メイドさんの城
メイドさんの城
あるところに、一人のメイドがいた。
そのメイドは、魔王城につとめているメイドだった。つまり、魔王の配下ということ。
彼女は魔王のために働き、魔王とその配下の魔物の世話をすることを生業としている、魔物っ娘のメイドだった。
そのメイドの一日は、まず魔王にあいさつをすることから始まる。
朝早くに目を覚ましたメイドは、少しの褐色を含んだ美しい肌に化粧を整え、深呼吸をした。
「うぅ……。毎朝のこととはいえ、緊張するなぁ」
鏡の中には、少し表情が堅めの、しかし怪しく光る緋色の目が美しい少女の姿が映っている。
「でもでも、こんなことじゃダメよね。何しろ私は、誇り高き魔王さまにお仕えさせて頂いている身分なんだもの。もっとしっかりしないと。しっかり……」
メイドはそう言って、鏡の中にいる自分の赤い瞳をじっと見つめ始めた。
「……そうよ。私だってこれでも、立派な魔物。魔王さまにお仕えする前は、この赤い瞳で幾多の冒険者を屈服させてきた恐ろしい魔物。緊張なんてすることない。平常心、平常心……」
メイドは毎朝、こうやって気持ちを落ち着かせた後に、一日の仕事へと臨むのだった。
「……よしっ!大丈夫大丈夫!私は出来る。私なら大丈夫……」
毎日の日課を終えたメイドがそこで立ち上がって、魔王の部屋へと、あいさつをしに向かっていった。
魔王の部屋までたどりついたメイドは、少しドキドキする胸を押さえながら、軽いノックをした後、魔王の部屋に入っていった。
「おはようございま~……す。魔王さま?朝ですよぉ~……」
叱られると怖いので、控えめな声で、メイドは魔王にあいさつをした。
魔王の側に返事はない。
「ま、魔王さまぁ~……。もう朝ですよ?起きないと、まずいですよぉ」
若い男の格好をした、その恐るべき魔力を持つはずの魔王は、だだっ広いベッドの中で一人、うつむくようにしてたたずんでいた。
この魔王はいつもこうで、メイドが何回起こしても、まともに目を覚ました試しがなかった。
「もう、魔王さま。朝なんですってば。起きてくださいよー……」
よほど睡眠が必要なのか、それとも単に怠け者なのか、メイドが近づいて揺さぶっても、魔王は一向に起き上がろうともしない。
「んもー……。仕方ないですねぇ……」
やがてメイドは諦めたような声を出して、その人型の魔王を抱き起こし、魔王の着替えの世話をしてやった。
メイドは、呆れたようにして魔王の服を着せ替えながら、魔王に話しかける。
「んもう。魔王さまったら、たまには自分で起きて、朝の支度くらい自分でしてくださいよ。いくら私がいるからって、これでは部下が泣きますよ」
メイドが頼み込むようにしてじっと赤い目で魔王を見つめると、魔王はそこでようやく立ち上がり、重々しく扉に向かっていった。
「はぁ。ようやく起きてくれた。まったく、最近の魔王さまは本当に怠け者だなぁ。昔は、もうちょっとは自分で動いてくれていたんだけど……」
メイドはため息をついて、今度は魔王城の厨房へと歩いて行った。
次は、魔王城にいる魔物たちの食事を作らなくてはいけないのだ。
メイドは忙しなく動き回っていた。
何しろこの魔王城にいる魔物数百匹分の料理を一人で作らなくてはいけないのだから、たまらない過剰労働である。
「はぁ。大変だなぁ。それにしても、せめてもう少しは人を増やしてくれないものかしら……」
広い広い厨房の中をせかせかと動き回りながら、メイドはつぶやいた。
「確かに私はそこそこに優秀でレベルも高い魔物だとは自負しているけれども、こんな重労働はいくら何でも無理があるでしょうに……」
メイドはぶつぶつと文句を言いながらも仕事をこなしてゆき、やがて魔王城の大広間にはいっぱいの料理が並んだ。
メイドは赤い瞳をきらめかせながら、大広間に集まっていた魔物たちにあいさつをする。
「みなさん、おはようございます。今日もみなさんの一日の活動を祝福すべく、精一杯にみなさんの食事を作らせていただきました……」
席についている魔物たちはみな一言も発さず、メイドの言葉を黙って聞いている。
