第12話 無法者の夢
「おい、ガキ。死んだか?」
「…………ぅ」
どれほど殴られていただろうか?
クロは朦朧とする意識の中で、自分に語りかける男の声を聞く。
体中に痛みを超えた不快感が広がっている。
口の中から血がダラダラと外に漏れ、顔中にビリビリとした痺れが広がっている。
右目が腫れて塞がっているようだ。目を開いても視界が半分しか映らない。
そんな状況で、クロは声の方向へ目を向けると、男がしゃがみこんで自分を見下ろしている姿がぼんやりと映った。
「生きてたか………まあ、どっちでもいいんだが。
何にしても俺らはもう行くぞ?
お前もさっさとどこかへ消えるんだな」
霞む視界の中に、巨漢の男がヴィオレを抱えている姿が映る。
ヴィオレは相変わらず意識を失っているらしく、男に抱えられたままピクリとも動かない。
「ま………待て………」
「待たねぇよ。
………お前もさ、何でそんな必死になるんだよ?
この女はたぶん貴族だろ? それに引き換え、てめえはどう見ても貧民じゃねえか。
何でこんな奴を守ろうとするんだよ?」
男は呆れたようにため息をつくと、クロへ向かって言葉を紡ぐ。
「多分だけどさ………お前はこの女よりも俺達に近い人間だと思うぜ?
見ろよ、こいつはこんな贅沢な服を着てさ。
俺達から吸い取った金を自由に使って、欲しいモノを簡単に手に入れるんだ。
それに引き換え、お前はどうだ?
汚ぇ身なりで、こんな女のいいなりになってヒョコヒョコと駆けずってよ。
馬鹿にされて、コケにされて………」
「………………」
「なあ、お前もいいかげん目を覚ませよ。
理不尽だと思わねぇか?
こんな小娘1人が俺達1000人分以上の富を持っているんだぜ?
そもそもこの女。多分、お前のことなんて歯牙にもかけて―――」
「………黙れ!」
クロは痛む体にムチを打ち、立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。
男はクロを鼻白んだ表情で見つめると、もう興味をなくしたように背を向ける。
「まあ、どうでもいいことだな。
この女は連れていくぜ? アレだ、正しい富の再分配ってやつだ。
こいつがお前と会うことはないだろうし、仮に会ったとしても関わらない方がいい。
次に会うこいつは、もう元のこいつじゃない」
おい、行くぜ。と男は仲間達に声をかけ、ヴィオレを連れたまま何処かへと去ろうとする。
さきほどの会話から察するに、ヴィオレを麻薬漬けにして、その富も心身も奪いつくす算段なのだろう。
ふざけるな。
そんなことが許されていいはずがない。
少なくとも、僕は許せない。
「ああああぁぁぁ!!」
クロは最後の力を振り絞り、壁に手を掛け立ち上がる。
全身を傷つけられ、体はボロボロで意識も朦朧としている。
このまま、立ち上がったところで、矮躯の自分に何が出来る?
自分のような弱虫に何が出来る?
そんな考えがクロの心に「倒れてしまえ」と何度も語りかける。
それでも、クロは立ち上がることを選んだのだ。
「その人を………放せ!」
「本当。わからねぇなあ、お前。
何でこんな女を守ろうとするんだよ?」
男は再びクロへ目を向ける。その目にはもはや呆れ果てたような光が浮いていた。
僕が先輩を守ろうとする理由?
そんなもの、決まっているじゃないか。
だって僕は………
僕は………!
