8 一分一厘
藍唯は、蹲ったまま。
そして、慈雨は、bebe姉の顔を見て真剣に言う。
bebe姉も慈雨の訴えは、本気と捉えたのだが、其の頼みは受け取らない。
「慈雨、私には無理。そういうことは可憐にいいなさいな」
慈雨は、可憐の方を向いた。 可憐は、目を瞑り微笑み蹲っている藍唯の方を優しく摩る。
藍唯が、顔を上げると可憐は【赤心】で、胸に指を指し 左手のひらを立てて、右手の親指を当てる。そして人差し指でK L ンを空書きした。
『私の名前は、カレン』
右手の甲側を右に、藍唯を人差し指で示し左手を斜めに構え、その下で親指を小指を立てた右手を手首から軽く振る。
『あなたは、家族』
藍唯は自分の胸を人差し指で押さえた。
『わたしが?』
可憐は、頷き藍唯を抱きしめた。 藍唯は、楚々(そそ)に泪した。
其の光景を慈雨は、不思議そうにみる。
「藍唯は、なんで泣いているんだ?」
「今、藍唯ちゃんに、今日から家族よって言ったの。慈雨、今のは手話よ、覚えなさい。藍唯ちゃんと、話がしたかったら」
『手話?』
【一分一厘】、俺の中で何かが変わった。
それからのBrigitte Bardotは、いつものようにお客が来る。
営業開始。
藍唯は、店の休憩室で可憐が、仕事を終えるのを待ち 慈雨はカウンターで少しお酒を飲んでいる
※お酒は二十歳になってから。
「そういえばべべ姉、朱李は? 今日、出勤だったんじゃないの?」
「今日は、例のアフターが入っちゃったのよぉ おつとめぇ~」
其の言葉を訊いて可憐は、慈雨の方を睨んだ。
「おい! お前何か下手こいたのか?」
慈雨は、殺気を感じ硬直、飲もうとしたグラスが止まる。
「ちっ、違う」
坐っていた可憐が立ち上がり、慈雨に近づき蔑んだ目で視る。
「可憐ちゃん、私が朱李ちゃんに頼んだの」bebe姉にそう言われ、しぶしぶ納得する可憐は仕方なそうな顔をした。
「べべ姉の言うことなら、仕方ないかぁ」
『俺だったらどうなってんだよ 鬼女』
時刻は、夜の十一時を回っていた。平日ということも有、店への客足も少なく、今日は藍唯が居るということも有りbebe姉も、気を利かし店を早く閉めるらしい。
「さてと、俺は帰るわ 可憐さん手話1つ教えてよ」
「え? 何の?」
そして、一足先に慈雨は帰宅するので、休憩室に顔をだし藍唯に別れを言う。
休憩室の扉を開けるとソファーで坐ったまま、安心なのか、あえかな表情で寝ている藍唯。
慈雨は、顔の横で両手を合わせ顔を手のほうへと傾け目を閉じる。
「おやすみ」
璃子の住むマンション***
深々した夜、堂々と招かざる憎悪の来訪。マンションの入り口の前に、スーツ姿の【気色ばんだ】顔の男が独り。
それは、慈雨の別れさせた男が、璃子への制裁を行いに姿を現した。
あの時、慈雨が見逃さなかった一瞬の豹変 憎しみの眼差し。
この仕事をしていれば判る。人は何かを起す時に、一瞬、無意識に表情が変わる。
男は、合鍵を持ち、マンションのエントランスへと入って行く 堂々と。
昼間の男とは思えぬ人格。エレベーターに乗り、十弐階に着くと扉が開、璃子の住む部屋へと近づいてゆく……男が何度も来た場所、此処に来る権利を失った男。
玄関の前に立った男は、満面の笑みを浮かべ、バッグに入れてあったナイフを取り出した。
「殺 し て や る」
【人の歸する所を鬼と爲す】
誰もが、寝静まる丑三つ時、男の思考回路はもはや正常では橆い。
【思えば呪う】
男は元恋人、間取は把握してあるので周りに目もくれず璃子の寝室へと向かう。 そして、部屋の前で独り言を漏らす。
「僕は君のことを愛していたんだよ」
寝室 扉開―――
「でもね 最後にもう一度声が聞きたいよ。 もう一度君の顔がみたいよ。そして僕の恋人じゃないなら、さようならをしよう」
男は、ベットの前に立ち布団を掴み勢いよく剥ぎ取り布団を投げ捨てた。
投げ捨てたままの体制で、男はピクリとも動かず硬直する。
「あ……ああ……お前、誰だ」
左手で男の首の付根を押さえ、もう片方の手には男の首にナイフが横向きに押し当てられ、数ミリほど刃が刺っている、ベッドに居たのは璃子ではなく朱李。
「変 態さん上を向いたままね。少しでも動いたら喉元搔き切るですよ うふ」
男は、腕も下せぬまま震えていた。
「た……たふ けへ ふれ」(助けてくれ)もはや唾液さえも飲込むタイミングを失い滑舌も可笑しくなっていた。
「不帰の客になるか、お前」
朱李は、少し刺さった刃をゆっくりと横へスライドさせた。
「ああ わかった!此処には近づかない!だから助けてください!」
そして朱李は、男に一枚のメモを渡す。
そこに、書いてあるのは男の居所、それはいつでもお前を、殺 しに行けるという意味。
【最期の一念は善悪の生を引く】