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シンデレラ ~黒の断章~  作者: セラニアン
『復讐の章』
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第1章5節 ~ 堕天 ~







「まさか、供の一人もつけないなどと……」


 街道を駿馬で駆けながら、ユージスは憮然とつぶやいた。

 彼の半馬身先には、黒い軍馬に跨った王子の姿があった。その横顔は真剣そのものであり、伊達や酔狂で遠乗りに出たわけではないことが伺える。


 もっとも、その目的は私事以外のなにものでもなかったが。



「この阿呆め」


「……頼む、ユージス。そう何度も阿呆阿呆言うのは止めてくれ。馬鹿なことをしているという自覚はあるのだ」


「ではなぜ、自らセネリア姫の幽閉先に赴こうなどと言い出したのですか!」

「別に、ユージスたち近衛騎士団の働きを信用していないわけではないぞ。しかしユージスも騎士であれば分かると思うが、罪のない女子供が酷い目にあっているかもしれないというのを、黙ってみることできまい?」

「それは、そうですが……」

「別に強引に押し入ろうというわけではない。ただ見ておきたいだけなのだ。危険なことがあればすぐに帰ると約束しよう」


「……。何かがあってからでは遅いです」


「なるほど、至言だ。だが、危険という意味でならば王宮にいたところでさほど変わるまい? 賊どころか、魔獣が入り込むような王宮だぞ」

「ですから、我々近衛騎士団が……!」


「見ろ、ユージス。砦が見えてきたぞ」


 森の切れ間に灰色の尖塔が見えるなり、リーディルは馬の腹を蹴った。

 速度を上げる黒馬を見て、ユージスも慌てて自馬の腹を蹴る。


「……まったく、なにが『危険なことがあったら帰る』だ。言い出したら聞かないくせに」


 ユージスは憮然とつぶやく。


 もっともその口ぶりとは裏腹に、万が一の場合には、彼は身を捨ててでも王子を守ろうと決めていたが。



 規則正しい蹄の音を奏でながら、二頭の馬は駆けていった。










     ◆ ◇ ◆









 槍を携えた看守たちは、獲物を追いつめたことに対する喜びを噛み締めていた。


「袋小路の子鼠だ」


 誰彼ともなく、そう言って下品な笑みを浮かべる。


 当然だが、脱獄を許したとなれば、その責は看守たちが負うことになる。囚人の脱獄に気付いたときは、ずいぶんと肝を冷やしたものだ。


 だからこそ、囚人が逃げた先が逃げ道のない見張り台だと知ったときは、彼らは一様に胸をなで下ろした。

 同時に、自分たちをやきもきさせた囚人に対する怒りがわき上がる。



「教育が必要だな」



 隊長と思しき看守の言葉に、他の看守たちも同意する。

 そうだ、教育が必要だ。絶対に忘れられないような、記憶に強烈に焼き付く教育が。


「行くぞ」


 見張り台へと続く扉に手をかける。


 バシャン! という水音が聞こえたのは、その時だった。



「まさか……」



 看守たちは蹴破るように扉を開け、見張り台へとなだれ込んだ。

 点々と続く血の跡は、河に突き出した手すりのところで途切れていた。眼下のはるか下には、激流といって差し支えのない河がある。


「くそ、正気か! こんなとこから身を投げやがった!」

「隊長、あそこに!」


 身を乗り出し、部下が河面を指さした。波間で、黒い人影が浮き沈みしている。


「チッ、追うぞ! 船を出せ!」


 元来た道を戻り、看守たちは見張り台を後にする。



 扉の影に身を潜めながら、少女はそれを見送った。








     ◆ ◇ ◆








 看守たちの後をつけることで、セネリアはどうにか監獄を抜け出すことに成功した。

まさか看守たちも、追っているはずの囚人が逆に自分たちの後をつけているとは思いもしないだろう。


 城壁伝いに外へ出ると、セネリアは門兵の隙を付き、森の中へと逃げ込んだ。


 太い木の幹に手を付き、乱れる呼吸を整える。



「はぁ、はぁ…………ぐッ!」



 こみ上げるような吐き気に襲われ、セネリアは口を手で押さえた。先ほど自分が行った行為が脳裏に蘇り、堪えきれず胃の中のものを吐きだす。


 追ってくる看守から逃れるためにセネリアがとった策は、フォルンの亡骸を囮としてつかうことだった。囚人が河へと身を投げたことを知れば、看守たちは囚人を追って外に出て行くに違いない。その後を付けていけば、自然と砦の外に出られると考え、セネリアはその策を実行に移したのだ。


