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第15話 幸福の部屋

 

 カツカツと二つの足音が階段の中を木霊する。

 クロとヴィオレが降りていく階段には、窓がなく、明かりもない。

 完全な暗闇に満たされた回り階段。

 足元を照らすのはヴィオレが持つランプだけで、無機質に作られた階段は自分たちがどれだけの距離を下ったのか、という認識すらも奪っていくようだった。


「ねえ、クロ」


 そんな中、ヴィオレは静かに言葉を発する。


「私たちの歴史ってさ、クロが好きなゴルトー叙事詩の時代………200年前くらいまでのことしかわかっていないよね?」


 クロは、なぜヴィオレが突然そんな話を始めたのか訝しく思うが、彼女の言葉に答える。


「それは、破滅の時代………200年前、魔王がこの世界の全てを破壊してしまったからでしょう? 

 たしか当時、魔王は世界中に残っていた施設、文献、遺跡に至るまであらゆる物を破壊していったとか………」


 ―――200年前。この世界には破滅を求める男がいた。

 『魔王』と呼称されるその男は、純白の髪と真紅の瞳を持った異形の姿で、

 超常的な力を有していたと伝えられている。


 人も、物も、己さえも、

 全てを憎んだその男は、己が望むまま、求めるままに

 あらゆるものを、破壊し、殺し、消し去っていった。


 魔王とその眷属たちによる大破壊。

 それによって、この世界における歴史的建造物、文献、そういった過去を知るものはことごとく消失され『破滅の時代』以前、どのような歴史活動が行われていたのか判然としないのが現状である。

 

 かろうじて大破壊から免れた文献、歴史書。

 そういった物から、この世界には少なくとも1000年間は人類の歴史があると判明しているが、その沿革はおぼろげである。

 この王国においても、現在の国王は18代目。約500年間は続いている筈の王朝なのであるが、その創設、歩みに至るまで、あらゆるものがわかっていないのだ。

 この世界は、まるで歪にちぎられたノートのように、不自然に歴史が抜けている。


「クロ、幸福の魔女って知ってる?」


「幸福の………魔女?」


「そう、シエル・アルコバレーノ―――「虹彩の魔術師」じゃないよ。

 幸福の魔女………強大な魔力と、人智を超えた魔術を持ち、悪魔を従え、世界を変革させるほどの力を持った大魔法使い」


「知らないですね………そんなすごい人なら知らないはず無いけれど、そんな名前は聞いたことがない」


「だろうね………だって、幸福の魔女は破滅の時代―――200年前より、更に前を生きた人だもの」


 カツカツと階段を下りながら、ヴィオレは朗々と話し続ける。

 あれからどれほど時間が経っただろうか?

