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シンデレラ ~黒の断章~  作者: セラニアン
『復讐の章』
3/32

第1章2節 ~ アルガン牢獄 ~






 ここ数週間の間、アンフィリアの王宮はどこか浮ついた雰囲気に包まれていた。

 それも仕方がないか、とリーディルは思う。



「これも全て、兄君が死した影響であろうな……」



 つい先日、第一王位継承権保持者――即ち皇太子――となった黒髪の美丈夫は、執務室の窓から空を眺め、気怠げに溜息を吐いた。空は曇っており、人の気分を憂鬱にさせる。


リーディルは羽ペンを置くと、凝り固まった右手をもみほぐした。


「王宮という名の魔窟においては、王子であるこの身も仔狸にすぎんか……」


 やれやれと首を振る。

そこで重厚な両開きのドアが開き、一人の青年騎士が執務室に飛び込んできた。



「リーディル殿下! これはどういうことですか!」



 乱暴に扉を開けて入ってきたのは、白銀の騎士甲冑に身を包んだ青年騎士だった。金色の髪を逆立て、腰には長剣を凪いでいる。片耳には、鳥の羽をあしらった耳飾り。


 肩を怒らせる騎士に、リーディルは疲れたように片手を上げることで答えた。


「遅かったな、ユージス。血気盛んなお前ならば、もっと早くに殴り込んでくるかと思ったのだが」

「何を戯れ言を! それよりも何なのですか、この命令書は!」


 書簡を執務机に叩きつける。本来なら不敬罪ものだが、しかしユージスと呼ばれた青年騎士に遠慮や躊躇はなかった。近衛騎士団の副隊長を務めるこの青年は、リーディルの乳母兄弟であり、リーディルとは身分を越えたつきあいがあった。


「どういうことですか! 大罪人であるセネリア・ファンネウスの幽閉先を視察し、可能ならば脱獄させろだなど……正気ですか!」

「正気以前に、私は至極本気だ」

「なお悪いです!」


 ユージスはバン! と机を叩いた。


「つい先日、恩赦の命を出したと思えば、今度は脱獄など……よろしいですか、殿下! かの娘は、殿下の兄上であられた前皇太子殿下、ルーシェル殿下を暗殺せしめた大罪人なのですよ! そんな女を脱獄させようなどと……」


「……なあ、騎士ユージス」



 リーディルは気落ちした口調で、


「本当にあの姫君が兄上を手にかけたと思っているのか?」


「殿下?」


 あまりに弱々しい口調に、ユージスは怒りを収めると、怪訝そうに眉をしかめた。


「どういうことですか?」

「よくよく考えればおかしいのだ。セネリア姫に、兄を殺すような動機はなかったはずだ」

「ですが彼女を犯人と断じたのは殿下自身では?」

「……ああ、そうだな。今更ながら、馬鹿な事をしたと思っている」


 沈痛そうな表情で、王子は下唇を噛む。


 リーディルの異母兄であったルーシェル前皇太子が殺されたのは、二十日ほど前のことだった。

 心臓を一突きにされての暗殺だった。床の上で血まみれになって倒れているのを、リーディルが発見したのだ。凶器は部屋にあった封切り用の短剣。死者のすぐ傍らには、両手と胸を血で濡らし、呆然とする少女がいたのをよく覚えている。



『貴様がやったのか!』



 その時は激昂し、セネリア姫を捕らえたリーディルだったが、しかし後になって思えば不自然そのものだった。


 そもそもセネリアには、婚約者を殺す動機がなかった。他国の密偵や暗殺者という可能性が無いわけではないが、彼女の生い立ちからすれば、やっと手に入れた幸せを逃すとは考えにくい。


(つまり何者かが兄君を暗殺し、その罪をセネリア姫に着せた……)


 そんなところだろう、とリーディルは考えていた。



「とにかくだ、ユージス」



 心を押しつぶそうとする後悔の念を強引に振り払うと、リーディルは幼なじみの騎士に向き直った。


「もし姫が無実だとしたら、真犯人が他にいるということだ。それを見つけるためにも、セネリア姫が必要になる。それに……」


 リーディルはふいに押し黙る。

 真実の為にセネリア姫を必要と言ったが、しかしそれだけが理由ではなかった。


(真実など関係なく、私はセネリア姫を……)



