第17話 ネズミと主人
「クロ! 朝だ、朝だぞ! 起きろ!!」
「………うるさい」
早朝の第7校舎、学生棟の自室。
クロはけたたましい声によって無理やり目覚めさせられる。
自室にいることが少ないとはいえ、それなりに慣れ親しんだ寄宿舎の自分の部屋。
そのベッドの上でクロは声の発生源に対し不機嫌に顔を向けると、そこには昨日ヴィオレによって召喚され、どういう訳か自分についてきた妖精族の少年が腰に手を当ててクロを見下ろしていた。
そのままぼんやりと時計に目を向けると、針は午前6時をさしている。
「まだ、6時じゃないか………僕はもうちょっと寝るよ」
「ダメだ! 早寝早起きは幸せへの第一歩だと言っただろうが!」
「僕は朝が弱いんだよ………」
「昨日、夜更かししていたからだ!」
「おやすみ」
クロはそのまま毛布を被ろうとするが、コウはその毛布の隙間に潜り込み、クロの耳元で更に喚きつづける。
「クロさーん! 朝ですよー! 起きる時間ですよー!
さあ、さあさあさあ! 起きて身だしなみを整えろ!」
「うるさいな! わかったよ!」
とうとう根負けしたクロは仕方なく毛布から出て授業の準備を始めるが、コウは更に口うるさく言葉を続ける。
「おいおいおい、頭に寝癖がついたままになってるぞ!?
それに何だ、そのローブは。しわくちゃじゃねぇか、みっともない。
あと、ちゃんと顔を洗え!」
顔のまわりをブンブンと飛び回りながら、全身にケチをつけてくるコウに対し、クロは見るからに不機嫌な表情を浮かべる。
「別にどうでもいいだろ、そんなこと」
「良い訳ねぇだろ! 確かこの学校はお前以外、みんな女の子なんだよな?
見た目小奇麗にしとかねぇと嫌われちまうぞ!?」
まるで母ちゃんみたいだな………とクロはギャーギャー喧しいコウに対し独りごちる。
「とりあえず、顔を洗って髪を直せ」
コウが催促するように水桶の水をバシャバシャと叩く。
もう、何を言っても無駄なようだ。クロはため息をつくと、観念したように顔を洗い、寝癖を水で直すことにした。
「うっし、次はそのシワシワローブだな。
クロ、どっかにアイロンは無いのか?」
クロが顔を洗い終えたのを確認すると、コウはクロのローブを抱えて、キョロキョロと辺りを伺いはじめる。
「アイロンはあるけど………あれは学生の共用品なんだ。
この廊下の先にある洗濯室まで行かないといけないんだよ」
「ほう、洗濯も出来るのか、ちょうどいい。
アイロンついでに、洗濯もやっちまおうぜ!」
「…………」
コウは今にも洗濯室へ向かおうとするが、クロは無言で立ち尽くしたまま動こうとしない。
「どーした、クロ?
