第19話 ベージュ・アイボリー
『聡明な賢者の学舎』
第1校舎、講師棟。
学舎において、講師として勤める上級魔術師たちが集う校舎である。
上級魔術師―――この王都において86名しか存在しない、優れた魔術師の称号。
彼女らはその出自によらず、貴族と同様の権威と発言力をこの王都において持っている。
女性であれば、全ての者が魔力を持つこの世界において『魔術師』と呼ばれる者の数は決して少なくない。
『聡明な賢者の学舎』をはじめ、この王都には大小様々な魔術学校が存在し、そして卒業者には無条件で『下級魔術師』の称号が送られるのだ。
しかし、更に魔術の研鑽を続け『中級魔術師』『上級魔術師』の称号を得るまでには、努力や才能だけではない―――確かな実績、王都への貢献が求められる。
ベージュ・アイボリー上級魔術師。
『聡明な賢者の学舎』にて講師を任される、天変魔術師。
若干33歳でありながら、上級魔術師の地位まで登りつめた、本当の意味での才女である。
本来であれば、学生―――しかも初等生に過ぎないクロが、まともに口を聞くことだって憚る相手なのだ。
(まずいよなぁ………どう考えても、まずいよなぁ)
絢爛豪華な学舎においても、一層の華美さを誇る講師棟を見上げて、クロはため息をつく。
自分がベージュに放った暴言。
あの時は頭に血が上っていたせいか、考えもしなかったが………我ながらとんでもないことをしてしまったものだ。
仮にベージュから「学舎から出て行け」とでも言われたら、自分はそれに逆らうことなど出来ないだろう。
「気が重い………」
「まさに、短気は損気ってやつだな」
「他人事だと思って………」
気楽そうな表情のコウに対し、クロは暗澹とした顔でにらみつける。
コウはクロの頭の上で仰向けに寝そべったまま、パスパスとクロの頭をはたいてみせた。
「まあ、あの先生。何か人が良さそうだし、ちゃんと謝れば許してくれるさ」
ニヘラとした笑みを浮かべるコウに、クロも少しだけ同意する。
ベージュは超の字がつくお人よしだ。
これまでだってクロはベージュに対し、随分と失礼な態度で接してきたが、彼女がそれに気を悪くするようなことは無かった。
今回だって、ちゃんと謝れば水に流してくれるのではないだろうか?
「よし、行くぞっ」
そんな甘い期待を胸に、クロは覚悟を決めるとベージュの講師室へ足を進めるのだった。
◇
「許さない!」
だから、不貞腐れたような表情で、そうそっぽを向くベージュに対し、クロはどうしていいかわからなくなってしまった。
「あの………アイボリー先生?」
「私が貴方から、そんな風に思われていたなんて………酷いわ、シルバーくん!
先生、もう貴方なんて知らないんだから!」
困り果てるクロに対し、座面回転椅子に腰掛けたベージュはクルリと背を向けてしまう。
「え、えー………」
まるで駄々をこねる子供のように怒りつづける、33歳の女性に対し、クロは途方にくれてしまっていた。
さきほど意を決してこの部屋へ訪れ、ベージュに対し謝罪の意を述べたのだが、当の彼女は怒り心頭のようだ。
「あ、あのアイボリー先生。
先ほどは失礼なことを言って、本当に申し訳ありませんでした。
どんな罰則でも、謹んで受けるつもりです」
「ごめんで済んだら、騎士団はいらないの!」
「あー………もう」
あくまで自分へ背を向けたまま、背中で怒りを語るベージュに対し、クロは困り果ててしまう。
ベージュ・アイボリー上級魔術師。
33歳にもなって………こんな子供のような人だとは思っていなかった。
「アイボリー先生………せめて、こちらを向いて頂けませんか?」
「やだ!」
「やだ………ってそんな、子供みたいなことを言わないで下さいよ………」
「なにそれ!? 私がおばさんだって言いたいの!?」
「誰もそんなこと言ってないでしょう!?」
もう勘弁してくれ! という心の叫びを飲み込み、クロは途方にくれた表情で立ち尽くす。
しかし困った………本当に困ってしまった。
簡単に許されるとは思っていなかったが………ここまで取り付く島もないとも考えてはいなかったのだ。
(これは、本当に追放処分を免れないかもしれないぞ………?)
クロがそんな思いを胸に恐々としていたところ、ベージュがチラチラとこちらを伺っていることに気付く。
「シルバーくん」
「は、はい! なんでしょうか!?」
ジロリとした視線だけをクロへと向け、ベージュはクロへ確認するように声掛ける。
「どんな罰則でも受ける、って言ったよね?」
「た、確かに言いましたが………?」
「本当に………どんな罰則でも受けるのね?」
「は、はぁ………」
ベージュはジロジロと無遠慮にクロの顔を見つめた後、ふわりといつもの穏やかな笑顔を浮かべてみせた。
「それじゃあ………罰として、クロくんには魔術研究会に入ってもらおうかしら?」
「はい?」
「私を信じてくれていなかった罰として、クロくんは私が顧問する魔術研究会―――アイボリー教室へ入室するの!
