雪誘う術
「フィーラウっつーか、まぁお前がフィーラウだってことがまず驚きなんだけどさ。まさかチェーデの奴がこんなとこにいるとは思ってなかった。すげーびっくりしたよ。……まぁ俺もチェーデになっちゃったからおんなじようなもんだけどさ」
「それは、どういう……?」
「ああ、水崎は昔のこと覚えてなかったりするのか?」
「うん。なにも」
「なるほどな。それならよかった」
すらすらと進められる会話。アストのあどけない笑みに、さらにまして不信が募る。
「あの、一人納得されても、私わからないよ」
聞くほどわからなくなる。敬い慕うべき主への疑念が膨らんでゆく。
全てを問うつもりでフィウがそう告ぐと、アストは瞬時に表情を落ち着かせ、青い瞳でついと見上げてきた。そこに宿る、フィウの知り得ない莫大な何かが、直線的に突き刺さってくる。
これは子供の目ではない。王の目でもないように思える。何を秘めた目であるのか。フィウは知らなければならない。
「わかりたいのは、フィーラウとして? 水崎として? 聞いてどうすんだよ」
チェーデは呪われた姓だ、とユサグスは言った。そこにある事実が良いものであるはずがない。聞いて何になるかなど知らない。しかし、フィウはフィウである以前に騎士なのだ。その心構えは当然である。
「水崎として。何もわからないまま、主に尽くすことはできないから」
見つめ返す。フィウの金色とアストの青色が絡み、沈黙が去った。
やがて、面白くてたまらないと言った様子でアストが笑い出した。
「……っははは、すげー。すげーよ水崎。ははははっ!」
子供らしい無邪気な笑い声が響く。突然のそれにおどろき、フィウはうろたえる。
「な、なに」
「や、ごめんごめん。でも水崎ほんとすげーよ。いやまじびっくりっつーか。はは。すげー」
ひとしきり笑い続けたアストは、やがてもう一度、確認するようにフィウへと尋ねる。
「本当にお前、聞いても騎士やってけると思うか?」
重々しい問いかけに即答する。
「もちろん」
「よし。じゃあ教えるから、ちょっと来てくれ」
城の中でも最も標高の高い場所、というか屋根の上に連れ出された。高所が苦手ではないことに安堵しながら、いっそう高みまでフィウはよじ登る。それにしても軽々と天辺に居座ったアストは猿のようだった。
寒風に頬を打たれ、冷たさに肩が震える。低く見下ろす凍えた街並みは薄く銀色がかって、陽の光を受け純白に輝いている。冬真っ盛りといったところか。
「チェーデっつーのは、元々はあっちにいたのにこっちに落ちてきた奴らのことを差す」
アストは真っ直ぐ上を指差した。薄い雲が空を白ませている。何を差しているのかわからない。
「で、あっちにいる、またはいた奴らってーのは、まぁこういうのができるんだよな……」
すぅ、ときんと冷えた空気を吸い込み、アストは歌うような耳に心地よい拍子でなにやら呟き出した。少なくともそれはこの国の言語ではない。が、不思議と何を歌っているのかは脳内へ呆気なく入ってくる。
“空の風は地の雪を穿ち、地の雪は空の風に陰る。寒気見下ろす我等神々の血よ、世界に微かなまごいをもたらし、そして去れ”
急速に芽生える記憶の花は、途端に成長し、花を咲かせる。思い出したのはその言語だ。ちょうど、子供の頃から乗っていない自転車の乗りかたを思い出したように、あまりに自然な記憶が蘇る。自身がその言葉を扱えることに疑問を感じることもなくすんなり馴染んでゆく。
再びフィウが空を仰いだ時には、粉雪が降り始めていた。たちまち風が強まるのを見て、これは吹雪になる、と予測をつける。
「今俺が降らせたんだよ」
「……魔法?」
「違う。魔法っていうのは、お願いしてちょっと力を貸してもらうだけの紛い物だよ。俺のは本物。……このくらいはお前もできると思うよ。止ましてみ?」
「えっ、と。どうやるの」
「想像しながら言う。だけだと思う、多分。言葉は解る……よな?」
知らないはずの懐かしさが満ちていた。フィウには、自分にもこれができるという確信があった。知らないはずの方法が目に浮かぶ。
“空に平穏を”
和らいだ風が穏やかに通り抜け、振りだしたばかりの粉雪をかき消した。ふわりとフィウの髪が舞う。
「すげー。フィーラウのはやっぱり即効なのな」
何かが、フィウのもとへ帰ってきたようで。しかし、やはりわからないものはわからないのだ。フィウはアストへと振り替えると、幾度目かわからない質問を投げ掛けた。
「これ、一体何なの? アスト」
彼から返るは、まだあどけない笑み。
「お膳立ては済んだからな。見ててよ。でも、知りたいって言ったのは水崎なんだからな?」