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8話 あなたと空を飛ぶ

 ――お姫様抱っこだ。


 少女漫画や恋愛映画の中でしかお目にかかられないようなシチュエーションに、こんな時なのにポラリスの心臓がきゅんと跳ねた。


「それでは、私たちはこれで失礼します」


 リヒトがもはや何も言えないイヴォンに一礼した。狭い部屋を出て勝手知ったる様子で廊下を進む。


「あ、玄関……」


 ポラリスを横抱きしたままでは、玄関のドアが開けられないのではと思ったが。


 ――……警察の方?


 濃紺の制服をまとった数名の警察官が、玄関ホールにたたずんでいた。玄関ドアは開け放たれており、外にも人がいることがうかがえる。ただごとではない重々しい空気に、ポラリスは唇を引き結んだ。


 一人の女性警官が、小走りに近づいてくる。きりっとした涼しげな顔立ちにスレンダーな体つき、小さな耳とひょろりとしたまだら模様の尻尾を有する妖精豹だ。


「神殿の方ですね、シレンシオ警察のアイーダ・レッジェ巡査と申します」

「ご挨拶ありがとうございます、私はクレアシオン神殿所属三等神殿騎士のリヒト・フローレスです」


 通りの良い声で挨拶が済んだあと、ポラリスにはわからない話のやり取りがされる。


「間もなくパトカーが数台来ますので、騒ぎになる可能性が大きいです。クライノートさんと病院に向かわれるならお急ぎください」

「そうさせていただきます。レッジェ巡査もお気をつけて」


 会話が終わり、二人は外に出た。


 辺りは薄暗く、遠くで街灯が白く発光しているのが見えた。


「いまは……夜でしょうか?」ポラリスが時間を訊ねる。

「ええ、午後六時過ぎです。この季節は暗くなるのも早いですね」


「移動時間短縮のため、少しだけ飛行します。決して落としたりしませんのでご安心ください」

「わ、分かりました」


 バサっと背中の羽根を広げる音がした。数歩助走をつけて、リヒトとポラリスの体が上昇していく。



『ポラリス、ぼく、自力でとべるようになったら、すぐにきみをむかえに行くから』



 かつて交わした言葉が、ふとポラリスの脳裏をよぎった。空を飛ぶ妖精烏の腕に抱えられているという初めての経験に、胸の奥で心臓がリズミカルに脈打つ。


 建物の二階ほどの高さを直進で飛行して、リヒトはクライノート邸から少し離れた道の端にゆっくりと着地した。

 ポラリスはここで、そっとリヒトの腕から下ろされる。


「冷えるのに、上着を忘れてしまいましたね」


 リヒトが自分のロングコートを、ポラリスに羽織らせてくれた。


 いかにも高級そうな黒い車が路端に停車されていた。車には誰か乗っているようだ。


 その傍らには、焦げ茶の髪とブルーグレーの瞳に銀のフレームの眼鏡をかけた青年がいた。カジュアルな分厚いコートにマフラーという服装をしている。


「シリウス、来てくれていたのか」


 リヒトが青年に、穏やかに呼びかける。


 ポラリスの兄でリヒトととはかつて親友同士であったシリウス・クライノートがいた。

 どうしてここにいるのだろう。


「……リヒト。迷惑をかけたな、すまない」


「そんなことはないさ。シリウスのお陰もあって、僕らが助けに来られたのだから」


「……相変わらず君は優しいのだな。そろそろ警察も来るだろうから、俺は最後に母のところへ行く」

 

 いったいなぜ、あの玄関にいた以上の警察が来るのだろう。まあポラリスがされたことを考えれば、警察沙汰は当然であろうが。


 ごお、と激しく音を立てて。一陣の風が吹き抜ける。


「そうか、分かった。また何かあれば連絡してくれ」


 リヒトが静かに言うと、シリウスは軽くうなずく。

 そしてこう告げた。


「リヒト。妹を、ポラリスのことを頼む。二人とも、幸せになってくれ……。じゃっ」


 しあわせになってくれ


 妹と友の幸福を願う言葉を言い残してそのまま、シリウスは家のほうへ駆けていく。


「シリウスっ!」リヒトがその背中に叫んだ。「君も幸せになれよっ!」


「お兄様……」


 兄との会話をリヒトに任せきりにしてしまったポラリスは、ようやく声を出せた。

 その小さな肩に、横からリヒトがそっと手を乗せた。


「――大丈夫ですよポラリス様。次期聖女となっても、シリウスとはお話できますから」


「……本当にですか?」

「ええ、必ず」


 リヒトが慰めの言葉をくれた。喧嘩別れした親友の登場に、自身もいろいろと思うところがあるだろうに。

 

 母や父と違って、シリウスは普通に話すことができる、唯一ポラリスが胸を張って家族と呼べる人だった。


 シリウスは高校卒業と同時に施設を出て大学に通いながら一人暮らしをしている。今も何かとポラリスを気にかけてくれていた。


「でも兄とのやり取りを見てわかりました。あなたは本当にリヒトさんなのですね」


 だいぶ緊張が抜けたポラリスが言うと、リヒトは微笑んだ。


「――じゃ。お堅いのはここまでにしようか」


 彼は神殿騎士が正式時にのみ被る制帽を外した。さら、と長い黒髪が揺れる。


「僕はリヒト・フローレスだよ。久しぶり、ポラリス」


 他人行儀な敬語をやめて。一人称は『私』から『僕』になって。

『ポラリス様』ではなく、かつてのように親しげに『ポラリス』と呼ばれて。


 ――嗚呼。


 本当にリヒト・フローレスと再会できたのだと実感する。


「外、意外と冷えるね。車に入ろうか」


 リヒトが話題を切り替えた。いつまでも思い悩んでばかりではいられない。明るい未来に進むためには、時には煤けた悩みを過去に置き去りにする決意も必要だ。


「体は大丈夫?」


 何せポラリスは連れ去り被害に遭ったのである。体調を心配されるのは当然であった。


「いまは……だいじょうぶ、です」

「そっか。気分が悪くなったら、遠慮なく言って」



 リヒトの手でロック解除された車の、後部座席に乗り込んで。手伝ってもらいシートベルトを装着した。高級車だからか、シートの座り心地が半端なく良かった。


「二人とも大丈夫か?」


 助手席から、ハスキーな女性の声がこちらに投げかけられた。

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