第21話 不審
「つ………疲れた」
アイボリー教室での顔合わせを終え、学舎の渡り廊下をフラフラと進みながら、クロが心から疲れ果てたようにそう言う。
「何で疲れるんだよ? 自己紹介しただけじゃねーか」
「僕にとっては大変なことなんだよ」
元来人見知りであり、最近は対人恐怖症も付与されてきたクロにとって、先ほどの顔合わせは、非常に心労をこうむるものであった。
そんなクロへ、コウがニヤニヤとした笑みを浮かべながら問いかける。
「それでどうだ? 好みの子はいたか?」
「はぁ?」
訳がわからないといった表情のクロへ、コウが呆れた顔をする。
「たった3人とはいえ、どの子もなかなかの粒ぞろいだったじゃないか。
そうだな、俺の見立てでは年齢順に言って、85点、75点、80点ってところか」
始め、クロはコウが何を言っているのかわからなかったが、どうやらこの俗物妖精は先ほどのソラル達へ点数をつけているらしい。
「失礼な奴だ」
「まあ、そういうなよ。
クロ、お前はどうだ? 誰が一番可愛かった?」
「僕は女性を、そういう目で見る気は無い」
「前から思ってたがお前………ひょっとしてゲイか?」
「違う!!」
クロが激昂してコウを掴み上げようとするが、コウは蝿のようにブンブンと飛び回りそれをかわしていく。
「まあ怒るな、怒るな。
いいじゃねーか。お前だって13の男なら、そういったモンに興味が出てくる年齢じゃねーのか?」
「女性をそういった目で見るのは………その、不潔だ」
「可愛いモンを可愛いと思って何が悪い?
別に不潔なことじゃねぇよ」
「僕はお前と違って、そんな軽薄な思想は持てない」
いつまでも捕まえられないコウに業を煮やし、クロはツカツカと一人で先に進んでいく。
「おい、ちょっと待てよ!
………まったく、生真面目なんだか、捻くれてんだか………何にしても不器用な奴だ」
コウはそんなクロの背中を、呆れたように追っていくのだった。
◇
研究棟から進んで数分、辺りが夕焼けの朱から夜の黒へと変わり始めたころ、クロは歩きなれた講義棟の中を進んでいた。
いつもであれば、遅くても夕方には辿りつく資料室。しかし今日はアイボリー教室へ挨拶に行ったこと等もあって、日暮れとなってしまったのだ。
(今日は遅くなってしまった、先輩はもう帰ってしまっただろうか)
そんな不安を胸に、クロは脇目も振らずに進んでいく。
無人の廊下をしばらく進んだ先、資料室の入り口の前。
暗がりに息を潜めるように、ヴィオレが膝を抱えて座り込んでいた。
ヴィオレは顔を伏せ、その表情は紫色の髪に隠れて伺うことが出来ない。
「先輩………」
「…………」
クロがヴィオレに近寄りそっと声を掛けるが、ヴィオレは彼の声が聞こえていないかのように、微動だにしない。
「先輩、遅くなってすいません。僕です。
どうしたんですか」
「…………クロ?」
クロが心配するようにヴィオレの肩に触れると、彼女はようやく彼の存在に気付いたかのように顔を上げる。
ヴィオレは無表情で、普段の溌剌とした様子が無く、どこか弱弱しく見える。
「………もう、ここに来ないのかと思った」
「何でそう思うんですか? 僕には資料室以外に居場所が無いなんてこと、先輩だって知っているでしょう?」
いつもと雰囲気の違うヴィオレに対し、少し冗談めかしたようにクロが答えるが、相変わらず彼女の顔から憂いは消えなかった。
「クロ、あの妖精はどこにいるの?」
「妖精………コウですか? おい、コウ。出て来い」
クロは先ほどまで自分の傍を蝿のように飛び回り、下世話な話を続けていた妖精へ呼びかけるが、彼は姿を現さなかった。
「あれ、おかしいな? さっきまで傍にいたのに………。
どこかへ行ってしまったのかな? なにぶん、気まぐれな奴なので」
「いないなら、それでいいよ」
クロからコウの不在を確認すると、断固とした口調で言葉を放つ。
「クロ。あの妖精の言葉を信じちゃダメだよ」
「はい?」
「昨日、クロと別れてから、あの妖精について調べたんだけど………あれは幸福の妖精なんかじゃなかった。
いや、妖精だなんてとんでもない。
アレは言葉巧みに宿主を惑わし、その心を操って、不幸と破滅を齎す悪魔のような奴だったんだ」
「コウが? まさか………」
突然の言葉にクロは困惑を浮かべる。
あのヘラヘラとした軽薄な妖精が、そんなことを企んでいるとは思えない。しかしヴィオレはそんなクロの態度へ苛立ったように声を荒げた。
「まさか? まさかってなに!?
