第16話 妖精と男魔術師
「………で、ここはどこなんだ? 主さん?」
妖精が不思議そうに、ヴィオレへ問いかける。
幸福の部屋から戻ってきたいつもの資料室。
その机の上で、妖精はちょこんと座り、訝しげな視線をクロとヴィオレへ向けていた。
ヴィオレは妖精の問いに答える代わりに、はあ、と一度大きくため息をついてしまう。
「あなたは、幸福の妖精………でいいんだよね?」
疑うようなヴィオレの問いに、妖精は困ったように答える。
「いいのか、って言われてもなぁ。
君がその………なんだっけ?
『幸福の妖精』とやらを召還したら、オレが出てきたんだろ?
だったら、オレは幸福の妖精でいいんじゃないかな? よくわかんねぇけど。
ちなみに、名前はコウという。
よろしくな、主さん!」
屈託なく笑うコウに対し、ヴィオレはますます不審気な表情を濃くしていった。
「あのさ………私、妖精族は強大な力を持っていて、奇跡によって幸福をもたらすって聞いていたの。
その奇跡で私を幸せにして欲しいんだけど」
「むぅ………」
ヴィオレから言われた言葉に、コウは少し思案するように首を傾げる。
「主さん。幸せが欲しいと言うが、何が君にとっての幸せなんだい?」
「私にとっての幸せ?」
「そう、幸福の形は人によって十人十色だ。
人数分だけ幸せがあると言っていいだろう。主さん、君の幸せの形を教えてくれ」
「私の幸せ………」
コウの言葉に対し、ヴィオレが何やら考え込んでしまう。
クロは少し不思議に思いながら、そんなヴィオレを見つめていた。
『私は幸せになりたい』
さきほど『奇跡の部屋』でヴィオレが言っていた言葉だ。
しかし、クロから見れば、ヴィオレは十分に幸福な人間だと思う。
王都でも有数の上級貴族の家に生まれ、人間関係も良好。容姿も端麗であるし、魔術の才も相当な物を持っているようだ。
これだけ運命に恵まれながら、いったいヴィオレはこれ以上、何を望むというのだろう?
クロはそんなことを考えていたところ、ヴィオレはようやく考えがまとまったのか、真剣な瞳をコウへと向ける。
「私の幸せ………私の望み、私が求めること………。
ねえ、妖精さん。私が求めるのは、この世界の変革。
妖精さんの奇跡で、この糞みたいな世界を変えて欲しい」
「世界の変革………? また、どえらい望みを持ったもんだな。
主さん。君は何でそんなことを求めるんだい?」
コウの問いかけに対し、ヴィオレはギュッと拳を握る。
「この世界はあまりにも、嘘と欺瞞に満ちすぎている。
全ての人は私の敵。誰も彼もが私を憎んでいるかのよう。
私には、たったの1人だって、味方になってくれる人がいないの………。
だからさ、妖精さん。
こんな世界をぶっ壊して、嘘も偽りも無い『本当』だけに満たされた世界を創って欲しいの」
クロは始め、ヴィオレがまた何か冗談でも言っているのかと思ったが、彼女の目は真剣そのものだ。
いかに妖精族の力が人智を超えるとはいえ、世界の変革など神の領分である。
(しかし、先輩に味方がいないって、どういうことだ?
先輩は常に誰かと一緒にいるじゃないか。
それに、僕だって―――)
「ふうむ………」
コウはヴィオレの言葉に対し、真剣に耳を傾けていたが、一拍おいて柔らかな笑みを浮かべる。
「なるほど………主さん。
君の願いは、君が考えているよりも簡単に叶うよ。
君自身が変わればいいんだ。
世界を変えるなんて無稽に妄信するより、自分自身を変える方がずっと楽だと思うぜ?」
「は?」
「君は全ての人間が自分の敵だと言っていたが………はっきり言おう、そんなモン唯の妄想だ。
誰からも好かれる人間がいないように、誰からも敵視されるような人間なんていない。
君が思っているほど、人間は捨てたモンじゃないと思うぜ?」
「………つまり、君には………私を幸せにするつもりが無いんだね?」
地下にいたときは期待に染まっていたヴィオレの表情が、今度は失望と微かな憤慨に変わっている。
そんなヴィオレに対し、コウが取り成すように言葉を続けた。
「そういう訳じゃないさ。
だが、君の言う………『本当』しかない世界?
