第2話 紫色の少女
「へえ、君があの『特異魔術師』、世界で唯一の男魔術師か………。
ふうん。噂には聞いていたけど、実物は初めて見た」
少女は先ほどの慌てたような態度から一転し、鷹揚な仕草で椅子に座ったまま、クロへ青紫色の目を向ける。
そして、クロの頭に手を乗せると、悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「確か13歳だっけ? それにしては背が低いのねぇ。
最初見た時は10歳くらいかと思ったよ。
それに………顔も何ていうか女っぽい?
最初に見つけた時、男の子が女の子か迷ったよ」
「ほっといて下さい」
クロは憮然とした面持ちで、頭に乗せられた手を振り払う。
「ありゃりゃ、怒っちゃった?
ごめん、ごめん。悪口を言ったつもりじゃ無いんだよ」
言葉とは裏腹に楽しそうな笑みを浮かべる少女に対し、クロはため息をついてしまう。
少女の名はヴィオレ・ヴァイオレットというらしい。
ヴィオレは学舎に通う高等生で、現在18歳。
王都に所在する上級貴族ヴァイオレット家の娘で、ご他聞に漏れず「学舎を卒業した」という権威を求めて入学した類の学生である。
「それで………ヴァイオレット先輩は何で、資料室になんて居たんですか?」
クロは警戒するような調子でそう問いかけるが、ヴィオレはケラケラと笑いながら事何気に答える。
「いやー、どうしても受けたくない授業があってさ。
この資料室でやりすごそうと思ってたら、そのまま寝ちゃってた」
「どうやって中に? 鍵は掛かっていた筈でしょう?」
「うん、鍵穴に針金を突っ込んでね。こうガリガリってやってたら、何か開いた」
「空き巣みたいな真似をしないで下さい………錠がダメになりますよ?」
軽薄な調子で笑い続けるヴィオレに対し、クロは呆れたような表情を浮かべる。
学舎に通う、典型的なタイプの貴族の子女。
魔術に興味など無く、ただ権威を得るためだけに学舎へやってきた、1種類目の人間。
最も数が多く、そしてクロが最も苦手とする類の人間だった。
「もう授業は全て終わりましたよ。さっさと帰ってください」
「ちょっと待ってよ。君は帰らないの?
授業が終わったのは君も一緒でしょ?」
「僕は………」
クロは少し言葉に詰まる。
たったいま、出会ったばかりの得体の知れない少女に、自分の境遇を話すのはいささか抵抗があったのだ。
クロのそんな態度に構わず、ヴィオレは更に質問を重ねる。
「それに、何で君は資料室の鍵なんて持ってるの?
確か、資料室は講師以外、立ち入り禁止だったよね?」
「あ………」
さっさと帰れ、などと偉そうな言葉を吐いたが、不法侵入であることはクロも変わらないのだ。
学舎の施設を私物化していたと考えれば、むしろクロの方がタチが悪いと言える。
「………………」
どう誤魔化していいかわからず、切羽詰った表情を浮かべるクロを、ヴィオレは右の青紫色の瞳で静かに見つめる。
そして―――クロは気付かなかったが―――その瞳を微かに明滅させた。
「うん、なるほどね」
ヴィオレは瞳を閉じると、静かに微笑みを浮かべて口を開く。
「まあ、誰でも言いたくないことの一つや二つはあるよね。
いいよ。クロが言いたくないなら、私も聞かない」
ヴィオレは優しげにそう言うと、再びクロの頭に手のひらを被せる。
「『みんなと違う』っていうのは、何かと大変だよね」
ヴィオレは、よしよし、とでも言うかのようにクロの黒髪を優しく撫でる。
「………すいません、ヴァイオレット先輩」
今度は振り払う気にもならず、クロは頭を撫でられるがままにさせる。
笑顔を浮かべるヴィオレから、さきほどのような軽薄な様子が感じられなかったのだ。
クロはおずおずといった様子でヴィオレに目を向ける。
男女の差があるとはいえ、13歳で背の低いクロは、18歳のヴィオレを見上げるような形になった。
「気にしない、気にしない。
っていうか、私のことはヴィオレでいいよ。同じ資料室仲間なんだから気の遣いっこなしなし」
ヴィオレは見下ろすように、クロと目を合わせると悪戯っぽく歯を見せる。
クロも少しだけ微笑んで―――ってちょっと待て。
ヴィオレはいま、何と言った!?
「資料室………仲間?」
「そうそう。私もこの資料室、何だか気に入っちゃった。
これからは2人でこの部屋をシェアしていこう?」
「いやいや! ちょっと待って! ヴァイオレット先輩―――」
「ヴィオレ!」
「………ヴィオレ―――さん。この部屋をシェアするって………。
先輩は授業をサボるために、資料室へ隠れていただけでしょう!?
まさか、今後もここへ来るつもりじゃ………」
「なに? クロは良くて、私はダメなの? 独り占めは感心しないなあ」
「そ、そういうことを言っている訳じゃ………」
クロの心に浮かぶのは、ひたすら困惑である。
ヴィオレは一時的に資料室へ居ただけの筈だ。なのに彼女はまたここへ訪れるようなことを言っている。
ヴィオレに嫌悪感を持っている訳では無いが、クロにとって、自分の憩いの場に他人が踏み入ってくるのはあまり歓迎したくない事態であった。
そんなクロの態度に、ヴィオレはニヤリとした笑みを浮かべてみせる。
「先生、大変です! 初等の学生が学舎の施設を不正利用しています!