クロは私の言葉を信じてくれないの?」
「いえ………そういう訳では無いんですけど………」
(先輩はどうしたと言うんだ? 明らかに様子がおかしいぞ)
ヴィオレがクロと接するとき、いつも余裕に溢れた態度を取っていた。
こんな風に苛立っているヴィオレを、クロは見たことが無い。
「クロ………何か吹き込まれたりした?
あの妖精は、私のことを何か言っていた?」
苛立ちに微かな不安を織り混ぜて、ヴィレオが問いかける。
何だか、今日の彼女は酷く焦燥しているようだ。
「べ、別に先輩については、何も言っていませんでしたけど………」
「…………」
ヴィオレはクロの肩を抱くと、黒色の瞳を己の青紫色の瞳で見つめる。
そして、その瞳の奥を微かに光らせると、ほっとしたようにため息をついた。
「どうやら、嘘は言ってないみたいだね………。
とにかく、あの妖精は危険な奴なの! クロも、もう関わっちゃ駄目だよ!?」
「は、はあ………」
どこか余裕無く語気を荒げるヴィオレに対し、クロは曖昧な返事を返すのであった。
◇
「……………」
いつもの資料室。
クロは座りなれた椅子に腰掛けながらも気まずい思いで、学術書に視線を向けていた。
対面に座ったヴィオレは無表情なまま、机に視線を落としている。
資料室入り口での問答のあと、いつもどおり資料室へ入ったのであるが、ヴィオレは全く口を開かず、2人の間には気まずい静寂が流れていた。
「あ、あの………」
そんな静寂を打ち破るように、クロがおずおずと口を開く。そもそも今日はヴィオレに伝えなければいけないことがあるのだ。
ヴィオレは無表情のまま、のそりと下げていた視線をクロへ向ける。
「先輩………今日もそうだったんですけど、明日から僕が資料室に来る時間は遅くなると思うんです。だから―――」
「なんで?」
クロの言葉を遮るようにヴィオレがぼそりと問いかける。
「実は………僕、魔術研究会へ入ることになったんです。
担任のアイボリー先生が顧問するアイボリー教室へ、今日から………」
「魔術研究会? クロが?
………意外だね。クロはそういうのに興味が無いと思ってたんだけど………」
「ええ、まあ………。
半ば無理やり入れられたような物なんですけれどね。
とにかく、そのせいで今までのように決まった時間には、ここへ来れなくなってしまって………」
「ベージュ・アイボリーか………また性懲りもなく、私の邪魔をするんだね」
「はい?」
不意にヴィオレが放った低い声音に対しクロが聞き返すが、彼女はニコリとした笑みだけを浮かべて見せる。
「別にいいよ。そもそも最初から待ち合わせをしていた訳じゃないし………だけどさ、クロ」
ヴィオレはニコリとた笑みに微かな悪意を混じらせて、煽るように言葉を続ける。
「気をつけた方がいいよ。
カナリーの件もあるけれど、この学舎の学生たちは君に悪意を持って接してくる。
前みたいに殺されかけるかも知れないよ?
それでもいいの?」
「それは………良くないですけれど………」
「絶対に、あいつらはクロを傷つける。
クロがあいつらを好きになることが無いように、あいつらも決してクロを好きになることは無い。
クロはね、そういう人なんだよ。
君には私しかいないんだよ? 何でわからないかな?」
ヴィオレの言うことは最もだ。クロ自身、自分が人格破綻者であることは自覚している。
自分のような人間に好意を持って接してくれるのはヴィオレくらいの物だろう。
だけど―――
『先生はね………クロくんはもっと皆に受け入れてもらえる人だと思うの』
そんな自分にベージュが送ってくれた言葉。
彼女が自分を信じてくれたのなら、自分だって彼女の言葉を信じてみたい。
「それでも………」
「あ?」
「それでも、僕は試してみたい。
僕は今まで、何もかもを諦めて生きていた。
人から受け入れられることも、誰かと親しくすることも、傷つくことが怖いから全部諦めていたんです。
だけど、今回だけは試してみたい。
それで傷つくことになってもいい。だって諦めたら、それでおしまいだから………」
「……………」
クロは自分で声を発しながら、自分の言葉に驚いていた。
こんなこと、自分の思想には無かったことだ。
コウに出会ったり、ベージュに心の内をさらけ出したり、色々なことがあって、自分は少しおかしくなってしまったのだろうか?
