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34話 帰ってきたよ

 リヒトが過去の物語を話し終えてから、しばらく二人とも無言だった。


「…………ふう。これで、過去の話はおしまい……。何か訊きたいことがあるなら、答えるよ」


 語り終えたリヒトは、疲れたような笑みを浮かべた。こんな壮絶な内容だ、話していれば疲れもするだろう。

 そう。壮絶、だった。


 そもそもリヒトがこうして病院にいるのは、たった今彼が語った話の内容が原因だったりする。リヒトは精神攻撃でこれらの記憶を呼び起こされたのだから。

 ポラリスはそんなつらい話をさせてしまったことを後悔した。どのみちリヒトと共に生きていくうちに、いつかは知ることだったのだろうけれど。


 質問はあるかと言われても。ポラリスは何も言葉が出せなかった。


 リヒトの父親は種族差別を発端とした理不尽な悪意によって殺されていた。お互い面識もなく、名前も知らなかったという奴に。決して許してはならないこと、繰り返してはならないことだと、赤の他人でもわかるくらいだ。


 とはいえ当事者の心は、当事者にしかわからない。

 愛する男性の命を奪い取られて、リヒトの母リリアーヌ・フローレスがどんなにつらい思いをしたのか、ポラリスには想像もつかなかった。


 だがポラリスにとってリヒトを殺されるようなものだと考えれば、その激しい痛みの輪郭程度は容易に理解できる。

 現に今も目の前には、魔獣との戦闘で危機におちいっていたリヒトがいるのだ。そう考えると気が遠くなりそうだったので、それ以上は思考するのをやめる。


 愛する人を奪われて、唯一の希望である幼い息子は年下のきょうだいを欲しがっている。

 疲弊し弱ったところに金ならやる、生まれたら子どももやると甘い声で言われて、リリアーヌはついていってしまったのかもしれない。


 リリアーヌがリヒトを置いていったことを非難する者も多いだろうが、ポラリスはリリアーヌを責めたくなかった。

 この場合悪いのは彼女をいざなったセント・グラシエラの手の者たちだといえる。そう思いたい。


 あの日、小学生だったリヒトが図書室で人知れず泣いていたことが、シリウスがそっとしておこうと言っていた理由がようやくわかった。

 でも解決して晴れ晴れ、といった雰囲気ではない。ポラリスの内側には薄い灰色の曇り空が広がっている。


「妹さんは、いまおいくつなの……?」


 ポラリスはできるだけ無難そうな話題を選んで問いを投げかけた。どうせどんなことを言っても、すぐそこには底が見えない沼があるのだが。


「ん……。三月生まれの一二歳だよ。セント・グラシエラ政府崩壊後は、一時的に中央大陸にあるアルコバレーノ王国に保護されていて……、いまはその隣国のリベルタ共和国の首都ツーヨウというところにいるんだ」


 アルコバレーノ王国もリベルタ共和国も、ポラリスはなんとなくは知っている。中央大陸もエテルノほどでなくとも治安は良好とされている国家・地域がほとんどなので、その点は安心だ。


「それじゃ、妹さんはお母様とご一緒なのね」

「うん。それは良かったなって思うよ」


 ――ほんとうは、寂しいのではないのかしら。


 一二歳の少女と、成人の一八歳を迎えて立派に働いている青年とだったら。母親がまだ一二歳の妹のほうを選んで一緒にいるのは当たり前、といえば当たり前なのだろう。

 リヒトは自立し、次期聖女ポラリスの守護騎士を務めるまでに成長している。もう親の庇護は必要ない。


 それでも。それでも一度でいいからリヒトにも会いにきてくれてもいいのではないのかと、ポラリスは思う。リヒトの瞳の奥にゆらゆらと切なげに揺らぐものが見えるから、なおそう思った。


「……妹さんは、一応国王の娘さん……つまりお姫様なのよね? そのあたり……身分とかはどうなっているの?」



「王の妾は、母さん以外にも十名近くいたらしい。それも全員とのあいだに子が生まれている」

「え……」



 ポラリスは身の毛がよだつのを感じた。妾、つまり愛人が十名近くいたなんて。リヒトの母がそのうちの一人に過ぎなかったなんて。


「僕もひっくり返りそうになった。そりゃあ昔だったら、後宮とか側妃そくひとかの制度があるのはわかるよ? 今だって一夫多妻を認める国家はあるけど、僕はそれも文化の違いとして見ているし。でも、でもあの国、法律で不貞罪まで定めているのにね。しかも純白主義オール・ホワイトとか掲げている癖に、妾は全員有色種コローレの女性だったんだってさ。…………ほんとうに……やってられなくなるよ…………っ」


 感情が高まって無意識にだろう。リヒトは後半早口でまくし立てるように言った。内容を考えれば、そうなるのは当然だ。

 横になったままで、淡いブルーの病衣に包まれた肩が激しく震えた。ポラリスには彼の中にたぎる感情の濁流がよくわかった。


 ――なんで、こんなことを。誰も幸せになれないのに。


「リヒトさん、だいじょうぶ?」


 荒く息をするリヒトの頬に、ポラリスは臆せず触れた。


「ごめん、ちょっとムキになった……」


「そうなるのは当たり前よ……。ご自分を責めないで、ね?」

「そうかな……、いや、ポラリスの言うとおりだね。前に君が虐待されるうちに感情が麻痺していったって話していたけど……僕も似たような状態だったんだと思う」

「そうね。私たち、似た者同士ね」


「そうだね。ありがとう……ポラリス。とにかく、母さんと同じ状況の女性も、妹と同じ状況の子どもも他にも何人もいるんだ。……それがあんまりいいこととは言いにくいけどね。いまその全員が一般人として生きられるようにたくさんの機関が動いてくれている……。僕も母さんのことがわかったときに、何人もの国連や国際機関の関係者と会ったんだ…………中にはかつての大戦を終結に導いた『七英雄』の一人もいらして、あれは本当に驚いたな……」


 ほう、とリヒトが感嘆の息を吐いた。


 かつての大戦とは、約五十年前に終結した種族解放戦争のことだ。当時の種族差別は今とは比べものとならないくらいひどかった。人類種ヒューマン以外は亜人種デミと言われてさげすまれ、人類種ヒューマンの下に見られていたという。


『戦後』も終わってかなり経つ今でもリヒトの父親のようなことがある。戦争なんかが起きなくたって、人は簡単に絶望に墜とされてしまうのだ。


 七英雄は各陣営のトップたちを話し合いのテーブルに着かせたという、七人だ。その七人には男もいれば女もいて、軍人もいれば民間人もいて、王族もいれば平民もいて、人類種ヒューマンもいれば妖精種フェアリーもいた。


 世界を戦禍から救う救世主になるのに、種族も身分も関係ないということがよくわかるいい例だ。


「と、まあ、この話はこんな感じ」


 リヒトがわざと明るく、にこっと笑って言う。


「ありがとう、つらいことを話していただいて」

「いいんだよ、君になら」


 再びポラリスはリヒトに抱きしめられる。

 こらえきれなくなって、ポラリスもリヒトの体を思い切り抱きしめた。

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