 どう考えても、これほど長い階段はおかしい。

 資料室は講義棟の3階に所在しているが、すでに賞味10階分は階段を下っている。

 自分達が学舎の地下にまで下りているのは、間違いないだろう。


「幸福の魔女はね、神様に匹敵するほどの魔力を持ちながら、その力を理想のために使おうとしたの。

 当時、魔術は邪悪な技術と言われていてね「魔術師」なんて名称は無かった。

 今でこそ差別用語としてタブーになっているけれど、当時、魔術を用いた女は「魔女」と呼ばれて、厳罰に処せられていたんだよ。

 魔女狩り、なんてものが普通に横行するくらいにね。

 そんな世界だったから、それに立ち向かった幸福の魔女の在り方を崇拝し、多くの魔女たちが集まって、史上最大の思想集団となっていったんだ」


「…………」


「だけど、世界は魔女を受け入れることは無かった。

 それどころか、強大な力を持つ魔女を畏怖し、恐れ、その存在、在り方を否定した。

 王国は愚かにも………騎士や戦士、英雄に、幸福の魔女と賛同者たちを排除するように命じたの。

 戦士たちと魔女たちの戦いは長く何十年にも渡り、沢山の人たちが、己の信じる理想の為に戦って死んでいった。

 そして、無数の屍と理想の果てで、とうとう1人の英雄が幸福の魔女へ破滅を与えてしまったの」


「は、はあ………」


 ヴィオレの話す荒唐無稽な話に、クロは曖昧な返事をする。

 いくらなんでも、彼女の話はあまりに壮大すぎる。

 クロは「魔女」なんて名称は聞いたことも無いし、魔術師たちが偏見を受けていたなどという話も聞いたことは無い。

 むしろ現在、魔術師たちは王都の要職につき、貴族に勝るとも劣らない発言力を持っているのだ。

 その「幸福の魔女」とやらが戦いの果てで英雄に敗れたのであれば、現在の状況と矛盾してしまうではないか。

 そもそも―――


「何で先輩はそんな話を知っているんですか?」


 クロが学んだ魔術史の講義でも、そんな話は無かった。

 魔術史は200年前、破滅の時代が終焉を迎えたところから始まっているのだ。

 それ以前の歴史は前述のとおり、魔王の大破壊によって灰燼へと帰してしまっている。

 一介の学生に過ぎないヴィオレが、なぜそんな話を知っているというのだろうか?


「………ついたよ」


 クロの問いには答えず、ヴィオレはランプを前の壁にかざしてみせる。

 いつの間に階段の最下段に到着していたらしく、目の前の壁には無骨な鉄製の扉が備えつけられていた


 クロはランプの光を頼りに、扉を調べる。


「先輩………無理ですよ、この扉、高度な施錠魔術がかけられています。

 とても、僕らじゃ開けられない」


 クロの言葉どおり、扉には上級魔術師レベルの高度な施錠魔術がかけられており、学生の自分たちに解除など出来そうもない。


「ちょっと待ってて」


 そう言って、クロにランプを預けるとそのまま扉に手を当て、複雑な魔術の術式を編んでいった。

 その術式は複雑かつ、難解なもので、クロにはヴィオレがどんな魔術を用いているのか想像することも出来ない。


 ただ、彼らの目の前の扉の施錠魔術は解除され、鉄製の扉が重い音と共に開き始めたのである。

 

「あの、施錠魔術を………?」


 クロが調べた限りであるが、さきほどの施錠魔術は上級魔術師、もしくはそれ以上の力を持った魔術師が掛けたとしか思えない精密なものであった。

 それを苦も無く解除したヴィオレは、いったい何者だというのか?

 呆然とするクロに対し、ヴィオレは何事も無かったように笑みを浮かべ、扉の先へとクロをいざなうようにその手を広げる。


「さあ、クロ。入ろうか。この先にはなかなかスゴイものがあるんだよ」



 それは不思議な部屋だった。

 広さは小さな小部屋程度の大きさであるが、中には本棚やテーブルの残骸、また黒く薄い箱のようなオブジェ等が置かれ、雑然とした神秘性を漂わせている。

 床はまるで藁を編みこんだように、微かな柔らかさを持ち、その上に荒れ果てた絨毯のような物が敷かれていた。

 そして部屋の端に、古い大きな金属製の机が置かれている。


(なんだ、ここは? 何と言うか………魔力の濃度が濃い………?)


 窓一つない筈のその場所には、青白い光が霧のように漂い、周囲をおぼろげに照らしている。

 長く澱んでいたような空気には、魔力の粒子が溜め込まれ、息を吸うだけで心を魅了されていくかのようだ。


 クロは半ば呆然と、この場所に置かれたオブジェの一つに手を触れようとする。


「触っちゃダメだよ!」


 そんなクロへヴィオレが鋭い声を発する。


「ここにあるものは、道具の一つ、埃の一片に至るまで、高濃度の魔力に侵されている。

 触れたりしたら多分………君を保てなくなってしまうよ」


 ヴィオレは額に汗を滲ませながらも、クロの手を己の手で強く握る。


「いい? 私の手を離しちゃダメだよ?

