第54話:実技試験・日本人をナメるな
「きっとあいつね」
町中を走っていると、小学校の校庭で巨大なクモを見つけた。体長が三、四メートルはあろう特大サイズ。
ローブを纏った人達が周りを取り囲んでいる。あれが学校の先生とやらね。
なにやら魔法を使って巨大クモの動きを鈍らせようとしているみたいだけど、クモが自身の巨大な足を振り回して暴れるものだから詠唱に集中できない様子。
「む、君達は試験中の者か。危ないからこの場から離れなさい!」
先生のうちの一人に言われた。でも逃げる気なんて微塵もない。そもそも目的がこの巨大クモを狩りにきたわけだし。
放っておいたらすぐにでも逃げ出しそんなクロウ君の首を絞めつつ、私は言ってやった。
「ふっ、困っているみたいじゃない。私が手を貸すわよ?」
「何を言ってるんだ。貴女は普通の人間じゃないか。そんな人を危険に晒すわけにはいかない」
「でもだいぶ手を焼いているようだけど?」
「うっ、まあたしかにそうだが……」
教師と話し合っていると一人の老人が私の前に現れた。髪の毛が一本も生えていない、要するにハゲ。もしかしてこの人は……。
「ライト校長先生?」
「いかにも。私がライトだ」
ああ、本当に頭が光りそう。そのぐらいピカピカなハゲ頭。
「ウチの生徒のクロウがお世話になってます」
「いやいや、ホントお世話してます」
「桃栗殿、貴女があの魔物をなんとかしてくれると?」
「モチのロンです」
「……正気ですか?」
「私はいつも正気で正常で美人です。二つ名は『麗しき美女』です」
「そうですか……」
ちょっと呆れられたオーラを感じた。でもそれは気のせいだと思う。
「では、貴女に任せてみます」
ライト校長はすぐにそう言った。
勿論周りの教師は大反対。普通の人間である私に任せるのが不安で仕方ないみたい。
「もし桃栗殿があの魔物をなんとかできたら、この試験をトップレベルで合格にしましょう」
「当然よ。そして私にも何かお礼の品をちょうだいね」
「……では桃栗殿には魔ヨネーズを一年分――」
「このハゲが、魔ヨネーズごときで私が期待以上の働きをすると思うなよ」
「……二年分――」
「量の問題じゃないでしょうが」
私は親指と人差し指でそっと丸い形を作り、ライト校長に見せた。
「ああ、そっちを望んでいるのですか」
「多少の額なら校長の権力でなんとかなるでしょ」
「わかりました、では桃栗殿にはドーナツのお礼をさせていただきます」
や、ドーナツじゃなくてお金よ。マネー、お金。
まあいいわ。……本当は強い奴を相手にできるだけで充分なんだけどね。お礼なんてどうでもいいのよ。言えば何かくれるかなと思って試しに言ってみただけ。ドーナツでもなんでもいいからくれるだけありがたいものよ。
魔ヨネーズはフリージアちゃんが来た時に散々食べさせられたからもういらない。
……さて、クモを相手にするのは何年振りかしら。『虫取り界のコマネチ』と呼ばれ恐れられていた頃以来かな。
「いくわよクロウ君、こいつに勝てばあんたの成績はイヤッホウ! なことになるんだから頑張ってちょうだいね」
「成績より命のほうが大事なんだけどな……」
「何か言った?」
「き、気のせいです!」
「オッケー! それじゃあ張り切っていくわよー」
とりあえずフィールドの確認。
ここはとある小学校の校庭、要するにグラウンド。広いし地面は馴らされているから戦うには何も問題ない。
つまりアレね、好き勝手に暴れられるわけね。テンション上がるわぁ。
どうやってこいつを痛め付けてやろうかな。うーん……。
などと考えていたら巨大クモがこっちに近付いていた。
「モモグリさん、逃げて!」
既にある程度の距離を取っているクロウ君が叫んだ。
まあしかし、間近で見ると本当に大きいクモね。同じクモでもタランチュラが相手だったら一発でKOよね。
「モモグリさんっ!」
巨大クモは足を振り上げた。
ああ、私を踏み潰そうとしているのね。
でも甘いわ。ただ踏み潰すだけじゃ、この私を倒すことなんてできないのよ。
――振り下ろされて地面に突き刺さったクモの足を、私は軽々と回避していた。
ふと上を見上げると、別の足が第二撃を放とうとしていた。
……まあ、それすら私にとってはなんてことない攻撃なんだけどね。
「日本人をナメるんじゃないわよ!」
第二撃も難なくかわし、叫びながら顎(口があったからその下の部分)に跳び蹴りを放った。
顎にめり込んだ足から伝わる柔い感触、嫌な感触。
でもけっこう効いたみたいで、巨大クモは怯んだ。
ついでに肘うちも一発入れて、間合いを取ることにした。
「モモグリさん、余計な心配をかけさせないでよ」
「ちょっと遊びたかっただけ」
「次は真面目にやってよ」
「モチロンのロンよ」
ん、なんか違う。まあいいか。
……あ、今イイ倒し方を思いついた。これ、昔から気になってたのよねえ。いっちょやってみますか。
「クロウ君、たしか物を鋼鉄にする魔法が使えたわよね?」
「うん。でも、それをどうするの?」
「いや、とりあえず確認しただけ。もしかしたら後で使うかもしれないから、いつ使えてもいいように頭の片隅に入れておいて」
以前魔法で鋼鉄化した新聞紙でゴキブリ退治していたのを思い出した。だからその魔法が戦いに使えるんじゃないかと考えた。
問題は何を鋼鉄にするか、だ。私はできるだけ平らで、尚且つ薄いものがいいと考えている。
だけどここはだだっ広い校庭。それらしきものは見当たらない。
「モモグリさん、また来てるよ!」
「うん?」
巨大クモはなにかと私を狙ってきた。まあたしかにね、私の美貌に夢中になるその気持ち、分からないこともないわ。だけどね、正直言ってありがた迷惑なのよ。クモに好かれるのも、なんかねえ……。
とにかく、クモの攻撃を避けるほうに集中しちゃって物を探すことができない。どうしたものか。
と、その時、ある物が目に留まった。
(校章……)
校舎に高々と掲げられた、この学校の校章だった。柊だか何かの葉っぱが二枚、中央に学校名が書いてある丸い形の校章。
アレだわ!
