第10話 とある少女の末路
その日、学舎は騒然となった。
当然である。神聖なこの学舎において、殺人が行われようとしていたのだ。
『聡明な賢者の学舎』第1校舎、講師棟。
そして、その最上階に敷設された『学長室』。
ベージュはそこに姿を現すよう、学長直々に命じられたのであった。
「アイボリー上級魔術師。件のカナリー・エッグシェル及びクロ・シルバーは貴女の受け持ちの生徒でしたね」
「え、ええ………」
学長室へ呼び出されたベージュは、自分へ向けて冷たく言葉を放つ、初老の女性へと目を向ける。
7代目アルコバレーノ家当主、ラードゥガ・アルコバレーノ。
『聡明な賢者の学舎』の学長にして『魔術師結盟』の盟主でもある、王都で1、2位の発言力を持った女性である。
アルコバレーノの者たちは常にフードをかぶり、いついかなる時であっても決して素顔を見せることはない。
それはこの場においても同様で、ラードゥガはフードの奥に浮かぶ瞳をベージュに向けたまま、厳しい表情で言葉を続ける。
「それで………貴女は、エッグシェル女史をどのように処分するつもりなのかしら?」
「はい………」
ベージュはギュッと拳を握り締めると、緊張感を持って口を開く。
ラードゥガには、どこか他者を威圧するような、プレッシャーを感じるのだ。
「私はカナリーさんと、少しだけ話をしました。
彼女は精神的に激しく疲弊しているようです。
勿論だからと言って今回のことが許される訳ではありませんが………彼女を修道医院へ入院させることを提案します」
「入院?」
「ええ、カナリーさんは魔術師として、非凡な才能を持っています。
心を癒すことが出来たなら………きっと彼女は魔術師として頭角を示し、この学舎へも貢献を………」
ベージュの言葉をそこまで聞いて、ラードゥガは呆れたようにため息をついた。
「まったく………話になりませんね」
「………え?」
ラードゥガはベージュへ真っ直ぐ目を向けると、下らぬことをぬかすな、と言った様子で口を開く。
「アイボリー上級魔術師。エッグシェルを今すぐに除籍―――学舎から追放しなさい。
元より、あんな末席貴族の娘。いくらでも代えがいるのです」
「し、しかし!」
「もう、お話はおしまいです。アイボリー上級魔術師。
無論、貴女にも然るべき処分を受けて頂きますよ」
「………はい」
すでにラードゥガはベージュへ背中を向けている。
これ以上、何を言ったところで無駄だろう。確かに、殺人行為にまで及んだ娘を学生として所属させるのは無理があるというものだ。
「―――ところで」
「はい?」
ベージュが除籍手続きのため学長室から出ようとしたところ、ラードゥガが不意に声を掛ける。
「クロ・シルバーに負傷等は無かったのですか?」
「は、はい。幸い彼は、他の学生に助けられたこともあり、特に怪我などはありませんでした」
「そうですか………」
「………?」
ベージュからの返答に、ラードゥガは少し声を和らげる。
そんな彼女の態度にベージュは訝しい視線を向けた。
ラードゥガ・アルコバレーノ。
彼女は王都でも金の亡者と誹られる拝金主義者である。
『聡明な賢者の学舎』が現在の拝金主義に走ったのも彼女の代からなのだ。そんなラードゥガが何故、クロのことなどを気に掛けるのか不思議に思ったのである。
確かに、クロは世界でただ一人の魔力を持った男性。
研究肌の魔術師から見れば是非研究したい素材であり、権威を求める魔術師にとっては是非関わっておきたい存在だろう。
しかし、そのどちらでもないラードゥガがどうして彼のことを気に掛けるのだろう。
少し疑問の残るところではあったが、ベージュにはやらなければならないことが沢山残っている。
ベージュはラードゥガに背を向けると、改めて学長室を後にした。
◇
「彼女はなぜ、そこまで僕を憎んでいたんでしょう?」
2週間ぶり訪れる、講義棟の資料室。
そこでクロは馴染んだ椅子に座りながら、ぼうっとした様子で口を開く。
「んー? なにが?」
対面に座るヴィオレが、クロへ視線を向けた。
「いや………僕が学友たちから疎まれていることは理解していますけど、あの時のカナリーさんからは、何だかそれ以上のモノを感じたんです。
そう、あれはまるで………」
「………………」
クロは口元に手を当てると、昼間の光景を思い返すように口を開く。
「まるで………僕を、恐がっているかのような………?」
クロの何気ない言葉に対し、ヴィオレは目を細める。
「………なかなか、察しがいいね」
「え? 何か言いました? 先輩?」
「べっつにー」
その言葉を小声で、クロの耳に入ることは無かった。
ヴィオレは気を取り直すように椅子へ腰掛け直すと、クロへ向かって言葉を述べる。
「多分さ、カナリーは君、という存在が許せなかったんだよ」
「僕という………存在?」
「そう。この学舎には沢山貴族の娘たちがいるでしょ。
あの子たちに取って、自分が貴族であるということは誉れであり、誇りなんだ。
中には「自分は貴族であるから、学舎に入学出来た」って思ってる子もいるかもしれない」
「……………」
「ところが、そんな中に突然、クロという異分子が現れた。
平民の出身で、しかも男の子だ。
世の中にはね、自分のコミュニティにイレギュラーな存在が加わることがどうしても許せないって、困ったちゃんがいるんだよ。
カナリーちゃんもそのクチだったんじゃない?」
「そ、そんなこと言われても………困ります」
「困っちゃうよね? だけど、カナリーの他にもそういう子は結構いると思うよ?
