信じない騎士
その日の夕刻。
アルモは両の拳で、赤い煉瓦をバンバンと叩いていた。
「あーー! もう! あーー」
「アルモ、痛そうなのと煩いよ?」
「そうなんだけど! あぁあ」
苦笑いを色濃く浮かべたフィウに注意されるが、アルモはぶるぶると震えながら唸っている。
「って、いうか、気持ち悪い」
「そこはスルーしてよ!」
アルモが今、何に唸っているのか。それは、フィウが浮かべている表情から、苦しんでいるわけではないことが伺える。否……全く逆だ。
「あのね! 一目惚れって知ってる?」
「アルモのはそれに当てはまらないよ」
「アストくんの正装だよ、正装! 楽しみすぎて、もう……」
「そろそろ落ち着こうショタコン」
結論を言えば、アルモはアストの姿を想像して身悶えているのである。それは、彼女に幼い男子を見ると興奮する性癖があることの証明だった。いわばショタコンである。
アルモはようやっと落ち着いたのか、ふぅと息を吐き出して、花々を囲むその縁の、さらにフィウの隣に腰掛ける。
「ああ、でもよかった。明日だから、11日だよ、11日。即位からそんなに経って、やっとテレビ出てくれるんだね」
「そうだね……だけど、やっぱり民間のメディアは全部弾いてるみたい。会見も一回だけかもね」
「むー……ならあたしはそのお姿をこの目にしかと収めなければ……!」
なーに言ってんだか、と呟いて、フィウは再び苦笑をその顔に滲ませた。友人であるアルモの趣味なんてもうよく知っているが、その相変わらずさがまた笑いを誘うのだ。最初の方こそドン引きしたものだが。
「会見、明日の朝だよね。さぁて、アルモは今夜寝付ける?」
悪戯っぽい口調でフィウが訊ね、
「無理です無理ですーっ! アストくん可愛もん」
アルモは即答でそう答えた。アルモの性癖の中でもさらにど真ん中を通ったらしいアストは、今もおそらく仕事をしているのだろう。アルモにこんなふうに騒がれていることを知れば何と言うか。
――――そんなアストのことを、市民はこう思っているのだろう。
青い髪に青い目の少年がどこから現れたのかはわからないが、これからどこへ行くかは、何故か明確にわかる……彼によって、国がもっと豊かで平和に導かれると。だから、皆が彼を指示する。
そこに理屈は存在していなかった。あたかも神の導きのように、人は理屈なく彼を信じていた。
それがフィウにはわからない。何故アストが理由もなく指示されるのか。何故アストがそこにいるだけで国が変わるような気がするのか。何故実際に変わっていっているのか。フィウ自身は何故、そんな疑念を持って、彼を信じられないでいるのか。
騎士であるからには忠誠を誓う。それは当然であり、命があるなら従う。だが……その主のことが、フィウには信用できないのだ。これが由々しきことだということはわかっていて、わかっているから知りたいのだ。
アストは、誰だ――?
コンコンコンコン、と入室を求めるノックをして、どうぞ、という少年の声でノブを掴み扉を押し開ける。
「アストくん」
「ん? クィルスタ、どしたの」
トグン=クィルスタは、この城の召し使いだ。年を食った顔をしているが、体つきはしっかりしていて背はぴんと伸ばされている。パッと見は厳格な印象が強い彼だが、その声は温厚で柔らかな響きを含んでいる。
「明朝のお召し物、どうするかい? こちらで決めてしまってもいいのかな」
「ああ……記者会見っていうやつか。選べるの?」
「相当貧相な衣装でなければ。あとは、似合えばよいですよ」
アストは少しだけ考えるような素振りを見せると、
「じゃあ選びたいな」
と言って立ち上がった。トグンはそうかい、と柔らかく返して、ついておいで、と言って部屋の扉をまた開く。重い扉を丁重に閉めると、コツコツと静かな足音を鳴らして廊下を震わせる。その隣に、目立った足音はあまり立てずにアストが歩を進めている。
それからすぐにあるひとつめの曲がり角をアストたちが曲がらずに歩き去ると、そこから満面の笑みのアルモがひょっこりと顔を出した。
「アストくんの正装……! 明日が楽しみだな」
「アルモ、気持ち悪い。あと覗こうとしたら鞘で斬るよ」
「覗きはしないよっ! 本番を楽しみにするんだから……」
「とか、言ってないで。さっさといくよほら」
フィウはにやけるのを必死に堪えているアルモに向け無表情で呼び掛け、アルモを引っ張ってゆく。五分ほどで庭に出ると、二人は城の影に回った。
夜風がさらさらと、フィウの長い黒髪とアルモの結い上げられた白髪を撫で、頬を掠めていく。その風に触れて凍えそうに震える芝生たちが、何を言うでもなく対峙し剣を抜いた二人を、こわごわと見上げていた。
直後に鳴る、キン、という金属音。それからは、立て続けに。
そう、フィウとアルモは鍛練のため剣を交えているのである。
構え、飛び、回り、退き、走り、振る。それらの単純な動きだけが、幾重にも金属音を生み出し束ねている。声はなく、ただそこには芝生を蹴散らす足音と、それに同調した息と、風音と、刃と刃が鳴らす高く弾んだ音だけが満ちている。
フィウが退いた場所にアルモの振った剣の先が通過し、次にアルモが跳躍しフィウへの距離を縮めようとしたところでフィウがアルモの後ろに回る。咄嗟に体を捻って飛び退いたアルモに剣が振られ、アルモは造作もなく受け止め弾く。そんなことが、早回しにしたような速度で数分続いた。
今までの音とは違った新たな音として、パン! とアルモの掌が打ち鳴らされ、それは緊張していた空気をぶるぶると震わせ、断ち切った。二人とも剣をおろして、呼吸を整えると仕舞う。
「こんなもんだねー……でもフィウ、なんか切れがなかったよ?」
「え、どのへん?」
「全体的にかなぁ……集中がいつもよりは劣ってる気がするよ。フィウ、ちゃんと寝てる?」
フィウは首を縦に一度振り、じゃあ恋かな? と聞いたアルモに二度首を横に振った。そんなアホな話があるわけがない。であれば、導きだされる答えはひとつだった。
「うーむ。じゃあなんだろ」
「……でも、アルモ。なんかね……」
「なに?」
フィウは、俯いて答える。
「アストが何者なのか気になる。わからなくて困る」
冬の夜、寒空から吹き下ろされる風には凍ってしまいそうで、そのせいで舌がうまく回らない。普通に言ったつもりだが、もう少し暗く伝わってしまったかもしれないと心配する。が、アルモは作り笑顔にも似た満面の笑みで、
「それこそ、明日の記者会見が楽しみじゃない? まだまだわかんなくて当然だし、そういう行事狙っていかなきゃ」
と、おどけたように諭した。
「……あたし達、騎士だもん。」