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シンデレラ ~黒の断章~  作者: セラニアン
『復讐の章』
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第1章8節 ~ 面影 ~





 ライラクスの離宮に連れてこられてから、気がつけば三日が経っていた。


 離宮での生活は、牢獄を知るセネリアからしてみれば楽園のようだった。残飯を煮込んだスープを口にする必要も、部屋の隅にしみだした雨水を啜る必要もない。テーブルの上には常に上等な白パンと蜂蜜酒、果物が用意されており、彼女はそれを貪るように食べた。セネリアに与えられた寝室の居心地は、牢獄のそれとは雲泥以上の差であった。


 とにかくセネリアは、三日の間、ひたすら身を休めることに専念した。



 ――もっとも、休めたのは身体だけだったが。










 四日目の早朝。温かいスープの入った器を携え、リーディルは寝室の扉を叩いた。


 ゆっくりと扉を開け、そろそろと足を踏み入れる。まるで猛獣の檻にでも入るかのような慎重さである。



(言い得て妙だな……)



 器を大きな食卓に置くと、リーディルは寝台の方を見やった。

 豪奢なベッドの脇。装飾剣を胸に抱えた少女が、猛獣もかくやといった様子でこちらを睨み付けていた。隙あらば、リーディルに噛み付いてきそうな雰囲気である。



「なあ、姫……」



 リーディルは頭を振ると、どこか懇願に近い口調で、


「せめてベッドで休んでくれ。身に障る」

「……余計なお世話ね」



 セネリアは鼻を鳴らす。


 彼女が寝台を使ったのは、最初の日のみであった。二日目からは、ベッドの脇の床でうずくまるように身体を休めていた。胸に大剣を抱えたままで。


 その様は、まさしく獣のようであった。


「どこで休もうと私の勝手よ。それに長い間、私は灰の上で眠っていたの。だからかしら。堅い床の方が落ち着くのよ」


「……。ならば仕方がないか」


 処置無しとリーディルは判ずると、朝食にと持ってきたスープを深皿に盛りつけた。


 香しい香りが鼻腔をくすぐり、思わずセネリアは喉を鳴らす。


 主にセネリアの世話を買って出たのは、誰であろうリーディル王子であった。着替えや食事を運んだり、身体を拭く布と湯を用意したりと、リーディルはかいがいしくセネリアの世話をした。足蹴無く少女の元に通うその様は、まるで雛に餌を運ぶ親鳥か、さもなくば気に入った娘の気を引こうとする伊達男のようだったと、王子の姿を目にした騎士たちは言った。


 もっとも当のセネリアにしてみれば、これほど屈辱的なことはなかった。



(ルーシェル様を奪った悪漢に、私は生かされているなんて!)


 

 屈辱は憎悪を呼び、憎悪は殺意を招いた。その殺意に促され、世話をしに来たリーディルに斬りかかった事は、一度や二度ではない。


 しかし成功したことは一度もなく、彼女は歯を食いしばりながら、リーディルの施しを受け続けた。体力が十分に回復する、その時まで。


 そして今、セネリアの身体は満たされつつあった。

 だからこそ、彼女は温かく栄養のある食事に飢えていた。



「……」



 なみなみと注がれるスープに、思わずセネリアの目が釘付けになる。


 温かな食事が出されたことはあったが、これまでセネリアは、それらに手を付けようとはしなかった。いくらリーディルからの施しを甘受していたとはいえ、リーディルの手から直接食事を受けることは、彼女の復讐心が許さなかったからだ。


 しかしここに来て、ついに身体がぬくもりのある食事を求め始めていた。



「……」



 セネリアはゴクリと唾を飲み込む。それを、リーディルは見逃さなかった。

 まるで野生の獣に餌付けするかのごとく、王子は器を手に、ゆっくりと少女に近づいていった。


 セネリアは慌てて大剣の柄に手を伸ばす。



「来ないで! 来るなら……」


「殺す、か?」


「そうよ!」


「だが、姫には求めるものがある」


 リーディルは器を差し出した。間髪入れず、セネリアはその手ごと器を払い落とす。

 湯気を立てるスープが、青年の足を濡らした。



「あ……」



 セネリアは僅かに身を強ばらせた。

 熱いスープをかけられ、激昂しない者などいない。そしてもし怒ったリーディルに本気で襲いかかられたりしたら、自分はどう足掻いても退けることはできない。


 しかしリーディルの取った行動は、無言のまま零れた器や具を拾い集めることだった。



「なぜ……」



 セネリアは得たいの知れない化け物にでも出会ったかのように、恐れおののいた。


 手を振り払った者に慈悲を与えるほど、人は優しくはない。


 なのにこの王子は、自分に惜しみのない優しさを与えてくる。



 ――ルーシェル様のように。



(違う! こいつは敵よ!)



 恐怖を振り払うように、セネリアは大剣を鞘から抜き払った。

 幸いにも、リーディルはしゃがみ込んでいる。絶好の体勢だ。



(今なら殺れる!)



 セネリアは剣を振り上げる。





 ――が、






「やらぬのか、姫?」


「ッ! 言われなくても!」



 セネリアは剣を振り下ろそうとした。

 しかし、振り下ろせない。

 脳裏に、最愛の王子の顔がよぎる。


『なぜ僕を殺したんだい、姫?』


(ち、違います!)


 脳裏に響く声に、セネリアは必死に言い訳した。


(私は、ルーシェル様を殺してなどいません!)