「クロウ君!」
一人だけ離れて様子を伺っていたクロウ君が
「何?」と返事をした。
「あそこにある校章を取ってきて!」
「校章を……? そんな無茶な!」
「魔法使いでしょうが! なんとかしなさい!」
「ええー……っ」
ったく、今のクロウ君は究極にやる気がないわね。そんなに巨大なクモが怖いのかしら?
文句を言いつつ校舎の中へ向かったクロウ君。私はそれを見届けると、改めて巨大クモと向き合った。
あとはクロウ君が戻るまで待つだけ。時間を稼がなくちゃ。
――次の瞬間、巨大クモは口から糸を吐き出した。
まさか口から糸を吐くとは思ってなかったから完全に不意を突かれた。瞬時に反応し、体をひねってなんとか直撃は免れたものの、右足に糸が絡み付いてしまった。
「し、しまったあぁーッ!」
巨大クモが不気味に微笑んだ――ように見えた。
私の右足とクモの口は糸で繋がっている。
逃げられなくなってしまった。
でも、赤い糸じゃないのが唯一の救いだった。
巨大クモが勢いよく糸を引っ張り、私は派手にスッ転んだ。後頭部を地面に強打してしまい、すごく痛かった。これ以上脳細胞が殺されて馬鹿になったらどうするのよ。や、私は馬鹿じゃないけど。私は馬鹿じゃないけど!
そしてクモは前足を器用に使って糸を手繰り寄せ、自らの元へと引きずり込ませる。ズルズル、ズルズルと。
このままだと食われる。桃栗秋子、生涯最大のピンチ! どうせならイケてるメンズに食われてから死にたかった……。
――なんて、私がネガティブになると思ってるの? ナメるんじゃないわよ!
「せいやーっ!」
掛け声と共にハンドスプリングで無理矢理起き上がる。一見無理なことも簡単にやってのける私、スゴくない?
引っ張られるぐらいなら、逆にこっちから近付いてやるわ!
大きく一歩、二歩と踏み込み、三歩目で地面を強く突き放し、跳ぶ。四歩目、手繰り寄せている前足がいい感じの所に上がっていたのでそれを踏む。さらなる跳躍、五歩目はクモの頭を踏みつけてもっと上を目指した。
私は今、鳥になった。
「必殺、『鳥が急降下するかの如し素晴らしく勢いのある膝』!」
ぶっちゃけ、ただ膝から落ちるだけ。
でも私の膝はクモの頭にダイレクトヒットした。脳が揺れてしまえ。
着地。クモは今の攻撃を受けて完全に意識が朦朧としているようだった。
ふっ、どんなもんよ。
「モモグリさん、校章持ってきたよ! スゴく重い!」
ちょうどいいタイミングでクロウ君が戻ってきた。
「じゃあそれを魔法で薄っぺらくして!」
「薄くするのッ? が、頑張ってみる!」
「薄くしたら、鋼鉄化の魔法でガッチガチに固めて!」
「わかった!」
急がないとクモが動き出しちゃうから早くしてよね、まったく。
「出来たよ! 次はどうすればいい?」
「私に頂戴!」
校章はすっかりと薄っぺらい円盤に成り果てた。それを受け取り、両手で勢いよくぶん投げた。
狙うは奴の足。私はクモの足をすべて切り落としてやろうと思っていたのだ。ほら、虫って足がなくなっても生きていたりするじゃない? だから足がなくなったらどういう動きをするのかなぁと気になって。
でも、悲しいことが起こった。
手元が狂った。
円盤は綺麗な弧を描き、クモの顔に刺さった。サクッと。
「…………」
「…………」
いや、まあ……うん。
結果オーライ!