客人
即位からいくばくか。アストの元に、大量の仕事が舞い込んだ。その内容は主に、外国首脳との対面である。よって、アスト護衛の任は騎士団にあった。
「申し訳ありません、ご予定は日暮れ時になりますが、よろしいでしょうか?」
「いいの、大丈夫。ウィラーク卿、お仕事頑張ってね」
アルモがレイニに頭を下げ、レイニが困ったような笑顔を返してから、約一時間後。
フィウやアルモ、その他の団員は、壁沿いに突っ立っていた。
フィウの隣には大層な装飾が施された扉がある。その奥には、アストと他国の王族が一人、おそらく何か話している。それにしても、フィウは驚きの意を未だ隠せないでいた。なんせ、その相手。――ヴィグノリアからの客なのである。
地上世界で言うのなら、ヴィグノリアはフィウの故郷とも言える国だ。初めて地上に降りたってから、幼少期の何年かを当国の山脈で過ごしていたのだから。そして、ヴィグノリアが交易を極力避けているのも知れたことだ。ここでアストとの会談を求めたのは、一体何故なのか。
わからないものはわからない。フィウは、気を張りながらに直立し続ける。
やがて、扉が開きアストが顔だけを出した。
「水崎。来いってさ」
「? ……はい」
歩み寄り、室内へと踏み入れ、扉を閉める。
「楽にしてね」
そこに立っていたのは、柔らかそうな暗い黄金色の髪に不思議な民族衣装を纏った女性であった。快活そうな笑みがフィウへと向けられる。フィウは頭を垂れ、丁寧に尋ねた。
「水崎フィウです。いかがなさいましたか」
「私はヴィグノリアで女王をしている、ケイファよ! 水崎フィウって言うのね、久しぶり。多分あなたとは同い年くらいになるわね。25でしょう?」
フィウが一見して25と言われたのは初めてだった。外見的には18だと思うのだが。しかし、正式に年を数えると確かにそのくらいになるか。
「……申し訳ありませんが、私は以前貴方にお会いしましたでしょうか」
「あら。覚えていないの? 私も貴女もまだ幼かったけれど、山で会ったわよ」
「っ……」「……やっぱりか」
フィウが息を詰まらせ、アストが小さくぼやいた。それを見て楽しげにくるりと立ち回ってみせたケイファは、にこやかに声をたてる。
「アストくんがいきなり即位しちゃって批判ゼロでしょう? これはおかしいと思って来てみたら、案の定だったわ。これでも私、ヴィグの王女だもの、人の魔力は見ればわかるのよ? アストくんには会ったことはなかったけど、フィウちゃんもいたし。でも、ねぇ……フィウちゃん」
よく喋る女性である。ケイファは、楽しげだった口調を瞬時に訝しげなものに転調してみせると、改めてフィウへ向き直った。訝しげであるのはこちらも同じで、神妙に応答する。
「……はい」
フィウが、金色の瞳でケイファを見据える。ケイファの目は若草のような淡い緑色で、目付きは柔らかだった。
「貴女の魔力、以前会ったときの比にならないくらい、とっても強くなっているわ。どういうことかしら?」
「……それは……」
「あら、言いたくないことだったかしら? それならいいのよ。私が知りたいのはそこじゃないわ」
微かに言い淀めば、鉄砲玉のようにケイファの弾む声が飛んできた。
「まぁいいわ、本題に入りましょ。アストくん、フィウちゃん、一つ取り引きしたいのだけどよろしい?」
私もか? フィウは内心首をもたげ、相手がヴィグノリアの人間であることから、ある程度の予想をつけた。アストも同じようで、複雑な顔をして内容を促した。
「話が早くて助かるわ。……ヴィグノリア山脈は、世界一険しく美しい山々よ。おなじくして、雪崩や噴火や地震、麓なら山火事や雷、大雨で土砂崩れも。とっても災害が多くて、多すぎて、誰も立ち入れない山々なのは貴方がたはご存知ね? でもあまり知られていないし、そもそも私達が知らせていないから、なんにも知らない登山家が登山に来るのよ。そして立ち入れないことを知って憤慨するわ。それで麓近くではよく暴動が起きるの。内戦にまで発展したことがあるくらいなのよ。私の両親も山に近づいて最近亡くなったわ。いやなことよね」
ケイファはすらすらと自国に聳える山脈についてを語った。
「それは貴方達堕ちたひとがいるからなの。貴方達天のひとが私達の山々を荒らしているからなの。……貴方たちに、ヴィグノリア山脈を所有してほしいの」
「所有?」
アストが聞き返す。
「そうよ。うちでは手に終えないわ、あの山。貴方にあげる。安全なほうには鉱山も沢山あるわよ。悪い話かしら?」
その頃、部屋の外で、アルモが薄く息を吐き出した。親友が会談の間に連れられてからもう何分が経過したろうか。何を話しているのだろうか。それらが気になって仕方がないのだ。
重厚な扉から音は漏れてこない。
フィウは何をしているのか。考え続けながらに待ち、さらに待てば、いつか扉は開かれた。フィウを交えたまま、会談は終わってしまったらしかった。
疑念が、芽生える。