27話 戦う人よ
晴歴二〇一三年一月二十五日。
魔獣が発生すると予知された約半日前となった。
いつもより一時間早く目覚めたポラリスは、慌ただしく避難所へ向かう支度をした。
これからリヒトやセレッソ、警備部隊の面々と共に避難所へ移動することになっていた。避難所に到着すれば、リヒトは戦場となる場所に行かねばならない。
今日なんて来なければいいと願っていたけれど、残酷にも至って普通に夜は明けた。同じ世界のどこかで誰かが笑うとき、また違う誰かが泣いているのだと痛感させられる。
最悪魔獣の攻撃で宿舎ごと粉砕される可能性すらある。ポラリスは絶対失う訳にいかない高校の制服を着用して、スマートフォンや電子ウォレットといった貴重品はすべてスクールバックに詰め込んだ。
すでにトリシャとハンネローレ、クレメンテはシレンシオ市役所の災害対策室に到着している。事務官たちも市内の各避難所の運営に向かっていた。ポラリスももう、行かねばならない。
ポラリスは怖かった。実家で虐げられていた時以上の悪寒と身震いに襲われる。両親には何も期待していなかった。
一応逮捕されたときのショックはあったが、親子としての情ももはや皆無に等しい。愛するリヒトがいる世界に産んでくれたことに対しては恩義があったけど、本当にそれだけだ。
対してリヒトのことは大切だ。愛しているし恋している。だいじなだいじな最愛の人。
今日、ポラリスはそのリヒトを失うかもしれなかった。
――失うかもしれない。
愛する人を。優しい人を。
――失うかもしれない。
せっかく再会できたのに。やっと恋仲になれたのに。
――失うかもしれない。
愛するリヒトを今さら行かせないわけにはいけない。もう作戦はリヒト込みで整えられている。
――失うかもしれない。
シャボン玉は、割れるときは一瞬で消える。音もなく、跡形もなく。
――失うかもしれない。
戦場に恋人を送る以上、覚悟は決めたはずだった。
――でも、怖いものは怖い。
ポラリスはリヒトに再会できて幸せだった。
リヒトはポラリスと再会したせいで死ぬかもしれない。
簡単な朝食を済ませると、リヒトとセレッソが迎えに来た。ポラリスはリヒトの顔を直視できなかった。自分のせいでもうすぐ死ぬかもしれない人の顔を、どんな表情で見ればいいのか。
「ポラリス」
「…………」
リヒトがセレッソに目配せするのを合図にして、セレッソがリビングから出て行く。
「ポラリス、僕の目を見て。僕も君の顔が見たい」
柔らかな声が降ってきて、ポラリスはそちらを見上げる。リヒトのいつも通りの優しい笑顔があった。
「大丈夫、ちょっと出かけてくるだけだよ」
そのちょっとでいくつもの命が呆気なくはじけ飛んでしまうことがあることくらい、リヒトだってわかっているはずだ。わかっていて、なおポラリスを安心させようとする。
死んでしまったら笑えない。動けないし話せない。食べられないし泣くこともできない。
死後の世界についてやたら怪しく不確定な情報ばかりが飛び交うアタラクシアだが、今は天国と地獄も輪廻転生もどうでもよかった。
――そこに生きているあなたがいてくれれば、それだけでよかったのに。
「ごめんなさいリヒトさん、私が命じたりしなければ」
「謝らないで、僕はプロの騎士だよ? 君の守護騎士であるけれど、魔獣との戦いは慣れたものだから」
「どうかお気をつけて。必ず生きて……帰ってきてね」
生きて元気に帰ってきてくれる保証があるのなら、まだ安心して送り出せた。
保証がないから、祈るしかない。
「ああ、もちろん」
ポラリスはリヒト、セレッソと共に車で避難所となる小学校まで移動した。奇しくもかつてポラリスとリヒトが通い、二人が出会った場所だった。
このままリヒトは車でホットスポットへと向かう。
「じゃ、また後でね。すぐに帰るよ」
「……はい」
周囲の人のためにも、別れの言葉は短くしなければならなかった。
「あとこれ、忘れ物」
「…………!」
リヒトがポラリスに差し出したのは、一冊の本だった。
かつて子どもの頃のポラリスとリヒトが出会った日に一緒に読んで、図書室から譲り受けたリヒトがポラリスにくれたものだ。
てっきり実家に置きっぱなしにしたままかと思っていたので、ポラリスは目を見開いて驚いた。
「命じられなくても、僕の帰る場所は君だけだよ。ポラリス」
「ありがとう……お気をつけて」
ポラリスは静かに泣き笑った。リヒトを乗せて去っていく車を、いつまでもいつまでも見送ろうとしていた。
「ポラリス様……フローレスくんなら大丈夫ですよ。必ずご無事です」
「そうですね」
セレッソの励ましも受けて、ポラリスは避難所として開設された校舎に向かった。