 ここはクロにとって、少し刺激が強すぎるかもしれないから」


「せ、先輩………」


 クロは握られた手をギュッと握り返しながらも、ヴィオレへ緊張した面持ちで目を向けた。


「こ、この場所は何なんですか? 何で学舎の地下にこんな場所があるんです?」


「さあねえ………? まあ、古い場所であるのは間違いないね。

 多分だけどさ………学舎の地下にこの部屋があるんじゃなくて、この部屋の上に『聡明な賢者の学舎』は造られたんだよ。

 この部屋の魔力濃度を感じるでしょ? さっき話した学舎が魔方陣になっているって話。その魔力が行き着く先は、間違いなくここなんだ。

 きっと学舎はこの場所へ魔力を送る目的で造られたんだよ。

 創設者………シエル・アルコバレーノが何を考えていたのか、知らないけどさ」


 ヴィオレは緊張した面持ちのままであるが、少しだけ笑みを浮かべるとクロに向かって手を広げて見せた。


「私はね………この場所を『幸福の部屋』って呼んでる。

 だってそうでしょ? この部屋を漂う無限の魔力………これがあれば、どんな奇跡だって、どんな願いだって、思いのままだよ」


 まるで虚構を映すかのように、その青紫色へ、青白い魔力の光を映し、ヴィオレがニコリと微笑みかける。

 確かに………つい、さきほどまで半信半疑であった妖精の召喚であるが、この場所を目の当たりにしたいま、クロはそれが決して世迷言では無かったということを悟る。

 この部屋―――『幸福の部屋』には、どんな不可能も可能にする………そう思わせる力があった。


「それじゃあ、さっそく始めようか」


 ヴィオレは少しだけの緊張と、溢れんばかりの高揚が篭った声でそう告げると、部屋の端に置かれた金属製の机へと向かっていく。

 机には黒い線に繋がれるようにして、見たことのない飾りがついており、天板に茶色の素材で星型の魔方陣のようなものが描かれていた。


「ようやく………ようやく、約束を果たせる時が来たんだよ。

 ………お兄様」


 それはクロへ語りかけた言葉ではなく、彼女の独り言だったのだろうか。

 虚空へ向けてそう呟くヴィオレは、確かに笑顔を浮かべていた。

 それは普段の彼女が浮かべる、明るい物でも、気さくな物でもなく、まるで闇に浮かぶようなそんな笑み。

 クロはそんなヴィオレにゾクリとした寒気を感じてしまう。


 ヴィオレはふらふらと机に近づき、天板に描かれた魔法陣の中心へ、先ほど見せた依り代の人形をそっと立たせる。

 そしてその場にひざまづくと、机に向かって静かに祈りを捧げた。


「大いなる妖精よ………因果を手繰り、業を司る運命の因子よ。

 私は誰よりもあなたを望む者。

 あなたに助けを求める者」


 俯き、机の前に佇むヴィオレは何かの詠唱を呟いているようだが、その詳細はクロの耳まで届かない。

 しかし、そんなクロにも部屋の雰囲気が一変したことは確かに感じ取ることが出来た。


 さきほどまで、ただ漂っていただけの魔力の粒子が間違いなく、一点へと渦巻いている。

 目には見えない大きな流れが、台座を中心として確かに鳴動しているのだ。


(部屋が鳴っている………この場に蓄えられていた魔力が先輩の前に集っていく………)


「どうか、どうかどうかどうか。

 その奇跡を私の前に。

 その英知を私の前に。

 その代わり、私は全てを捧げます。

 私の望む全ての為に、あなたの望む全てを捧げましょう」


 部屋の壁が目の眩むような真紅の色に光りだす。

 その紅は壁から溶け出すように流れ、台座の中へと円を描くように蠢いていく。

 

「くっ………!」


 クロは思わず、地面に手をつき、光から目を反らす。

 この光は全て、高濃度に凝縮された魔力の渦。

 こんなモノをまともに受ければ、瞬時しゅんときも持たず精神が崩壊してしまう。


(先輩………!)


 しかし、光の群れをその身に受けながら、それでもヴィオレは笑っているようだった。

 青紫色の右目を紅に染め、赤紫色の左目を虚無に染めながら。

 ヴィオレはどこか安寧の表情を浮かべ、静かに笑みを浮かべている。


「幸福を司る妖精よ!

 ヴァイオレット家の当主たる、ヴィオレ・ヴァイオレットが命じる!