なんか、勝手にスペアキーまで作ってるみたいですー!!」
「わわ、ちょっと先輩! 大声出さないで!」
クロは慌てまくった様子でヴィオレを制止する。
冷静に考えれば、どんなに大声を挙げたところで、現在の講義棟には人など居ないのだが、ヴィオレの突飛な行動にクロは平静を失っていた。
狼狽するクロに対し、ヴィオレは再びニヤリと笑みを浮かべると勝ち誇った様子で言葉を述べる。
「今度から、私もここを使うからね?」
「………わかりましたよ! 勝手にしてください」
完全に憩いの場を占領されてしまった。
さよなら、僕の資料室。
そんなことを考えながら、クロは深くため息をつくのであった。
◇
「それにしても、この机とかランプ。クロが持ってきたの?」
晴れて新たな資料室の利用者となったヴィオレが、机に目をやりながら興味深そうにクロへと尋ねる。
「この資料室。奥に小さな物置があるんです。
机やランプは、そこから拝借しました」
クロは少し不貞腐れた調子で、彼女に向かって説明する。
この資料室は講義室の半分ほどの広さで、積み重なるように本棚と資料が置かれている。
そして、資料室の更に奥には恐らく調べ物をするための部屋だったのだろう、6畳ほどの小さな部屋があり、現在は物置としてガラクタが積み重ねられていた。
この資料室で身を置くことが出来るのは、窓の前。
大人が手足を広げて寝ることが出来る程度の狭い空間だけであった。
クロは倉庫にあった机や椅子などをそこに置き、勝手に使用していたのだ。
「ちょっと待ってて、私も自分用の椅子探してくる!」
ヴィオレはわくわくといった様子で、物置へと入って行くと「うわ! 埃っぽい!」などと文句を言いながらも、粗末な椅子を1脚抱えて戻ってきた。
「クロ~、全然いい椅子が無いよ。なんか汚いのばっか」
「そりゃあ、そうでしょうよ」
「それに、いま気付いたけどこの部屋、埃っぽいし黴臭いよね。
一度、大掃除をした方がいいよ」
「この黴臭さがいいんじゃないですか」
「なにそれ? 意味わかんない」
ヴィオレは口を尖らせながらも、楽しげに資料室の中を見回している。
この先輩はさっきから何がそんなに楽しいのだろう? とクロは訝しい視線をヴィオレへ送っていたが、彼女を見つめている内に一つの事実に気付く。
それは彼女の瞳であった。
ヴィオレの右目。青紫色の瞳はさきほどから、クリクリと彼女の視線に合わせて動いているが、左目、赤紫色の瞳は全く微動だにしていないのだ。
「………気になる? 私の左目」
不意に、ヴィオレがクロへと声掛ける。
その声は今までと打って変わり、感情というものが死に絶えたような無機質な声音。
「い、いえ………別に」
さきほどからコロコロと表情を変えるヴィオレであったが、この無表情な声は今までに無いものだ。
触れてはいけないことだったのかもしれない。
そう思ったクロは罰の悪い様子で俯いてしまうが、ヴィオレは少し困ったように笑い、指で自分の左目に触れてみせた。
「これさ、作り物なんだよ。
私の本当の左目は昔、病気で腐っちゃってね。
大した話じゃ無いから、気にしないで!」
そう言って、ヴィオレはカラカラと軽薄な笑い声を上げる。そんな彼女の答えは、クロへ新たな疑問を与えた。
(義眼………か。でも、それなら何故、右目と違う色の義眼なんて、入れているんだ?)
そんな疑問をクロは浮かべるが、カラカラとした笑い声を上げ続けるヴィオレに、それを尋ねる気にはなれなかった。
◇
「それで、僕が発火魔術を使ったら、商人の人たちが大騒ぎになって―――」
「ははは、男の子が突然魔術なんて使ったら、そうなるよね」
古びた机を挟み、クロとヴィオレは向かい合って椅子に腰掛けると、話を続けていた。
ヴィオレに乞われ、クロは自分が学舎に入学するまでのことを話し続けていたのだ。
学舎に入学して以来、クロが他人とこんなに話したのは、初めてのことかもしれない。
ふと、クロが窓の外に目を向けると、漆黒の夜空が浮かんでいた。
時計が夜半過ぎを刻んでいる。
もう、こんな時間になっていたのか、とクロはやや面を喰らってしまう。
素直に認めたくは無いのだが………ヴィオレと話している内に、時の流れを忘れてしまっていたようだ。
「先輩。僕はそろそろ学生棟に帰ろうと思います。
先輩も学生棟に住んでいるんですか?」
「んー? 私は違うなあ。
これでも王都の上級貴族様だからね。一応、家から通っている系の学生だよ」
「こんな夜遅くまで居て、ご両親は心配されているんじゃ無いですか?」
「何で5歳も年下の男の子に、そんな心配されなきゃいけないの?
大丈夫、私は上級貴族様だから」
全く説明になっていないが、ヴィオレはそれ以上この件に触れるつもりが無いようだ。 それにヴィオレの言うとおり、まだ13歳の自分がそんなことを気にするのもおかしな話である。
「まあ、確かに。そろそろ帰った方がいいかもね。
明日も授業あるし………ふわぁ、めんどくさ」
ヴィオレは軽く伸びをすると、渋々といった様子で椅子から立ち上がる。
「それじゃあ、クロ。また明日ね」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみー」
ヴィオレはプラプラと手を振ると、資料室から出て行った。
1人になったクロは椅子に座ったまま、少し脱力する。
何だか今日は色々なことがあった。
ヴィオレ・ヴァイオレット。
捉えどころのない女性だが、悪い人では無いように思える。
王都でも有名な貴族の子女であるようだが、彼女はクロに対し他の学友たちのような蔑みの視線を送ることはなかった。
「また、明日………か。そんな言葉、随分と久しぶりに聞いた気がするな」
先ほどまでヴィオレが座っていた椅子を見つめながら、クロはそんなことを独りごちるのであった。