そんなもの、禄なモンじゃないぞ。
人間ってのはある程度、嘘を吐いて生きるもんだ。
そんな空想に浸るより、現実をもっと良くすることを考えようぜ?
オレはそのためなら尽力する所存だぞ」
「もういい」
まるで斬って捨てるようにヴィオレはそう呟くと、青紫色の右目を微かに明滅させてコウの姿をまじまじと見つめる。
その瞳の光は微かなもので、隣にいるクロでさえヴィオレの明滅する青紫に気付かなかったが、コウは真紅の瞳で、その青紫色を真っ直ぐに見つめ返すと、先ほどよりも低い声で警告するように口を開く。
「主さん………ソレはあまり使わない方がいい。
それは便益なモノであるかもしれないが、同時にキミにとって不幸にもなり得るモノだ。
それに、そんなモンを使ったところでオレの心は奪えないぜ?
これでも一応、妖精族なんでな」
「―――!」
コウの言葉にヴィオレは目を見開くと、驚愕したように後ずさった。
口元が動揺したようにヒクヒクと痙攣し、額に汗が浮かばせている。
「先輩?」
いつも余裕に満ちているようなヴィオレが見せたその態度に、クロが不思議そうに問いかける。
「―――いらない」
「はい?」
「こんな奴、いらない!!」
ヴィオレは冷や汗を流したままそう怒鳴ると、資料室の外へと駆け出して行き、振り返ることなく、どこかへと去っていってしまった。
「先輩………?」
突然、激昂したように去っていったヴィオレに対し、クロは呆然としてしまう。
ようやく、念願の妖精を召還したというのに、ヴィオレはどうしてしまったのだろう。
「まいったな………久しぶりに復活したと思ったのに、ものの数分で捨て妖精となってしまった。
なあ、少年。
オレはどうすればいいんだ?」
見れば、コウがクロのズボンの裾をつかみ、困ったような表情で彼を見上げていた。
「そんなの、僕が知るかよ………」
◇
「いやあ、娑婆の空気はうめぇなぁ!」
「囚人か? お前は」
コウがクロの頭の上に立ち、両手を広げて外の空気を目一杯に吸い込んでいる。
結局、クロとしてもこの妖精をどうしていいかわからず、かといって資料室に置いておく訳にもいかないことから、寄宿舎にある自室へと連れて行くことにしたのだ。
気楽な様子で自分の頭の上に立っているコウに対し、クロは訝しげな目で見上げる。
妖精族―――驚異的な異能を持ち、人智を超えた存在であるとされる種族であるが、彼らが具体的にどういったモノであるのか、ということはわかっていない。
人類の歴史上、妖精族が現れたのは伝説や御伽噺の中だけであり、参考となる文献が皆無といっていい状態なのだ。
試しに「帰れ」と言ってはみたのだが、「どこに? どうやって?」と逆に尋ねられる始末である。
「そもそもお前、どこから来たんだよ?」
「そんなの知らねぇよ」
「知らないって何だよ………自分自身のことだろ?」
クロの言葉に、コウは一つため息をつくと、羽を震わせクロの頭から彼の眼前へと音も無く浮遊する。
「いいか、少年。妖精族ってのは不滅なんだ」
「不滅………?」
「そう、オレたち妖精ってのには、お前ら人間族のような死とか、生とかそういう概念がない。いつの間にか存在し、いつの間にか消えているんだ。
オレ自身、いつ、どうして生まれたのかなんざ、覚えちゃいねぇ。
多分、数百年くらいは存在している気がするが、最近のことだってロクに覚えちゃいねぇんだ」
「適当だな………」
目の前で腰に手を当てて、えらそうに胸を張るコウに対し、クロが呆れた表情を浮かべるが、コウはにひひと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「適当じゃなきゃ、不滅なんてやってられねぇよ。
それよか、今を楽しもうぜ。
昨日より今日、明日よりも今日だ。常にその瞬間を鮮烈に生きるのが妖精族って奴さ」
「僕には許容できない思想だ」
ヘラヘラと笑い続けるコウに対し、クロは視線を反らすと寄宿舎へ向かって歩を進めていく。
「今日だけは僕の部屋に泊めてやる。
明日になったら、先輩のところでも、どこへでも行ってくれ」
「おいおい待てよ。少年! まったく、愛想の悪いガキだな。
妖精族は寂しいと死んじまうんだぜ?」
「不滅はどこにいったんだよ………」
顔の周りをブンブンと飛び回るコウに対し、クロはわずらわしげに顔を背ける。
「というか少年。お前は見たところまだ10歳くらいだろ?