『では、その手に握られた剣は?』


(こ、これは……)



 リーディルの姿に、ルーシェル王子の幻影が重なる。


 いや、幻影ではない。


 髪の色を除けば、リーディルとルーシェルはうり二つであった。



「姫に私は殺せまい」


 むりやり感情を押し殺し、王子はつぶやいた。ゆっくりと立ち上がると、セネリアに向き直る。


「姫にとって私は、兄君の亡霊そのものであろうからな」

「貴方はルーシェル様じゃない!」

「そうだ、私は兄君ではない」

「なら!」



 ――殺せるはず。



 セネリアは再び剣を構えた。

 鋭利な切っ先を、リーディルの胸元に向け――



「どうした、姫?」

「……くッ!」

「やらぬのか?」



 ――数十秒後。



 少女の目から涙が零れるのと、その手から剣が落ちるのは、ほとんど同時だった。







     ◆ ◇ ◆








「どう、して……」



 膝を突き、セネリアは血を吐くようにつぶやいた。


 自分が信じられなかった。狂おしいほどの復讐の念に焦がされているというのに、ルーシェル王子に似ていると言うだけで、リーディルに対して剣を振り下ろせなかったのだ。



『結局、あなたの愛はその程度だったのよ』



 灰被り姫が囁く。



『王子様なら誰でもよかったのよ。自分をあの灰まみれの日々から救い出し、孤独を埋め、そして豪勢な生活を与えてくれる殿方なら誰でもよかったの。ふふ……さすがシンデレラ。浅ましい女ね』



(違う、私はルーシェル様を愛していたわ!)



『ならどうしてリーディル王子を殺さなかったの? 復讐するんでしょう?』



(それは……)



『いいんじゃないかしら。この際、リーディル殿下でも。ルーシェル様の代わりにするには、うってつけの殿方よ。次期国王で、まあ、権力もそれなりにある。顔形はルーシェル様にそっくり。これまでの無礼をわびて、幼気な姫君を演じてみたら? リーディル殿下もまんざらではないようだし、案外ころっといくかもしれないわよ?』



(だまりなさい!)



 リーディルに向かっていた憎悪が、矛先を変えて自らの内側に向かう。


 自分に対して、ここまで軽蔑と憎しみの念を覚えたのは初めてだった。可能ならば、床に落ちた大剣を拾い上げ、自らの胸に突き立てたいとさえ思う。


 しかしそれをなすことは出来ない。すでに自分は、自分の命をもってしても償えないような重荷を背負ってしまったのだから。



「ルーシェル様……」



 悲痛な声で王子の名を呼ぶ。


 そんな少女を前に、リーディルは心の底から手を差し伸べたいという衝動に駆られていた。



「……姫」



 出来ることなら今すぐにでも抱きしめたい、とリーディルは思う。すぐにでも抱きしめ、その痛みを和らげてやりたい、と。


 だが同時に、冷静な自分がこうも囁いている。




 ――お前は兄の代用品に成り下がりたいのか?




「……くそ」


 伸ばしかけた手を引きもどし、リーディルは奥歯を噛み締めた。

 見ればセネリアは、苦しみに耐えるように自分の胸元を握りしめていた。まるでそれしか縋るものが無いかのように。


 彼女の目がハッと見開かれたのは、その時だった。




「ドレス……」


「なに?」


 あまりに唐突な単語に、リーディルは首をかしげた。



「私のドレスが……ない……」


「姫のドレス?」


「私がずっと着ていたドレスよ!」



 はじかれたように顔を上げると、セネリアはせっぱ詰まった様子で叫ぶ。


「ドレスというと……あの血塗れの?」


 リーディルは目を白黒させる。

 セネリアが何を言っているのか、意味が分からなかった。悲しみのあまり気が触れたのかとさえ思った。


 しかしセネリアは、構わずリーディルに詰め寄ると、


「そうよ! どこにやったの!」

「あ、あまりに汚れていたのでな。捨てさせたのだが……」

「どこに捨てたの!」

「裏にある厩舎の脇だろう。本来ならば召使いが洗濯、あるいは処分するのだが、あいにく今、この離宮には一人の使用人もおらぬからな。おそらく、そのままになっているはずだが……」



 その言葉が言い終わらないうちに、セネリアは身を翻していた。


 寝室を飛び出し、回廊を駆ける。


 セネリアの頭の中では、様々な感情が渦巻き、ぐちゃぐちゃになっていた。しかしその中にあって、ドレスに対する執着心だけははっきりと自覚できた。


「ま、待て、姫! 離宮の外に出ては!」


 王子の声を振り払い、セネリアは走った。










 同じ頃。


 高い樫の木の上から、その人影はライラクスの離宮を見つめていた。


 髪を結い上げた、長身の女だった。王宮に出入りする庭師が着るようなこざっぱりとした作業着に身を包んでおり、一見すると男装の麗人のように見える。


 しかしその目は、獲物を狙う鷹のそれだった。



(さすがに守りが堅そうですね……)



 離宮の周囲は、剣や槍を携えた騎士たちが巡回していた。不可能とは思わないが、簡単に突破できるとも思えない。もちろん命を省みなければどうとでもなるだろうが、しかしそこまでする義理も必要もない。


 あくまでも自分の目的は、弟を牢獄から解放し、再会することなのだから。


「ここは出直したほうが良さそうですね」



 踵を返す。



 ――と、その時、にわかに離宮の雰囲気に変化が訪れた。



 使用人用の出入り口から、一人の少女が飛び出してくる。さらに数秒後、少女を追うように青年が出てきた。


 その青年の姿を目にし、女性は僅かに口元を笑みの形にゆがめた。




「……フォルンを失ったと思ったときに落月を憂えたのですが……どうやら、まだ加護の月は墜ちきってはいなかったようですね」




 女盗賊は巧みに気配を殺すと、軽い身のこなしで樹から飛び降りた。







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