 もっともその為に払った代償は、思いの外、大きかった。



「ふふ……私はここまで堕ちたのね……」



 吐瀉物を避けて膝を突くと、セネリアは自嘲気味に笑った。

 もちろん頭では、死体が物でしかないことを理解している。

 しかしだからといって、死者を無下に扱うことなど出来ようはずもない。

 故にこそセネリアは、生き延びるためとはいえ、フォルンの死体を河へと投げ捨てたことが、ひどく浅ましいことのように思えてならなかった。


 自分が汚れてゆく。それが実感できた。


「牙が、欲しい……」


 セネリアは心底そう思う。

 牙が欲しい。誰も犠牲にしないための、ルーシェル様の敵を取るための、何より弱い自分を食い破れるだけの牙が欲しい。


「私は……牙が欲しい……」



 ――なら、強くあるんだよ、ねーちゃん。



 そんな幻聴が聞こえた気がした。


「……」


 セネリアはよろめきながら立ち上がると、震える足を叱咤し、歩き出した。いくら森の中に逃げ込んだとはいえ、それほど牢獄から離れたわけではない。今は河の方に目がいっているから大丈夫だとは思うが、もし本格的な追っ手が差し向けられたら、逃げ切るのは困難になるだろう。


(とにかく、どこか安全な場所に……)


 そこで彼女の視界に、思いもよらないものが入り込んできた。


 軍馬、である。



(まさか追っ手?)



 セネリアは慌てて木の陰に身を隠した。

 しかし彼女の想像とは裏腹に、その軍馬は木々の合間でゆったりと草をはんでいた。艶のある黒毛の、一兵卒では一生掛かっても跨れないであろう見事な軍馬である。手ごろな木に手綱を結わえられている。


(どうしてこんなところに馬が……)


 息を潜めながら、セネリアは周囲を伺う。

 その時、彼女の紫水晶のような瞳が、馬の側で佇む一人の青年の姿を捕らえた。



「……」



 心臓が音を立てて跳ね上がる。


 青年は、黒髪を背中まで垂らした美丈夫であった。上等な貴族服に身を包み、緋色のマントを肩にかけている。わずかな憂いを讃えたその相貌には、生まれ持った血のなせる気品が伺える。もし彼が笑いかければ、それだけで娘たちは恋に堕ちてしまうことだろう。


 しかしそんな青年に対し、セネリアが抱いたのは愛情とは真逆の感情であった。


 ふと彼女の脳裏に、数日前に拷問官が漏らした言葉が蘇る。




 ――新しい皇太子殿下が決まった。リーディル皇太子殿下だ。




「リーディル……皇太子……」



 セネリアは思う。


 皇太子であったのは、ルーシェル様のはずだ。なのに今は、弟であるリーディル王子が皇太子の座についている。ルーシェル様はいないというのに、お前は生き残っている。


 そのことが、セネリアには許し難いことのように思えた。



「どうして、貴方だけが……」



 フォルンに託された首飾りを握りしめ、セネリアはリーディルに歩み寄った。

 二十歩ほどの距離まで近づいたところで、リーディルがセネリアの存在に気付く。



「セネリア、姫……?」



 王子は、死霊に出会った旅人のような表情を浮かべた。ユージスを様子見に行かせ、馬を休めていたところに件の少女が現れたのだから、彼の驚きと困惑は当然だろう。


 しかしセネリアは構わず、首飾りを振りかざすと、



「ああああぁ!」



 気がついたときには、セネリアはリーディルに飛び掛かっていた。



「なっ!」



 突然の凶事に、リーディルはあわてふためいた。

 しかしそこは、騎士としての修練を積んだリーディルである。焦りながらも一瞬で相手の動きを見極めると、振り下ろされようとしているセネリアの腕を掴み取った。


「セネリア姫、一体なにをする!」

「離しなさい! 離して! ああぁ!」

「クッ、正気ではないか」


 セネリアの瞳に理性の光がないことを見て取ると、


「やむを得んか……すまぬ、姫!」


 絶妙な力加減の手刀が、セネリアの首筋に振り下ろされた。



「あ……」



 頭を揺らす衝撃に、セネリアは膝を折った。目の前が真っ暗になり、まもなく意識が途絶える。


 崩れ落ちる少女を、リーディルは両手で抱きかかえると、



「……いったい、何がどうなっているのだ?」



 怪訝そうにつぶやく。


 そんな王子を三つ目の魔獣が見つめていたのだが、それに気付く者はいなかった。












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