クロは今後、自分の周囲に気を配った方がいいかもね。
また、狂った女の子に殺されかけたりして―――」
「やめて下さいよ!」
ヴィオレの言葉を遮り、クロは思わず大声を上げてしまう。
普段は物静かなクロの激昂に、ヴィオレは少し目を見開き彼を見つめる。
「なんで………なんで、僕が殺されなきゃいけないんだ!
僕がみんなに対して、何をしたっていうんだ!
平民の出身だということは罪なのか!?
僕は存在することも許されないのか!」
「わかった、わかった」
興奮するクロの肩をヴィオレはポンポンと優しく叩くと、彼の額に自分の額をコツンと当てて見せた。
「大丈夫だよ、クロ。恐がらなくても大丈夫。
君は私が守ってあげる。
例え、学舎の全員が君の敵に回ったって、私は君の味方でいてあげるから」
「先輩………」
「恐かったね? 悲しかったね?
学舎の人たちは君に苦痛ばかり与えるものね。
だけどさ、それでも大丈夫なんだよ。
だって、私がいるんだから」
「……………」
自分の額へ当たる、小さな温もりをその身に感じながら、クロは少しだけ不思議に思う。
なぜ、この人はこんなに自分へ優しくしてくれるのだろう?
自分のことを助けてくれるのだろう?
今日カナリーから発火魔術を放たれた時、ヴィオレが助けにきてくれなかったなら、恐らく自分は死んでいただろう。
もはや攻撃魔術と言ってもいいレベルの発火魔術である。
あの眼前に飛び出すなど、ちょっとやそっとの勇気で出来ることではない。
なのに、ヴィオレは躊躇いなくそれをした。
颯爽と現れ、自分を救ってくれたのだ。
(それにしても、僕はとことん情けない男だな………先輩に、助けられてばかりじゃないか)
そんな思いに捕らわれながら、クロはヴィオレから与えられる心地よい感覚に、身を浸していくのだった。
◇
夜も夜半を過ぎた深夜帯。
資料室を出たクロは、学生棟にある自分の部屋へ戻るため足音を忍ばせていた。
学生棟には多くの学生たちの部屋があり、基本的に彼女らはそこで生活しているが、クロは他の学生たちが寝静まるのを待ってから、自分の部屋へ戻るのが常であった。
何事もなく、部屋の近くまで戻ったところ、クロは自分の部屋の扉の前に何かが置かれていることに気付く。
「………?」
訝しく思ったクロが確認すると、それは大きなバスケットで、中には様々な種類の果物が入っている。
クロはその中の一つを手にとって確認してみると、果物はどれも瑞々しく、美味しそうな輝きを放っていた。
そして、クロが果物を手に取ったとき、ぱさりと一枚の紙片がバスケットから床に落ちる。
クロがその紙片を拾い、目を通すと、そこには一言だけ
『ごめんなさい』
という文字が書かれていた。
「何だ………? 誰かの悪戯か?」
クロは不審に思う。
誰がやったのかは見当もつかないが、唯の悪戯にしては意味不明であるし、少なくないお金も掛かっているだろう。
バスケットに入っている果物はどれも、なかなかの高級品である。
「まあ、悪戯であれ、何であれ、どうでもいいことか………」
クロはこんな怪しげなものを口に運ぶほど迂闊な性格ではない。
クロはバスケットを持ち上げると、そのまま紙片と果物をゴミ箱へ放り捨てる。
そして、やれやれといった様子で部屋に戻り、そのまま疲れ果てたように睡眠へ移るのだった。
『カナリー・エッグシェルが除籍処分を受け、学舎を追放された』
クロがその報せを耳にしたのは、その翌日のことであった。
◇
『知ってる? あのエッグシェルのその後のこと』
『ああ、確か………親からも絶縁されて、家から追い出されたんだっけ?』
『まあ、学舎で殺人未遂なんてやっちゃったらねえ』
『ホント、低級貴族は身分が低ければ低いほど、やたらと体面を気にするよね。