こんな時間まで起きているのは感心しないな」
「僕はもう13歳だ!」
「オレにとっちゃ10も13も大して変わんねぇよ。
どっちにしろ、ガキはもう寝る時間だろうが」
「お前には関係ない!」
口うるさいオバサンのような妖精に背を向け、クロが歩みを速めると、コウは再び眼前へと舞い戻り、その真紅の瞳をクロの漆黒の瞳へと合わせる。
「まあ、そう怒るな。
何にしろ、少年って呼ぶのも変な話だな。
お前の名前は何ていうんだ?」
軽薄な調子で話すコウであるが、その真紅にはヴィオレとまた異なる、引き寄せられるような光がある。
クロはその光へと誘われるように己の名前を口にした。
「クロ………クロ・シルバーだ。
この『聡明な賢者の学舎』に所属する初等学生で、お前を召喚した先輩………ヴィオレさんの後輩にあたる学生だ」
少し不貞腐れたように名を告げるクロに対し、コウはにへら、と締まりの無い笑みを浮かべると、側にあった雑木の枝に乗り、気取った様子で胸に手を当て礼をしてみせた。
「よし、それじゃあクロ。
オレは妖精族のコウ。
本日、ヴィオレ・ヴァイオレットに召喚され、同日の内に捨て妖精と成り果てた哀れな妖精族だ。
以前の記憶はあまり残ってないが………たぶん、世界に存在を許されるのは久しぶりだと思う。
色々とわからないことばかりだが、まあよろしく頼む」
涼しい夜風がコウの純白の髪を靡かせ、月の蒼い光が真紅の瞳を映えさせる。
その姿は幻想的で、昔クロが読んだ御伽噺の妖精を連想させるものだ。
この世界において、純白の髪と真紅の瞳は不吉の象徴である。
クロも最初にコウを目の当たりにした時は、何とも嫌な印象を持たされたのだが、こうして月明かりに照らされるコウは、どこか神秘的な美しさを漂わせているのだ。
「………好きにすればいい」
クロとしては、妖精族と関わるなど迷惑千万もいいところであるが、何故かコウを拒絶する気になれず、嫌々ながらも彼?を受け入れる気になっていた。
「ところでクロ………久しぶりに召還されたせいか、すっかり腹が減っちまった。
何か食うものはないか?」
「食べ物? 妖精って何を食べるんだよ?」
花の蜜でも吸うのだろうか?
コウの可憐な外見から、クロはそんな乙女チックなことを考えると、コウが感極まったように大声を挙げる。
「肉だ! 肉が喰いてぇ!
豚でも牛でも、鳥でもいい! とにかく肉だ!
ニンニクでたっぷり匂いをつけて、馬鹿みたいに塩胡椒をぶっかけたジャンキーなやつ!
それを貪り喰いてぇ!」
「調子に乗るな!」
歴史的な偉業とも言える妖精族の召喚。
その妖精を半ば押し付けられてしまったクロは、ただ途方に暮れてしまうのであった。