「僕は………男だから………」
「はぁ?」
ぜぇぜぇと息を吐きながら、クロは少しずつ言葉を紡ぐ。
「死んだ父ちゃんが言っていた………」
「ナニ言ってんだお前? 狂ったか?」
「父ちゃんがいつも言っていたんだ………男は、女を守らなきゃいけないって」
言葉を紡ぎながら、クロは少しずつ自分の魔力を術式へと変えていく。
その術式は本来、一人前の魔術師であっても顕現させるのは困難なものであったが、クロはただ無心に「それ」を編んでいく。
「例え、それが理不尽なものであっても………恐ろしいものであっても………」
クロの背面、男たちから死角となっている場所に、一つの魔術式が浮かび上がる。
それは、発火魔術などとは比べ物にならないほど複雑で繊細なモノであったが、クロの描く計算に迷いは無い。
成功こそしたことが無いものの、彼は以前から何度も何度もその術式を描いていたのだ。
「無謀であっても………愚かであったとしても………!」
そうだ。クロの父はいつも、彼に言っている言葉があった。
どんなことがあっても、この言葉だけは守りぬけと念を押しながら。
父はいつもクロへ語りかけていた。
父とは似ても似つかぬ矮躯を持ったクロであったが、その胸にはシルバー村に生きた1人の男の心が宿っている。
クロはその言葉をまるで自分の支えとするように、男たちへ向けて高らかと謳い上げる。
『いいか、クロ―――』
「男ってやつはなぁ!!」
クロが咆哮を上げると同時に、背中の魔術式が眩い赤色の光を放ち、彼の矮躯を覆っていく。
それは、彼の魔術が成功したことを告げていた。
「いつだって! 馬鹿みてぇに歯を食いしばって! 女を守らなきゃいけねぇんだよ!!」
その赤い光は猛りの心。
その魔術は術者の魔力によって、人間の持つ「筋力」に変幻を加え、豪壮な奇跡を起こすとされていた。
人体強化魔術『猛ける闘志の心』
勇者に憧れたみずぼらしい少年が、その劣等感から手に入れた筋力強化の術である。
「―――!?」
男は驚愕する。
たった今まで虫の息であった筈の少年の体が、激しく瞬く赤い光を身に纏い、自分に向かって突進してきたのである。
少年は顔をボコボコに腫らし、息も絶え絶えな死に欠けのチビだ。
男がこんな少年を恐れる理由は無い。
(やべぇ………何だか知らんが、こいつはやばい!)
しかし、長年この町で生きてきた男の勘が「この少年の拳を受けてはいけない」と激しく警鐘を鳴らしている。
そして男は自らの勘に信頼を寄せていた。
「ちぃ!」
男は迫ってくるクロの顔面を思い切り殴りつける。
しかし、ありったけの力で殴りられたにも関わらず、クロはその挙動を止めなかった。
大きく右腕を振りかぶり、ありったけの咆哮を轟かせる。
「お………おぉ、おおおぉ!」
クロの纏った赤い光が、固く握った右拳へと収束していく。
猛るように煌く右拳がギリギリと音を立て、破壊を求めて鳴動しているかのようだ。
「おおおおぉぉぉぉぉ!!!」
「がはっ!?」
渾身の力を込めたクロの右拳が男の顔面にめり込まれる。
拳はバキバキと音を立てながら、男の顔を歪ませ、砕き、そのまま貫くよう振り切られた。
男は驚愕と苦痛に顔を歪ませ、そのまま数メートルも吹き飛ばされる。
それは異常な光景であった。
少年は一見すると、10歳程度にしか見えない痩せっぽちのチビである。
そんな少年が自分の倍近くある男を一撃で殴り飛ばしたのだ。
(や………やった!?)
口から血を吹き出し、地面に横たわる男の姿に、クロが歓喜の思いを抱く。
そして
次の瞬間、クロは巨漢の男が振りぬいた棍棒によって―――
再び地面へと叩きつけられた。
◇
「おお、痛ぇ。歯が一本折れちまったよ」
「………………」
クロは仰向けに寝そべったまま、男が近寄ってくる足音を聞いていた。
もう、流石に無理だ。
指の一本も動かせないし、魔力も底を尽きている。
それに、あの男を殴った時、右拳が完全に砕けてしまったらしい。
人体強化魔術。
その効果は絶大なものであるが、同時に魔術の効果を受けた相手にも多大な負荷がかかる。
肉体の限界以上の力を、言わば魔術によって無理やり引き出すのだ。
術者の力が未熟であれば、その分、体にかかる負担も大きなものになる。
そして、自らにその術をかけたクロは、想像以上の疲労と損傷をその身に負っていた。
「何が何だかわからねぇが………お前、妙な力を持っているみたいだな。
「せめて生かしておいてやろう」なんて考えていた俺が馬鹿だったよ」
男にとって、少年であるクロが魔術を使用したなどとは思いも浮かばなかったのであろう。
ただ、この貧民街で生きてきた経験が、男に冷静な判断を与えていた。
「やっぱ、お前は殺すわ。
また、あの訳のわからねぇ光を出されても困るし………まあ、殴られてちょっとむかついたしな」
男は無表情に腰から短剣を引き抜くと、そっとクロの喉元へそれをあてがった。
「じゃあな、少年。
ここで、1人きりで死んでくれ」
自分の喉へ刃を当てられながら、クロの心は平穏であった。
やれるだけのことは全てやったのだ。
意気地なしの自分がここまでやったのだ、御の字と言えるのではないだろうか?