「……それでは、あまり長々と話をしても料理を冷まさせるだけでしょうから、どうぞみなさん、料理のほうをお召し上がりください」
メイドがそう言って頭を下げると、魔物たちが一斉に食事に手をつけ始めた。
その後メイドは、お城の掃除、洗濯と、コツコツ家事をこなしていった。
仕事というのは不思議なもので、ひたすら無心に体だけを動かしていると、あっという間に時間が過ぎてゆく。気づけばもうお昼を過ぎていた。
「あ。いけない。もうこんな時間。早くしないと、あの人たちが来る……」
メイドがハッとして作業を止めると、その瞬間、魔王城の玄関からドカドカと荒い音が響き始めた。
「ああ。ウワサをすれば。もう来てしまったの」
メイドはその音を聞いて、慌てたようにして玄関に向かって走り出した。
「……それにしても、本当に乱暴な人たちだなぁ。ここは仮にも魔物の王たる魔王さまの住まいなのだから、もう少し上品に入ってくればいいのに……」
メイドが玄関に到着すると、そこには白いよろいに身を包んだ兵隊たちがざわざわとひしめいていた。
メイドはその姿を確認するなり、身なりを素早く整えて兵隊たちにあいさつを始めた。
「お待ちしておりました。魔王さまの護衛兵の方々。おつとめご苦労さまです。では今日も、魔王城の警備のほどを、よろしくお願いいたします」
メイドは無理に作り笑いをして、この武装した兵隊たちを迎えた。
兵隊たちは、そのメイドに対して少し引いたようにして後ずさりながら、仲間内でごそごそと何かを話し合っている。
(……あぁ。もう。本当に、嫌な連中だなぁ――――)
メイドは、その兵隊たちの様子を見ながら、心の中でこっそりとつぶやいた。
メイドは、どうもこの兵隊たちがあまり好きになれなかった。
何しろこの乱暴な兵隊たちは、せっかくメイドが掃除した魔王城を毎度毎度、ごそごそと散らかしながら歩きまわっていくような粗暴な連中なのだ。
(どうして魔王さまは、こんな連中を城に入れることを許しているのだろう)
きれい好きなメイドからしてみれば、酷くうんざりさせられる存在だった。
メイドが頭を下げていると、やがて、その群れのうちの一人がメイドに近づいて、メイドをいきなり縄で縛り上げ、その上で目隠しをメイドに被せた。
(そして、またこれか……)
メイドは小さくため息をついた。
この兵隊たちは、メイドの姿を見ると必ず、少し怯えたようにしてひそひそと相談した後、メイドをこのようにして拘束するのだ。
その理由は、メイドにはよく分からない。
儀式か警戒かはよくわからないが、とにかく勘弁してほしいと、メイドはもう一度ため息をついた。
それからしばらくの時間が経った後、メイドはようやく開放された。
見るともう、日が沈みかけているような時間になっていた。
メイドはうんざりした。まだいくつかの家事が残っているのに、この連中が来るとどうして毎回、こんな意味不明に時間を浪費させられるんだろう。
いつもいつも、私の仕事をジャマして、と、メイドはそこで若干恨む目つきをして、その燃えるような赤い瞳で自分の縄を解いた兵隊をにらんだ。
すると、その目をチラと眺めた兵隊はその場で慌てて驚き飛び退き、怯えきった様子でいきなりメイドを殴りつけた。
そしてその兵隊は、恐怖におののいた表情になりながら、慌てふためいて城を出て行った。
その夜、夕食を作ったメイドが大広間に食事を運んで行くと、大広間には朝とまったく同じようにして、魔物たちが大人しく席についていた。
魔物たちは、朝からずっと、この場から動かないで、そのまま席に座っていたのだ。
「あらみなさん。お早いんですね」
メイドは笑いながら、机に食事を並べ始めた。
そしてメイドが夕食前のあいさつを済ませると、魔物が朝とまったく変わらない手つきでゆっくりと食事を取り始めた。
やがて、魔物の食事が終わり、メイドが食後のあいさつをした。
「みなさん。今日も一日本当にご苦労様でした。では、各自それぞれ自分の部屋に戻って、今日の疲れをお癒やしください……」
メイドはそう言って、魔物たちに軽いおじぎをした。
しかし、魔物たちはその場からぴくりとも動かない。
