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17話 青空散歩と神殿宿舎

 晴歴二〇一三年一月中旬の金曜日。クレアシオン神殿付属病院正面玄関前に、ポラリスは立っていた。


 冬の朝の淡い陽光が王都シレンシオを包み込むようにして照らしている。色褪せた枯れ草も、枝が剥き出しになった木々も、人々が動き出した街も平等に照らし出す。


 ポラリスは澄んだ冬の空を見上げて、ほうと白い息を吐いた。


 冬という季節は、寂しいとか厳しいとかマイナスイメージで語られがちだ。でもポラリスは巡り巡る四季の中でも冬が一等好きだった。凜と冷えた空気や降り積もる白雪に触れると、自分の内側がしんと静かで荘厳なものに満たされていく気がするのだった。


 今朝のポラリスはベージュの膝丈ワンピースの上に、胸元にぽんぽん飾りがついた白いケープコートを着込んでいる。足元は厚手の黒タイツにショートブーツだ。


「おまたせ」


 ポラリスの退院手続きを済ませたリヒトが、病院の建物から出てきた。ポラリスの隣に並び立つ。


「ありがとうございますリヒトさん。いろいろ手続きまでしていただいて」

「いいんだよ。これから僕は君の保護者にもなるわけだし」


 一八歳成人のエテルノ王国で、まだ一七歳で未成年のポラリスには保護者が必要だった。自立を視野に入れながらも、まだまだ守られなければならない境界線の上にいる。


 ちら、とポラリスは横に並ぶリヒトのほうを見る。少年から青年に成長していく課程で、リヒトの背丈はすっかり伸びきっていた。そんな当たり前の変化にもポラリスはときめいてしまう。


 いくら肉体が大人のものに変化しても、碧眼の輝きや長く黒い髪の艶めき、微笑みの温度にふと子どもの頃のリヒトを見つけられる。ポラリスはそのたびに、この人はやはりリヒトさんなのだとわかって嬉しくなる。


「それじゃあ、飛ぶよ」

 

 病院から少し離れた地点で、ポラリスはリヒトの腕に横抱きにされていた。

 これからリヒトに空を飛んでもらって、近くにある神殿宿舎に向かう。


「はい、よろしくお願いします」


 意気揚々といった様子のリヒトにポラリスも応じた。


 荷物は先に宿舎へ送ってもらっているので、二人ともてぶらだった。シリウスが神殿にわざわざポラリスのスクールバックと勉強道具諸々を届けてくれたと朝リヒトから聞き、ホッとすると同時に会ってくれても良かったのにとも思った。


 たたっと助走を付けてリヒトの黒い翼が羽ばたいた。

 建物の二階程度の高さを飛行して、直線コースで神殿宿舎へ。市街地から若干外れた場所なので、木々が多い。


 ポラリスがリヒトと再会した日も別荘の玄関からこうして空を飛んだ。あの時は急な神殿からの迎えやリヒトとの再会に心が追いついていなかった。ポラリス自身連れ去り被害に遭っていたのだし。


 今日はだいぶ心身に余裕がある。同じ高さを飛ぶ雀に目で挨拶したりと、ちょっとした青空散歩を楽しんだ。

 クレアシオン神殿宿舎は、神殿のすぐ隣に所在する。

 

 神殿自体は白亜の壁にステンドグラスがはめ込まれた窓が特徴の、どこか病院にも似た堅牢な建物をしている。

 大水晶が祀られる『本殿』、人々が祈りを捧げ語らうための『礼拝堂』、職員たちの『詰所』に分かれている。

 石畳が敷き詰められた庭園には、季節の花々が植えられた花畑。神殿の建物内部にもあちらこちらに植物の植木鉢が飾られている。


 

 一方の神殿宿舎は木造りで、深い赤の大きな屋根に大きな硝子窓、クリーム色の壁に木目のドア。御伽話にでも登場しそうな出で立ちだ。


 ――こんな素敵な建物に住めるの? 私が?


