勇者とスロット
勇者とスロット
あるところに、一人の勇者がいた。
「まったく、もういい加減イヤになってきたよ……」
酒場で、一人の勇者が、誰に言うというわけでもなくつぶやいた。
勇者の周囲には、キラキラと輝くスロット台、モンスター闘技場、トランプゲーム場、コイン売り場、景品交換所などが見える。
ここは旅人のカジノ場。冒険に疲れた旅人や町の商人が、夜、このカジノに集まり、全てを忘れてギャンブルに熱中する。
この酒場は、そんなカジノ場の片隅に作られた酒場だった。
「つぶやかれましたね」
勇者の隣で酒を振っていたバーテンが、勇者に相槌を打つようにして、にっこりと笑いかけてきた。
そのバーテンは、バーテンにしては珍しい女の子のバーテン。
ボーイッシュに髪をまとめ、吸い込まれそうな青い瞳を持った可愛らしい女の子だった。
「その荘厳なよろいに、王家の紋章の剣と盾」
少女は、その柔らかい笑みを崩さないまま言った。
「お見受けしたところ、王家と神の血を受け継ぐ勇者さまの一族かと思われますが」
「ああ。よくわかるもんだね。そうだよ。僕は勇者だ」
勇者は、隠そうともせずそのまま少女の言葉を認めた。
「神々に選ばれ、魔王を倒すべく装備を整え旅だった神の血を継ぐ人間の一人だ」
「左様でございましたか。なるほど。道理で並々ならぬ風格を漂わせておいでだ」
勇者のぼそぼそとした言葉に、バーテンは大仰にうなずく。
バーテンの大きめの胸が、勇者の目の前で少し揺れた。
「しかし、勇者さまの冒険とは、いかなるものなのでございましょうか。やはり、我々凡人などには、理解の及ばぬ興奮に満ちたものなのでございましょうねぇ」
「いや、そんな、言うほどでもないよ……」
バーテンの可愛らしい笑顔にも、勇者は大した反応も見せず、苦笑いをして酒をあおった。
「勇者の冒険ってね、そう見た目ほどサクサクも行かないんだよ」
勇者が、グチを言う口調でゆっくりと語り始めた。
「だって何しろ、最初はろくな装備も資金も無しに放り出されるもんなんだからね」
勇者が、ため息混じりに首を振った。
「まともにモンスターと戦うためには、武器をそろえなくちゃいけないし、経験値を貯めて強くなっていく必要がある。毎回命がけの、それも大した達成感のない作業ゲーを何度も何度も繰り返すんだ。これは結構骨が折れるよ」
「ははぁ。左様でございますか」
バーテンは、少し意外そうな表情を作って二杯目の酒を注ぐ。
「それでも何とか強くなって、次の町やダンジョンに臨むとするだろ。するとそこには、まるで示し合わせたようにさらに強い魔物が待ち構えてるんだ。買いそろえたばかりの武器は、すぐに使えない中古品と化すし、先に進めば進むほど、複雑な謎解きや厄介な村人たちの依頼をこなしたりもしなくちゃいけなくなる」
「はぁ」
「村人たちは勇者だと思って危険なことも平気で頼むからね。断るわけにもいかないし、うんざりもしてくるよ」
「なるほど。そのようなものなのですか……」
勇者は、バーテンから差し出された二杯目の酒を飲み干して続ける。
「……魔王にたどりつくまで、延々とこの作業の繰り返しなんだ。逃げ道はない。たまに僕が手を間違えて魔物に殺されても、気づいたら僕は教会の中で生き返っている。人々は神のご加護だなんて言うけど、僕には呪われてるとしか思えないね。魔王を倒すまで、永遠に働き続けろってことだ。どうだい。たまにはカジノで、気を紛らわせたくもなるだろう」
「ははぁ……。なるほど。世の中には、さまざまな悩みがあるものですねぇ」
バーテンは勇者の話を聞き終えると、嘆息したようにしながら三杯目の杯を注いだ。
「……スロットはいいよなぁ」
勇者が、ちらりと視線をカジノの側に移して言った。
勇者の視線の先には、明るい光に照らされて美しく輝くスロットが映る。
そのスロットは、カチャラカチャラと小気味よい音を立てながら絵柄を回していく。
「スロットがお好きなのですか」
「ああ。あれはいいね。冒険なんかよりよほど面白いよ」
バーテンが髪を揺らしながら勇者にたずねると、勇者は三杯目の酒を静かに台に置いた。
「あの美しい台に、職人が描いた美しい絵。当たるかどうかわからないワクワク感に、当たったときのあの高揚感。スロットをやっていると、時間を忘れるみたいなんだ」
「ギャンブルにかまけて、冒険をおろそかにする旅人の方は大勢いらっしゃいます」
「そうだろうね。……ああ、まったく、ここの町の人たちが羨ましいよ」
勇者はまたスロットの方向に向き直った。
美しい絵柄が、カシャカシャと小気味よく回転している。
「僕も、朝は普通にここの市場で働き、夜はカジノでスロットをするという商人の生活を送りたかった。そうすれば、もっと楽しく毎日を遅れただろうになぁ」
「……。左様でございますか……」
勇者は心底うんざりしたといった様子で首を振って、酒を台に置いた。
この勇者は、もはや勇者ではなかった。
重荷を下ろしたがっている、ただの旅人。
バーテンは、そんな勇者の弱ったような背に冷たい光の目を向けた。
「……そうですか。それほどまでにスロットがお好きなのなら、行ってみますか」
「え?行くって、どこに?」
勇者が聞き返すと、バーテンが、その美しい頬を奇妙に歪めてにっと笑った。
バーテンの美しい青の瞳が、少しずつ赤に染められてゆく……。
次の日、そのカジノに、新しいスロットが入荷された。
仕組み自体は他のスロットとさして変わらなかったが、そのスロットの特徴は絵柄にあった。
普通のスロットで言うスリーセブンの絵柄……、つまり、大当たりの絵柄が、勇者の一枚絵になっていたのだ。
その美しい勇者の絵柄が、スロットの中でカシャカシャと回る。
勇者はスロットの中で満足そうに、誇り高く剣を掲げていた。
酒場は消えていた。人々の記憶も消えていた。
そこに誰がいたのか、どんな酒があったのかすら、何も思い出せない。
酒場があった場所には、飲みかけの酒が小さく一杯。
バーテンさえも消えている。