13.花と灰色の貴婦人
その夜の夜空は雲で覆われている。完全な闇夜。
“呪い”については少しずつ明らかになってきた。まだ不明な部分もあることはあるが。
悪魔の力による「青血呪」。
呪う対象者の血、または血縁者の血とクサカガリという植物から取れる植物油を混ぜ合わせる。
それを悪魔が作り出す魔力の結晶に塗り立てて、コウヌギという樹の根本に埋める。それほど手間がかかる訳ではない。しかし、呪いの効果は強力なもの。
また、危険も伴う。呪いを解く為には魔力の結晶を破壊する必要がある。そのために悪魔は魔力のほとんどを失う。一方、成功すれば魔力のうち「治癒力」が尋常ではなくなる。
ここで最大の疑問点がある。
対象者、または血縁者の血をその悪魔はどうやって手に入れたのだろうか、ということだった。フェアリット男爵が怪我をしたという報告も、親類縁者にも同じことはない。
もちろん、彼女にも。それならば考えられることは一つである。
「アスキス、フェアリット男爵家一族の半年前からの行動を調べられるか?」
闇に潜み、気配を消していたアスキスが姿を現す。
「出来うる限りは。公式な場だけではなく、非公式な場もでしょうか?」
イヴァンは小さく頷いた。「最低限の記憶操作を行うことを許可する。」
人間の記憶操作をするのは、赦されたことではない。ほんの少しの記憶でもこれからの人生に少なからず影響する。つまりは人生を操作することになるのだ。
「仰せのままに。」
アスキスが一言残し、去る。その背は既に見えず。
イヴァンは自身のすべきことを思い浮かべる。悪魔族の社交場での悪魔族の動向を調べることだ。
もし彼方に気付かれたら、どう行動を起こすだろうか。コウヌギの樹を特定されないように、術を施すか。直接争うことになるか。
「考えても仕方がないかもしれないな。」
その時の結末は、誰もが知ることができないのだから。静かな声音で苦し気な笑みをイヴァンは浮かべた。まだ闇は明けない。赤い光が二つ、一瞬横切った。
自室の居心地の良いソファーに身体を預ける。
何もすることがない、完全に手持ちぶさたな状態だ。まず、父の病状が気になって出かける気は毛頭ない。側に控えているトゥユリに話しかける。
「……ねぇ、私ができることってあるかしら?」
考え込むトゥユリに確かな答えを期待する。
「ティア様ご自身が健康でいらっしゃること、これまでと同様に面会をなさること……でしょうか?」
ティアもその二つくらいしか思い付かなかった。
ふと気がついたように、彼女が小さな声を上げた。
「言って?」
一呼吸の間と窓からの風の音が重なる。
「……以前の邸と比べると花が少ないですわ。」
花が好きな母の意向で、邸中に溢れていた。母が亡くなってからも使用人達や姉妹で生けたり、花瓶の水を替えたりしていた。
ある日一度だけ目にしたことがある。
父が母の特に好きだったチューリップに触れながら、呟いた「リディアンヌ」母の名前。
「お父様の寝室に花はあったかしら?」
なかった筈だと思いつつ尋ねる。
「…いえ。」
使用人も手が回らないのかもしれない。
皆疲れた顔で、どこかせかせかしている。
邸中の空気が重いと感じることが多々あることも事実だ。
ああ、でもチューリップは季節が違う。球根を植えたいけれど、鉢植えは駄目だもの……。考え事はノックの音によって遮られる。
「申し訳ありません。ルイファン様は所用で外出されていますし、アレンダール様はトゥサルト教会に。カンヌ様とロレーヌ様は体調を崩しておりますし………。サラ様は何処へかは分かりませんが出掛けてられましたので、ティア様にお願いしなければならないのですが……。」
「私は構わないけれど、どうかしたの?」
侍女長はほっとした表情を作り、すぐに顔を引き締める。
「玄関にうずくまっていらっしゃる方が………!」
「どうして客室で休ませて差し上げないの?!」
そう言った時には、ティアは出来る限りの速さで玄関に向かう。侍女長の謝罪も、トゥユリの制止も聞いていなかった。
玄関の扉を開ける。一人の女性が石畳にうずくまっている。
黒髪に幾本かの白髪が混じり、地味な灰色のドレスとくたびれたようなショール。それは肩から落ちてしまっていた。
「どうぞ、中へお入りください。」
その人はゆっくりと顔を上げた。青白い顔、渇いてしまい割れた唇。弱々しい声だが、しっかりとした口調。
「少し休めば善くなりますから、お気遣いなく。」
「遠慮なさらないで。お休みになるならこの邸の部屋を使って下さい。」
「……これは、罰なの。私がしてしまったことの……。」
婦人が紡いだ言葉が何を意味しているか解らずに、ティアは困惑する。
「……とにかく、入って下さい。風が冷たくなってきましたから。」
暫しの沈黙。
「人間ほど弱くて、ずるい生き物はないわ。」
そう思わないかしら?とその人の瞳はティアに向けられた。その眼差しはティアの胸中を乱す。
「お言葉に甘えさせて頂いても?」
婦人の言葉にティアは慌てて笑みを浮かべる。トゥユリが控えめに扉を開けた。冷たい風に追い立てられる様にティアは立ち上がる。その女性はティアに導かれるがままに、足をふらつかせながら一歩踏み出した。
「13.花と灰色の貴婦人」如何でしょうか?
前回の更新から随分間が開いてしまい(;o;)
読んで下さった皆様、お気に入り登録して下さった皆様ありがとうございます\(^o^)/
これからも遅筆な作者にお付き合い下さいませ。