第13話 主従の始まり
「しかし、また君かい?
このあいだは火傷。今回は全身打撲に骨折3箇所だ。
もっと自分の体を労わってやらないと駄目じゃないか」
「ははは………」
王都に所在する『王都修道医院』
治癒魔術に特化した修道魔術師が多く所属する、王都において病院と呼べる場所である。
クロは病室のベッドに横たわりながら、咎めるような修道魔術師の言葉に対し、苦笑を浮かべていた。
「まあ、幸い前の火傷のように傷跡が残るものじゃない。
こういった怪我は私たちの専売特許だからね。それほど時間を掛けずに退院できるだろう」
「よろしくお願いします」
「では、安静にしておくように」
修道魔術師はそう釘を刺すと、クロの病室から出て行った。
クロはやれやれと独りごちると、ゆっくりとベッドに寝転がる。
この間、クロとヴィオレが『卑賎の民の町』で遭遇した事件。
これは王都において一つの事件として脚光を浴びることとなった。
名門貴族ヴァイオレット家の娘が『卑賎の民の町』に迷い込み、そこで王都に蔓延している麻薬、コカインの販売を行っていた麻薬組織の悪漢たちに目をつけられた。
悪漢たちに襲われ、ヴィオレがあわやというところで、偶然その現場へ立ち寄った冒険者ギルド『バンディッド』に所属する冒険者によって助けられたのだ。
その後、正式に王都からこのバンディッドへ悪漢たちが所属していた麻薬組織を壊滅させよ、との指令があり、3日もかからず同ギルドは麻薬組織を完全に崩壊させたのだという。
ヴィオレを助けたバンディッドの冒険者。
彼は卑賎の生まれであったが、これまで冒険者として王都へ多大な貢献をし、貴族たちからも目を掛けられる有名な青年であったらしい。
そして今回の事件を受け、貴族たちの間で彼を騎士として王都に迎え入れるべきだという意見が出、近いうちに彼は騎士として招かれるとのことだ。
(何でも、その冒険者は以前から騎士になることが夢だったとか………)
ヴィオレを助けたということは、自分も彼に助けられたということなのだろうが、生憎クロはすでに気を失っており、その冒険者がどんな人物であったのかわからない。
あの澱んだ町で生まれ育ったらしい青年が、なぜ騎士になることを望んでいたのかもわからないが、それでも彼は不可能と思うような己の夢を、己の力で叶えたのだ。
(僕も負けてはいられないな)
クロにだって夢がある。
人体強化魔術………人間の持つ能力を魔力によって強化する高等魔術。
そして、それを自在に操る人体魔術師。
クロもまた人体魔術師になることを志しているのだ。
クロは何となく眼前に右手を翳してみた。
クロは全身に激しいを傷を負っていたが、特に右手は激しい損傷を受けている。
それは彼があの男を殴った時に、右拳が砕けたことによるものであった。
人体強化魔術『猛ける闘志の心』
人間の持つ筋力を強化する、人体強化の最も基礎となる人体魔術である。
基礎と言っても、人体魔術はそもそもが高等魔術とされる分野で、学生―――ましてやクロのような初等生に本来扱える魔術ではない。
しかし、クロにはそれが出来た。
魔術師として才能も薄く、経験も浅いクロであったが、彼の不断の努力がその顕現を可能にしたのだ。
ぐちゃぐちゃに砕けてしまった右手は今もズキズキとした痛みをクロに与えるが、彼は誇らしい気持ちで己の右手を見つめるのだった。
「やっほー、クロ。生きてるかい?」
そんな彼へ軽い調子で声が掛けられる。
クロには、それが誰のモノであるのか容易にわかる。受け持ちの教師であるベージュを除けば、彼へ見舞いに来る人間など、王都広しと言えども1人しかいないのだ。
「先輩、ご覧のとおり何とか生きてますよ」
「そうかい! そりゃあ良かった!」
ヴィオレが明るい調子でそう言いながら、クロのベッドへ近づいてくる。
彼女は頭を棍棒で殴られていた筈だが、そのこめかみには傷一つ残っておらず、怪我をしたなどまるで嘘のようだ。
「先輩こそ、怪我は大丈夫なんですか?」
「はっはっは、心配御無用!
私は上級貴族様だからね。そこまでやるかってくらい手厚い看護を受けて、この高貴な尊顔には傷一つ残ってないよ!」
更ににぎやかな笑い声を上げ、ヴィオレはベッドに手を掛けてクロへ顔を近づける。
「逆にクロはボロボロだね。
顔がデコボコになっちゃってるよ」
「ははは………まあ、随分と手酷くやられましたからね」
「本当はお礼代わりにキスの一発もかましてあげたかったんだけど、その有様じゃあ口付ける場所も残ってないね」
「な、なに言ってんですか!? 先輩!?」
包帯越しにもわかるほど、クロは顔を紅潮させてベッドから立ち上がる、そして同時に悲痛な声を上げ再びベッドに倒れこんでしまった。
「いたたっ………」
「ははは、おっかしー」
クロの滑稽な様子に、ヴィオレは涙さえ浮かべて笑い転げる。
そんな普段と変わらないヴィオレの様子に、クロはホッと安堵の息を上げるのだった。
卑賎の民の町で出会ったあの男たちは、ヴィオレを麻薬中毒にすると言っていた。
あの時、冒険者たちが助けにきてくれなかったら、それは現実のものとなっていただろう。
―――良かった。本当に良かった。
もしこの先輩が瞳に虚無を映し、自分へ笑いかけてくれることがなくなってしまっていたとしたら………。
そんなことを考えるだけでクロの心を恐怖が襲う。
この人には笑っていて欲しい。
自分に笑いかけていて欲しい。
そのためなら、自分はどんなことだって出来るだろう。
自分の心に自然と浮かんだ考えに、クロは少し首を傾げてしまう。
自分は、ヴィオレのことが好きなのだろうか?