うん、それで先生は貴方を許して上げる。我ながら、なんて寛大なんでしょう!」
ニコニコと満面の笑顔を浮かべながら、ベージュはパチパチと手を叩いてみせる。
さっきまでのふくれっつらは何だったというのだろうか?
「あ、あの………」
「なに? まさか、嫌だなんて言う訳じゃないでしょうね?」
困惑するクロに対し、ベージュは満面の笑顔を浮かべたまま低い声で問いかける。
(こ、恐い! なんか恐い!!)
ベージュは顔こそ笑顔を浮かべているが、その胡桃色の瞳は全く笑っていない。
ニコニコと剣呑な表情で、自分の答えを待つ彼女に対し、クロはゾクリとした恐怖を感じるのだった。
「い、嫌だなんてまさか!
僕が名高きアイボリー教室の一員になれるなんて! いやぁ、うれしいなあ!!」
ここで断ったりしたら、恐ろしい何かが自分を待ち受けている気がする。
クロは故郷のシルバー村で培った生存能力からそう判断し、乾いた声で必死にそう述べたところ、ベージュは更にうれしそうな調子で言葉を続ける。
「シルバーくんにそう言ってもらえてうれしいわ!
それじゃあ、今日の放課後から早速、研究室へ来てね!」
「き、今日ですか!? 手続きとか、そういったものは………」
「大丈夫! シルバーくんがこの部屋に来る前に、全部終わらせておいたから!」
「はぁ!?」
(やられた!!)
自分がこの部屋へ謝罪に訪れる前から、手続きを終わらせていた?
つまり、ベージュの目的ははなから自分をアイボリー教室へ入れることであったということか?
ベージュの目的を察したクロは驚愕の表情を浮かべる。
(ようするに僕は、この人の手の上で踊らされていたということか………)
全てを悟ったクロは、深くため息をついてしまう。
そんなクロへ、ベージュは慈しむような目を向けて、静かに口を開いた。
「ねえ、シルバーくん。
先生はね………シルバーくんはもっと皆に受け入れてもらえる人だと思うの」
「僕が………? まさか」
少し卑屈な調子でそう否定するクロに対し、ベージュはフルフルと首を振る。
「学舎のみんなは、貴方のことをあまり知らないわ。だって貴方はみんなに自分のことを話さないのだもの。
だけど、先生は知っている。
クロくんは、生真面目すぎて、ちょっと捻くれてもいるけれど………いつも一生懸命な優しい男の子だもの」
「僕が優しい?
………買いかぶりすぎですよ。だって僕は―――」
ついさっき、貴女にあんな酷い言葉をぶつけたのに―――。
クロはそう言葉を続けようとしたが、ベージュはそれに先じてクロへ近づき、彼の両肩を抱いてみせる。
「先生ね………本当は恐かった。
だって、中庭で話した時のシルバーくんは、まるで世界の全てを憎んでいるかのようだったんだもの。
もう、私の前には二度と姿を現してくれないんじゃないかって、割と本気でそう思っていたんだよ?」
「え?」
ベージュの言葉にクロが顔を上げると、彼女はいつもの穏やかな微笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「先生はシルバーくんが難しい立場にいるって知っていたのに、これまで貴方に何もしてあげられなかった。
だからね、ありがとう。
貴方が会いに来てくれて、先生はうれしかった」
「……………」
困ったな………。
そんな優しい言葉をかけられたら、断れるものも断れなくなってしまうじゃないか。
ベージュの穏やかな声音を鼓膜に捉えながら、クロは自分の心が何か温かいモノで満たされていくことに気付いていた。
ベージュ・アイボリー上級魔術師。
学舎に入学して1年間、周りから疎まれ孤立していた自分をずっと支えようとしてくれた、優しい先生なのだ。
そんな彼女に、自分はなんと横暴なことを言ってしまったのだろう?
「アイボリー先生………」
「?」
俯いて、ぼそりと口を開いたクロへ、ベージュが不思議そうに小首を傾げる。
「さっきは………本当に、すいませんでした」
「………ふふふ」
目を伏せ、悔いるようにそう呟くクロへ、ベージュは少し困ったように、はにかんだ笑みを浮かべるのだった。
◇
「これにて一件落着ってやつか」
講師棟の外に出、クロが午後の講義へ向かおうと歩みを進めていると、再び姿を具現化させたコウがやれやれ、といった体で嘯く。
「気楽に一件落着と言うわけにはいかないよ。
どういう訳か、アイボリー教室へと入ることになってしまった」
そんなコウへ、クロはため息混じりにそう答える。
「何でそんな嫌そうなんだよ?
