33話 優しくあってね(リヒト視点)
リヒトがメイド服に興味を持ったのは、確か四歳の頃だった。
メイド服は女性のための洋服らしい。それでもリヒトは可愛らしくて清楚なデザインに憧れた。
「ぼく、メイドさんになりたいんだ」
そんなことを言い出す幼い子どもを、母であるリリアーヌは決して否定しなかった。子どもの言うことだから、というよりは夢見る息子を本気で応援しているようだった。
「あらあら、それはどうして?」
「だいすきなひとにごはんをつくったり、おへやをおそうじしてあげたいからっ」
「ふふふ。リヒトは人のお世話をしてあげるのが好きなのね」
「うんっ。ひとになにかしてあげたいんだっ」
夫と死別したリリアーヌは、幼いリヒトを連れて実家のミラー家に戻っていた。
ホーバードとは死別ということもあり、姓は『フローレス』のままだった。
ホーバードの父母――リリアーヌにとっての義実家はエテルノ王国の辺境とも呼べる小さな村にあるので、王都にいたほうが何かといいだろうという理由だった。
関係は良好だったので、毎年夏になるとリリアーヌはリヒトを連れて義実家に向かった。広大な自然の中でリヒトを遊ばせ、ホーバードの墓参りをした。
本来ホーバードの命日である冬に墓参りをするのが一般的なのだろうが、その日はリヒトの誕生日でもあった。息子の誕生日を湿っぽくさせたくなかったのだろう。リリアーヌは毎年リヒトのために大きなケーキを買ってご馳走をつくり、家族みんなでお祝いした。
リヒトを昼間幼稚園に行かせている間にパン屋で売り子として働き、夕方には必ず自分でリヒトを迎えに行った。夜は温かく美味しい夕食をみんなで一緒に食べた。ハンバーグもシチューもパスタもフィッシュフライも、リリアーヌの作る料理はどれも絶品だった。
まだ幼いリヒトは、梟が鳴き出すより早い時間におやすみを言って眠りにつく。
子どもなら大体の子が気になることだろうが、リヒトも自分が眠ったあとに母親が何をして過ごしているのか気になって仕方なかった。
もしかしたら、リヒトの知らないとびきり甘くて美味しいお菓子を食べているのかもしれない。
リヒトが普段夢中になっているより、ずっと面白いテレビ番組を観ているのかも。
気になるあまりに夜も眠れなかったリヒトは、お手洗いに立つふりをしてこっそり母リリアーヌの様子を覗きにいく。廊下の窓の外から、まんまるのお月様が銀色のひかりを振りまいていた。
母は、泣いていた。
理不尽にも殺されてしまった愛する夫の写真を前に、リヒトが見たことのないくらい悲しい顔をして滂沱の涙を流していた。
見てはいけないものを見てしまったような、ばつが悪い気持ちでリヒトは自分のベッドに戻る。大人が泣くところをあまり見たことがなかったリヒトには、二重の意味で衝撃的だった。
窓の外では相変わらず、お月様が銀色のひかりを振りまいていた。やけにまぶしい、月光だった。
父親が殺されていたということを、幼いリヒトはなんとなしに理解していた。幼稚園では『みんな他人を大事にしましょう』『命を大切にしましょう』というのに、なぜ殺人や戦争が起こるのか不思議で仕方なかった。
リヒトの内側では憎しみや怒りや悲しみよりも、どうして人が人を殺したのだろう? という疑問ばかりが先走っていた。
だが父ホーバード・フローレスが殺された理由についてはまだ知らない。最初リヒトは大人たちから通り魔殺人だと説明されていた。リヒト自身が妖精烏であることを考えたら、誰もその理由を語れないことは火を見るより明らかだった。
ただ。加害者が人類種の男ということをリヒトはかなり気にしていた。
「ね。おかあさん。ぼくがヒューマンのおとこのことあそんでも、おこらない?」
「ええ。どんな種族の子でも、リヒトの大事なお友達になってくれるのなら大歓迎だわ」
リリアーヌは決して誰の悪口も言わなかった。
今思えば、人を悪く言うだけの心の余裕がなかったのかもしれない。悪口や陰口というものは、結構言うと心が削れるものなのだ。まあ削れないしむしろ元気になるという者も多いだろうが。
ただリリアーヌはいつもこう言っていた。
「優しくあってね、リヒト」
息子には『加害者』になって欲しくないという、母の愛情から出た切なる願いだった。
夫を喪った可哀想な母の願いを叶えてあげたいと、リヒトは目一杯優しくあろうとする。時には優しさを演じたこともあったが、リヒトが自分の意思でしたことということに違いはない。
五歳の誕生日プレゼントにリヒトが『いもうとかおとうと』を欲しがったのも、家族が増えれば毎日が楽しくなって、母ももっと笑顔が増えるのではという期待からだった。
今考えても、幼い少年の願いは無垢で愚かだった。
男女が体を交えなければ、子ができることは叶わない。父が鬼籍に入ったリヒトにとっては叶わぬ夢だった。
それに子を育てるということは大変な労力を有する。もし父が存命だったとて、子どもがもう一人生まれればリリアーヌの負担は確実に重くなり、リヒトにかまってやれなくなる時間も増えていただろう。
そういう事情を、まだ社会や人というものをよくわかっていないリヒトは、まるでペットの犬か猫を欲しがるように人間の赤子を求めた。
「ぼくはおとこのこだから、いもうとがうまれればバランスがよくなるよね」
そんなある意味残酷に聞こえなくもないことを言い出す始末だ。
そんなリヒトに、リリアーヌは小さなホールケーキを半分こしてくれた。五歳の誕生日プレゼントだ。
祖父母がくれたおもちゃや絵本も嬉しかったが、大好きな母と食べるいつもより大きなかたまりの苺のショートケーキは格別だった。
「優しくあってね、リヒト」
リヒトを祖父母に預け、ちょっといつものスーパーマーケットへ買い物へと行って出かけたリリアーヌは、そのままいなくなってしまった。
かつて注目を集めた殺人事件の被害者の妻だ。リリアーヌがいなくなったことは、光の速度でシレンシオ中を駆け巡った。もしかしたら国内全土に広がっていた、といわれても納得する。
『後追い自殺か』
『無差別の通り魔か人さらいにやられたんじゃないか』
『ひどい人生の女だね、可哀想に』
『これじゃあ、いなくなりたくもなりますよ』
みんな、みんなが無責任に無遠慮に、好き勝手言葉の刃をリヒトたちに突き立てた。
『旦那さんが烏だから殺されたのに、子どももおんなじ烏だったから絶望したんだ』
「おかあさん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
責任を感じて泣き出すリヒトを、優しく慰めてくれたのは誰だったろうか?
以来、リヒト・フローレスの両親は不在のままだ。
それから。
一年前にセント・グラシエラ王国は崩壊した。
リリアーヌはセント・グラシエラ王国の国王の『妾』にされていたのだ。
皮肉なことに、リリアーヌは王との間に女児を産んでいた。
父親違いで種族も違う、正真正銘のリヒトの妹だった。