資料室の前で抱きしめられたとき、クロは自分の人生でかってないほど鼓動が高まったことを覚えている。
カナリーに火傷を負わされ、医務室でヴィオレから口付けをされたとき、自分の体の中を高揚した燃えるような熱が全身を駆け巡ったことを覚えている。
人はそれを恋と呼んでいるのだろうか?
そんな気もするし、違うような気もする。
自分がヴィオレに向けているのは恋心というより、むしろ―――
「ねえ、クロ………」
思索に耽るクロへ、ヴィオレが呼びかける。
考え事をしている内に、ヴィオレは笑うのをやめ、少し真剣な瞳でクロを見つめていた。
「そんな怪我までして、私を助けてくれたんだね。
………ありがとう」
「いえ………」
静かに礼を告げるヴィオレから、ふざけた気配は感じられない。
青紫色の瞳を静かに揺らし、真っ直ぐにクロの瞳を見つめている。
クロは思わずその視線を見つめ返すと、ヴィオレは更に言葉を続けた。
「だけどさ………そういうことは、もうしなくていいから」
「え………?」
「君は私を助けたりしなくていい………。君は私に助けられるだけでいい。
それでいいの。だから、もう私を助けようなんて考えないでね」
「………………?」
クロはなぜヴィオレがそんなことを言うのかわからない。
わからないが、彼女の青紫色へ吸い込まれるような錯覚を感じ、なぜ? とかどうして? とか、そういった考えが溶かされていってしまうのを感じていた。
先輩が………僕の『御主人様』がそう言うのであれば、それでいい。
突然浮かんだそんな考えを、クロは疑問も持たず受け入れていく。
そうだ。
彼女は僕の御主人様だ。
僕の血の一滴。肉の一片に至るまで、全て彼女のものだ。
クロは反省する。
自分は恐れおおくも、彼女を助けたつもりになっていたのだ。なんと傲慢な勘違いをしていたのだろう?
彼女は助けなど必要としない。
だって彼女は主人なのだ、ヴィオレは自分達のような凡人とは違う次元にある人だ。
まるで狂人のように、そんな妄想を頭の中で展開させながら、クロはヴィオレの瞳をじっと見つめる。
自分の頭の中に次々と注ぎ込まれる荒唐無稽な考えを、クロは不思議に思わないし、疑問にも感じない。
ただ、ヴィオレは主人で、侵しがたき人間であるのだ。という考えだけが純然とした事実としてクロの心に刻みこまれていった。
「いい、クロ。私は君の所有者。
君は私の所有物なんだよ?
だから君は私に助けられるの。君にとって私は救いなの。
決してその逆では無いんだよ。理解出来るかな?」
ヴィオレはその青紫色の右目を煌かせながら、クロへ言葉を刻み込んでいく。
「全ての人は君の敵。世界は君という人間を忌み殺そうとしている。
君の両親も教師も学友も、みんなが君を憎んでいるんだよ。
だけどね、心配しないで。
私は、私だけは君の味方でいてあげるから。たった一人の味方になってあげるから。
私があらゆる全てから、君を守ってあげるから………。
だからさ、クロ。
―――裏切るなよ?」
「はい………わかりました………」
まるで幻想を見るように、クロはその黒眼に虚無を映しながら。
彼女の命令に対し、服従を誓うのだった。
◇
「クロ………大丈夫?」
ヴィオレからの呼びかけを受け、クロは目が覚めたような気持ちで前へ目を向ける。
ヴィオレはいつもの青空ような笑顔を浮かべて、そんなクロを見つめていた。
「なんか、ボーっとしてたよ?
怪我の後遺症とかじゃないよね?」
「いえ、大丈夫です」
クロ自身、いつの間にか自分が眠っていたような錯覚を感じ、不思議に思う。
窓の外へ目を向けると、外は夕暮れ色に染まっていた。
いつの間に、こんな時間になっていたのだろう?
ヴィオレがこの病室へ訪れた時は、まだ昼間だった筈だ。
不思議そうに頭を捻るクロへ、ヴィオレは問いかける。
「ねえ、クロ。どれくらいで退院出来そうなの?」
「担当の修道魔術師の話では、それほど日数はかからないようです」
「そっかあ! それは良かった!!」
「良かったって?」
「だって、幸せの妖精を呼ぶ儀式。
クロと一緒にやろうと思ってずっと待ってるんだよ?
早く退院して、妖精呼ぼうぜ!」
「は、はあ………」
ヴィオレの児戯じみた「妖精の召還」。
彼女はこんなことがあっても、それを遂行しようとしているようだ。
とてもそんなことが出来るとは思えないが、彼女がそれを望むのなら仕方無い。
(だって先輩は御主人様なのだから)
(………?)
クロは自分の脳裏に浮かんだそんな考えに困惑を浮かべる。
(御主人様って何だ? いま、僕は何を考えたんだ?)
クロが不意に浮かんだ自分の考えに疑問を感じて抱いていると、ヴィオレはふっと小さく笑みを浮かべたまま、病室を後にしていくのだった。




