名もない少年
ここから本編になります。
年末のことだった。
この国、ユーツァでは年末に、呆れてしまうほど大規模な祭りがある。といっても祭りというのはついでで、メインの行事はまた違うものだ。城の庭への立ち入りが誰でも許され、王家の方々に直接会うことができる、という行事。運がよければ話すこともできる。
王家の人々があたかも神のように扱われているこの国では、この祭りに訪れない人は少数派だ。膨大な人々が集まるこの行事、商売人たちは我先にと道に屋台を出して稼ぎを図り、それを目当てに外国からも人が集まるため、その連鎖のおかげで簡素に"年末行事"と呼ばれるこの祭りの規模は世界一と言っていいほどに凄まじい。
ただし、王家の方々は庭を出ることはない。それに、城を出るのは年越し前30分から年越し後30分の一時間のみだ。11時29分になると門が開かれる。そのため、昼から昼まで続く行事の中で最も人々が盛り上がりを見せ、集まるのは……今この瞬間なのではなかろうか。
28分。フィウはほっと溜め息をつく。玄関脇の柱の元で直立した彼女の息は、白くなって昇っていった。
王に仕える騎士団に所属しているフィウは、毎年この行事でこの位置に突っ立っている。楽しげな人々の声が高まってくる今、溜め息をつかずにはいられなかった。自分は祭りを楽しむことなど出来ないのだから、少しは羨ましいと思ってもいいだろう。
玄関から真っ直ぐ続く一本道だけを残して辺りに満ちる国民たちは、29分までのカウントダウンなんて始めている。どれだけ楽しみなのか知らないが、ただ黙って立っているフィウに疲れが溜まっていくことに変わりはない。第一寒い。
ごー! よん! さん! にー! いち!
あーもう、と微かにひとりごちて、フィウは玄関を見据えた。
ぜろぉ!!
国民達の大合唱が耳をつんざくほどに響き渡り飽和すると、城の大きすぎる玄関が重々しく開かれた。とたんにあちこちから歓声が上がる。賑やかなものだ。
次々と歩いてくるのはフィウにとっては見なれた顔の数々。玄関前で、それぞれ思い思いに手を振ったりお辞儀をしたり笑顔を見せたりしてから、一本道に端から並んでゆく。王は一番最後だ。
一人一人が出てくる度に歓声が上がる。きっと国民たちは、寒さなど感じていないのだろう。むしろ、あの人口密度と熱気に暑さを感じて、汗でも垂らしているのだろう。フィウに触れる風はこんなにも冷たいというのに、この場の雰囲気はひどく暑い。
王家がそんなに珍しいのか……なんて思ってみても、答えは明確だ。ユーツァを世界一の大国に仕立て上げた彼らは、人々からすれば王であり、英雄であり、崇拝できる神なのだろうから。
30分。この国の王である青年……ユサグスが玄関前に現れた。まだ若い顔はどこか疲れているが、遠目からならばわからないのだろう。
二年前に先王含めユサグスの両親が失踪し即位した彼。即位する前は多少面倒くさがりな印象だったが、思ったより真面目にやっているし、なにより顔がいいので人気は高い。顔がいいので。
ひときわ大きな歓声が上がる。民衆がどっと沸き上がる。
だが、そこまでだった。
「……え」
しんと、今までの熱気が嘘のように静まり返る民衆。
誰一人として、動かない。
辺りを見回せば、フィウの他にも騎士団の人がいる。その他の護衛の人もいる。けれど、彼らは動かなかった。時が止まってしまったように、直立した姿勢を変えなかった。ただ、驚嘆と疑問だけをその顔に浮かべて、それを見ている。
どうして動かない?