だけど―――
先輩のことは、助けてあげたかったな………。
クロはそんな思いが浮かべると共に、汚泥へ沈むように意識を失っていった。
◇
「おい、ガキ?」
男はクロの喉元に短剣をあてがったまま、パシパシとクロの頬を叩くが、クロは目を閉じたまま何の反応も示さない。
「気をやっちまったみたいですよ」
「ちっ、まあいい。さっさとこいつを殺してずらかるか。
少しばかり長居しちまった」
意識を失ったクロをつまらなそうに見下ろしながら男が短剣に力を込めた、その時―――。
「おい………てめーら、なにやってんだ?」
その場に居る誰のものでもない声が、その場へ響き渡る。
「あ?」
男はクロにあてがった短刀を一時離すと、不意に現れた来訪者へ目を向ける。
それは、一言で言えば「ゴロツキ」という言葉が似合う男であった。
その顔は粗野そのもので、男達と同じように前の肌蹴た上着を羽織り、その体には何か刺青が掘り込んである。
「あ? じゃねーよ。
俺はお前らに、「なにやってんだ」って聞いたんだ。
ちゃんと質問には、回答で答えろよ」
「なんだ、馬鹿かよ」
ゴロツキの言葉に、男は呆れた口調で言い捨てる。
男の声と共に、彼の仲間たちが武器を手に携え、ゴロツキの周りを取り囲んだ。
それでもゴロツキは平然とした様子で―――むしろ顔に怒気を混じらせて、男に対し口を開く。
「誰が馬鹿だって? お前、まさか俺に喧嘩売ってんのか?」
男はそんなゴロツキを呆れ果てた目で見つめていた。
男たちは、この地にのさばる麻薬組織だ、修羅場は何度だって潜りぬけている。
こんなゴロツキの1人や2人、脅威の内にも入らないのだ。
ましてや、1対4のこの状況。見ればゴロツキは得物も持っていないようである。
馬鹿か白痴か気狂いか。
何にしても、こんな奴はどうでもいい。
男は一つため息をつくと、この馬鹿に対し丁寧に説明してやることにした。
「お前さ………自分の状況わかってんのか?」
「状況………?」
「まず、お前は1人で俺達は4人。
わかるか?」
「ほう?」
「次に、お前は丸腰で、俺達は武器を持っている。
わかるか?」
「ほう?」
「最後にお前は馬鹿で、俺は利口だ。
わかるか?」
「ほうほうほう?」
ほうほうと頷きながら、ゴロツキは納得したような様子で口を開く。
「つまりアレか?
お前らは4人で、武器を持っていて、俺が馬鹿だから。
お前らは、俺に勝てると言ってるわけだ?」
ゴロツキは瞳に獰猛な色を宿し、肉食獣のように口を歪めて笑って見せる。
「まさかそれ………本気で言っている訳じゃねぇだろうな?」
そう言うと同時にゴロツキは自分の右側で剣を構えている男の仲間へ、無造作に拳を叩きつける。
「―――!?」
その拳は俊敏で、仲間は反応することも悲鳴を上げることさえ叶わず、そのまま壁へと叩きつけられてしまった。
「な………!?」
仲間が一瞬で無力化されてしまうのを目の当たりにし、男は驚愕の表情を浮かべるが、ゴロツキは剣呑なその瞳を更に激しく滾らせ、男へ言葉を続ける。
「お前らみたいな三下は、強い相手に喧嘩を売らねぇことだけが取り得だろ?
唯一の取り得を無くしちまったら、この街じゃ生きていけねぇぜ。
それとも―――」
ゴロツキはゆっくりとした足取りで男へ近づいていく。彼を包囲していた仲間たちはあまりの事態に反応することが出来ないでいるようだ。
男もまた呆然としたまま、間近に迫ったゴロツキを見つめている。
「―――ここでいっちょうお勉強しておくか?
確か「賢者は歴史に学び、馬鹿は経験に学ぶ」………だっけか?
俺に喧嘩を売ったらどうなるか、経験させてやろう」
男の目にゴロツキの体が明瞭に映る。
その右肩の刺青は、先ほどは暗がりによって何が描かれているわからなかったが、彼が近づいたいま、明瞭に判別できるようになっていた。
そこには猛り狂った蒼い狼が彫り込まれていたのである。
「―――あ」
男はその蒼狼を知っていた。
いや、この「卑賎の民の町」に生きる者でこの蒼狼を知らない人間はいないだろう。
そう、これは―――
「こ、こいつは『バンディッド』のブルーだ!!