 我が前に御身を示し、その奇跡を顕現させよ!!」


 ヴィオレは叫ぶようにそう告げると、天板へ右手を掲げる。

 もはや彼女は魔力の渦が放つ紅い光に侵され、その形すら目に映すことが出来ない。

 その紅い光はヴィオレの右手に応じるかのように、一際激しい閃光で幸せの部屋を覆いつくす。


「――――!!」


 その瞬間、クロは確かに場の空気が変わったことに気付いた。

 大きな―――矮小な自分には把握出来ないような、大きな何かが、確かにこの場へ召喚されたのだ。


 閃光は一度大きく煌くと、微かな残響を残し、光る紅い霧となって霧散していく。

 そして、その後。

 台座には、小さな人影が一つ浮いていた。


 それは確かに、伝説や歴史書に記載される妖精族の姿を彷彿とさせるモノだった。

 身長は15センチメートルほど。

 背中に透明な羽を生やし、天板から数センチメートル上を、浮遊するように漂っている。

 そして、何よりも目を引くのが、純白の長い髪。

 まるで月に照らされた新雪のように、鮮やかな白い髪を腰元まで伸ばし、渦巻かせていた。


「幸福の………妖精」


 ヴィオレがまるで夢を見るように、ぼそりと小さく人影へ呼びかける。


 妖精は、ヴィオレの呼びかけに応えるように、そっと閉じていた目を開く。

 妖精の瞳は、宝石のように美しくて、深く、濃い、赤。


(これが………妖精族? 先輩は本当に、妖精の召喚を成功させたと言うのか?)


 クロは、白髪の小さな人型の生き物へ、信じられないような思いで目を向ける。

 次から次へと起こる、常軌を逸した出来事の連続に、クロは夢を見ているかのような気持ちであった。


(しかし―――)


 クロは妖精を目に映したまま、一歩後ろへ後ずさる。


(なんて、気味の悪い姿だ………)


 純白の髪に真紅の瞳。

 それは、この世界で忌み嫌われる一つの烙印。


 『破滅の紅眼』


 彼の魔王と同じ、異形の紅い瞳。


 それはまさに、破滅を象徴する呪いの印であったのだ。


 妖精の異形の姿に、クロは不吉な思いを抱くが、ヴィオレは全く気にしていないようだ。

 うれしそうにしげしげと、妖精を見つめている。

 妖精はそんなヴィオレに気づくと、ゆっくりと口を開く。


「君が、オレを呼び出したのかい?」


 妖精は少女のような外見と声をしていたが、少年のように男性的な口調でそうヴィオレへ問いかける。

 ヴィオレは妖精に対し、恭しく礼をすると、彼の問いに答えを返した。


「ええ、あなたを呼び出したのは私。

 あなたは幸福の妖精さんで、いいのよね?」


「幸福の妖精………?

 まあ、オレが妖精族であることには違いない。

 召還者である君がオレをそう呼ぶのであれば、オレは『幸福の妖精』とやらでいいのだろう」


 妖精は真紅の瞳を真っ直ぐにヴィオレへ向けて、問いかける。


「それで………召還者ヴィオレ・ヴァイオレット。

 何か望みがあって、オレを呼び出したんだろう?

 君の望みはなんだい?」


 ヴィオレはその場に再びひざまづくと、平伏するように妖精へその願いを口にする。


「妖精さん。私は幸せになりたいの。

 どうか、私に幸福をちょうだい」


「幸せになりたい………か。

 シンプルで、わかりやすい望みだ。

 いいだろう。

 その願い、オレが承ろう」


 妖精は音も無くヴィオレの前へと浮遊し、大きく手を開く。


「いいか、まずは適度な睡眠が重要だ。

 早寝、早起きをモットーに、常に規則正しい生活を心がけろ。

 特に夜更かしはいけないぞ!」


「は?」


 出し抜けに妖精が言い出した言葉に対し、ヴィオレが訝しげな声を上げる。


「次に、バランスの取れた食生活。

 肉ばかりはダメだ。ちゃんと野菜と穀物、魚なんかも取るように。

 朝ごはんは面倒でも、ちゃんと食べるんだ」


「………………」


「最後にある程度の運動。

 見たところ、君はもう少し筋肉をつけた方がいい。

 朝起きたらランニング、昼に筋トレ、夜は健康体操だ。

 風呂はぬるま湯にして、柔軟をしながらゆっくりと入れば、疲れが翌日に残らないぞ」


 妖精は何やらやりきったように胸を張ると、ドンとその胸に手を当てた。


「以上が、幸福の妖精たるオレの、幸せを得るためのアドバイスだ。

 幸福というものは健全な精神と肉体を持って、始めてやってくる。

 では、諸君に幸福があらんことを」

 

 呆気に取られるヴィオレとクロを前に、妖精はビシリと親指を立て、彼らへと白い歯を見せて笑うのだった。


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