第1章序節 ~魔女の家にて Ⅰ~
序章 ~ 魔女の家にて Ⅰ ~
アンフィリア王国。
深い歴史を持つその小王国の片隅、『王墓の森』と呼ばれる森の一角に、一人の少女が住んでいた。
王墓の森と言えば、アンフィリア王国を導いてきた、数ある王たちの霊廟が連なる場所であった。神聖なその森には騎士たちが常駐し、許可なく立ち入る者は、例外なく罰せられる。
しかしそんな王墓の森に半年前から住み着いた少女は、咎を受けることなく、むしろ騎士たちから敬意を持って扱われている。
人々は首をかしげ、噂した。
曰く――少女は王族に取り入った蛮族の姫ではないか。
曰く――地位を追われた異国の王女に違いない。
曰く――いや、きっと強大な力をもった魔女である。
噂は噂を呼び、そして何時しか人々は、その少女のことをこう呼ぶようになっていた。
――灰色の魔女。
◆ ◇ ◆
灰色の魔女の元にその兄弟が訪れたのは、冬が間近に迫ったある秋のことだった。
魔女の住処は、森に入って少ししたところの、僅かに開けた場所にあった。小さな家だったが、決してみすぼらしいものではなく、むしろ高貴な厭世人の住まいのようだと兄弟は思った。
「ここが灰色の魔女様の家……」
まだ成人していない二人の兄弟は、不安を抱えながらも、しかし興味深そうに室内を見渡していた。
二人が導かれたそこは、まるで貴族の執務室のような部屋だった。怪しげな実験道具や魔女の窯の代わりに、重厚な書き物机や壁一面を覆う巨大な本棚がある。書き物机の脇には、先端に翡翠色の宝玉を冠した長杖が立てかけてあった。
「お兄ちゃん……あれ」
「本で見たことがある。『魔杖』だ……」
魔杖とは、古の魔法使いたちが、自らの魔力を封じ込めて作ったと言われる超常の杖のことだった。
ここにいるのは真に魔女に違いないと、二人は唾を飲み込む。
その時、兄弟の耳に艶やかな声が届いた。
「待たせたわね」
『あ……』
兄弟は慌ててたたずまいをなおした。
はたしてそこにいたのは、絶世と呼ぶべき美しい少女だった。年の頃はそれほど自分たちと変わらないように見える。十代後半くらいだろう。黒いドレスに身を包み、通り名の由来となった銀色の髪を腰まで伸ばしている。
その手には、人数分の茶器があった。
「ごめんなさい。見ての通り、何もないところなの。お茶ぐらいでしかおもてなし出来ないわ」
「い、いえ、そんな!」
兄は慌てた様子で、
「お目通りが叶っただけで十分すぎます」
「あら、世辞の上手い坊やね」
灰色の魔女はクスクスと笑った。仕草一つとっても気品があり、魔女と言うよりもどこかの王女のようだった。
兄弟は思わず顔を朱に染めながら、上目遣いに、
「あの、魔女さまはここにお一人で?」
「……ええ、そうよ」
魔女は慣れた手つきで茶杯にお茶を注ぐと、恐縮しっぱなしの兄弟の前に置いた。
自分の分を手に取ると、小さな円形テーブルを挟んで、兄弟の真向かいに腰を下ろす。
「それにしても驚いたわ。何人たりとも入ることが許されないはずの王墓の森に、あなたたちみたいな可愛らしい坊やたちがやってきたんですもの。……もっとも、誰の差し金かは見当がつくけれど」
魔女は紅茶を啜ると、含み笑いを浮かべた。
一瞬、その顔が伝説の悪しき魔女に見え、兄弟は背筋を振るわせた。悪しき魔女は子供の肉を何より好むらしい、という言い伝えが脳裏をよぎる。
「よく入ることが許されたわね?」
「は、はい」
兄は言葉を詰まらせながら、
「魔女さまにどうしてもお聞きしたいことがあって……」
「本を書くため、だったかしら?」
兄弟は頷く。
この兄弟がわざわざ灰色の魔女の元までやってきたのは、ひとえにアンフィリア王国の歴史を記した本を書くためだった。彼らは歴史家の卵であり、半年前に起こった『皇太子暗殺』に関する書を記すため、事情を知っているという魔女の元を尋ねてきたのだった。
「お願いです、魔女様。どうかお話を聞かせてください」
「おねがいします」
兄弟はそろって頭を垂れる。魔女はしばし瞑目すると、
「……そうね……それも良いかもしれないわね」
憂いを讃え、僅かに目を伏せる。
「魔女さま?」
「いいえ、何でもないわ。――さて、そうね。どこから話したものかしら」
魔女はしばし黙考した後、優雅な動作で立ち上がった。本棚の端にあった一冊の本――どうやら彼女自身の日記のようだ――を手に取ると、兄弟によく見えるようにテーブルに置く。
表紙に記された題名を見て、兄弟は思わず首をかしげた。
―― 『シンデレラ』
「まず私が何者か、というところから話しましょうか」
そしてきょとんと目を瞬かせる兄弟を前に、灰色の魔女と噂される少女は、ゆっくりとした口調で語り出した。
「そう、あれは半年前……まだ私が何の力も持たない小娘だった、『灰被り姫』と呼ばれていたころのことよ……」