―――ああ、俺のことなら心配するな。腐っても妖精だからな。
人間が知覚出来ないようにすることくらい、訳ないぜ?」
「そういうことを心配しているんじゃない」
「じゃあ、なんだってんだよ?」
不思議そうな顔を浮かべるコウに対し、クロは逡巡しながらもポツリと言葉を漏らす。
「今の時間の洗濯室は、朝の身だしなみに励む学生たちで混雑している。
出来れば、彼女らに会いたくないんだよ」
「なんでだよ? 同じ寄宿舎に住んでる仲間なんじゃないのか?」
こんな話を初対面とも言える相手に話すのは抵抗があるが、今後のことを考えると学舎に置ける自分の立場をはっきりと説明しておいた方がいい。
クロはそう考えると、わずらわしそうにコウへ言葉を続ける。
「僕は………学舎の人間全員から、それこそ蛇蝎の如く嫌われているんだ。
朝から彼女たちの嫌忌の視線を浴びたくない」
「はぁ?」
「お前だってわかるだろ? 僕は世界で唯一の魔力を持った男なんだ。
まして、この学舎に所属する学生は大半が貴族や大商人などの子女たちなんだよ。
男で………しかも田舎者の貧民な僕は、彼女らにとって見るのも嫌な存在なんだと思う」
「むぅ」
クロの言葉に対しコウは不満気な表情を浮かべるが、クロは構わずに言葉を続ける。
「確か―――世の中には、自分のコミュニティにイレギュラーな存在が加わることがどうしても許せないという人間が存在するんだ。
そして僕はイレギュラー中のイレギュラー。
学舎において存在すら許されない、異端者なんだよ………」
クロは瞳に卑屈な光を浮かべ、足元に立ち尽くすコウへ自嘲するような笑みを浮かべてみせる。
対してコウは少し考え込むように腕組みをしていたが、パッと目を開くとクロへ視線をあげて口を開いた。
「わかった! とりあえず洗濯室へ行こうぜ!」
「ぜんぜんわかってないじゃないか!」
あっけらかんとしたコウに対し、クロは呆れ果ててしまう。
(妖精族というものは、正真正銘の馬鹿なのか? 僕の話をこれっぽっちも理解していないじゃないか)
コウは再び羽を震わせ、クロの眼前まで舞い戻る。
「お前が嫌われてるなら、これから好かれるようにすればいいだろ?
何にしても、そんなみずぼらしいローブを羽織ってるようじゃ、お話にもならねぇ!
ぐちゃぐちゃ言い訳してねぇで、さっさと洗濯室へ行くぞ!」
「うるさい、馬鹿。洗濯室へなんて行くもんか!」
クロは苛立ち混じりにコウへ背を向けるが、コウはクロの眼前へ回り込むと、ニヤリと嫌な笑みを浮かべてみせる。
「そんなこと言っていいのかー?
俺がその気になれば、お前の生活は一変しちまうんだぜ?」
「な、なにを………?」
コウは咳払いをすると、ベッドの上に降り立ち、芝居がかった身振りで寸劇を始めた。
「わたくし妖精族のコウは、偉大なる魔術師クロ・シルバーによって召喚されました!
私としては不本意な召喚ではありましたが、彼の強大な魔力により抗うことが出来なかったのです!
クロ・シルバーは人類の歴史上、かってないほどの大魔術師です!
―――って、この学校の偉そうな人間たちの前で吹聴してやるぞ」
「じ、冗談だろ………?」
妖精族の召喚―――それは歴史に名を残すほどの大偉業なのだ。
コウにそんなことをされれば、自分に学舎の………いや、王都中の注目が集まることは間違いないだろう。
出来る限りひっそりとこの学舎を卒業したいと望むクロにとって、それは閉口してしまう事態であった。
「ほらほら、どーする?
いま洗濯室へ行って小さな注目を浴びるか、それともこのまま王都中の大注目を浴びるか、好きな方を選べ」
「ああ、もう! わかったよ、この悪魔め!!」
もとより自分に選択肢などない。
クロは仕方なく、ローブを手に取り寄宿舎の洗濯室へと向かうのだった。
◇
自室の外、学生たちの部屋への扉が連なる廊下の先に、洗濯室は存在する。
クロが恐々と洗濯室の中を伺うと、予想に反して、中には数名の学生たちがいるのみであった。
『ほら、早く行けよ』
「ま、待てよ………まだ、心の準備が………」
先ほど言っていたとおり、姿を霧散させたコウがクロの耳元で囁くが、クロは緊張した面持ちで入口で固まり、動く気配が無い。
洗濯室には現在、3名の学生がアイロンを使っているようであった。
この洗濯室に置かれているアイロンは2台。自分が使うには彼女らの作業が終わるのを待たなければならない。
『そんな風に入口で固まってる方がよっぽど不審だぜ!?