王が殴り倒されたというのに。
ユサグスは床に倒れていた上半身をゆっくりと起こしたが、立ち上がろうとはしない。駆けよって手を貸すべきだろうかという思考が過ると共に……ユサグスの目の前に立ちすくんでいた、フィウよりも遥かに若い少年が、民衆へ振り返った。
少年の鮮やかな青い髪に、降りだした粉雪が舞い降りる。
「来年からは、俺が王だ!」
叫んでいるという風でもなく、ただしここに犇めく人々には確実に届くであろう声量で、少年は宣言した。
なにを言っているんだと、少年に詰め寄ろうとしたとき、ユサグスがすっと立ち上がってフィウを制した。彼は静かに首をふる。そして言う。
「わかった。任せるよ」
思考が止まる。
ユサグスは本気で言っているのか!
「来年から私は一般人だ」
ユサグスのあまりに信じられない発言に、フィウは声をあげて訊ねた。
「本気ですか!?」
「当然だよ」
「何故です!」
「私が向いていなくて、こいつが向いているから」
「意味がわかりかねます!」
「いいから」
なにがいいと言うのか。フィウは訳がわからなくなって顔を下げる。それから、ちらりと民衆を見る。
人々も驚いているようだった。けれど――、怒ったりしている人は、一人も見当たらない。
何故!
ふいに少年がフィウへ振り返り、じっと見つめてくる。フィウは、ひたすらに疑問を持って少年を見つめ返した。
年の頃にして12ほどにしか見えない少年は、その顔を彩るあどけなさと、なにか得体の知れない雰囲気を持っている。少年もまた何かがわからない様子でこちらを見ていた。
「動けるんだな」
小さく囁いた少年は、再び静かな民衆に向け視線を投げ掛け、言った。
「俺は、誰より素晴らしい王になってやるよ!」
数十分後、日付が変わってしまった。……変わってしまった。
少年はそこで、ユサグスに軽く頭を下げる。
「ごめんな。いきなり殴って」
「こちらこそ、あいつらをよろしく」
フィウはそんな二人にいろいろと聞こうとしたが、それよりも先に、少年がフィウに質問を投げ掛けた。
「っていうかいろいろ聞きたいんだけど、まず二人共名前なに」
知らないの……!?
仮にも王からの質問なので答えなくてはならないが、名前知らないの!? 王の名前も私の名前も、世界的に、知らない人そうそういないよ!
フィウが顔を強張らせている横で、ユサグスが解答する。
「ユサグス=ラ=ユーツァ。こっちの女の子は水崎フィウ」
「……水崎です」
「ユサグスと水崎、ね。うん、じゃあ……水崎」
青色の少年はフィウを呼んで見据える。
「はい……」
フィウは恐る恐る、次の言葉を待った。
「俺に名前、つけてくれ」
はぁ? と、口に出してしまいそうだった。名前がないとなると、相当身分が低いかストリートかのどちらかになる。そんな少年が国を納めていいはずがない。……というか、まずこんな幼い子供がそれをしようとすること自体、あまりにもおかしすぎる話なのだが。
「適当に」
促され、困った。本当にこの少年が王になろうと言うのだろうか。ユサグスを殴ったにもかかわらず誰からも反感を買う様子はなく、ユサグスからもすんなりと認められた少年。何が起こっているのか、フィウにはいまいち掴めない。少年は、本当にユサグスから王座を譲られたと言うのだろうか。
もしそうであるなら、そして今、王から名付けを頼まれているなら、王様に下手な名前はつけられない。
ひとまずなにか名前を考えて、そこでふと、思い出した。
「……暁飛」
「アスト?」
「はい」
フィウは養子である。その保護者にあたる水崎夫妻が子供につけたかった名前が、暁飛なんだそうだ。不思議な名前だと思う。
「じゃあ、それでよろしく」
そう至って軽く笑う少年。やはりそれはあどけない。
彼が王だなんて信じられないが、隣にいるユサグスが先ほどまでより遥かに疲れを滲ませた顔でいるのを見るとわかる。ユサグスが世界の頂点を容易く降りたということが。
すると必然的に、フィウが仕えるのは目の前の少年になる。フィウは騎士であるからだ。
「……ああ、もう……いいや」
――少年、アストは、なぜだか王になっていた。