 一応幼い頃住んでいたクライノート邸も瀟洒で豪華な造りであった。住んでいる人間が最悪すぎて、家としての役割を半分果たしていなかったが。


 だからポラリスの心の中には。ここでも意地悪をされる可能性はゼロではないと身構えている部分もある。

 それでも温かみも感じる宿舎の建物を前に、新たな生活への期待で胸が高鳴った。何より隣にはリヒトがいる。


 宿舎の前にはセレッソが待機していた。

 黒猫の侍女が丁寧に一礼する。


「ポラリス様、お待ちしておりました」


「これからよろしくお願いします」


 やはり多少の気恥ずかしさはあった。次期聖女として堂々としていれば良いのだろうが、まだ体調が本調子ではないポラリスには難しい。


「それでは、さっそくお部屋にご案内させていただきますね。クレアシオン神殿職員宿舎は一階が談話室やキッチン、大浴場や物置となっております」


「二階が男性職員、三階が女性職員の部屋になります」


「ポラリス様がお住まいになるお部屋は四階となります。こちらは現聖女ハンネローレ・プルマス様とその守護騎士クレメンテ・プルマス様の居室に次期聖女でありますポラリス様の居室、守護騎士であるフローレスくんの居室、それぞれの警備チームの精鋭の居室がございます」


「思うよりずっと厳重なのですね」


「現代のエテルノ王国において聖女が襲われた事件はほぼ発生しておりません。ですが敵襲を警戒する分にはやりすぎくらいがちょうどいいとの考えからです」


「なるほど……」


 それはそうだ。常に最悪の事態を想定したほうが、警備はしやすい。


「あまりポラリス様を怖がらせたくはありませんが、セント・グラシエラ王国の崩壊により、聖女グラシエラを信仰する人たちの残党が我が国の聖女や関係者を狙う可能性もあるので……。まあ、聖女信仰している人間のほとんどは、エテルノ王国自体が気にくわないのでしょうけど」


 本当なら戦争などない恒久平和が一番なのだが、先進各国が防衛に力を入れることをやめられないのを見るに、完全に安心するにはまだ早いということだろう。 



 つい数年前に軍事主義を掲げたある独裁国家が斃れた。


 世界各国が脅威に感じていたその国――セント・グラシエラ王国が崩壊したことで、かなりアタラクシア全体の治安は良い方向に向かったとされる。


 セント・グラシエラ国民はとある伝説上の『聖女』である聖女グラシエラを信仰することが憲法で定められている。つまり信仰の自由がない。他にも多くの規制が国民に課せられていた。


 聖女と同じ銀色の瞳と髪、白い肌をした人類種ヒューマン以外の者――つまり純白人種ピュア・ブランカ以外の者の迫害、聖女を除いた女性の軽視など、現代でなくとも信じられないような政策や法律がまかり通っていたのだ。


 その聖女グラシエラはエテルノ王国外に存在する、唯一の聖女らしい。

 瞳の色がエテルノの聖女たちとは違うし、肌の色は白系人種ブランカでない聖女もエテルノにはたくさんいる。


 おそらく担ぎ上げられただけの、ただの可哀想な女性がグラシエラだろうというのが真実とされていた。



 聖女信仰絡みで、エテルノ王国も彼の国にはずいぶん敵視されたという。セント・グラシエラ王国のお偉方とすれば、グラシエラに世界唯一の聖女でいて欲しいからだ。


 だから――あの国が滅んで、エテルノの民は貴賤きせん問わずかなり安堵している。


 なんかエテルノ国内で金稼ぎの誘いを受けて、セント・グラシエラに渡ったら強制的に王のめかけにされ望まぬ子を出産した女性が幾人もいるという。


 中には長い軟禁生活で健康を失調して今もエテルノに戻れず、国連が関わる医療施設に長期入院をしている人もいる。


 考えるだけで吐き気がする話だ。


「ええ、セント・グラシエラ関連のことについてはなんとなくですが承知しております。誰が標的にされるかわからないからと、通っている高校でも注意喚起がありました。怖いといえば怖いですが……、リヒトさんたちがいてくださりますから」


 あえてリヒトがどんな顔をしているのかは見なかったが、セレッソはあらあらといった調子で笑った。


「ふふふ、それでは改めて、ご案内しますね」

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