ほら、入った入った』
「うわっ!」
いつまで経っても動こうとしないクロの背中をコウが蹴りつける。
自分の膝にも満たない大きさのコウであるが、その蹴りは存外に威力があり、クロはヨタヨタと洗濯室の中へと入り込んでしまった。
「それでさ―――うん?」
思わず上げてしまったクロの声を耳に納め、アイロン作業をしていた学生の1人が背後へ目を向ける。
「シルバー………初等生?」
「お、おはようございます………」
目の合ってしまった学生に対し、クロはヘコヘコと頭を下げる。
彼女らは同じ階に住む、中等生のようだ。
あまり自室に戻ることのないクロであるが、流石に同階の住居人の顔くらいは判別できる。
滅多に姿を見せないクロの姿に、学生は少し驚いている様子であったが、クロの持っているローブを目に納めると、クロへ声掛ける。
「あ、ひょっとしてアイロンを使いたかった?
ごめんね。今は私達が使っているから、終わるのを待っててもらえる?」
「は、はい、すいません。僕はあちらの方で待ってますので………」
クロはギクシャクと返事をすると、反対側に設置された洗面台の方へ歩いていった。
学生たちは再びクロへ背を向けると、アイロン作業へと戻っていく。
「しっかし、毎朝、毎朝、面倒臭いよねぇ。
家にいたころは、こんなの使用人にやらせていたのに………」
「それにここのアイロン、銅製でしょ?
直接触って火傷した子もいるらしいよ。学舎もお金あるんだから鉄製のを揃えて欲しいよね」
「それより、学生用の使用人を何人か雇って欲しくない?
洗濯、掃除、物の手入れまで、自分でやるのって馬鹿らしくなっちゃう」
学生たちはアイロンをかけながら、楽しそうに談笑を続けている。
学舎に設けられたアイロンは、銅製の枡に焼けた炭を入れて熱したものだ。
彼女らはそれに不満があるようだが、そんなアイロンでさえクロにとってはぜいたく品と言えるものだった。
彼が住んでいたシルバー村には、アイロンなどという文明の利器は存在しなかったのだ。
クロがそんなことを考えていたところ、作業が終わったらしい学生がクロの方を向いてアイロンを示してみせた。
「お待たせ。アイロン、もう使ってもいいよ。
お互い、毎朝大変だねぇ」
「まあ、シルバー初等生なら、こういうのも自分でやってたんでしょ?
慣れたものなんじゃないの?」
「そうだ、シルバーくん。
今度お駄賃あげるから、制服のアイロンがけ、やっといてくれない?」
「ははは………」
にぎやかな3人組みに対し、クロはいつもの卑屈な笑みで答えると、学生の1人が仲間の頭を小突きながら、取り成すように言葉を続ける。
「ほら、馬鹿なこと言ってないで行くよ。
シルバーくん。アイロンはもう熱くなってるから、そのまま使っても大丈夫だよ」
わいわいと談笑を続けながら、3人組は洗濯室の外へと出て行った。
「…………………」
クロは彼女らが洗濯室から離れていくのを確認すると、ホッとため息をつき、アイロン台へ自分のローブを広げる。
そして、霧吹きで水をかけると、静かにアイロンをかけていく。
「なんだ。別に嫌われているわけでもないじゃないか」
そんなクロの肩にコウが座り込むと、耳元でそんな言葉を呟くと、クロはキッと眉間に皺を寄せ、コウを睨みつける。
「どこが? どう聞いても、彼女らは僕のことを嫌っていただろ?」
「………逆にどこで嫌われていると思ったんだよ?」
困ったような表情のコウへ、クロが説明していく。
「まず、僕を見つけた時の、あの人たちの目を見ただろ?
まるでドブネズミを見つけた時のように、不快なモノを見る目つきだったじゃないか。
それに、僕に小遣いをやるから雑事をやれと言っていただろう?