逃げろ! 殺されるぞ!!」
卑賎の民の町を根城とする冒険者ギルド『無法者』
そして、そのギルドにて最強と謳われる冒険者。
『オーク殺し』
『歩く肉達磨製造機』
『人の形をした狂犬』
そんな剣呑な異名を欲しいままにする、この町で絶対に喧嘩を売ってはいけない男。
青髪の冒険者、ブルー・アスール。
男は、ようやく自分が取り返しのつかないことをしてしまったことに気付く。
絶対に、何があっても、この男にだけは、敵意を向けてはいけなかったのだ。
「わ、悪かった! ちょっと暗かったもんで、アンタだって気付かなかったんだ!
だから、勘弁して―――」
「うるせぇ! 今更遅い!
あと、俺は馬鹿じゃねぇ!!」
今にも土下座せんとする男の顎を持ち上げ、ブルーはその顔面に拳を叩き込むのだった。
◇
「また派手にやったもんだな、ブルー」
遅れて路地裏にやってきた冒険者風の男が、地面に転がる男たちの姿を見てため息混じりに呟く。
「うるせぇ、つーか来るのが遅ぇんだよ。クローム」
「お前が早すぎんだよ、いきなり突っ走りやがって………」
ブルーが拳についた血を拭いながら口を尖らせるが、男は呆れた様子でため息をついてみせた。
男の名はクローム・イエロー。
冒険者ギルド『バンディッド』のギルド長を務める男である。
彼は先ほど、ギルド員であるブルーと共に町の中を散策していたのであるが、ブルーが突然『喧嘩の匂いがする』等と意味不明な言葉と共に路地裏へ入っていったため、仕方なく追ってきたのであった。
「………で、お前が殴り殺したこいつらは何者なんだ?」
「知らね。てか殺してねぇぞ? 少し叩いただけだ」
「叩いただけ、ねぇ………」
クロームが呆れたように周囲を見回す。そこには4人の男たちが血まみれになって倒れていた。
彼らはみな、腕や足、者によっては首さえもあり得ない方向へ折れ曲がり、体を微動だにしない。
「生きてんのか、これ………?」
「さあなあ。運が良けりゃ生きてるし、悪けりゃ死んでるだろ。
全ては神の思し召しって奴だ」
偉そうな態度でそんな言葉を吐くブルーを無視し、クロームは地面に散らばった白い粉に目を移す。
白い粉は男たちの懐から零れているようで、クロームはそれを指ですくってみた。
「おっと………こいつぁ、意外に当たりかもしれねぇな」
「あん? 当たり?」
「こいつはコカの葉を粉状に精製したもんだ。確か………コカイン? とか言ったかな。
最近、貴族たちがこの粉に御執心のようでな、調べるように依頼されてたんだよ」
「コカ………麻薬か。この糞共、くだらねぇモンを売りさばきやがって」
ブルーが忌々しげに散らばった粉末をジリジリと踏みにじる。
クロームが倒れている男たちの顔を改めて確認すると、原型を留めていないほど変形してはいるが、密売人の容疑者として調査するように指示されていた男たちで間違いないようだ。
「それで………ブルー。
こっちのガキとお嬢ちゃんは何者なんだ?」
路地の塀に背を預けるような形で寝かされている男女に視線を移し、クロームが訝しげに問いかける。
男女は共に手傷を負っているが、特に男―――少年の体はボロボロで早急の治療が必要と思われるものだ。
「ああ、そいつらな。そっちのチビがこいつらとやり合っていたんだよ。
俺が着いた時には、もう気絶していたが………1対4でも一歩も引いてなかったようだ。
ガキの癖に、なかなか根性があるみたいだぜ」
ブルーが少し称えるように少年を指差す。
クロームとしては、明らかに貴族の関係者と思われる少女の方が気になる所であったが、どちらにしろこのままにしておく訳にはいかないだろう。
それにしても―――
「ブルー。要するにお前は、このガキと嬢ちゃんを助けた訳か?
お前らしくもない」
クロームの知る限り、このブルーという男は貴族とか、金持ちといった類の人間に嫌悪を覚える人間だった筈だ。
その彼が、身を呈して貴族の娘を助けるなど、どういう風の吹き回しなのだろう?
クロームの言葉に、ブルーは得意げに笑ってみせる。
「そりゃあ、お前アレだ。
俺はいつか、騎士になる男だからな。
そして、騎士にとって………し、臣民? を守るのは当然の責務ってやつだ!」
得意気に胸を張るブルーに対し、クロームは頭を抱えてしまう。
このブルーという冒険者は、どういう訳か騎士になることを志しているのだ。
「また、それか………。
お前みたいな乱暴者が騎士になるなんて、世迷言もいいところだぜ?」
「うるせえ! 殺すぞ!?」
ブルー・アスール。17歳。
年齢の割に自制の効かない所があるこの青年は、自らの抱く無謀な夢のため、今日も拳を振るうのだった。