「殿下?」

「……いや、なんでもない」


 リーディルは頭をふると、


「とにかくだ。恩赦を与えたとはいえ、姫がどうなっているかわからぬ。ましてかの牢獄だ。酷い目にあっているかもしれぬ」


 自分でそう言いながら、リーディルは改めて焦燥を感じていた。

 罪人の扱いがどういうものなのか、彼はある程度知っていた。ましてセネリア姫は見目麗しい少女だ。女日照りの長い看守にでも出会えば、どうなるか火を見るより明らかだ。


「頼む、ユージス」

「……分かりました」


 思いのほか必死な王子の頼みに、ユージスは渋々と頷いた。


「ですが殿下、あまり無理無謀なことはお止め下さい。殿下の身にもしものことがあったとなれば……」

「心配するな、と言えんのがこの身の辛いところだな」


 現実問題として、リーディルの身は常に危険に晒されていた。

 次期王位が約束された皇太子ともなれば、その敵は五万といる。

 事実、リーディルは週に一度の割合で暗殺者と思しき賊に狙われていた。その度にユージス率いる近衛騎士団が対処していたが、しかしそれもどこで限界が来るか分からない。


(派閥を作らなかったことが、ここにきて完全に裏目に出るとはな……)


 とはいえ、ここで嘆いていても仕方がない。

 リーディルは頭を振り、停滞した思考を活性化させると、


「とにかく頼む。それと王宮内の調査も継続してやってくれ。ただし無理はするな。お前がいなくなったその日が、私の命日となるだろうからな」

「御意に」


 ユージスは一礼し、そして執務室を後にする。

 その背中が完全に見えなくなったところで、リーディルはぽつりとつぶやいた。



「セネリア姫、か……」








     ◆ ◇ ◆








 セネリアが拷問部屋から別の牢獄に移されたのは、恩赦の報が入ってから三日後の朝のことだった。



「さあ、今日からここがお前のお部屋だぜ、お姫様」



 粗野な看守によって押し込まれたのは、四方を石壁に囲まれた牢獄だった。天井近くに小さな小窓が一つ。壁の下の方にも鉄格子のはまった小窓があり、そこから腐臭混じりの風が吹き上げてくる。部屋の奥には石で出来た寝台が一つ。