誰もあんたらみたいな木っ端貴族のこと気にしてねーっての』
『つーか、アレ? エッグシェルって頭がおかしくなったまま、家を追い出されたの?』
『頭がおかしくなってたから、家を追い出されたんでしょ』
『それじゃあ、あいつ。今なにやってんのよ?』
『何でも、王都の城門近くで物乞いをしてるんだって………』
『流石にそれは嘘っぽくない?』
『本当だよ! 私の友達の知り合いに、見た人がいるって………』
カナリーが学舎を追放されて数週間。
噂好きの学生たちの間では、彼女のその後について様々な噂が流れていたが、それも次第に鳴りを潜め、普段の日常がまた学舎へやってくる。
所詮、低級貴族の娘である。もとより対して注目を浴びていた学生という訳でもない。
学舎における殺人未遂という大きな事件を起こしてなお、学生たちはカナリーへ興味を持つこともなく、彼女の存在は忘れさられていったのだった。
◇
王都の中心から大きく南へ外れた城壁近くに、雑多な家々が立ち並ぶ下町がある。
その下町は王都の中でも貧しい者たちが集まっており、あまりタチのよくない人間も多く行き交う貧民街であった。
卑賎の民の町―――王都に住む者達は、その町をそうよんでいる。
そんな下町の片隅に、1人の少女が膝を抱えて座り込んでいた。
少女は左目が醜く潰れ、髪はバラバラにほつれ、体中が薄汚れている。
そして、その体を魔術師の黒いローブで包み込んでいるのだった。
「おい、あれ」
そんな少女を目に納め、一人の冒険者風の出で立ちをした男が、隣のゴロツキ風の男に声を掛ける。
「あれがどうかしたのか? どこにでもいる物乞いか娼婦だろ?」
声を掛けられたゴロツキも少女を目に納め、つまらなそうに答えるが、冒険者風の男は更に言葉を続けた。
「だって、まだガキじゃねぇか」
「じゃあ、ガキの物乞いか娼婦なんだろ。別にここじゃ珍しいモンでもない」
世も末だねぇと嘯き、ゴロツキは肩を竦めてみせる。
「それに、あのガキが着ているの、魔術師のローブじゃないか?」
「ああ、『商売』用の衣装だろ。何でも魔術師のローブにそそられるって奴が、結構な数いるらしいぜ?」
そこまで話すと、ゴロツキは相棒に対し、訝しげな目を向ける。
「クローム………お前、随分とあのガキに拘るな。まさか小児性愛の趣味でもあんのか?」
「ばっか、そんなんじゃねぇよ!」
そう言うと、2人はもう少女から興味を失ったように、そのまま路地を通り過ぎていった。
「…………………」
少女には、さきほどの男たちの会話が耳に入っていた。
入ってはいたが、同時にどうでもいいとも思っていた。
少女は潰れていない右目を伏せ、廃人のように地面を見つめる。
その檸檬色の瞳は、一見すると何もモノを映していないように見える。
しかし、少女は紛れもなく『ソレ』を見つめ続けていた。
―――ネズミがいるのだ。
沢山の、色とりどりの、ネズミがいるのだ。
ネズミたちは一様に色とりどりの瞳を少女に向けて、彼女を蔑むように笑っている。
「死ね………お前も死ね」
少女はブツブツと独り言を言いながら、その妄想のネズミたちを一匹ずつ潰していく。
だけど、潰しても潰しても、ネズミたちの数は一向に減る気配がなく、むしろ数を増やしていくようだ。
ネズミはどんどん増え続け、終いには街全体、王都全体が無数のネズミに覆い尽くされる。
そして、無数のネズミたちは、やっぱり一様に少女へ向けて侮蔑の笑みを浮かべるのだった。
そんなネズミたちに対し、少女は少しだけ涙を浮かべる。
「死ね………死ねよ。私を見るなよ………」
小さな貧しい町の片隅でただ一人。
全てを失った少女は幻想のネズミだけを相手に、今日を生きるのだった。