あれは要するに『お前のような貧民は、使用人として使われろ』と暗に言っているんだ。
貴族の子女であるあの人たちにとって、僕のような貧民は存在が目障りなんだよ」
「………それ、マジで言ってんのか?」
「当たり前だろ!?」
心から自分の言を信じているようなクロに対し、コウは頭を抱えてしまう。
この少年が、学友たちからどのような扱いを受けてきたのかは知らないが、彼の物の捉え方は明らかに歪んでしまっているようだ。
被害妄想、人間不信………それに女性嫌悪だろうか?
何にしても、こんな生き方では、本人もさぞ苦しいだろう。
「なあ、クロ―――」
「アイロンがけは終わったぞ。もうここに用事は無いだろう?」
「あ、待てよ!」
コウの言葉を押し潰すように、クロはローブを羽織り洗濯室から出ていった。
◇
『聡明な賢者の学舎』第3校舎、講義棟。
数多の講義室の内の一つ。自分の割り振られた講義室の扉をクロはガラリと開く。
すると、それまで騒がしい話し声が行き交っていた講義室の中が一瞬シン、と静まりかえるのを感じ、クロは小さくため息をついてしまう。
クロがカナリーから焼き殺されそうになって以来、学友たちは自分を腫れ物のように扱っていた。
クロは自分の靴先へと目を伏せ、なるべく誰とも目が合わないように気を使いながら、自分の席へと足を進めていく。
クロが席につくと、静まりかえっていた講義室に再び喧騒が戻ってくる。
(そうだ。僕のことはいないものとして扱ってくれ。それがお互いにとって一番いい)
クロの心は以前よりも更に固く閉ざされている。
だって、この『学友』たちは自分を殺したいほど憎んでいるのだ。
きっと、あの時自分がカナリーに焼き殺されれば良かったと思っているに違いないのだ。
『―――クロ』
そんなクロの脳裏に浮かぶのは、自分へ優しく呼びかけるヴィオレの姿。
今日、資料室に先輩は来てくれるのだろうか?
どうやら先輩はコウのことを酷く嫌ってしまったらしい。
昨日の今日だ。もしかしたら、先輩は資料室へ来ないかもしれない。
そしたらきっと―――自分は酷く寂しい。
周りの学生たちへ壁を作るように机へ突っ伏し、クロは頭の中で独白と続ける。
いつからだろうか?
わずらわしいとさえ思っていたヴィオレが、自分に取ってかけがいのない人になっていたのは。
この荒んだ自分の生活において、ヴィオレだけが安らぎだった。
敵ばかりのこの世界で、ヴィオレだけが味方になってくれた。
誰もが憎む自分という人間を、ヴィオレだけが優しくしてくれた。
考えてみれば、それは当然のことだったのかもしれない。
だって、ヴィオレは自分にとって『御主人様』なのだから。
そうだ―――ヴィオレは御主人様なのだ。
とても尊い人なのだ。
自分は御主人様の為ならどんなことだってしてみせる。
どんな罪でも、どんな冒涜でも犯してみせよう。
御主人様。
誰よりも、何よりも優先しなければいけない。
彼女は正しい。全てにおいて正しいのだ。
クロは思考する。とりとめも無く思考する。
濁流のように脳裏に浮かぶのは、自分を守ってくれたヴィオレの姿や、彼女から送られた優しい言葉の群れ。
そして、彼女に対する常軌を逸した忠誠の心であった。
―――ヴィオレ・ヴァイオレットは自分の主である。
それは、明らかに常軌を逸した思考であったが、クロはその思考を違和感なく受け入れていた。
「御主人様………僕のただ一人の主様………」
クロは自分でも意図せぬままに、彼女をブツブツと呼び続ける。
机に突っ伏していたことで、誰もクロの様子には気付かなかったが、彼の瞳には明らかな狂気の影が宿っていた。
『クロ………?』
そして、そんなクロをただ1人。
コウがおぞましい物を見るような目でクロを見つめていたのだった。
第18話は1月9日午後7時ころに投稿予定です。