お前だって、あのアイボリー先生が嫌いな訳ではないんだろ?」
「まあ、そうなんだけどさ………」
『聡明な賢者の学舎』には、通常の講義の他、講師から直接ゼミナール形式で指導を受けることが出来る、研究会といった活動が存在する。
これらについては強制参加という訳ではなく、更にその学問を詳しく学びたいという学生たちが自主的に行う活動であるのだった。
『アイボリー教室』
上級魔術師ベージュ・アイボリーを顧問とする、魔術研究会である。
もともとベージュは自然現象を魔力によって操作する『天変魔術』を得意とする魔術師であるが、このアイボリー教室は魔術に対する熱意さえあればどんな分野を志す学生でも入室を歓迎されており、彼女もまた熱心に指導を行っていると聞く。
現在、アイボリー教室に所属する学生は3名であるが、その全員が優秀な成績を修めているともっぱらの評判であった。
「何だよ、何か不満でもあるのか?」
「確かに、アイボリー先生のことは嫌いじゃない………むしろ、好きだとも思っているよ。
だけどさ、魔術研究会に入るということは、同時に他の会員と深く関わるということだ。
僕はそれが………不安なんだよ」
「なんで?」
クロは少し逡巡の表情を浮かべるが、不思議そうなコウへ真っ直ぐに視線を向けると意を決したように口を開く。
「だって、深く関われば、それだけ深く傷つけられる可能性がある。
僕はアイボリー教室の会員を知っている訳じゃないけれど………少なくとも女性であるのは間違いがない。
僕はただでさえ暗くて、人付き合いが下手糞な男だ。
彼女らと上手くやっていけるか不安なんだよ」
自分の心情を正直に吐露するのは気恥ずかしいものがあるが、コウは妖精というだけあって妙に察しがいい。
というか、納得できないことがあれば、自分が納得できるようになるまで、ズカズカと人の心に乗り込んでくるきらいがある。
ここは正直に言った方が被害が少ないだろうと、クロは己の抱く不安を正直に述べることにしたのだった。
「クロは相変わらず後ろ向き思考だな。
そんな不安がるなって、あのアイボリー先生の教え子たちだ。きっとクロにも良くしてくれる。
つーかさ、そんなこと不安がるより、可愛い子がいるかどうかを気にしようぜ?」
「僕はお前と違って、そこまで前向きな人間じゃないよ………」
へへへ、といかにも頭が悪そうな笑みを浮かべるコウに対し、クロは相変わらず不安そうな表情で俯いてしまった。
そんなクロへ、コウは思案するように顎へ手を当てると、少し真面目な表情で再び口を開く。
「クロ、確かお前は………人体魔術師? とかいうのを目指しているんだったな」
「それが、どうかしたのか?」
「俺もこの一日の間に情報を集めただけだから詳しいことはわからんが………人体魔術師とやらになるのは大変なモノなんだろ?
それなら独学で学ぶより、ちゃんとした指導者の下で、仲間たちと切磋琢磨しながら学んだ方が夢に近づけるじゃないか?」
「僕は独学でいい」
「そんなこと言ってたら、叶う夢も叶わんぜ? 夢があるなら出来得ること、全てをやるべきだ」
「……………」
突然、正論のようなことを言い始めたコウに対し、クロは少しだけ憮然とした表情を浮かべる。
クロの脳裏に、かって誰かから自分に向けられた言葉が浮かぶ。
『クロ、私はね。あきらめさえしなければ、願いはどんなことだって叶うと思っているんだ』
「確か………あきらめさえしなければ、どんな願いだって叶うんだ。
物事はあきらめない事が重要な筈だ」
「何だよ、それ?
誰がそんな無責任なことを言ったんだ?」
「無責任って………」
「あのさ、願いを叶えようとする上で『あきらめない』ってのは、言わば最低条件なんだ。
それだけじゃ、願いを叶えることなんて出来やしない」
コウは真面目な表情を保ったまま、クロの瞳を真っ直ぐに見つめ言葉を続ける。
「願いを叶えたいと思うなら、がむしゃらにならないといけない。
やれること全て、出来ること全て。
ありとあらゆる可能性に手を出して、己の願いに向けて猛進しないといけないんだ。
そして、お前の願いを叶えようとする上で、魔術研究会に入るってのは、是非手を出すべき事柄だと思うぞ?」
「……………」
考え込むように黙り込んでしまったクロに対し、コウが取り成すように言葉を続ける。
「おっと、つい偉そうな言い方をしちまったな。
数百年も生きていると、どうも説教臭くなっていかん。
まあ、どちらにしろ、今更『魔術研究会に入るのやめます』何て言えねぇだろ?
気楽に行こうぜ!」




