが出来るのだ。

 これは王都広しと言えども、『聡明な賢者の学舎』にしか存在しない室内魔術鍛錬場であった。

 その中で、クロは火炎球を顕現させる。


「……………………」


「ふむ、シルバー同志、その調子だ。

 そのまま、魔術を維持しておくように」


「は、はあ………」


 校庭でのランニングを終え研究棟に戻ったところ、クロは復活していたソラルから発火魔術を施術するように指示を受けたのだった。


 小さな火炎球を維持しながら、クロは困惑したように問いかける。


「ソラル室長、僕は確か同年代の他校生に比べて、魔術の習熟が遅れているという話でしたよね。

 何で今更、発火魔術なんて………」


 クロの疑問に対し、ソラルは気取った仕草でチッチと指を振ってみせた。


「発火魔術は、魔術を用いる上で最も簡易であり、同時に基本となる魔術なのだよ。

 『全ての魔道は発火魔術に通じる』なんて言葉もあるほどなんだ」


 ソラルはどこかで聞いたような言葉を口にすると、ニヤリと笑みを浮かべてみせる。


「天変魔術、精製魔術、修道魔術。

 魔術にはあらゆる類型があるが、根源となるのはこの発火魔術だ。

 これを完全に支配すれば、後は応用みたいなものさ」


「は、はあ………」


 クロは訝しげな様子で返事をする。

 発火魔術。初歩の初歩といえる魔術であり、初等生のクロでさえこの魔術は習得していると言っていいだろう。

 今更、こんなことをして意味があるのだろうか?

 

「いいからシルバー。そいつの言うとおりにやっておけ。

 そいつは変人だが、学舎に入学してから5年間、魔術の研鑽だけを考えてきた女だ。

 従っといて間違いはない」


 どこか疑わしげなクロへシアンが言う。シアンはクロと同じように火炎球を顕現させて煌々とした光を放っている。


「まあ、アレだよ。どんなことでも基礎を疎かにしてはいけないということさ。

 それに、これはシルバー同志の実力を測るという意味もある」


「僕の実力………ですか?」


「そのとおり」


 ソラルは亜麻色の瞳を不敵に光らせると、こと何気に言い放つ。


「シルバー同志。あと1時間、魔術を維持し続けるように」


「い、1時間!?」


 ソラルの言葉にクロは動揺し、顕現させた火炎球を揺らしてしまう。


「シルバー同志、一度魔術を顕現させたら何があっても集中をとぎらせないように。

 発火魔術といえど、ひとたび事故になれば大変なことになるのだよ?」


「それは痛いほど知っていますが………1時間って、そんなの無理ですよ!

 やったことも無い!」


「ふむ………」


 ソラルは意識を集中させると、優雅な仕草で魔術の術式を編んでいく。

 それは流麗で、幾何学的な文様を電気信号のように素早く模られていき、ソラルの周囲には4つの火炎球が顕現された。


「よ、4つ?」


「シルバー同志。私も1時間、この火炎球を4つ維持しよう。

 私に出来て、君に出来ないことはあるまいね?」


「う………」


 そう言われてしまってはぐうの音も出ない。

 魔術を使用するということは、どこか数学の計算に似ているところがある。

 体内の魔力を数値化し、その方向性、組み合わせによって発生する現象を計算し、調節しながら発生させるのだ。

 発火魔術はそれほど複雑な計算を要するものでは無いが、それでも長時間維持するとなると、多大な精神的疲労を受ける。

 しかし、ソラルはそれを同時に4つも顕現させたうえ、1時間維持すると言っているのだ。クロとしても音を上げる訳にはいかなくなってしまった。


「わ、わかりましたよ………やれる限り、やってみます」


 半ば諦めるような気持ちで、クロはそんな言葉を呟くのだった。


唐突ですが、学生たちの等級について説明させて頂きます。


 本編の『聡明な賢者の学舎』は基本的に12歳から入学し、スムーズに行けば18歳で卒業するという設定です。


 初等生(12歳、13歳)

 学生たちは入学して2年間、初等生として初歩過程。

 発火魔術や簡易な治癒魔術などを学びます。


 登場人物

 クロ・シルバー(13歳)

 ローゼ・ロサウム(13歳)

 カナリー・エッグシェル(13歳)


 中等生(14、15、16歳)

 中等生になってから魔術の本格的な施術を学んでいくことになります。

 ここらへんで、学生たちは自分の学びたい魔術の分野(天変、修道、練成)を見定め始める頃です。


 登場人物

 無し


 高等生(17、18歳)

 学生たちは最後の2年間で、自分の選択した魔術の分野を熟成させていくことになります。

 そして、卒業試験に合格することで、晴れて「下級魔術師」の称号を得ることが出来るのです。


 登場人物

 ヴィオレ・ヴァイオレット(18歳)

 ソラル・マロン(17歳)

 シアン・コバルト(15歳)※飛び級


 読み返してみて、ここらへんの設定が説明足らずに感じたので、後書きを使って補足させて頂きました。



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