それ以外には何もなかった。



「居心地は保証するぜ。死ぬまで面倒見てやる。感謝しな」


 分厚い木の扉に鍵をかけると、看守は去ってゆく。

 セネリアは膝を付くと、そのまま石畳の床にうつぶせで倒れ込んだ。手当のされぬままの背中が痛む。


 少女は身体を丸めると、自分の肩をかき抱いた。

ふと彼女は、自分の胸元から僅かな鉄の香りが漂っていることに気付いた。

 セネリアの身なりは、あの夜のままであった。胸元を濡らしていた血糊はすでに完全に乾き、舞踏会用の豪奢なドレスを闇色に染め上げている。



「そういえば……これはルーシェル様の血だったわね……」



 なんて皮肉だろうか、とセネリアは思わずにはいられない。自分に残された最愛の人の欠片が、その人が死に際にながした鮮血だけなのだ。


 これを笑わずして、なにを笑えと言うのだろう。



「ふふ……」



 気がつけば彼女の口からは、嗚咽とも苦悶ともつかない笑い声が漏れていた。

 最愛の人の血がしみこんだドレスを抱きしめ、少女は泣くように笑う。


 不機嫌そうな声が聞こえたのは、その時だった。




「なあ、ねーちゃん。その笑いやめてくんない?」




 突然の呼び声に、セネリアは弾かれたように上体を起こした。周囲を見渡す。

 しかし当然だが、この牢獄にはセネリア一人しかいない。声の主などどこにも――


「こっちだよ」


 声の聞こえてきた方に視線を向け、セネリアは息を呑んだ。



 ――壁から飛び出した小さな白い肉。



 それが人間の手だと気付いた瞬間、セネリアは悲鳴を上げていた。恐怖のあまり後ずさろうとする。

 しかし、それがまずかった。


 姿勢を崩し、セネリアは背中から床に倒れ込んだ。未だ癒えぬ鞭の傷跡を擦り、先ほどとは別の意味で悲鳴を上げる。



「だ、大丈夫か、ねーちゃん!?」


「くぅ……」



 痛みに耐えるように身体を丸めながら、セネリアは再び声の方を見た。

 そこで彼女は、壁の下にある鉄格子の向こうから、一人の少年がこちらをのぞき込んでいることに気付いた。


 薄汚れた髪に、同じく薄汚れた顔。歳の頃は十二、三だろうか。首に獣の牙をあしらった首飾りをかけている。


 ようやくセネリアは、この少年が隣の牢獄の住人であるらしいことを悟った。


 しばらくして痛みが落ち着くと、セネリアは荒い息を吐きながら、



「あなたは?」

「なあ、ねーちゃん。人に名前を聞くときは自分から名乗るのが礼儀だろ?」

「……セネリアよ。セネリア・ファンネウス」

「ファンネウスって……ねーちゃん、貴族なのか? どうして貴族様がこんなところにいるんだ?」

「……そんなことは別にいいわ。それで貴方は?」


「おれはフォルンだ」



 少年は鉄格子の間から人なつっこい笑みを覗かせながら、



「ここの先輩だよ」







     ◆ ◇ ◆







 フォルンと名乗った少年曰く、彼は盗賊の一味の人間であり、十五日前にドジを踏んで捕まり、ここに収容されたらしかった。



「貴族の宝物庫に入るとこまでは上手くいったんだけどさ、そこの貴族の奴――たしかソル伯爵とか言う奴だったかな? とにかくそいつ、盗賊よけに宝物庫の中で魔獣を飼ってたんだ。魔獣だぜ、魔獣。頭おかしいよな」



 セネリアと出会ってから、フォルンはずっとしゃべりっぱなしだった。よほど他者との会話に飢えていたのだろう。


 ちなみに小さな小窓から空を仰ぐと、太陽がちょうど南中しそうになっている。セネリアがここに連れてこられたのが朝であったから、フォルンは半日近くしゃべり続けていることになる。


 石のベッドの上でうつ伏せになって休んでいたセネリアは、延々と続く少年の声にうんざりしながら、



「……よく魔獣と出会って生き延びることが出来たわね」



 魔獣とは、その名のごとく魔性の気をもつ獣のことだった。

 伝説によれば、古の時代にトスティカナ大陸の覇権を握っていたのは魔獣たちであったという。

 そこに現れたのが、人間の王と王に仕える魔法使いたちだった。王は魔法使いの助力を得て、トスティカナ大陸を人の手にもたらしたと言われている。この長き戦いの中で多くの魔法使いは死に絶え、現在においては、魔法使いは貴重な存在となっていた。


 対して魔獣たちは、着実に力を取り戻していた。



「魔獣は人を襲うと聞いているわ。魔獣に牙を向けられた者の末路は、死以外存在しない、とも」

「おれは運がよかったんだ」


 フォルンは僅かに気落ちした口調で、


「宝物庫にいたのは石竜だった」

「石竜?」

「二本足で歩く蜥蜴の様な魔獣だよ。クロノモスともいう。ものすごくすばしっこくて、鱗が石みたいに堅い。ただあいつらは目がほとんど見えないんだ。鼻のところに角が一本あって、それで獲物の熱を感じて襲ってくる。ちょうど近くに水瓶があってさ。おれ、小さいだろ? だからおれだけは水瓶の中に隠れて、やり過ごすことができたんだ」

「仲間は? 一緒にいたんでしょ?」

「……おれのねーちゃんとか、何人かは逃げれたと思うけど、ほとんどの奴らはたぶん食われたと思う」


 フォルンはギュッと牙のあしらった首飾りを握りしめた。

 沈黙が流れる。

 しばらくした後、フォルンはむりやり明るい口調で、


「それで結局、石竜からは逃げれたんだけど、濡れた足跡を残しちまってさ。物陰にいたところを捕まっちまったんだ」


 どじ踏んだよ、とフォルンはぼやいた。



「なあ、それでねーちゃんはどうしてここに捕まったんだ?」

「……」

「ねーちゃん? ねーちゃんってばぁ?」



「おら、飯だ!」



 そこでフォルンの声に覆い被さるように、看守のだみ声が響いた。

 扉の下の隙間から、木彫りの深皿が差し込まれる。



 セネリアは寝台から起きあがると、這うようにして深皿に近づいた。今更ながら、二日ほど何も口にしていないことを思い出す。



(何か食べないと……)