「……?どうされたのですか。みなさん。もうお戻りになって、結構ですよ?」
メイドが赤い瞳をきらりと輝かせて、もう一度そう告げると、魔物たちは憑かれたようにしてぱらぱらと立ち上がり、各自の部屋に戻っていった。
その様子を見たメイドが、首を回しながら言う。
「……あぁ。やれやれ。これでようやく、一日の仕事が終わった。さて、じゃあ私も、明日に備えて早く休まないと――――」
そしてメイドも、自分の部屋へと戻っていった。一日の仕事を終えて……。
「……いやぁ。あれは本当に怖かった。あのメイド、あの真っ赤な目で俺をにらんできやがって。あのときは本気で死ぬかと思ったよ」
「ははは。そりゃあ災難だったな」
一方で、メイドと同じく、こちらも一日の任務を終えた白いよろいの兵隊たちが、一日の疲れを癒やそうと、わいわいと酒場で語り合っていた。
その中で一人、メイドの拘束をほどいた兵士が、酒をあおりながらグチを言っていた。
もちろん、彼らは魔王の護衛兵などではなく、普通の人間の兵隊たちである。
彼らは、勇者をサポートする役割の、王国宮殿の護衛兵たちだった。
「災難だったなって、お前。そんな簡単な言葉で済ませるなよ。こっちは本当に大変な思いをしたんだぞ」
「まあまあ、そんなに文句を言うなよ」
グチを言う兵士を、聞き役となっていたもう一人の兵士がなだめ始めた。
「多少の危険は仕方がないじゃないか。これが我々の、王より託された世界を守る大切な仕事なんだから。それともなんだ。もうこの仕事を辞めたくなったのか」
「……いや、何もそういうことを言いたいわけではないんだが」
聞き役の兵士の一言に、グチを言っていた兵士が少し大人しくなって言葉を続けた。
「……しかし俺はやっぱり、あのメイドを退治しておいた方がいいと思うんだ。あの魔物はやはり危険だろう。机に何体もの魔物の人形を並べて。俺たちのことを魔王の護衛兵だなんて呼びやがって。本当にまったく、薄気味の悪い……」
「いや、お前、そんなことを言ったって」
「だって、考えてもみろよ。あのメイドの赤い目は、やっぱり恐ろしい魔物の能力じゃないか。あの目には、ひどい幻術の魔法能力があるんだろう」
グチを言っていた兵士が、少し興奮した様子で続けた。
「昔はそれで、俺達の仲間が何人も何人も人形のように洗脳されて操られて殺されていったんじゃないか。お前は怖くないのか」
「しかしそうは言っても、魔王亡き後の魔王城の管理が今まともにできるのは、魔王城に長年つとめてきたあのメイドしかいないじゃないか」
それまで聞き役だった兵士が、少しとがめるような声を、グチを言っていた兵士に出した。
「魔王が死んだ後の魔王城は、誰かが不備のないように管理していかなくてはいけないが、しかしそれは俺たち人間には荷が思すぎるだろう。何しろ、まがりなりにも最強の魔物のすみかなんだ。危険過ぎる。だからみんなで、あのメイドを利用することに決めたんじゃないか」
「それは確かにそうだが……」
「そうだろ。だったら、あの魔物のメイドを生かしておいて、大人しく魔王城の管理をさせておいた方が、ずっと平和じゃないか」
グチを言っていた兵士がそこで反論できずに、不満そうにのどを詰まらせた。
「……まぁ、そんな深刻そうな顔をするなよ。そこまで危険というわけでもないだろう」
その様子を見たもう一方の兵士が、グチを言う兵士の肩を叩いた。
「数年前に魔王の軍団のすべてが勇者に討伐されたという事実を認めたがらずに、自分に幻術をかけているだなんて健気なもんじゃないか。かわいいもんだよ」
聞き役だった兵士が、そこで初めて自分の分の酒をあおった。
「彼女は毎朝、鏡の中の自分に幻術をかけて、その幻術の中での日々を過ごしているんだ。そうさせておけば、我々の世界に危険が及ぶことも、彼女の世界が壊れることもない。これが理想的な形なのさ」
「……しかし、あのメイドはそれじゃあ、一体いつもどんな毎日を過ごしているって言うんだろうな」
聞き役の兵士が、一気に自分の酒を飲み干した。
「さぁねぇ。まあ、我々なんぞには想像もつかない日々なんだろうよ」