ヴィオレはそんなクロを無表情に見つめながら、不意に口を開いた。
「帰る」
「え、いま来たばっかりでしょう?」
「帰る!」
ヴィオレはそう言い放つと、資料室の出入り口へと足早に向かっていく。そして、出る間際に一度だけ振り向くと
「あの妖精の言葉には、絶対に耳を貸さないでね!」
とだけ言い放ち、立ち去っていった。
クロは呆気に取られたように、ヴィオレが立ち去った出口を見つめる。
「……………」
「えらくヒステリックだったな。くわばらくわばら」
「コウ!? お前、いつの間に戻って来たんだ!?」
突然のぼやくような声に、クロが驚いて目を向けると、そこにはコウが呆れたように肩を竦めて漂っていた。
「戻って来たも何も、最初からお前の傍にいたさ。
姿を知覚出来ないようにしていただけだ」
「な、なんでだよ………?」
「………なんでかな」
クロの疑問には答えず、コウが困った仕草で頭を掻く。
「で、どーすんだ? クロ。
主さんはオレと口を聞くなと言っていたぜ?」
「どうするって………」
クロはしばし考え込む。
クロにとってコウは、自分の領域にズカズカと踏み込んでくる厄介な同居人だ。
今日、アイボリー教室に入室することになってしまったのだって、コウの影響が大きいだろう。
関わらずに済むのなら、関わらない方がいいに決まっている。
以前の自分なら、間違いなくそう考えていた筈だ。
なのに、何故だろう?
クロの心の中に『コウと関わらないようにする』という選択肢は無かった。
(そうか、軽薄で口うるさい奴だけれど、僕は決してこいつが嫌いではないんだ)
「別に、あれは先輩の気まぐれさ。いつものことだよ、気にするな。
お前は五月蝿い奴だけど………いなくなってしまったら、少し物足りなくなってしまう」
クロがそう伝えると、コウは少しだけ微笑む。
「そうか………そいつはちょっと、うれしいな」
◇
「おい、もう夜も遅いぞ?
早く部屋に帰って寝る準備をしろ」
「まだこんな時間じゃないか。もう少し待たないと、他の学生たちが寝ていない」
「何度言ったらわかるんだよ。いいか? 早寝早起きは―――」
「それはもういいよ………」
夜も更け始めた資料室の中、クロとコウが話し続ける。
ヴィオレが去ったとはいえ、クロは他の学生たちが寝静まるまで、ここで時間を潰さないといけないのだ。
「はあ、しかし今日一日で大変なことになってしまった………明日から気が重い」
「まだそんなこと言ってんのかよ? いいかげん腹をくくれ」
ため息をつきながらそうぼやくクロへ、コウが呆れた顔を浮かべる。
「だって、明日からアイボリー教室の室員として本格的な活動が始まる。
そうなれば、この資料室に来られる時間が遅くなってしまう、先輩をまた遅くまで待たせてしまうのは気がひけるし………それに」
「それに?」
「もし、それで先輩がこの部屋に来なくなってしまったら、きっと………僕はとても寂しい」
「……………」
本当なら、クロは今日ヴィオレと今後どうするかについて話すつもりであった。
アイボリー教室の活動が休みの日や、早めに帰ることが出来る日。
そんな日には、何とかここでヴィオレと会えないかと思ったのだ。
しかし、どうやらしくじってしまったようだ。ヴィオレは碌に話もしない内に、怒ったように帰ってしまった。
これらは全て、自分の気の利かなさによるものだろう。
寂しげな表情を浮かべるクロに対し、コウが取り成すように笑顔を浮かべる。
「まあ、アレだ。
偶然、虫の居所が悪かったんだろう。
あの子だって、すぐにケロっとした顔をしてるさ。
女なんてそんなモンだ」
「うん………」
どこか慰めるような口調のコウから視線を外し、クロはまたヴィオレが立ち去っていった方向へ目を向けるのだった。