 深皿をのぞき込む。とたんに苦いような酸っぱいような、なんとも言えない不快臭がセネリアの鼻を突いた。



「これが……食べ物……?」



 呆然とつぶやく。

 深皿を満たしていたのは、煮込んだ残飯としか形容の出来ないものだった。濁りきったスープの中に、原型を留めていない泥のようなものが沈殿している。



「……これを食べろというの?」

「そうだよ」


 隣の牢獄から、諦め混じりのため息が聞こえてきた。


「おれたちが口に出来るものはこれだけさ」

「……こんなの人の食べ物じゃないわ」

「当たり前だよ。おれたちは人じゃない。獣以下なんだから」


 少年とは思えない達観した声。


「なあ、ねーちゃん、これだけは言っておく。ここで生き延びたかったら、これまでの自分を捨てなくちゃいけない」

「自分を捨てる?」

「いままでの自分にこだわった奴から、ここじゃ死んでくんだ。もちろんねーちゃんが飢え死にしたいっていうんなら別にいいけどさ。でも死にたくないっていうなら、自分を捨てる覚悟が必要なんだ。泥水を啜って、汚物を喰らって……人間だったこれまでの自分を全て捨てて、それでも生き延びるって覚悟がさ」

「あなたはその覚悟があるの?」

「当然だろ。でなきゃ生きてない」

「……」

「ねーちゃんは飢え死にしたいのか?」



 フォルンの問いに、セネリアは静かに首を横に振った。



 死。



 それはセネリアにとって、もっとも忌避すべき事だった。



(そう、私は生き延びなければいけない……)


 セネリアは胸元をギュッと握りしめた。

 ルーシェル王子の血。自分に唯一残された最愛の人の残り香。

 どす黒い血の痕が、セネリアにこう囁いていた。




 ――生き延びろ。




「……」


 セネリアは無言のまま、深皿をのぞき込んだ。どす黒い水鏡に、自分の顔が映る。

 かつて灰被り姫と呼ばれていた少女が、自分では黒も白も決められないか弱い姫君が、こちらをジッと見つめていた。



「これまでの自分を捨てる……」



 そう口にしたとたん、セネリアに言いようのない恐怖が襲いかかってきた。

 人間とは、続けたがる生き物だ。これまでの自分であったり、性格であったり、他者との関係だったり……それらを保ち、続けたがるのが人間である。


 だからこそ、セネリアは捨てることを怖れていた。



 また彼女の怖れているのは、それだけではない。



(これまでの自分を捨てると言うことは……ルーシェル様が愛してくれた自分すらも捨てることになるかもしれない……)


 ルーシェルが何を持って自分を愛したのかはわからない。

 しかしこれまでの自分を捨てることが、ルーシェル王子の愛した自分を捨てることになったら? 王子に愛想を尽かされるような自分になってしまったら?


 それは、セネリアにとって何にも増して恐ろしいことだった。

 しかし、ルーシェル王子の敵を取らずに死ぬことも出来ない。



「私は……」



 胸元にこびりついた最愛の人の血を握りしめ、セネリアは葛藤する。




 ――王子の愛してくれた自分を保ち、ここで飢え死にするか。

 ――自分を捨ててでも、王子の敵を取るために生き延びるか。




「私はもう、灰被り姫には戻れない……」


 そして、彼女が選択したのは後者であった。




 セネリアはゆっくりと深皿に顔を近づけた。水鏡に映る灰被り姫の向こうに、ルーシェル王子の幻影が見えた気がした。





「この身、どれほど朽ちようとも……我が魂の寄り添うは、ただ貴方の御許のみ……」





 すすり泣きながら、少女は汚泥を貪り食った。







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